第41話 心細さ
陽が傾いて空が茜色に染まる頃、蒼子はようやく候家の敷地に足を踏み入れた。
候家の邸は小高い丘の上に立地しており、広い丘一体が全て候家の土地だと言う。
邸からは霊玉を祀る森と町全体が見渡すことができ、その風景はとても美しいのだと桂月は語った。
蒼子が連れて来られたのは母屋の裏手にある古びた蔵だった。
蔵の脇にはおそらく使われていないであろう井戸が目につく。
水を引き上げる縄は取り付けられておらず、滑車は錆びていて支柱は腐っている。
「すまない……必ず出してあげるから……大人しくしていてくれ」
桂月は抱えていた蒼子を降ろす。
抱えられてここまで来ただめ、久し振りに地面に足を着けた。
ここまでかなりの距離があったにも関わらず、桂月は一度も蒼子を降ろすことはなかった。
体格も良いので体力もありそうだが、決して逃がすなと詠貴をダシに脅されているのかもしれない。
詠貴に会って話をしたいがこの状況では無理そうだ。
蔵の中は薄暗く、冷え冷えとしている。
「寒い」
蒼子は肌寒さに両腕を擦る。
すると肩の上に重みを感じた。
「本当にすまない」
桂月が自分の上着を脱ぎ、蒼子に掛けてくれた。
大人の男物なので蒼子には大きすぎるが、寒さはしのげそうである。
「ありがとう」
蒼子が礼を述べると桂月は悲愴な顔をして黙り込み、言葉なく扉を閉めた。
重たく鈍い音を立てて扉が閉ざされると案の定、真っ暗になる。
天井を見上げると開けられた小さい観音扉から微かに外の光が入り込んで来る。
その微かな光も闇が深まれば消えてしまう。
「こうして閉じ込められるというのも初めての経験だな」
蒼子の側には常に人がいた。
物理的な孤独は今回が初めてである。
口煩い紅玉に、いつも世話を焼いてくれる柘榴。実家を出ても二人が側に
いてくれるので寂しくはなかった。
初めて王都を離れて、二人と離れ離れになっても鳳や柊、椋と出会った。
三人はとても親切にしてくれて、蒼子が知らなかったものを見せてくれたり、美味しい物を食べさせてくれたり、世界を広げてくれた。
自分の知る世界が如何に狭く、偏っていたのかを思い知らされた。
「心細いというのは今か」
誰も側にいない現在の状況を客観的に考える。
人の温もり、優しさ、眼差し、賑やかな声音、何もない静けさと暗闇によって湧き起こる不安。
「これが心細いということか」
蒼子は一人で呟く。
「紅玉……私はここだ」
目を閉じて念じるように口にする。
指を組み、細い糸を遠くへ伸ばすように意識を集中させる。
「早く来て」
蒼子の言葉は暗闇に溶けた。
「蒼子さま……!」
息を切らせて走る紅玉ははっとして一度足を止めた。
頭の中で蒼子の声が響く。
先ほどから心臓の鼓動が騒がしく鳴いている。
「落ち着け、あの人は簡単には死なない」
大きく息を吸い込み、大きく跳ねる心臓を押さえた。
力は充分に満ちた。
天功が先に馬で鳳達に知らせてくれている。
紅玉が鳳の邸に戻ると中はもぬけの殻で候家に向かう旨をしたためたかき置きが残されていた。
紅玉は必要だと思われる荷物を持ち、単身で候家に向かっている最中だ。
早ければもうじき鳳達は候家に着く頃だ。
「大丈夫だ……すぐに行く」
待っててくれ。俺が着くまでどうか無事で。
強く願い、紅玉は再び走り出した。
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