人斬りの妖刀


 春の陽気溢れる街道を、一人の若者が歩いていた。

 この若者、このまま田舎で腐ってしまうのはつまらぬと、江戸で一旗あげてやろうと思い立ち、江戸へと向かっている最中であった。

 それゆえその表情は、春の陽光に負けず劣らずに光り輝いていた。自らの前途には良いことしか待っていない、きっとそうに決まっている。


「確かに田舎暮らしもいいかもしれねえが、やはり男として生まれたからには、一発ドカンと大きなことをやってみてえ。田舎だとそんなことありゃしねえが、江戸ならきっと、そういうことができるはずだ……」


 心持ちと同様に、軽やかな足取りで街道を歩く若者。その時、ちょうど正午きっかりになったせいか、お天道様が空の一番高いところへとやってきて、燦々さんさんと輝き始めた。

 すると、その陽光を受けて、何かが道から少し外れた草むらの中でキラリときらめいた。そしてそのきらめきは、若者の目に入った。


「うん? 今、何か光ったような……?」


 きょろきょろと草むらを見回す若者。そんな若者を誘い出すかのように、草むらの中でその何かがもう一度キラリときらめいた。そのきらめきには、なんとも抗しがたい、強い誘惑のようなものが感じられた。


「……なんだろう?」


 草むらの中に入っていく若者。ほどなくして、そのきらめきの元へとたどり着く。一体、なにが光っているのかと草むらの中へと手をつっこみ、きらめきの元を引っ張り出した。


「これは……なんでこんなもんが……」


 若者が驚くのも無理はない。草むらの中から出てきたものは、なんと、一振りの刀。それも、豪奢ごうしゃな装飾の施された、重量感のある立派な刀だったのだ。


「さては、この装飾が光っていたのだな」


 この刀、さて、どうしたものか。まじまじと刀を見つめる若者。とりあえず、抜いてみるか。鞘がこれだけ豪勢なら、刀身もきっと見事なものだろう。刀を抜いてみたくなるのも無理もないと言えた。

 柄を持ち、スラリと刀を抜く若者。


「おお……こりゃあ……すげえ……」


 思わず、感嘆の息を漏らす若者。鞘に負けるとも劣らぬ、重厚かつ艶やかな刀身。いや、艶やかすぎるといっても過言ではないほどの、怪しい美しさ。

 そのあまりの見事さに、魂を奪われたかのように刀身を見つめ続ける若者。こんな見事な刀なら、誰だって振ってみたくなるというものだ。

 ヒュゥンッ、と刀を薙ぐ若者。

 まるで、この刀が昔からの自分の持ち物であったかのように、ピッタリと手になじむ感触。その感触に調子づいて、何度も刀を振ってみる。一振りごとに、まるで、若者の手に吸いつくように、どんどんどんどん手になじんでいく。

 若者はこの刀を手放したくなくなってきた。辺りを見回す若者。どうやら、自分以外は誰も近くにはいないようだ。

 若者の心に、悪魔がささやいた。

 こんな素晴らしい刀、このままここに置いていくなんてもったいないことを、お前さんはするのかい?


「……これから、江戸の町で一旗揚げようって時に、こんな刀と出会うとは、これも神様の思し召しかもしれねえ。いや、そうだ。きっとそうに違いねえ」


 もっともらしい理屈を並べ立て、若者は刀を腰にさした。

 その瞬間、まるで痺れるような感覚が若者の全身にはしった。まるで、収まるべきところに収まったとでもいうような感覚。

 この感覚に勢いづいた若者、


「やっぱり、これは神様が俺のためにお与えくだすったものにちげえねえ。そうと決まれば、話は決まった!! この刀を使って、俺ぁ一旗あげてやるんだ!!」


 意気揚々と草むらから街道へと戻り、大股で肩をいからせながらズンズンと歩いていく若者。

 確かに、若者の言う通り、若者の拾った刀は神が与えてくれた刀であった。

 しかし神は神でも、善の神ではなく、悪の神。

 若者が拾った刀は、拾った者に人を斬りたくなる強い衝動を起こさせてしまう、呪いの妖刀だったのだ。

 そんなことなど露知らず、ますます気を大きくして街道を闊歩かっぽする若者。

 すると、前方から身なりの良い武士が歩いてくるのが若者の目に入った。


 おっと御武家様に道をお譲りしなきゃあな。

 そう思い、道をあけようとした瞬間、若者の腰に差された妖刀が、その妖しい力を発揮した。


 ――どうした? なぜおまえが道をあけねばならぬ。道をあけねばならぬのは、あの武士のほうだ。


 若者の頭の中に、直接響き渡る魅力的な女の声。若者は驚き、辺りを見回してみるが、向かってくる武士以外に人影を認めることはできなかった。


 ――辺りを見回しても無駄だ。わたしは、お前が腰にさげている刀なのだから。


 刀だって? 腰にさげている刀に目をやる若者。


 ――わたしを見てごらん。どんな奴にも負けないような、素晴らしい刀だろう? そんな刀を腰に下げることのできる者は、神に選ばれし者のみ、それすなわち、おまえのことだ。おまえは、神に選ばれたのだ。


 俺が、神に選ばれただって?


 ――そうだ。その証拠に、わたしを拾っただろう? そして、腰にさげている。おまえは神に選ばれたのだ。神に選ばれた者が、下等な武士ごときに道を譲るなど、あっていいはずがない。


 そうか……俺は、神に選ばれたのか……。


 ――そうだ! そうだ! さあ、あの武士を道からどかしてしまえ!! 言うことをきかなければ、わたしを使って、あの武士をやっつけてしまえ!! おまえにならできる!! お前は神に選ばれた者だからだ!! さあ、あの武士をやっつけてしまえ!!


 俺は……神に選ばれた者……俺は……俺は……この世で一番偉いのだ!!

 憑りつかれたかのような目をして、武士の元へと駆け出していく若者。そして、武士の前へとくると、


「そこな武士!! 待てい!!」


 と、大声で武士を呼び止めた。呼び止められた武士、なんだこいつはと目を丸くしながら、


「そなた、なにやらただならぬ様相であるが、それがしに何か用か?」

「何か用もあるか!! 俺が今からおまえを斬って捨ててやる!!」


 そう言って、腰の刀に手をかける若者。


「おい、なんのつもりだ。某はそなたとは初対面だ。恨みをかうようないわれはないぞ」

「うるさい! さあ、おまえも刀を抜けっ!!」

「刀を抜けだと? さては、気でも狂っているのか。それに、なんだ、その身なりとは不相応な豪奢な刀は」

「やかましい! さあ、抜けっ!! 抜けっ!!」

「悪いことは言わぬ、やめなさい。今なら、若さ故のあやまちということで笑ってすませてあげるから、やめなさい」


 武士の忠告を無視し、スラリと刀を抜く若者。それと同時に若者の体内に駆けめぐる、えもいわれぬ至高の快感。


 ――さあ、斬ってしまえ!! おまえは神に選ばれた者!! さあ、斬ってしまえ!!


 若者の頭に響き渡る刀の声に従い、若者は奇声をあげながら武士に斬りかかっていく。

 そして、若者が武士に刀を振り下ろそうとした、その刹那――――、


「むう、仕方ない――御免ッ!!」


 武士が裂帛れっぱくの気合と共に、腰の刀を抜刀して、若者の胴を真一文字に斬り裂いた。

 悲鳴をあげ、その場に倒れこむ若者。

 若者の返り血の付いた刀を、懐紙で拭きあげながら、若者の死体を見下ろして武士はつぶやいた。


「まったく、何がなんやらわけがわからぬ。春先には変な奴が多いと聞くが、まさかこのような輩が現れようとはな。身を守るためだったとはいえ、実に気分が悪い」


 フン! と荒い鼻息一つ吐き、若者の持っている刀に目をやる武士。


「そもそも、このような若者が、なぜこんな豪華絢爛な刀をもっているのだ」


 訝しげに、若者の刀を手に取る武士。武士が刀に手をかけた刹那、刀はその妖しい力を発揮した。


 ――この刀はいむべきいわれのある刀である。災いがふりかかるぞ。早く草むらの中に投げ捨てよ。


 武士の心に、強く訴えかける刀。


「むぅ。なにやらこの刀、普通ではないようだ。きっと、この刀があの若者の心を惑わせたのだろう。このような危険な刀を、このままにしておくわけにはいくまい」


 若者の遺体から刀を取り上げ、鞘におさめてそれを草むらへと放り投げた。


「うむ、これでよかろう」


 武士はうなずき、この場を後にした。

 草むらの中で、刀は愉快でたまらないといったように思い返す。


 ――そう、確かにあの若者は神に選ばれし者だ。ただし、神は神でも、死を司る死神にだがね。そう、わたしは死神に命を献上する妖刀さ。わたしを手に取ると、人を斬りたく斬りたくてしょうがなくなる呪いがかかっている。でも、あくまでも人を斬りたくなるだけで、わたしを手に取ったものを強くするような力はない。だからこそ、あのような向こう見ずな若者に手に取ってもらわなければならない。たしかに、あの武士のような腕の立つ者に拾ってもらえれば、たくさんの人の魂が集まるだろうけど、それじゃあ面白くない。どうせ、仕事をするのなら、面白いほうがいいに決まってる。ああいう、バカな若者共をそそのかすのは、楽しくてたまらない。


 何百年と変わらぬ仕事を続けてきた妖刀は、またあんな若者が現れてはくれないかと、今日も、草むらの中で妖しく光る。

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