第8話憂鬱

「お帰りなさい、お二人とも」

「ただいま帰りました」

「……帰った」


 日が暮れたので散策を終了し帰宅すると明るく出迎えてくれたのは柊だ。


 帰り道、鳳が浮かない顔をしていて空気が湿っぽく感じていた蒼子には柊の明るい声がとても温かく思えた。


 柊の纏う温かい雰囲気に難しい表情の鳳も片の力を抜いたように見える。


 美味しそうな煮魚の匂いが鼻を掠めた。


 今日の夕飯は魚か。


 海が側にあるので料理は新鮮な魚介類を使ったものが多い。

 王都は海から離れているので新鮮な魚料理を味わえる機会が少ない。


 この町で初めて魚の刺身を食べて時は感動した。新鮮な魚は肉厚で甘みもありとても美味しい。

刺身の他にも料理上手な柊が作る魚料理はどれも美味しい。


 食事の時間が楽しみでしょうがない。


「おや、何を買って来たんですか?」

「苺」

「買ってもらったんですか?」

「うん。夕飯の後にみんなで食べたい」

「では一度お預かりしますね」


 柊は蒼子から苺の包みを受け取り、台所へと下がっていく。


「鳳様」


 部屋に入って来た椋は難しい表情をして鳳に声を掛けた。


「どうした、椋」

「今日貴方が店を開けている間に侯凜抄様がいらっしゃいました」


 その言葉に鳳の表情が硬くなる。


 一体誰なのだろうか。


 おそらくは女性なのだろう。店の客か商売関係者か個人的な付き合いがあるのかは分からないが。


「蒼子、柊の手伝いをしてやれ」

「分かった」


 抱いていた蒼子を降ろし部屋を出るように促されて部屋を出た。


 重要な話をするのだろう。


 商売に関係ある話でも迷惑な客の話でも大抵は蒼子が側にいても済ませてしまうのが鳳だ。


 最近は蒼子を膝に乗せて仕事の話や資料を眺めたりしているくらいだ。


 聞かれたくない話なんだろうな。


 空気が読めないほど鈍感ではないので素直に退室して柊と共に夕餉の支度を手伝う。


「手伝って下さるんですか?」

「はい。聞かれたくない話みたいだし。いない方が良いでしょう」


 そう答えると柊は目を見開いた後に苦い表情をする。


「では、机に食器を運んでもらえますか?」

「はい」


 柊に指示されて食器や料理を運び支度を整える。

 食卓が自分の背より高いので蒼子は椅子の上に立って食器を並べていた。


「柊」


 扉が荒く開き鳳が入って来た。


 不機嫌そうな表情を浮かべ、声には苛立ちが滲んでいた。


「どうされました?」

「出掛ける。食事はいい」

「かしこまりました」


 随分急な話だ。


 さっきの話と関係あるのだろうか。

 そんな風に鳳を見ていると視線が交わる。


 つかつかと蒼子の元まで歩み寄ると身体を引き寄せられ腕の中に閉じ込められる。


「っ?」


 蒼子が椅子の上に立っても鳳の方が断然背が高い。

 抱き締められてそのまま足が椅子から離れてしまう。

 膝裏に回った逞しい腕の上に座り、背中に回った腕に力が込められる。

 温かい手が蒼子の頭を撫でてそのまま髪を梳く。存在を確かめるように鳳の手が背や肩を往復し、蒼子に温もりを残していく。


 スーと髪の匂いを嗅ぐような音が耳に入り、蒼子は動揺する。


「ねえ……どうしたの?」


 様子がおかしい。


 鳳の腕の中でされるがままになっていると戒めが解かれる。

 蒼子が鳳の表情を覗う前に鳳は顔を背けて部屋を出て行ってしまう。


 蒼子は訳が分からず鳳が消えた扉を茫然と見つめていた。


「……蒼子さん」

「は、はい」


 声を掛けられて弾かれたように柊に向き合うと塩を入れた小皿を手にした柊が立っていた。


「……塩?」

「はい。お清めの塩です」

「清めの?」


 この国では葬儀から帰ると玄関に清めの塩を撒く習慣がある。


「あぁ、なるほど」


 鳳は葬儀に出掛けたのだろう。


 こればかりは予測できない事だ。急な話でも仕方ない。

 深刻そうな雰囲気だったのも不機嫌だったのも納得がいく。


「玄関に置いてきますね」

「あぁ、今使うんですよ」


 塩の小皿を受け取ろうとする蒼子の手をやんわりと制する。


「え、そうなんですか?」


 塩を付けて食べる料理はないと思うんだけど……。


 何に使うんだろうか、いや、でも清めの塩って言ってたし。


「目を瞑っていて下さいね」

「はい?」

「目に入っては大変ですから」

「は、はい……でも何の為に……」


 目を瞑るとぱらぱらと何かが落ちる音がする。


「開けても良いですよ」

「はい」


 目を開くと食卓や床に白い粒が落ちている。


「払いますね」


 柊は蒼子の髪に付いていた塩を払い落として言う。


「悪い虫が付かないように」

「……虫?」

「えぇ、虫です」


 葬儀後に使う清めの塩ではなかったのか。


 何故私に撒く必要が……虫?


 理解出来ずにいると柊が向かい合うように腰を降ろした。


「頂きましょうか」

「……はい」


 柊は積極的に話し掛けてくれるし、面白い話を沢山してくれるので退屈はしなかった。


 しかし、何かが足りない気がして落ち着かない。

 蒼子は柊と二人で食事を済ませ、何となく物足りない夜を過ごした。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る