第33話 椋の憂鬱
「蒼子が起こしにこない。蒼子はどこだ?」
蒼子と紅玉が出発して間もなく鳳が起きてきた。
「……もしかして……蒼子が起こしに来るまでワザと起きて来なかったんですか?」
「……」
鳳は無言で椋から目を逸らす。
いつもは蒼子が起こしに行き、寝起きの状態で寝間着のまま朝食を食べることが多い。
寝間着ははだけていて、目も開いてるのだか開いていないのだか分からないような顔で起きてくる。
蒼子がしっかり着替えてやってくるというのに、この男は本当にだらしない。
しかし今朝は様子が違う。
目は開かれており、先程まで寝ていました感がない。
寝間着のままだが着物の衿も綺麗に合わせてある。
そして辺りをきょろきょろと見渡し、廊下の向こうを覗いたり、庭の方を見たりして蒼子を探している様だ。
椋は大きく息をつく。
「蒼子は紅玉殿と出掛けた」
椋の言葉に鳳は眉根を寄せる。
「紅玉と二人でか?」
「えぇ」
「何故紅玉と行かせた」
「聞きますが、紅玉殿と二人ではいけないんですか?」
「……お茶」
蒼子が紅玉と外出したことが相当面白くないらしい。
誘拐未遂事件が起こった直後で心配しているからなのか、紅玉と二人っきりが気に入らないのか、どっちだ?
椋は心の中で問い掛けるが答えはない。
椅子にどかっと腰を降ろしてお茶を要求する鳳に椋は呆れながらもお茶を出した。目が覚めるように煮立てたお湯を使う。
お湯が熱すぎて茶葉が変色し、味がイマイチだと思うが目が覚めればいいのでどうでもいい。
「あっっつ!」
「目は覚めましたか?」
「目など随分前から覚めている」
嫌味っぽく言う椋を睨んで鳳は言う。
「これからは蒼子が起こしにくるまで寝室から出ないなどという愚行はやめて下さい。みっともない」
「そんなことはしてない。断じて」
そう言いながらも鳳は椋と目を合わせようとしない。
蒼子が可愛いのは分かるが、こんな子供じみた行動は止めてもらいたい。
今もどこか落ち着きのない様子で、朝食にも手を付けようとしない。
自分の主がすごく情けない男に思えてくる。
女性にうつつを抜かすことはなかったのに。
どんなに女性と遊んでも夢中になることはなかった。
夜遊びも火遊びもそれなりに嗜んだはずなので舌は肥えていると椋も柊も思っていた。
だからどんなに金持ちでもどんなに美しく、愛らしい娘でも心までは奪われることはない。そう思っていた。
しかし、蒼子が来てから何かが違う。
慈愛に満ちた表情、仕草、態度、全てに蒼子への気持ちが溢れている。
今までの女性と一緒にいる時には見たことのない優しそうな顔を覗かせるのだ。
椋は大きく息をして呼吸を整える。
ダメだ……冷静になればなるほど主人が危険な人種に思えてくる。
このままでは主人が本当に道を外してしまうかもしれない。
これはいい機会だ。
蒼子と別れるのは寂しいが、家族が迎えに来たのだからこのままお引き取り願うというのはどうだろうか。
蒼子が迷惑だとは思わないが今や蒼子は主を惑わす小悪魔である。
主の為に、蒼子の為に、何より椋と柊の為にも必要な処置ではないのか?
そんな風に考えてしまう。
主が幼女に懸想していることは問題だが、椋にはまだ懸念材料がある。
悪い方へ傾けば鳳の命が危険に晒される可能性もある。
昨晩のことも気掛かりだ。
昨晩、椋は鳳の部屋を出た後、早々に床に就いた。
情報を得るためにあちこち走り回った日だったので非常に疲れていた。
邸の外での悶着があったようだがそれは柊と柘榴の二人で片付けたのだと柊から聞いている。
詳しい話は聞けていないが、柘榴は相当な手練れらしく、人数が多い割には早く片付けることが出来たという。
『寝させろ』
その一言を残し、椋と入れ違いで柊は床につき、寝息をたて始めた。
久し振りに聞く柊らしい口調が彼の不機嫌さを椋に伝えた。
今朝方に得ることのできた情報もある。
早く二人に伝えたいが柊はまだまだ起きないし、鳳は蒼子が気掛かりで心ここにあらず。
「とにかく、食べて下さい。片付かない」
そう言うと鳳は渋々、箸を手にして食事を始める。
まだブツブツと文句を言っているようだが聞こえないフリを決め込む。
誘拐未遂事件があった直後であり、椋もその点は心配ではある。
しかし、蒼子が天功に会いたいというのは何か目的があるようで止めることが出来なかった。
紅玉は蒼子を溺愛しているようだ。
彼女が危険な目に遭うことは避けて通るはずだ。
それに、彼からは神力を感じる。
それも練り込まれた神力だ。
一般人が気付かずに偶然持っているような微かな神力ではない。
まだ憶測の域をでないが、もしかしたら……。
思考を巡らせていると視界に箸を止めてボーっと窓の外を眺める鳳が視界に入る。
今夜は凜抄の元に行くと言っていたが本当に大丈夫なのだろうか。
心配で急に胃が痛みだす。
椋は胃痛を和らげるために腹部を擦った。
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