第55話 王印の力

 部屋の壁を破壊して姿を現したのは蒼子を井戸へ落とした舞優である。

 右頬に傷のあるその男が部屋に足を踏み入れる。


 壊したのはこの部屋の壁だけではないようで、舞優が通って来たと思われる道全てが見通しの良い状態になっている。


「お前、何かあると思っていたが風の神力使いか」


 神力で壁を破壊し、邸の蝋燭や燭台が倒れたのだろう。

 火にそれを吹き荒らす風の神力、土地の乾燥……。


 最悪だ。

 悪条件が揃っている。


 瞬く間に煙が大きくなり、赤く燃える炎が迫ってきているのが分かる。


「あの餓鬼はどこだ?」

「餓鬼?」

「俺を吹き飛ばしてくれあの生意気な餓鬼だよ」


 そう言えば、莉玖が舞優を遠くへと吹き飛ばして詠貴を助けたと聞いた。


 相当、腹が立ったているのだろう。


 舞優の目は怒りに燃え、殺気に満ちている。

 溢れる神力が肌を刺すほどだ。


 蒼子は鳳珠と双子を背中に隠すように立つ。


 困るな。あの人も長旅と仕事の疲労で縮んでいるというのに。

 今のあの人に血気盛んなこの男の相手はさせたくない。


 そして三人を庇いながらこの男の相手をしなければならない。


「……お前、誰だ? 何だか……」

「あぁ、さっきは井戸に落としてくれてありがとう」


 舞優は目を見開き、蒼子を凝視する。


「なるほど? お前、神女か。分からなかったな。お前を殺せとうるさい奴らがいるからここで死んでもらいたいんだが……」


 そこまで言って舞優は言葉を切り、蒼子の背後に視線を向ける。


「……お前の後ろにいるそいつ……何だ?」


 蒼子が振り向くと視界に入ったのは、意識を失っていた鳳珠が虚ろながらも自力で身体を起こす光景だった。


「う……しっ……」


 苦し気な声を漏らし、ゆっくりと身体を起こした。


「鳳珠様!」

「大丈夫ですか⁉」


 双子が身体を支え、声を掛けるが、返事がない。


 青くなった唇が微かに動くが、言葉にはならない様子に状況の悪さを認識する。

 鳳珠が避難した後であればどうにでもなるというのに。


「気にするな。ただの病人だ」


 鳳珠から気を逸らそうとするが、舞優は首を振る。


「いいや、違うな。凄く嫌な気配だ……まるで……あぁ、そうだ」


 頭を押さえて苦し気な仕草を見せた舞優は何かを思い出したかのような仕草を見せる。


「まるで皇帝を見た時と同じだ。まさかこんな所にいるとは」


 冷えた瞳が蒼子を通り抜けて鳳珠に刺さる。

 蒼子の手に嫌な汗が滲む。

 舞優の中にある明確な殺意の正体を蒼子は知っている。


「二人共、鳳様を連れて逃げなさい」

「だが……」


 椋が躊躇いがちに言う。


「いいや、逃がさねぇ。その男から殺す」

「この方と貴方とは初対面だと思いますけど」

 

 舞優の物騒な発言に柊が言う。


「あぁ、名前すら知らねぇな」

「なら何故です?」

「そいつに王印があるからだよ」


 右頬の大きな傷が引き攣らせて舞優が言った。


「お前だって感じるだろ? 俺達神力持ちは強い。神に許された者だけが得られる力だ。だが王印を持つ者は俺達の首を絞める存在だ。王印を持つ者が生まれる限り、俺達に真の自由と未来はない」


 だから殺す。


 舞優の殺気に緊張感が走る。


「王印を持つ者が何故生まれ続けるのか知っているか?」


 蒼子の言葉に舞優は眉根を寄せる。


「それはお前のように神力の使い方を間違える馬鹿者を抑制するためだ」


 蒼子をねめつけて舞優は手をかざす。


 手の平から小さな渦のようなものが発生し、風を起こす。


「そこを退け、神女」

「退かない」


 攻撃的な目をした舞優は蒼子達に向かって踏み出す。


「神女、お前達は王印の最たる被害者だ。愚帝によって歴代の神女神官がどんな卑劣な扱いを受けて来たか、お前は知らないのか?」


「最高神女が歴史に無知だとでも?」


「ならば、何故だ? どうして神殿などに閉じ込められている? 俺達の神力は王印などに縛られていいものじゃない」 


「当代の皇帝は愚帝ではない。悪歴は繰り返さないどろう」


 そう述べた蒼子は虚ろな目をしたままの鳳珠を横に見る。


「次代の皇帝もまた、愚帝にはならない」

「洗脳されてるな。お前、俺と来い」


 その言葉に声を上げたのは蒼子ではなく双子だった。


「蒼子を連れて行くだと?」


「ふざけないで下さい。そんなことは許しません」


 椋と柊の言葉に蒼子は何だか嬉しい気持ちになる。

 大人の姿に戻っても子供の姿だった時と同じように自分のためにそう言ってくれることが嬉しいと感じた。


「俺と来いよ」

「行かない。そもそも私を殺すのが目的だったはず」


「気が変ったんだよ、神力持ちなら話は別だ。俺はお前が同士とは知らなかったからな」

「紅玉のことは? 神力持ちなのに怪我をさせた」


 蒼子は舞優を睨み付けて言う。


「あいつは生意気だ。仲間に引き込むことを考えたら上下関係をはっきりさせておいた方が良いからな」

「上下関係? お前と紅玉ならば紅玉の方が各段に上。そんなことも見抜けないような奴について行くわけがない。私も、紅玉も」

「交渉決裂か。仕方ねぇな……なら」


 すると舞優の手の平から発生した風の渦が大きくなり、室内なのに強い風

が巻き起こっている。

 家具がひっくり返り、崩れた壁、破壊された扉の木片が飛んでくる。


「無理やりでも連れてくぜ」


 舞優の作り出した風が襲い掛かる。

 蒼子は三人を守るように立ち、錫杖を握り締める。


 風と水の神力では私が不利だ。

 残りの神力も僅かだ。何とか紅玉が来るまで持ちこたえなければ。


 蒼子の錫杖が輝き、水の盾を造る。


 重い! これほどの風の神力とは!


 蒼子は重たい攻撃を吸収できず、一部の衝撃を跳ね返した。


 ドゴオオンとけたたましい音と共に、部屋の壁だけでなく、天井が一部吹き飛んでしまう。


 風が熱気を巻きこんで蒼子達を襲う。


「お、よく耐えたな。お前、あれだろ? 力が戻ってないんだろ?」

「だったら何?」


 熱さで息を吸う度に喉が焼けそうになる。

 火はまだ近くないはずだが、舞優の神力が炎の熱と味方につけて蒼子達を苦しめる。


 息を切らす蒼子を見て舞優は嬉しそうな笑みを作る。


「諦めて俺と来いって。神女なら特別待遇で迎えてやるよ。あの人もきっと喜ぶ」

「あの人?」

 

 蒼子は訝しみ、眉根を寄せる。


「知りたいだろ? 俺達の上に立つあのお方。いずれ皇帝の首を落とし、国を支配するお人だ」

「誰のことか知らないけど行かないって言ってる」


 虚勢を張るが今にも身体が崩れ落ちそうな倦怠感と、疲労感は拭えない。


「あぁ、そうかよ」


 そうして再び、風を作り出す舞優に蒼子は身構える。


「その状態で耐えられるかな⁉」


 攻撃が放たれ、再び蒼子達に暴力的な風が刃のように襲い掛かる。


 お願い! もう少しだけ保って!


 蒼子は再び、水の盾を造り出す。

 ドクンっと大きく心臓が跳ねる。

 急激に低くなる視線、緩くなる衣服、錫杖を持てなくなるほど弱まる握力、自分の姿が劇的に変化するのが分かった。


 瞬く間に子供の姿に戻った蒼子になす術はない。


「蒼子さん!」

「蒼子!」


 双子の声が背後から聞こえる。


 マズい! 


 すぐ側に迫る舞優の攻撃に蒼子は覚悟をして身構えた。


「わっ」

 すると強い力が蒼子を引き寄せ、驚きで声が漏れる。


 何⁉


 ぶかぶかになった衣服ごと掻き抱き、大きな手が守るように蒼子の頭部に回る。


「この娘に近付くなっ!」


 舞優に向けて放たれた言葉がその空間全体を支配する。


「なっ……!」


 蒼子達に向けられた風の刃が鳳珠の声にぶつかり、消失し、力の微かな残滓だけが空中に漂い、解けるように消えていく。


「鳳様……」


 蒼子は強く抱き締められ、名前を口にすることしか出来ない。

 ほんのりと甘く、かぐわしい香が鼻に触れ、またその嗅ぎ慣れてしまた匂いに安堵する。


 ずるりと鳳珠の右目の眼帯が滑り落ちる。


 左目とは違う黄金色の瞳に存在するのは小さな鳥だ。


 小さくとも存在感を主張し、その鳥が舞優を睨み付ける。


「ぐうぅ……」



 顔を青くし、息を詰まらせたような声を発しながら、舞優は胸を押さえて膝を着く。


「はぁっ……はぁ……っ、くそ……これが王印の力か……」


 全ての神力を無力化し、無力化した分の力を相手に跳ね返す力。

 どんなに強力な神力もねじ伏せることが出来るという無効化の力。

 神力を抑制し、対抗するための力。


 それが王印の力だ。


 今し方、舞優の神力は無効化され、無力化した分の力が時間差で跳ね返された。

 自分の力を自分で受けることになった舞優はふらふらと立ち上がり、背を向ける。


「待て!」


 素早い動きで椋が床を踏切、一気に加速して舞優に向かって飛び蹴りをする。

 舞優はそれを躱し、椋を目がけて拳を繰り出すが椋も舞優の攻撃を躱す。


「ちっ、お前も神力持ちか」


 拳を構える椋に舞優は舌打ちをする。


「大した力じゃないが……良かったな、火の神力は俺にとっては不利だ」

「逃がすと思うか?」

「逃がしといた方が良いぜ。このままやり合えば俺の粘り勝ちだ。そこの王印も正気を保ててねぇーだろ」


 そう言って、色を失くした顔で笑う。


「おい、神女」


 そうして蒼子に視線を向けた舞優は言う。


「必ず連れ去ってやるからな。待っとけ」

「いらん。二度と現れるな」


 蒼子の一言に笑みを作り、赤い炎の中に消えていく。


 舞優が消え去ると鳳珠の力が抜け、大きい身体が蒼子にしな垂れ掛かる。


「ぐえっ」


 蒼子では鳳珠の身体を支えきれず、そのまま床に押し倒された。


「鳳様! 蒼子さん! 大丈夫ですか⁉」


 再び意識を失った鳳珠の身体を蒼子から引き剥がして柊が言う。


「おい、マズい。火がすぐそこまで来ている!」


 じわじわと迫る火の手に蒼子達は囲まれてしまった。


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