第53話 李家でなければならない理由
「罪……だと? 一体何の話だ?」
しらばっくれているのか、それとも罪の意識がないのか、旋夏は這いつくばりながら蒼子を睨み付ける。
「罪状を」
蒼子が候家の罪状の催促をする。
すると馬亮が書簡が取り出し、少年が受け取ると、少年が書簡を広げた。
「候旋夏には小神域地区において、身分地位を詐称した罪、本来の管理者を許可なく退官させた罪、偽りの権力を乱用た罪、町の税金を不当に引き上げ、本来非課税の対象にも過剰に税を課した罪、拉致、誘拐等の罪に問われる」
少年は書簡に記された旋夏の罪をすらすらと読み上げていく。
「待て! 一体何を言っている⁉ 私がこの町の地主だぞ! 民に課す税も税率も私が決める権限がある!」
「お前は正式な地主ではない」
大声で喚く旋夏に少年は断言する。
「ふざけるな! 地主は私だ! おいっ! そもそもこの偉そうな餓鬼は何なんだ!」
旋夏の言葉に、少年は今思い出した、という表情をする。
「大体、おまっぐえぇ」
馬亮から身体を強く押さえ付けられて旋夏の呻き声が上がる。
態勢を崩して倒れ込んだ。
「口の利き方に気を付けて下さい」
「そう言えば名乗っていなかったな」
少年は床に這いつくばる旋夏の前に立ち、見下ろした。
懐から高位高官にのみ授けられる赤色の玉を掲げる。
それは馬亮が持っていたものだ。
「私の名は硝莉玖。緋鳳国、工部尚書を勤めている者だ」
赤色の玉飾りがキラリと光る。
「そんな馬鹿な話はあるか! お前のような子供に!」
憤る旋夏だが、双子の椋と柊は莉玖の言葉に目を見開く。
双子は黒髪美女の正体をこの部屋に押し入る前に聞かされていた。
随分驚いたが、鳳の危機に深く突っ込んでいる余裕はなかった。
そして硝莉玖という能吏の存在。
隣町に視察に訪れているという情報も掴んいた。
まさかその人物がこの場に現れたのも驚きだが、この姿にも驚く。
彼は王宮に仕える能吏で、蒼子という名の娘と息子がいるはず。
まさか、その娘がこの蒼子なのか……?
椋はまじまじと二人の顔を見比べる。
「似ていますね」
柊の言葉に椋は頷く。
蒼子と莉玖はとてもよく似ている。そして莉玖は紅玉とも似ている。
父と子には見えないが血縁関係は明らかだ。
どうみても十歳前後の少年の彼が、噂に聞く能吏だなどと誰が思うだろうか。
子供の姿から大人になった蒼子、そして子供の姿の能吏が現れて双子は混乱している。
「お前が信じようが信じまいが事実は事実」
玉を懐に戻して莉玖は言う。
「それも工部の尚書だと……? 一体どういうつもりでっ」
「我々は隣町の地理調査に赴いていた。この地に立ち寄ったのは偶然だが、民の不安や憂いを聞くことも官吏の義務。詳しく話を聞けば、許可なく地主が交代し、その権力を行使しして民に不当に税を課しているとなれば見過ごすことは出来まい」
「不当ではない! 地主は私だ! 税を課す権限も私にある!」
「二度言わすな。お前は正式な地主ではない」
嫌悪感を露わにして莉玖は言う。
「嘘ではない! その証拠に州牧からの書面も、認印もある!」
這いつくばったまま旋夏は主張するが莉玖は表情を変えない。
「紅玉」
「どうぞ」
莉玖は紅玉から一本の書簡を受け取り、それを広げて見せた。
「そこには州牧の印が押してある。この地を収めるために必要な任命状だ。それに、私の懐には地主を証明する認印もある!」
「紅玉、認印の確認を」
旋夏は地主であることを証明するために大人しく懐を紅玉に探らせる。
「これか?」
「そうだ。その巾着の中に入っている」
黒い巾着袋の中に入った印を莉玖に手渡す。
「そうだな。確かに認印だ」
印を手にして確認する。
「本物に違いないな」
「そうだ! それが証拠だ! さっさとこの縄を解け!」
旋夏は莉玖の言葉ににやりと笑う。
私に縄を掛けたことを後悔させてやる。
この子供も、馬亮も許さん! そしてあの黒髪の娘もだ。
自分が地主であることを高らかに主張し、この無礼極まりない行いをした責任を取らせる算段を始める。
「李天功、こちらに」
詠貴に寄り添っていた天功は部屋の中央に恐る恐る進み出た。
「はい……」
見た目は十歳前後の少年だが、その堂々とした立ち居振る舞いと風格は子供に似ても似つかない。
天功の背丈では莉玖を見下ろしてしまうが、どうにもそれが恐れ多く感じて天功は膝を着く。
「元々はそなたの監督不行き届きが原因だ。それにこのような大事な物を奪われるなどなど言語同断。管理状態に問題がある」
一見すれば孫に怒られる老人のような図である。
「……申し訳ございません」
萎れるように天功は頭を下げる。
元は旋夏を信用し、まんまと騙されて、町の実権を握られてしまった責任は天功にある。
天功は唇を強く噛み締め、感情を押し込めた。
自分の不甲斐なさをこの十年、ずっと悔いていた。
視界に入った旋夏を罵りたくても自分の不甲斐なさが招いた事態だと思えば、より自分が惨めに感じてそれも出来なかった。
眦に薄らと涙が浮かぶ。
「李天功そなたに命じる事柄がある」
その言葉に天功ははっと顔を上げた。
莉玖が手にした認印がふわりと宙に浮かび上がり、手の平から水のような液体が発生する。その液体に認印が飲み込まれ、液体が球体の形をなした。
一体何を?
所有者であった天功と所有者を名乗る旋夏は特にその様子を凝視している。
バキッと石の割れるような音が響く。
砕けた認印が床へと散った。
「貴様! 何をする!」
旋夏が床を這いながら砕けた認印を凝視して、怒りで身体を震わす。
「何てことするっ! これは地主の証だぞ!」
顔を真っ赤にして旋夏はわなわなと身体を震わせている。
抵抗しようと身体を動かす度に、縄がぎちぎちと軋んだ。
「本来の所有者以外がこの認印を使うことは許されない。悪用された認印は使えない。再発行が必要になる」
無惨に砕け散った認印の欠片が天功の足元にも転がって来た。
バラバラになった認印があの日、引き裂かれた自分の心のように思えて、胸に痛みを覚えた。
「認印がなくとも、私には州牧からの書面があるっ!」
認印を破壊された旋夏は莉玖が手にする書簡に視線を向ける。
「蒼子」
莉玖から書面を受け取ったと同時に話の主導権は蒼子に移された。
蒼子は書面に目を通した後、溜め息をつく。
書簡を筒状に戻して旋夏の方に放り投げた。
書簡が旋夏の前で再び広がり、最後の州牧の名前と印が現れた。
「この町を治めることに関して、その書面に効力はない」
この国には幾つかの州に別れている。
州のとりまとめ役、つまりは長官の州牧であり、州の中にある町村長、地主と呼ばれる者はその地域の統括者として州牧からの任命状、地主であることを証明するための認印がなければ総括者にはなれない。
「何だと⁉ 貴様のような小娘には分からないだろうがこれはっぐえぇ」
「おい、誰に向かって口を利いている。黙って聞け」
紅玉に背中を踏みつけられて旋夏が苦し気な声を上げる。
旋夏は背後から低い声で紅玉に凄まれ、言葉を飲み込む。
「そもそもこの町を統治するために届け出なければならないのは州牧ではない。お前はこの町がどういう場所か、知りもせずに私利私欲に走り、奪った気になっていただけだ」
蒼子の説明に莉玖と紅玉、馬亮以外の者達は首を傾げる。
「この町は小神域地域と呼ばれる地。神域とは神の力が関与する地」
その言葉に竜神の存在が頭に浮かぶ。
「小神域地域?」
「聞いたことないですね」
椋と柊が呟く。
「一般人にはほとんど関係ないことだからです。神官では一般的ですが」
「神の力が関与する地域は多くはない。人が知り過ぎれば大きな問題が起こることも危惧される。故に公にはされない」
紅玉の言葉に蒼子が補足する。
「しかし……私共も、初めて聞いた言葉です」
天功がか細い声で言う。
詠貴も同じく、天功の言葉に頷いた。
「知らなくても無理はない。貴方達が生まれる遥か昔から貴方達は神に魅入られ、この地に縛られている」
「魅入られている……? 縛られているとは一体?」
益々、意味が分からないという表情だ。
李親子は互いの顔を見合い、困惑している。
「この町が李家の統治でなければならない理由よ」
「理由……だと?」
苦々しい表情の旋夏が呟く。
「そう。李家の者達はこの町に古くから住む水神に憑かれた一族。李家の者達が水神を信仰することでこの町は水の都として栄えた」
「竜神様が、私達一族に憑いている……?」
天功の言葉に蒼子は頷く。
「もともと、この地は水に恵まれる土地ではない」
横から莉玖が発言する。
「それが水の都などと言われるようになったのは李一族が水神の世話をして深い信仰心を示し、民もそれに準じたから。現在、雨が降らず水不足になっているのはその信仰心が失われているから。特に詠貴」
蒼子に名を呼ばれ詠貴はドキッとする。
「貴女の強い信仰心が必要なのよ」
「私の……信仰心ですか? 何故私なのです? 父ではないのですか?」
蒼子はその問いに首を降る。
「貴方達は水神があの霊玉に宿っていると思っていたみたいだけど、あれはただの仮住まいみたいなもの。水神は貴方達一族に憑いてる。子が生まれれば親から子へ。そうやって祖先から子孫へと水神は乗り移ってきた」
そうしてこの時代まで繋がってきた。
「李家に何故水神が憑いているのかは分からない。それは水神にしか分からないけど、貴女は水神の加護を受けてる。神力を感じるから」
蒼子は詠貴と初めて出会った時のことをよく覚えている。
彼女を前にした蒼子は詠貴から不思議な感覚を覚えた。
神秘的な魅力と吸引力、それは水の神力によるものだ。
それがあの不思議な感覚の正体である。
「貴女はこの町と邸を奪われてから、認印と霊玉を探すことだけに躍起になっていたのではない?」
「そ……それは……」
「苦しい環境に、候家の仕打ち、恨みつらみが貴女の大半を占めるようになり、水神に対しての関心が薄れたのでは?」
凜抄はその言葉に頷くしかなかった。
ここに来てから、霊玉と認印を取り返すことに躍起になっていた。凜抄や旋夏の仕打ち、使用人達からも冷遇され、父から離れて、辛く寂しい日々だった。自分の中で竜神様の存在が小さくなっていたのだ。
「力のない神は信仰がなくなれば、すぐに消えてしまう。勿論、力も失う。今の水神は信仰がなくなり、雨を降らす力もない。このままでは消えてしまう」
「そんな……! どうすれば良いのですか?」
詠貴が涙ぐみながら蒼子に問い掛ける。
「いい加減にしてっ!」
沈黙していた凜抄が耐えられないというように声を上げた。
「神? 水神? 馬鹿げてるわ! どこの誰だか知らないけど、この町はもう私達のものなのよ! この町も! この邸も! 人も! 全部!」
腕を広げてこの町を手中に収めているのだと、言い表している。
「そうだ! 何が水神だ! 馬鹿げている! 水神が憑いているから何だというんだ」
旋夏も凜抄に同調する。
「水神が憑いている李家が治めているからこその町。このまま水神が消えればこの町は雨が降らないまま水が不足に加えて干ばつ、港町特有の塩害に侵され、人の住める土地ではなくなるだろう」
「馬鹿げてたことを言うな! この町を私から奪うための戯言だ!」
「違うわ! あんた達のものは何一つない!」
詠貴は凜抄と旋夏に真っ向から反論する。
頭に血が昇り、怒りで身体が震え出す。
「落ち着きなさい」
蒼子の涼やかな声に諌められた詠貴は一度、煮えたぎる感情を抑える。
「詠貴、こちらに」
蒼子の声に冷静さを取り戻した詠貴は言われるがままに蒼子に歩み寄る。
詠貴は蒼子の前に膝を着き、言葉を待つ。
「さっき言った言葉は覚えているね?」
詠貴は蔵の前で蒼子に言われた言葉を思い出す。
『重要なのは貴女の気持ち』
『貴女次第でこの現状をひっくり返せると言っているのよ』
蒼子は真っ直ぐな瞳で詠貴にそう言ったのだ。
「蒼子様……私は……いえ、李家はもう候家には屈しませんっ!」
詠貴が真っ直ぐに凜抄を見つめて断言した。
「この町も、この邸も、この町の人達の信頼も、全て李家が築いてきた掛け替えのないもの! 民を蔑ろにし、私腹を肥やすことしか頭にない候家には渡さない! 返してもらうわ」
はっきりと告げる詠貴に凜抄は面食らった顔をするがすぐに苦虫を噛み潰したような表情に変わる。
「何を生意気なことを……!」
一方、蒼子は凜抄の決心に満足気に口元に弧を描いた。
「よろしい」
蒼子は一歩進み出る。
「これより、李家の水神においで頂こう」
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