第48話 凜抄の思惑
廊下に靴の音が軽やかに響く。
紅色の衣を靡かせながら凜抄は上機嫌で歩いていく。
胸のつっかえがとれたように清々しく、胸に広がっていた靄は綺麗に晴れ渡っていた。
もっと早くこうすれば良かったわ。
鳳を独占しようとするあの餓鬼。
舞優によって井戸に落とされ、今頃は溺れて浮いているだろう。
深い井戸だから誰も助けることはできない。
ふふ、いい気味だわ。
思わず緩む口元を扇で優雅に隠し、声を出して笑いたいのをぐっと堪えた。
いけないわ、口を開けて笑うなんて、優美じゃないわね。
濡れ羽色の艶やかな髪、色白の肌にと高い鼻梁に引き結んだ口元、色っぽい目元と眼帯は不思議な魅力がある。
長身で手足もすらりと長く、程よく厚みのある胸板と逞しい腕に抱かれればたちまち官能に火が着く。体温と汗が混ざった匂いも、私の上で髪を振り乱す様も、後ろから聞こえてくる悶えた声も、私に触れる彼の全てが極上品なのだ。
見目も麗しく、男としての魅力にも溢れている。
どこを探しても鳳のような完璧な男などそうそういない。
彼のような男には、妖艶で優美、匂い立つような色香と雅で研ぎ澄まされた美しさ。
私のような女こそ、相応しいのよ。
乳臭い餓鬼と誰もがたじろぐ美貌の私とでは比べるのもおこがましい。
それにも関わらず、あの子供は私から彼を奪おうとした。
当然の報いよ。
でも、もう心配ないわ。
これで、あの人も私と一緒にいる時間が増えるもの。
子供のお守りも必要ない。あとはあの店に来る鳳目当ての客達。
目障りだけど、私以上に関係の深い女はいないものね。
「凜抄や」
廊下を歩く凜抄に背後から声が掛かる。
声に振り向くと父である旋夏が男性を一人連れていた。
初めてみる顔だが、身なりの良い中年の男だ。
「こちらは王都からいらした行政官の方だ」
「まぁ、王都お役人の方ですの?」
「初めまして、ご令嬢。恭馬亮と申します」
立ち居振る舞い、落ち着いた話し方からも品性と風格が感じられる。
凜抄は優雅に微笑んで見せる。
「初めまして、娘の凜抄でございます」
「今、お話を伺っていたところです」
そう言って馬亮は品良く笑う。
「親の私が言うのもなんですが、自慢の娘でして」
旋夏がそう言って凜抄に視線を向けて言う。
「そうでしょうな。これほどとは」
馬亮は凜抄に向かって微笑んだ。
この町の小汚い中年男とは違い、肌艶も良く、衣服や装飾品も上等な物を身に着けている。そして若い女を前にした時の下品な様子もない。
そして何より、腰に着けている玉飾りは官吏の中でも高位高官の示す赤色だ。
凜抄は目ざとく馬亮を観察し、愛想よく対応することを決めた。
「王都よりはるばるようこそお越しくださいました」
「隣町の視察に来たのですが、この町は宿場町として栄えていると聞きました。立ち寄ったついでに旋夏殿にもお会いしたいと思いまして」
「光栄にございますよ。さぁ、こちらへどうぞ」
そう言って旋夏はこの邸で一等眺めの良い部屋に馬亮を案内する。
「お父様、その部屋は!」
その部屋は凜抄と鳳がこれから食事を取る部屋だ。
昼間は町の絶景を、夜になれば町の灯りの賑わいを眺めることが出来る部屋だ。
夜町の灯りを眺めながら、今後について語らうつもりだったのに。
「鳳にはお前の寝室の隣の部屋で待つように言ってあるから」
旋夏は凜抄に耳打ちし、ぽんと肩を叩き、扉の向こうへと消えていく。
今まで鳳を寝室に入れることに良い顔をしなかった父が凜抄の寝室隣の部屋に鳳を通した。
ということは、凜抄と鳳の関係を正式に認めたということだ。
凜抄は嬉しくて頬を紅潮させる。
「今日は最高の日だわ」
胸が高鳴り、落ち着かなさを覚える。
それにしても、何て良い巡りなのかしら。
凜抄はそっと腹部に触れる。
今日は私が女として最も魅力的になる日。
私が女として最も男としての鳳を求める日、そして彼も……。
懐に忍ばせた細い瓶を取り出し、凜抄はほくそ笑む。
私を求めずにはいられなくなるのだから。
そして凜抄は鳳の待つ部屋へと向かった。
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