第42話 悪役

 候家の一室であるこの部屋からは町全体が一望できる。


 小さい港町ではあるが交易もあり、陸路では大きな町と町を繋ぐ中間地点の宿場町としても需要がある。新鮮な海産物も豊富に採れることから小さい町にしては栄えていると言っていい。


 首にぶら下がった重い金製の飾りが窓から差し込む茜色の光で輝いている。

 もう間もなく日は沈み、白んだ空の月が明るくなる。


 邸の主である旋夏は小さな港町を見下ろし、蓄えた髭を撫でる。


「天功には感謝しなくては」


 人の良い者は簡単に人を信用する。


 天功に取り入って地主の認印を奪うのは簡単だった。

 王都に出掛けて不在の間に、認印と書類を持ってこの町を管轄する州牧に金品と共に申請するだけだ。


 おかげでこの町を手に入れることが出来た。


 安い税金を上げ、生活に必要不可欠な水の値を上げ、井戸にも使用制限をつけて破ったものは厳しく罰した。


 自分に媚びる使い勝手のいい人間と大金を手にした。



「惜しいのはあの霊玉とかいう石だな」


 何の宝石かは知らないが相当価値のある物に違いないのに天功や元いた使用人達を追い出している間になくなってしまった。


 社に保管されていたはずなのに気付けばただの石ころにすり替えられていた。


「誰かが盗んだに違いない。本来ならばあれも私の物だと言うのに」


 口惜しいと言わんばかりの表情で夏旋は呟く。


「詠貴のこともそうだ」


 天功の娘、詠貴がこの邸に残りたいと言った時、妾に調度いいと思った。

 若く器量の良い娘だ。天功をダシにしてたっぷり可愛がってやろうと思っていたのにあの娘に近付こうとするとどうにも調子が悪くなる。


 凜抄の侍女をしているが、我が娘ながら気性の荒いあの子のことだ。


 詠貴をいつ辞めさせるか分からない。それに五体満足であるかも分からない。

 今のうちに若く瑞々しい身体を堪能しておきたいところだ。


 にやにやと下卑た笑みを浮かべながら髭を弄んでいると廊下が騒がしくなる。


 恰幅の良い身体を動かして廊下へ出ると凜抄の部屋の方に使用人達が慌ただしく移動していく。


 高級な寝具や、新しい香炉、盆、燭台を入れ替えているようだ。


「またか」


 凜抄は最近は若い琳鳳という男の話ばかりする。


 あの男を呼びつけて遊んでいるがたかが小さい店を持つ商人だ。


 そんな男よりも家格のある男との縁談を真剣に考えて欲しいものだがき効く耳を持たないのだからしょうがない。


「可愛い娘の頼みとあれば」 


 鳳の店は比較的いい場所に立地している。

 あの店を担保に凜抄との関係を続けさせるのもいい。


 凜抄のお気に入りであるあの男は他の店よりも税金を安くしてある。


 解放して欲しかったら税を上げ、関係を続けるのであれば税を下げよう。

 あの男が欲しいと凜抄が望むのであれば始末する訳にもいかない。

 旋夏は溜め息をつき、扉を閉めて再び窓際から町を眺める。


 すると家の前に馬が止まる。


 いつもよりも少し早いが鳳が到着したようだ。

 日は沈み、開けた窓からは冷たい風が入り込む。


 旋夏は鳳をどうやって利用するべきか考えながら窓を閉めた。







 豪奢な自室で足の爪を詠貴に染めさせ、手の爪は侍女に磨かせ、夜に備える凜抄は上機嫌だった。


 隣りの寝室は寝具一式を新品に取り換え、香炉も新調し、香は男が好む物を用意した。昼間から花の湯で湯あみをして肌は石鹸と香油で磨き上げた。


 上質で光沢のある紅色の衣を纏い、胸元を大胆に開く。


 遊女の間で流行っいる花の香のする香水を胸元に吹きかけ、自身でも優美な香りを確かめた。


 髪にも香油を塗り艶を出して高く結い上げてうなじを出し、宝石のついた簪を二本ほど刺す。


 瞼と唇に紅を刺し、揃えて購入した真珠の首飾りと耳飾りをつけて鏡を視れば天女の如く美貌の女がいた。


 鏡台の前に座り、どの角度から見ても損なわれない美しさに満足する。


「ふふっもうすぐだわ」


 上機嫌な凜抄に詠貴は固唾を飲む。


 手の爪を磨いている侍女の手が震えているのが気になった。

 ガリっと音がした時はもう遅く、すぐさま凜抄の手が侍女に向かって振り降ろされた。


 頬を叩かれて床に転がる侍女はすぐに姿勢を正して震えながら頭を下げた。


「も、申し訳ございませんっ! お許し下さい!」

「使えないわね」


 欠けてしまった爪を見て凜抄は溜め息をついた。


「まぁ、いいわ。時間が勿体無いもの」


 侍女がほっとしたのも束の間で凜抄は簪を一本、頭から引き抜いで侍女の手を突き刺した。


「きゃああああっ!」


 悲痛な叫び声が室内に響き渡り、少量の血が床に跳ねた。


「使えない手はいらないでしょ?」


 笑みを浮かべて言い放ち、血の付着した簪を屑籠に放り投げた。


「女の喚く声は煩くて敵わねーな」


 飄々として現れたのは舞優という名のごろつきだ。

 凜抄が最近雇ったと柄の悪い男で顔に大きな傷がある。


「無礼者! 勝手に入って来るなんて!」


「おいおい、良いのか? お嬢様のためにせっかく子供を探して連れて来たんだぜ?」


 最初は金切り声を上げた凜抄もその言葉に喜々とした表情を見せた。


「凜抄様、子供というのは……」


 まさか、あの時の女の子?


 鳳の店を訪れた時に見かけたあの小さな女の子を思い出した。

 幼いながらも知性的な目をしていてどこか神秘的な雰囲気を持った美しい女童だ。


 詠貴の背中に嫌な汗をかく。

 変に騒がしく心臓が跳ねた。


「殺すなら早くしろよ。俺は王都に戻りてーんだよ」

「どこにいるの?」

「蔵の中に閉じ込めた。今頃泣きわめいてるだろうな」


 舞優の言葉に凜抄は立ち上がって凶悪な笑みを浮かべた。


「うふふ……当然よね。私の物を奪おうとするから悪いのよ」


 憎悪に満ちた目が凜抄の感情を代弁している。


 大変だわ……あの子が殺されてしまう。


 どうしよう、どうにかしなければ。

 そう思うものの、急な事態で頭の中が混乱している。


 とりあえず追い駆けないと!


 子供には何の罪もないのに、完全にとばっちりだ。


 助けないと!


 竜神様、お父様、私はどうすればいいのですか?


 詠貴は頭の中が真っ白になったまま、部屋を出た危険な人物二人を追い駆けた。



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