第52話 白日の下に

神力が唇を通して鳳に流れていく。

 いくら注いでも、ザルに水を入れるように抜け出ていく。

 普通の人間ではあり得ないことだ。


 やはりな。


 確信はとっくにしていた。

 しかし、鳳に神力を注ぐことで改めてこの者とは相容れない存在だということを理解した。


「何をしてるのっ! 離れなさいっ!」


 顔を真っ赤にさせて怒鳴る凜抄は詠貴が食い止める。

 ごくっと口移した液体が喉に落ちる音がした。

喉元が小さく上下したことを確認し、蒼子は唇を離す。


「これで死ぬことはない。寝せておけ」



 蒼子は口から垂れた液体を袖で拭う。


「「鳳様」」


 椋と柊が心配して駆け寄り、膝をついて寄り添う。


 鳳のことは双子に任せることにしよう。


 酒は身体へ巡るのが早い。

 酒に蒼子の神力を練り込み、加えて蒼子の力を唇から直接注ぎ込むことで毒を払い清めることができる。


 鳳はこれで大事には至らない。


 しかし、蒼子の身体には負担だった。

 本来の姿に戻ったとはいえ、本来の力は戻っていない。

 この状態で力を使えばまた子供の姿に戻ってしまう。

  

 迂闊に使えないな。


「大丈夫ですか? 蒼子様」


 詠貴が心配そうに尋ねる。


「ザルに水を貯めるのは骨が折れる」

「一先ず、これで口元を拭って下さい。後で塩をお持ちしますので」

「塩?」


 蒼子が首を傾ける。


 何故に塩?


「清めの塩です」


 真顔で詠貴は言う。


 だから何故に塩が?


 蒼子の疑問に答えをくれる者はいない。


「詠貴! お前! 自分が何をしてるか分かっているの⁉」


 凜抄は目を吊り上げて抗議の声を上げる。

 使用人としてこき使ってきた詠貴が急に現れた蒼子の手足のように動くのも気に入らないようだ。


「おいっ! 何をする! 離せっ!」

「観念しろ」


 バタバタと騒がしい声が廊下に響く。


 後ろ手に縛り上げられた候旋夏が恭馬亮と紅玉に連れられて現れる。

 彼らを先導するのは十歳ぐらいの不思議な少年だ。

 威風堂々と中央を歩き、前に進み出た。


 黒い髪と、涼し気な目元は蒼子と雰囲気が良く似ていた。

 黒髪の少年が馬亮と紅玉に合図をすると、旋夏を跪かせる。


「お父様⁉」


 縛り上げられた自分の父親を目にした凜抄は唖然とする。

 仕舞には罪人のように膝を着かされ、激しく動揺した。


「お父様! これは一体どういうことなの⁉」


 凜抄が声を上げるが旋夏にはその問いに答える余裕がない。


「おい! 一体どういうつもりだ! こんなことをして、ただで済むと思っているのかっ⁉ 警吏を呼べ! 誰か! この縄を解けっ!」


 旋夏は押さえつけられながらも、唾を吐きながら抵抗する。

 薄くなった髪を振り乱し、ジャラジャラと重たい首飾りが揺れた。


 そうしても尚、暴れようとする旋夏に視線が集まる。

 当然ながらこの場に手を貸す者はいない。 


「心配するな。警吏は既に外に待機させ、使用人達も集めている。牢屋も既に予約済みだ」


 使用人は既に手中にあり、助けはない。


 汚い物を見るように少年は旋夏に告げる。


「何だと⁉ この餓鬼が! 今何と言ったっ⁉」

「貴様が監獄に入る手筈は整っていると言ったんだ」


 呆れ声で少年は旋夏を見下ろす。


「この餓鬼がっ! 口の利き方に気を付けろ! この縄を解いたら一番に貴様を調教してやるからな! 糞餓鬼がっ!」

「子が子なら親も親か」


 蒼子も呆れて溜め息が出る


「何だ、とっ……」


 旋夏は蒼子の存在に気付き、凝視した。


 口の悪さはどうあれ、月も恥じらいそうな美貌を持つ蒼子に欲深い旋夏の目に止まらないはずがない。


 詠貴はそう思うと酷く気分が悪くなる。


 こんな下衆に蒼子の輝きを与えてやる必要はない。

 詠貴は旋夏の視線から蒼子を遮るように立つ。


「おい! そこの黒い髪の娘、この縄を解け! そうすれば悪いようにはしない!」

 欲にまみれた目で蒼子を見ていた旋夏が叫ぶ。

 詠貴に遮られた蒼子の姿を追いかけ、縛られた身体を捩る。


「お父様⁉ 私の邪魔をしたのはこの女なのよっ⁉」


 実父の信じられない発言に凜抄は顔を真っ赤にして怒鳴る。

 しかし娘の声など耳に入らない旋夏は続ける。


「さぁ、私の縄を解くんだ! そうすればお前だけは特別待遇を約束する。綺麗な服も宝石も、くれてやろう。手元において可愛がってや……ぎゃあああ!」


 耳を覆いたくなる不快な言葉を羅列していた旋夏はが突然悲鳴を上げた。


「黙れ」


 少年が手にしていた錫杖の先端で旋夏の肩を突き刺した。

 錫杖の先端は鋭利に尖っていた。

 その鋭利な先端を容赦なく旋夏の肩に突き立てる。


 少年は冷酷な眼差しを旋夏に向けた。

 子供とは思えないその異様な威圧感に言葉を失い、旋夏は震えた。


「お・ま・た・せ」


 するとこの場にそぐわない明るい声が発せられた。


 柘榴である。

 柘榴は天功を連れて現れた。


「お、お父様……」

「詠貴……! 怪我はないか? 大丈夫か?」

「お父様こそ! どうしてここに?」


 李親子は駆け寄って、無事を確認し合う。


 久し振りに再会した李親子は互いを気遣い、戸惑いながらも再会を喜び合った。

 娘は久し振りに見る父の顔を、父は娘の顔を見て安堵し、愛おしさを露わにする。

 膝から崩れ落ちた天功は詠貴の無事を心から喜んだ。


「親子の再会に水を差すようで申し訳ないが……蒼子」


 少年の言葉に蒼子は頷く。


 李親子に候親子、鳳と従者の双子達、王都の役人である馬亮と少年、柘榴

と紅玉、蒼子、この邸の使用人達が遠巻きに部屋の外から様子をうかがっている。


 全員の視線が蒼子に集まった。


「はっ、何をしようというの?」


 去勢を張るも、何を始めようというのかと、凜抄は警戒する。


 そんな凜抄と膝を着く旋夏を一瞥して蒼子は宣言する。


「長きに渡る李家の苦痛、候家の罪。この場を持って詳らかにする」



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