第56話 雨乞い

 何かが爆発したかのような轟音が邸内から起こった。

 火の手が回り、慌てて外に飛び出した詠貴達は赤く燃える炎を見つめていた。

 自分が育った家が燃える様子を詠貴はただ見つめていた。


 思い出の詰まった家だ。


 しかし、その楽しい思い出は候家の者達で苦い思い出に塗り替えられてしまっていた。


 家具も、装飾品も、慎ましく品のある物からけばけばしく煌びやかな品に変わり、自分の家ではなくなってしまった。


 それは父である天功も同じようだ。

 燃え落ちる邸をいっそ清々しい様子で見つめていた。


 邸を飲み込む炎は詠貴達の怨恨を鎮める浄化の炎のように感じる。

 辺りと見渡せば、邸の中にいた人達のほとんどが集まっていた。


 しかし、蒼子達の姿が一向に現れない。

 そして不安がよぎる。


「紅玉様! 蒼子様達が視えません、 もしかしたらまだ中に」

「大丈夫よ」


 そう言って詠貴の肩を叩いたのは柘榴だ。


「心配しなくても、あの人は水の神女よ。火に巻かれることは……」


 そこまで言って柘榴は顔を曇らせる。


「紅玉、何かいるわ」

「あぁ、この気配……神力使いがいる」


 紅玉は険しい表情で邸を睨む。


「あの人はまだ万全じゃない。もしかしたら子供の姿に戻っているかも知れない」


 紅玉の言葉に詠貴は不安に駆られる。


「すぐに助けに行かなければ!」

「いやいや、貴女はここに居て下さい。どうするつもりなんですか」


 果敢にも炎に向かおうとする詠貴の腕を紅玉が止める。


「えっと、水でも被って……」


 考えなしの詠貴に紅玉と柘榴は苦笑いする。


「うん、うん、何だか貴女は蒼子様に似ているわね」

「あんなのと似ている人なんて問題でしかない」


 ニコニコする柘榴とは反対に紅玉は溜め息をつく。


 どこも似ていない。


 あんなにも美しく、そして強さも兼ね備えた人と自分が似ている訳がない。


「賢いのに時々考えなしで動くのよね。蒼子様もそういう所があるわ」

「それに振り回されるこっちの身にもなって欲しい。そもそもはぐれたのもそれが原因で……」

「まぁ、この話はまた今度よ。今はそれどころじゃないわ」


 長い愚痴が始まりかけたが柘榴が話を逸らす。


「俺が行く。詠貴殿」


 紅玉に名を呼ばれ、詠貴は向き合う。


「貴女にはこの地に住まう水神が憑いている。そして今、分け与えた神力がある。そこに俺の神力を注ぐ」


 そう言って紅玉は詠貴の額に人差し指で触れる。


 眉間に近い場所がじんわりと温かくなり、心地良い気が流れてくるのを感じた。

 体内に入った気が元々詠貴の中にあるものと心地良く馴染む。


「水神に祈りを捧げて欲しい。神は信仰がそのまま力になる」


 それだけ告げると紅玉は燃え盛る炎の中に飛び込んでいく。


「ちょっと待って! どういう意味ですかっ?」


 詠貴の問いには答えず、紅玉は炎の中に消える。


「気を付けるのよ~」


 紅玉の背中に柘榴は大きく手を振り、送り出す。

 柘榴の呑気な声に詠貴は力が抜けてしまう。


「さぁ、詠貴ちゃん。祈って頂戴。雨を呼ぶのよ」


 そう言って片目を瞑って詠貴に微笑む。


「雨を……呼ぶ?」

「そうよ。蒼子様と紅玉の神力、それに水神が憑いてる貴女になら出来るわ」


 私の祈りが届けば雨を降らすことが出来るのだろうか。


 いや、考えても仕方ない。

 今の私に出来る事はこれしかない。


 詠貴は膝を着き、手を組んだ。


 目を閉じ、心を落ち着かせて先程見た水神様の姿を思い浮かべる。


 竜神様、どうかお助け下さい。私達を救って下さった蒼子様達を、貴方様を求める民に応えて下さいませ。


 強く念じると冷たい風が頬に触れた。






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