第54話 水神と詠貴

蒼子は詠貴に向き直り、詠貴が跪く。

 手にある錫杖を詠貴の頭上に掲げると、錫杖の石から白い光が溢れる。


「この光は……?」


 光が詠貴を包み込むように取り巻き、その美しい光が詠貴に注がれると、蒼子は満足そうに頷く。


「詠貴、水神を呼びなさい」

「水神様を……呼ぶ?」

「神類は神力がなければ視ることが出来ない。今、私の神力を注いだことによって貴女は水神を視ることができる。今の貴女が目にした水神を信じれば他の者にも可視化が叶う」


 神類は主に信仰の力によって姿を保つ。

 詠貴がその目で水神を視ることが出来れば、水神を信じる気持ちが強まる。

 その為に、蒼子は自分の神力をを詠貴に分け与えた。


 分け与えた量が多かったかもしれない。


 ずんっと身体が重くなるのを感じたが、これでこの問題を解決できるとおもえば構わなかった。


「さぁ、呼んでごらん。と言っても、水神はいつも貴女の側にいる」


 蒼子は詠貴の肩を指し示す。


「っ……!」


 詠貴が声にならない悲鳴を上げる。

 そこには白い光を纏う少年が詠貴を抱き締めるように立っていた。


「あれが……」

「まるで夢でも見ている様ですね」


 椋と柊が感嘆の声を漏らす。


 天功は瞳から涙を流してその光景を目に焼き付けている。

 金色の瞳は濡れており、白く長い髪は美しく、身体は神々しい雰囲気に包まれていた。


「いつも貴女を見守っていたと思う。私の夢にまで出て来て、貴女に自分が側にいることを伝えろ、井戸の中では貴女が泣いているからどうにかしろと言っていた」

「本当なのですか……? 私を、いつも見守っていて下さったの?」


 詠貴は水神を真っ直ぐ見つめた。


「私は貴方様を忘れかけていたのに……それなのに、貴方様は……」


 水神は無言で詠貴に抱きつくように腕を回す。それが答えだと詠貴は感極まって涙を流した。



 水神が蒼子に視線を向けた。


 『ありがとう』


水神の想いが蒼子の中に流れ込み、蒼子も思わず笑みが零れる。


「あ」


 詠貴は残念そうな声を漏らす。

 水神は満足そうに微笑み、解けるように姿を消した。 


 元々、詠貴には僅かな神力しかないため、詠貴自身が神類を視るのは難しい。今は蒼子の力を分け与えたからそれが可能だっただけだ。


 水神も強力な神ではない。


 信仰によって姿を保ち、雨を降らすのが精々の弱い神だ。

 存在が消滅しなかっただけでも幸運だった。


「姿が視えなくても、側に居て下さるのですね」

「視えるものだけが全てじゃない。水神は貴女の側にいる」


 詠貴は胸を押さえて、大きく頷いた。


 詠貴が水神を信じることが出来れば、それが水神の力になり、この町が水に困る心配はない。


 蒼子は旋夏と詠貴に向き合う。

 今ほど信じられない光景を見た二人は唖然として口を開いて固まっている。


「小神域地域の統括者はその地に関与する神が選ぶ。水神に選ばれた李家でなければならないのよ」


 その言葉に二人は目尻を吊り上げた。


「私にはこの書面があるのだそ!」

「そうよ! それはお父様が州牧から正式に得たものよ!」


 二人の言葉に蒼子は頭が痛くなる。


 ただでさえ、怠いのだ。


 早く片付けて休もう。


 そう心に決めた蒼子は続けた。


「小神域地域の統括者の承認は州牧ではない。神殿だ」


 その言葉に候親子は眉にシワを寄せた。


「神殿だと?」

「神に関する事柄は例外もあるが神殿の管轄。よってこの町も然り。随分と昔だが李家の子孫は神殿にて統括者の承認を得ている。何代か前の州牧が神殿の関係者であり、そこで報告や申請を済ませることが出来た。しかしそれはその代に限りの例外だった。それにも関わらず州牧に報告や申請を出していたのは引き継ぎが出来ていなかったからだ」


 旋夏の疑問には莉玖が答えた。


「よってその書面に効力はない」


 莉玖が冷たく言い放つ。


「だが、この町の実権は私が握っている! この町に関する重要書類は全て私が持っている! 誰にも渡さない!」


 それでも尚、自分が地主だと主張し続ける姿は滑稽に映る。


「どうする蒼子」

「強制するしかないな」


 莉玖の問いに蒼子は言う。


 言っても分からなければ実力行使だ。


 莉玖は頷いて李親子に向き直る。


「李天功、そなたには後日王都に赴き、報告書、始末書、印鑑の再登録をしてもらう。娘と共にだ」


 莉玖の言葉に天功は驚き、勢いよく顔を上げた。


「そなたは私の言っている意味は分かるな?」


 先ほどから全く変わらない表情で、真っ直ぐに天功の目を見据えている。


 天功は間違いなく、自分に命じられた言葉なのだと理解することができた。

 眦に浮かんでいた涙がと頬に伝っていく。

 これまで瞼が腫れ、、声が枯れるまで泣き明かし、とうに涙も枯れたと思っていた。


「はいっ! 勿論でございます! この李天功、必ずご命令に従う所存でございます!」


 ゴツンと勢いよく額が床にぶつかる音がする。

 しかし、痛みなど気にならないほどの歓喜に天功は打ち震えていた。


「お父様!」


 詠貴は天功に駆け寄り、父と共に莉玖に向かって頭を下げた。


「李詠貴、父と共に王都へと参ります」


 涙ぐむ詠貴の声もまた嬉しさで震えていた。


 李親子の様子を見て、納得いかないのは候親子だ。


「待て! 何の権限があってそんな戯言を言っている⁉ 私は州牧から直接……」

「権限はある」


 旋夏の言葉を遮り、蒼子は声を張る。


「神殿最高位神官神女は類族する神の小神域地域への干渉が許されている」

「緋鳳国宮廷三神、水の神女であるこの私、硝蒼子の名を持って、候旋夏はこの町に関する利権と財産を李家に返却を命じる」


 神力は火属、水属、風属の三つに分けられ、王宮の神殿にはそれらの神力が最も優れた三人の神女がいる。


 それが宮廷三神女と呼ばれる者達だ。


 まさかその一人が今、目の前に立っている。 

 その言葉に硝親子と馬亮以外は皆が目を見開き、黙り込む。


「まさか……あの蒼子が?」

「宮廷の三神女だとは思いませんでしたね……」


 椋と柊の中では幼い蒼子が大人の姿になっただけでも混乱しているのに、情報量が多すぎる。


 やはり報告にあった硝莉玖は目の前の少年であり、娘の蒼子は十九歳の神女、何歳かは分からないが息子の紅玉もいて……。


 概ね、報告通りの内容だった訳だが、幼い蒼子が今年十九歳になる宮廷の三大神女などと思えるはずがなかった。


 双子は頭を抱えて溜め息をついた。


 そして横になったままの鳳に視線を向ける。

 きっと今の蒼子の姿を見たら驚くだろう。


 少し顔色が良くなった主を見て椋は胸を撫で降ろした。


「お・ま・た・せ! 警吏のみんなを連れて来たわよ~」


 場にそぐわない緊張感の欠けた口調は柘榴である。

 いつの間にかこの場を離れ、警吏を引き連れて戻って来た。


「この者達を拘束しろ」


 莉玖の言葉に警吏が改めて旋夏を締め上げ、凜抄の拘束に取り掛かる。


「無礼者! 私は何もしていないわ! 近寄らないで!」

「何もしてないだって?」

「そうよ! 私は何もしていないわ!」


 腕を振り上げて抵抗する凜抄に蒼子は憤りを覚えた。

 彼女が鳳にしたことを許せるほど、蒼子は寛容ではない。

 町の人々と蒼子を餌にして鳳を苦しめたこの女を蒼子は許すことは出来ない。


「お前は人を何だと思っている! お前達親子は善人を騙し、弱味に付け込んで搾取を繰り返し、それでもなお、自分の思い通りにしようと考える! 自分達の意にそぐわなければ命をも奪おうとする! 何もしていないなどとよく言えたな!」


 蒼子の気迫に凜抄は奥歯をギリギリと噛み締める。


「人としての尊厳を踏みにじり、苦痛を強いられた者達の気持ちを考えたことはあるのか⁉ 自身の尊厳を、自尊心を、心も身体も自由を奪われ、傷付けられた者達の恨み、怒り、悲しみを理解しようとしたことはあるのか⁉」


 一度怒りが爆発した蒼子は止まらない。


 初めて見せた蒼子の激情に、その場は沈黙してその様子を見ている。


「人は心を支え合い生きている。相手の心を理解し、敬うからこそ、支え合うことが出来る。そんな事も分からず、人の心を欲しがるなど笑止千万」


 蒼子は強い口調で凜抄に言い放つ。


「容易く人を傷つける者に人を愛する資格はない」


 凜抄は蒼子の眼光に射すくめられ、たじろぐ。  

 蒼子はぐったりと横たわる鳳に視線を向けた。


 先ほどよりは落ち着いているが未だに意識を取り戻せていない。

 運が悪ければ死んでいたかもしれないのだ。


「お前の罪は父より重い」

「何でそんなことになるのよ! 私は鳳様と一緒になりたかっただけよ!」

「お前は緋鳳国直系の皇族に毒を盛った。どんな薬であろうと量を誤れば毒になる。身体に有害であればそれは毒だ」

「……皇族ですって? 何を言っているの?」


 凜抄の唇がわなわなと震え出す。


「この人は緋鳳国第三皇子、緋鳳珠。それ以上は知る必要はない」


 顔からサーと血の気が引き、フラフラと膝を着く凜抄に警吏が縄を掛けた。

 ようやく自分の犯した罪の重さを自覚し始めたようだ。


 言葉をなくした凜抄とは反対に旋夏は諦めが悪いようで罵詈雑言、喚き散らしながら警吏に連行されていった。


「詠貴、彼を寝かせたい。部屋の支度を。紅玉、柘榴、医者の手配を」


 蒼子の言葉に三人は動き出し、部屋から一旦退出する。


「李天功、今後について話しをしておきたい」


 そう言って莉玖、天功、馬亮も部屋を出た。 


 残されたのは蒼子と双子、鳳珠の四人だ。


「今まで黙っていたこと、ごめんなさい」


 蒼子はこの二人に自分の正体を話さなかった。


 嘘を言ったつもりはない。子供ではないとはっきり伝えてある。

 自分の身に危険が降りかかるような発言は避け、必要なことだけを三人に話した。


「いや、正直に話しをしてもらっても俺達は信じなかったかも知れない」

「そうですね……今でも信じがたいですが……」


 椋と柊は気まずそうに言う。


「いつから気付いていたのですか? この方が皇子であると」


 少し躊躇いながら柊は問い掛けた。


「……ほぼ最初から。でも確信がなかった」


 蒼子は自分の占いの力と特殊な羅針盤を頼りに鳳珠を探していた。

 人物、場所のおおよその見当はついていたのだ。


「確信したのは紅玉達と合流した日」


袋詰めにされて攫われそうになったあの時、確かに感じた。

神官神女が嫌悪する『王印』の力を。


そう言うと双子は険しい表情を見せる。


「王印を……見たのですか?」

「見ていない。でも……」


 蒼子は横たわる鳳を見下ろし、ある一か所に視線を向ける。

 そこは鳳珠の右目に着けられた眼帯だ。


 白い指で眼帯を指して言う。


「おそらく、王印はここにある」


 双子の諦めたような溜息が答えだった。


「この人が王宮を出てこの町で生活している理由が分からなかった。だから少し様子を見ていた。貴方達がどんな人達で何のためにここの町にいるのか。分かったのはこの町は問題を抱えていて、この人が女に迫られてるということ」


 双子は揃って勢いよく視線を逸らした。


「そして貴方達がとても優しく、温かい人達だということ。それ以外は私は知らなくていい」


 蒼子はこの町で鳳珠に出会い、椋と柊に温かく迎えてもらい、世話をしてもらった。過ごした時間は短いが、その時間に偽りはない。


 鳳珠も椋も柊も蒼子に親切にしてくれた。


「貴方達には恩がある。だから十日の猶予を提供するわ」

「猶予とは?」

「私は明日、この町を立つ。王都までは十日は掛かる。陛下からの命令は皇子を探し出すこと。連れ戻せとはまでは言われてない。父もこの話には関与してない」


 蒼子がこの話を持ち帰るよりも早く、鳳珠の追跡が行われるだろう。

 逃げ切れるは難しいだろうが、もしかしたら逃げ切れるかも知れない。

 大人しく王宮に戻ってもいい。


 王宮を離れたのは何か理由があるはず。

 しかし如何なる理由があったとしても蒼子にはどうすることも出来ない。


「好きにするといい」


 鳳珠を強制的に連れて帰らないこと、それが蒼子に出来る最大の譲歩だ。

 本来であれば強制連行して、皇帝の前に突き出し、婚約話を白紙に戻せと迫るつもりだった。


 鳳珠を連れて帰らなかった上手な言い訳を考えなくてはならない。


「今までありがとう」


 そう言って三人に踵を返した時だ。


 ドゴゴゴゴウゥゥゥゥ


「きゃあああぁぁ!」


 暴風が吹き抜ける時の様なけたたましい音と悲鳴が邸中にこだまする。


 扉や窓が強風で打ち付けられてガラスの破片が飛び散り、邸の中を台風が移動しているかのように、風が吹き抜けた。


 これはただの風じゃない。


 邸が揺れているような感覚と近くで膨らむ気配に蒼子は危機感を覚えた。


「何だ⁉」

「一体何が⁉」


 バキバキバキ、ミシミシと木材が軋むような音が響き、鼻に触れた煙にようやく事態を理解した。


「火事か⁉」


 椋が叫ぶ。


 雨が降らず、乾燥した空気と湿気を含まない建物は火の回りが早い。

 バチバチと火花が散る音が耳に入る。


 大きな力の塊が自分達に近付いて来るのを蒼子は感じた。


「早く非難しなければ! 椋、鳳様を支えて……」

「二人共! 私の後ろに隠れて!」


 ドゴオオン!


 蒼子が叫ぶと同時に部屋の壁が吹き飛んだ。

 壁の瓦礫が飛び散り、埃と煙が混ざり合い、視界を奪う。


「あー絶対ここだと思ったんだが、外れたか?」

「……お前……」


 蒼子はそこで言葉を切る。

 そこに立っていたのは蒼子を井戸に落とした舞優だった。

  









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