第6話秘密と疑問

「お前が言っていた香水だが、よく売れている」

「だから言ったじゃん」

「大したものだ」

「そうでしょ」


 二人は西の市に来ていた。


 天気も良く、風も温かい為か人も多い。

 鳳に抱えられた蒼子は高くなった目線でしきりに周囲を見渡している。


 紅色の衣に黄色の帯を締め、可愛らしい花飾りの付いた飾り紐を付けている。

 店には女性用の小物や装飾品は置いているが小さい子供用の服は置いていない。


 勿論、個人的に所有しているはずもなく急遽用立てた。


 藍色や紫色、緑などの寒色系を勧めた鳳に対し紅や黄色、桃色、女の子らしい色が良いという柊と椋に押し切られて紅色の服になった。


 悪くない。


 だが蒼子は藍色や緑などの寒色系も似合うと思う。

 蒼子の持ち物はやけに大金の入った財布と櫛、小瓶に入った香油だけだった。

 着替えなどもなかった為、服を購入した訳だが、もう何着か替えがあっても問題ない。


 明日は藍の服を着せよう。


 何着か着替えは必要だと意見は一致し、衣や帯はいくつか購入済みだ。


「お前、紅色と藍色ならどちらが好きだ?」

「……どっちもどうって感じ」


 少し間を空けて蒼子は言う。


「なら何色が好きなんだ?」

「うーん……桃色とか、緑も好き」

「桃に緑か」


 少し子供っぽ過ぎる気がするが……きっと可愛らしいだろう。


「でもあんまり似合わない。服は藍色とか紫とか白っぽい色が多いかも」

「確かに。お前には落ち着いた色合いの服が似合いそうだな」


 桃や橙などの女の子らしい色も可愛らしいが年齢の割に大人びている雰囲気の蒼子には落ち着いた寒色系の方が似合うかも知れない。


「みんなそう言うし、私もそう思う。だから赤い服って新鮮で嬉しい」


 衣の袖をつまんで広げて見せる。

 紅色の衣に施された花の刺繍が流れるように広がった。


「可愛い」


 蒼子が独り言を呟くように言う。


 照れくさそうにする姿さえも愛らしい。

 幼い女の子とはこんなにも可愛いものなのだろうか。


「ねぇ、もう降ろして良いよ」


 蒼子は不満気に言う。

 こんな小さな身体ではすぐに人混みに飲まれてしまう。


 そう思って抱き上げているのだが、蒼子はそれがお気に召さないらしい。

 人目を引いて恥ずかしいから、子供ではないからと、腕から逃れようとする。

 しかし無視を決め込めば諦めて大人しくなるので降りようとしても無視している。


 鳳達は蒼子の仲間が見つかるまで蒼子を泊める事にした。

 昼間は交代で店番をして時間の空いた者が蒼子と共に町を歩き、仲間を探す。

 男二人組で一人は黒髪で切れ長の目に左目の下に黒子がある。もう一人は茶色の波打つ髪を結っているという。

 捜索を始めて数日、それらしい男達が視界に入る事はなかった。


「見つからないな」

「うん……」

「もう少し探す範囲を広げてみるか?」


 馬に乗って隣町まで行く事を提案したが蒼子は首を横に振る。


「お前がこの町に来て三日が経つ。二人がこの町を目指しているなら近くまで来ていても良い頃だろう」


 蒼子はここまで親切な人達を頼り、荷馬車を乗り継いで来たと言う。


 馬車を降りた先でも親切な商人や農夫を紹介してもらい、時間を掛けずにこの町へとやって来たようだ。


 仲間達もそうとは限らない。

 王都からこの町に辿り着くには大きな川を渡り、山を越えなければならない。

 馬で一直線に走れば良いと言う訳ではないので途中までは馬で走り、川の手前では馬を降りなければならないのだ。


 蒼子が仲間とはぐれたのは川を越えた後で、そこからは荷馬車を引く商人や農夫に頼るしかなくなる。

 しかし誰しもが蒼子のように順風満帆な旅が出来るとは限らない。


 蒼子の仲間はなかなか乗せてくれる荷馬車に恵まれなかったのだろう。


 こんな小さな子供が人攫いや危険な目に遭う事なくここままで来れたのは幸運だと言える。


「二人は羅針盤を使って私を追って来る。私はあまり動かない方が良い」

「羅針盤?」

「そう。大丈夫。もう数日、御厄介になるとは思うけど必ず二人は私を見つけてくれる」

「別にお前が邪魔な訳ではないが」


 もしこのまま仲間が迎えに来なかったらどうするのかと思っただけだ。

 しかし鳳の心配をよそに蒼子は仲間を信じているようだ。


 下手に不安を煽るのは良くないだろうと鳳はそれ以上は訊かなかった。


「ねぇ、あれ何?」


 小さく短い腕を精一杯伸ばして指差す先にあるのは焼いたイカだ。


「あの先が三角のは何?」

「イカだ」

「イカ? あれが?」


 海で獲れたイカを焼いたものが並んでいる。

 香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。


「その隣の薄いのは?」

「イカを干した物だ」

「あの赤いのは?」

「タコだな」

「あれが!」


 目をキラキラと輝かせて質問を重ねる。

 その姿は好奇心溢れる幼子のものだ。

 世の中を達観したかのような口を利くくせに無知で無邪気な子供らしい一面も見せる。

 外に出る度にあれは何だ、これは何だと筆問攻めにされていた。


「見るのは初めてか?」

「本物は初めて」


 王都は国の中心に位置していて海からは離れた場所にある為、魚介類を口にする機会は少ないかも知れない。


「あそこは野菜?」

「そうだな。近隣の町で採れた野菜や果物が集まる」


 店の前に立ち野菜や果物を眺める。


「おやおや、可愛らしい。お嬢さん、干し桃食べるかい?」


 店の店主が干し桃を蒼子に差し出す。

 了解を得るような視線を蒼子が向けてくる。

 受け取っても良いのか、悪いのか考えあぐねているようだ。


「もらえば良い」


 そう言うと小さな手で干し桃を受け取り齧りつく。

 蒼子の顔が幸せそうに綻ぶ。


「美味しい。ありがとう」

「そうかい、そうかい」


 目を細めて蒼子を見る店主は満足そうだ。


「今の時期は苺が美味しいんだよ。買って行かないかい?」


 店主は鳳に言う。

 子供の気を引いて品物を買わせるのは商法の一つだ。子や孫が可愛い大人の財布の紐は緩い。

 しかしそんな手には同じ商人の鳳は引っかからない。


「苺?」


 苺と聞き、蒼子の目が何かを期待するように輝く。


「食べるかい? 美味しいよ」


 干し桃を食べ終えた蒼子は苺を受け取り口に入れた。


「美味しいかい?」


 花の咲いたような笑顔で大きく頷く。


「苺好き」


 幸せそうに笑顔を振りまく蒼子に店主はもう一粒渡す。

 蒼子は喜んで受け取り、小さな口をもぐもぐと動かしている。


「苺美味しい」

「だそうです。旦那」

「……」


 気が付けば苺が入った包みを抱えているから不思議だ。


「お前、親と買い物に出てもこうなのか?」


 蒼子を抱いて店先を除けばあれこれと勧められ、買えばあれこれといらない物まで持たせてくれる。

 今も苺の他に蜜柑をまけてもらった。


「外には出れない」

「……親に出るなと言われているのか?」

「いや、親とは住んでない」

「……では、親はどうしている」

「それなりに良い生活をしてる……たぶん」


 鳳の中で疑問が大きく膨れ上がる。


「どういう事だ?」

「私と引き換えにかなりの金を受け取っているからだよ。定期的に」


 蒼子は淡々と鳳の問いに答えた。

 その言葉に片眉が大きく跳ねる。


「それは親に売られた、という事か?」

「似ているけど若干違う」

「どう違う」

「親は私を引き渡す事に最後まで抵抗した。私を渡す事を望んだ訳ではないのさ」

「……親とは会えないのか? 寂しくはないのか?」


 まだまだ父母が恋しい年頃のはずだ。

 そう言うと蒼子の表情が曇る。


「年に数回、家に帰る事を許されている。私が帰った後、母はいつも泣いている」


 鳳は蒼子の言葉に黙って耳を傾けた。


「水の向こうで泣いている母を見て、親不孝にも嬉しかった。愛してくれていると知ったから」


 言葉が微かに震えている。

 蒼子の表情を覗うと瞳から静かに涙が零れていた。


「家に帰りたくはないのか」

「帰りたい……自由になりたい。でも私がいないと困る人がいる……だから帰れない」


 瞳に溜まった涙を服の袖で拭いながら言う。


「もうこんな風に外には出れない。今回の人探しは良い機会だったと思う。今のうちに色んな物や風景を目に焼き付けておきたい」


 今は力を使い過ぎて人探しが出来ない状態で、力が回復したら鳳達の元を去り仲間と人探しに本腰を入れると蒼子は言う。


 こんなにも幼いうちから何故閉ざされた世界に身を置かなければならないのだろう。


 子供というのは無限の可能性を秘めている。

 好奇心旺盛で無邪気でそれ故に危険な目にも遭うがその経験が大きな成長に繋がるのだ。


 未知の世界を知る事で興味関心や探求心が湧き起こり、成長を促すものだ。


 子供時代の経験はその子供の生き方に大きく影響するものだ。故に親という生き物は子供に何でも経験させて己で生き抜く術を身につけさせようとするものだ。


 間違った事をすれば然り、良い行いは褒めて、失敗をしたら次に生かせるように導き、時には自由に行動させ自立を促す事で子供は成長していく。


 どんな経験や体験をしたかによってどんな風に生きるかに違いが出て来る。

 だから子供にはあらゆる可能性が秘められているのだ。


 なのにこの娘は何だ。


 外見に見合わない大人びた話し方で世界を達観したかのように物事を語る。


 加えて他の子供と同じように世界を見る事が叶わないという。

 閉ざされた閉鎖的な空間に戻らなければならないというのだ。


 子供ならもっとあれがしたい、これがしたい、あれが欲しいと我儘を言って欲望をぶつけるものだろう。


 なのにこの小さな娘は諦めたように言う。

 鳳は蒼子があれやこれやと質問を重ね、答えた時の様子を思い出した。


 それは無邪気な子供だった。


 未知の世界に触れ、目を輝かせる子供だった。

 その生き生きとした表情、驚いて目を丸くしたり美味しい物を食べて嬉しそうに綻ぶ笑顔は鳳の頭の中に鮮明に焼き付いている。


 蒼子は賢い。頭が良いのだ。


 知識と経験を翼に変えて自由に羽ばたける力を潜在的に持っていると鳳は思っている。


 しかし、それを邪魔する者がいるのだ。


 閉鎖的な空間に蒼子を押し込めて自由を奪う者がいるのだ。


「お前を縛るものは何だ?」


 蒼子の目を見て言う。

 頬に手を添える。顔は大人の男の手に包み込めるほど小さい。手足も身体も全てが小さい生き物だ。


「お前から自由を奪うのは誰だ?」


 胸の中に大きな憤りを覚える。

 そう言うと蒼子は悲しそうに微笑んだ。

 そして首をゆっくり横に振る。


「何故」


 自分には話せない事なのか、そう口に出そうとした時だ。


 蒼子の唇が鳳の頬に寄せられる。


 小さく柔らかな感触にしばし思考が停止した。ゆっくりと離された感触を名残惜しく思う自分にも戸惑う。


「ありがとう」


 呟くように蒼子が言った。

 今にも泣き出しそうなその表情に鳳の心はさざ波のように震えた

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