第11話気だるい昼下がり
「蒼子、蒼子」
身体を揺さぶられながら耳元で名前を呼ばれて蒼子は飛び起きた。
どうやら眠ってしまったようだ。
「眠いのか?」
目元を擦る蒼子の寝間着を整えながら起こしに来た椋が言う。
「少し……あれ?」
椋の恰好がいつもの服と違う事に気付き蒼子は首を傾げる。
「仕入れですか?」
「いいや。少し用事があるんだが、お前も来ないか?」
「行っても邪魔になりませんか?」
「大丈夫だ」
どこへ行くのだろうか?
訊ねなかったが蒼子を誘うのだから変な場所ではないのだろう。
蒼子は食事を済ませて身支度に取り掛かった。
重たい瞼を持ち上げ、眠っていた事に気付く。身体を起こして寝間着を脱ぐ。
身支度を整えて店に出ると待っていたと言わんばかりに店先にいた女が群がって来る。
鬱陶しいと思いながらも気取られないように表情を繕う。
愛想の良く振る舞い、いつものように商品を勧めて帰り際に甘い言葉を添えてまた店に足を運ぶように仕向ける。
「鳳様、お茶を淹れました」
客が捌けたところで柊が声を掛けた。
店の隅に置かれた椅子に向かい合うように腰を降ろした。
「……お前のお茶は美味い」
「恐縮です」
お茶の香りが立ち、深い味が引き出せている。
掃除や洗濯、料理をこなせる柊を鳳は尊敬する。
一方、椋が家事をしている姿はあまり見ない。
その代わり、椋は商売に力を入れてくれている。
鳳がしている事は客引きがせいぜいで生活はこの二人に支えられているのだ。
「お前達には頭が上がらない」
「ふふ、上げなくても良いですよ」
「貴様」
たまに忘れてしまうが柊の腹は黒い。
面倒見は良いが害になると分かればバッサリと切り捨てるような非常な一面もある。
「そう言えば、蒼子はどこだ?」
起きてから姿を見ていない。
この家は通りに面して店を構え、店の奥が住居になっている。店のすぐ奥が居間、右隣りに台所がある。居間の奥の扉を抜けると廊下があり左側に風呂と厠、右側に五つ部屋がある。三部屋を鳳と柊、椋が使っており、一つは客室、もう一つは物置だ。その客室を蒼子に与えている。
居間にはいなかった。
ならば寝室で寝ているのかもしてない。
様子を見てこようと鳳は立ち上がろうとした。
「蒼子さんなら椋と出掛けていますよ」
その言葉に驚いた鳳は中腰のまま静止する。
「……まさか椋に捨てて来させる気ではなかろうな……?」
「何故そうなるんですか?」
「邪魔だと思えばお前は何でも捨てるだろう」
「私は人の子を捨てるほど非道ではありませんよ」
「……その言葉信じるからな」
「私を何だと思っているんですか」
呆れたように柊が息をつく。
「私が蒼子さんを連れ出して欲しいと頼んだのですよ。この周辺は歩き回った事ですし、行動範囲を広げるのも良いかと思いまして」
[……]
「まぁ、貴方は真剣に探す気はなさそうなので代わりに私と椋で探して差し上げます」
じっとりした視線を向けられ鳳はツンと横を向く。
「どうせ彼女を連れ歩いているだけで人探しなどしていないのでしょう。知っていますよ」
図星だ。
人探しと言えば人に聞き込みぐらいはするものだが、それらしい事は何もしていない。
鳳は蒼子を連れて町を散策していただけだ。
蒼子が楽しそうにする姿を眺めて鳳は楽しんでいた。
蒼子と町を散策して適度な疲労感を家まで持ち帰り、柊や椋と共に食事をして風呂に入って一日が終わる。
男三人の生活は蒼子がきた事により華やいだ。
生意気な口を利く蒼子だがその姿は可憐で愛らしい。
蒼子が笑えば疲れが飛び、触れれば疲労が溶けていく。
こんな生活が続けば良いのにと思うようになった。
変態の雇い主の元へ渡すのは実に惜しく、籠の鳥にするにはあまりにも気の毒だ。
あの無邪気な笑顔が消えないように手を打つことも自分なら可能だ。
しかしそうなるとこの町にはいられない。
「で、彼女の事はどれくらい分かったんですか?」
鳳が思考を巡らせていると柊が訊ねた。
「まさかデレデレしていただけなんて事はないでしょう」
「デレデレって何だ」
「貴方が締まりのない顔で可愛い女の子を抱いて歩いていたと苦情にも似た目撃証言が沢山届いています」
「私は知らないぞ」
「貴方に直接訊けないから私や椋の所に届くんですよ。大体、蒼子さんが来てから店を空ける事の方が多いでしょう」
柊の言う通り、ここ最近は蒼子と外出する事の方が多かった。店番は柊と椋に任せっきりで、そんな風に見られていた事すら知らなかった。
そんなに締まりのない顔をしていただろうか……?
「貴方の隠し子ではないかと近隣でも噂になっていますよ」
「似てないだろうに」
「貴方、顔は良いですからね。蒼子さんも大きくなったら貴方のように美しくなると専ら噂になってます」
「バカか。あいつは今でも美しいだろう。笑った顔は可愛いが」
真顔で言う鳳を見て柊は唖然とした。
柊から見ても蒼子は滅多にお目に掛かれないほど整った顔立ちの女童だ。
柊は男六人兄弟の次男で弟達とも仲が良かった。弟達は勿論可愛かったがこれだけ人数がいるのだから妹が一人ぐらいいてくれても良いのにと思っていた。それは長男である椋も同意見で母と共に妹の誕生を切望していたのである。
しかし願い叶わず末っ子も男であった。
幼い弟達が可愛いのは言うまでもない。けれども妹も欲しかった。
蒼子が現れた時、念願が叶ったような気持ちだった。
柊や椋の目にも当然蒼子は可愛く映っている。
だが、目の前の男には及ばない。
「あいつは将来傾国の美姫になる。賢く行動力もある。その知性と美貌で権力者を手玉に取れるような女になるに違いない」
それまで大事に、しかし教養も身に着けさせて様々な経験をさせて成長を育むべきだと鳳は言う。
蒼子を語る鳳は完全に親バカの域に突入している。
鳳の脳内には緻密な教育設計がされているに違いない。蒼子の身に何かが起こった場合、鳳は間違いなく化物親と化すだろう。
「脱線しましたが、蒼子さんの事について何か分かった事はありますか?」
柊は咳払いをして本題に移る。
「詳しくは分からないがあいつは買われたらしい。相手は貴族やそこらの金持ちではなく権力者だ」
「売られたって事ですか?」
鳳の言葉に柊は驚嘆する。
「あぁ、本人が言っていた。少し違うが似たようなものだと」
「何故権力者だと? それも本人が?」
「いや、あいつは答えなかった。相手が権力者だというのはあくまで私の予想だ。確証はない」
鳳は柊に先日の蒼子との会話を話した。
「あいつの親はかなりの額を定期的に受け取っているらしい。妓楼や貴族に売られたとなれば金は一度きりのはず」
「なるほど……しかも年に数回は実家へ帰省する事が認められている」
柊の物言いたそうな視線に無言で頷く。
「蒼子を縛っているのは組織的に権力を持っている者だ」
鳳は手を組み言う。
妓楼や貴族などに売れた場合、金銭取引は一度で済ませ、縁を切らせるのが普通だ。
妓楼に売れたならば花街から出る事は許されないので妓楼ではない。
貴族に売られた場合も余程善良な者でもない限り帰省など認めない。そのまま逃亡する可能性があるからだ。
そして鳳が注目したのは手だ。
蒼子の手や身体には傷がない。
肌は艶やかで瑞々しく、荒れや傷のない小さな手を見れば使役されていない事が分かる。
酷使され、厳しい環境で生活をしているのであれば肌や手は荒れているはずだが、蒼子にはそれがない。
生活環境は悪くない。幼いので貴族の愛妾という可能性も低く、使用人として酷使されている可能性も低い。
多額の金を定期的に受け取っている事と、帰省が認められている事、傷や荒れのない肌、以上の点から妓楼や物見せ小屋、下賎な貴族、は除外出来る。
「売られたようなもの、と言った。正確には売られた訳ではないのだろう」
「売られたという表現は適切ではないのでしょうね。けれども彼女はそう感じているような環境に身を置いているのでしょう」
「普段は家に帰れず、外出の制限があり、定期的に金が家に入る……雇われている、というのが正解だろう」
「彼女は人探しをしてその人物を見つけ出せれば婚姻を免除すると言われてるんですよね? という事は結婚や愛妾になる以外の目的で相手の元へ渡ったという事になります」
「……占いだな」
幼い子供を雇って出来る事は限られているが蒼子には物事を言い当てる不思議な力がある。
その不思議な力を相手は欲しがった。
相手は報酬として蒼子の親に定期的に金を渡し、年に数回は帰省を認める事で蒼子が自分達から離れてしまわないように上手く縛り付けているのというのが鳳の考えだ。
鳳が一番気掛かりだったのは幼い蒼子が性的な暴力を受けているのではないかという事だった。狭い世界に閉じ込めて世の中から切り離してしまえば幼い子供に逃げる術はない。
しかしその可能性は否定出来る。
逃亡の可能性が限りなく高いような旅をさせる訳がない。
はぐれたという連れは監視役で逃げて来たのではないかとも考えられたがそれもない。
逃亡を図ったのであれば何日もこの場に留まる事はせずにもっと遠くへ行くはずだ。
その逆で蒼子はこの町から離れずに仲間の到着を待っている。
「妓楼や下賎な輩の元にいる訳ではないようだが……良い状況でもない」
蒼子から自由を奪い縛り付けている事には変わりないのだ。
「柊」
「はい」
「私は、蒼子を解放したい」
真摯な声が静かに響く。
「言うと思いました」
特に驚いた表情も見せずに柊は答える。
「どうなっても知りませんよ」
「構わない」
「今の生活を失っても?」
柊の言葉に鳳は固唾を飲み込む。
この地に来て十年、柊と椋と共に今の生活を築き上げた。最初は苦労もしたが近隣の助けもあり数年で商売は軌道に乗り生活も安定した。
三人で作り上げた今の生活を鳳は気に入っている。
「お前達がいればどこでもやっていける」
そう言うと柊は少し苦笑する。
「良い機会ですからこれを機にこの生活は終わりにしましょう。彼女の件が片付いたら貴方に提案するつもりでしたし」
柊の言葉に鳳は大きく目を見開く。
「貴方がこの町にいる限り、あの女とは縁を切れません」
柊の言わんとする事はすぐに理解出来た。
「近隣の皆さまにはご恩があります。ここへ来て間もない私達にとても良くして下さいました。しかし、それとこれとは話が別です」
珍しく眉間にしわを寄せて言う。
その声は微かに震えていれ憤りが滲んでいる。
「貴方が身を削る必要などないのです」
「顔に出ていたか」
鳳は苦笑しながら問う。
「あの女の所へ行く時はいつも死にそうな顔をしていますからね」
あの女とは候凜抄の事だ。
柊は鳳が凜抄に水を盾にして求められているのを知っている。
それも近隣の者達が使用する井戸を盾にされて鳳が断りたくても断れず、いい加減うんざりしている事までお見通しのようだ。
「正直、辟易している。あの女も店に来る女にも」
「えぇ。良い機会です。蒼子さんの問題が片付き次第、売れる物は金銭に換えてこの町を出ましょう。この店と土地はいつでも売り飛ばせるよう椋が手配済みです」
まるで決定事項のように柊は言う。
仕事の早い兄弟だ。
「いつからそんな事を考えていたんだ?」
「貴方が女性と過ごしたはずなのにげっそりして帰って来た日の夜ですかね」
「……」
そもそも最初は商売の為に候家を訪れた。
その時に気に入られたと思ったし、良い客になると思ったが予想外の方向に事態は傾く。
女の扱いには自信があるし、女は好きだ。
だから自分の身体を使って利益を生み出す事にも躊躇はなかったし、それなりに楽しんでいた。凜抄に会うまでは。
凜抄はむせ返るような臭いを纏って鳳に迫った。拒めば水の値段を上げる、井戸を使えなくすると言うのだ。
我儘娘の言う事を真に受けない親ならば良かった。しかし、実際に候家の嫌がらせを受けて井戸が使えなくなった者や水を売ってもらえなくなった者がいる。
娘に甘く、金に汚い地主の事だ。鳳が拒めば確実に火の粉はかかる。
そう考えると求めには可能な限り応じるしかなかった。
女と過ごす夜は男ならば至福の時間だろう。
鳳も健全な男だ。女と過ごす夜はそれなりに楽しむし、蜜な時間にしたい。
しかし凜抄だけは心が拒む。身体は反応を見せても気持ちが乗らない。
そんな夜を繰り返すうちに心も身体も凜抄の顔を見るだけで疲弊するようになった。
凜抄も店を訪れる女達も煩わしいと感じるようになり、そんな心情の鳳の前に現れたのが蒼子だ。
小さな身体で動き回る姿は愛らしく、花が咲くような笑顔には心が癒される。
蒼子といる時は煩わしい事を忘れる事が出来た。
抱き締めればほんのりと甘い香りが漂い、小さな身体は温かい。
あまりの心地良さにそのまま抱き枕にしたいほどだ。
「貴方が幼女しゅ……いえ、これ以上苦しむ必要はありません」
柊と椋はこの状況に危機を感じていた。
鳳が凜抄に辟易しているのは随分前から分かっていた。
しかし鳳は頑固だ。柊と椋が何を言ってもこうと決めたら曲げない。
もしこの町から出ると言った時にいつでも動けるように準備だけはしていたが鳳が言い出すまでは何もしないつもりでいた。
鳳は昔から外面だけは良かった。
本当の自分を押し込めて周囲が求めるような人間を演じ、日常的に誰からも好かれる人間を演じているような男で柊と椋にだけ毒を吐いた。
女性に対しても同様で端整で美しい容貌の鳳に群がる女性は昔から多く、本人が女好きだという事あって優男を演じる事も苦ではないようだった。
しかし凜抄と出会い、時間を強要されるようになると女に対しての興味が減退し、頻繁だった女遊びも一切しなくなった。
それどころか女と関わるのも極力避けるようになった。
少しは大人しくなって良いと思っていたのだが蒼子と過ごす鳳を見て考えを改めた。
蒼子と過ごす鳳はいつになく楽しそうで、幸せそうに目を細めている。蒼子に癒しを求めているのは一目瞭然だ。
鳳が幸せならばそれが一番だ。
久しく見た鳳の笑顔に柊も椋も安堵した。
けれども鳳の蒼子を見る目は父性ではないような気がしてならない。
いや、今はまだ父性だろう。だが今後の事は誰にも分からない。
柊と椋は鳳が心労から人の道を踏み外してしまわないか危惧しているのだ。
年頃の女性への興味を完全に失い、幼女相手におかしな趣味に目覚めるのではないか、そう考えると悠長に構えてはいられない。
一刻も早く鳳の心労を排除し、女性に対しての正常な感覚を取り戻してもらわなくては困る。このままでは変態を主に持つ従者になってしまう。
椋と意見は一致している。
蒼子との別れは寂しいものがあるが、主が変態になるか否かの瀬戸際で従者二人の優先事項は決まっていた。
蒼子の問題を早急に解決し、この町との縁を切りこの町での生活に終止符を打つ事だ。
鳳は蒼子を放ってはおかない。蒼子の問題が片付かなければ町を出る事にも納得しないだろう。
「まずは蒼子さんの雇い主が何者なのか調べてみましょう」
「頼む」
「貴方は蒼子さんから情報を引き出して下さい。彼女についても知らない事が多すぎる」
鳳は黙って頷く。
そして腰を上げて柊に訊ねた。
「で、二人はいつ帰る?」
「夕方でしょうね」
「夕方……」
悲し気に呟く。
店の外と内を落ち着きなく往復する主を見てもう遅かったのかも知れないと思った柊だった。
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