第24話 水夢と目覚め


 親切心で言ってやったのにっ。


 イラっとしてしまった。

 心を乱すようなことではない。


 蒼子は自身に落ち着けと言い聞かせる。


「何が出来るかは内容によりますが、こんな所で小さく丸まって泣いている貴方よりも何か出来ると思います」


 冷静に対応しようと思ってもどうも言葉に棘を含ませてしまうのは蒼子の性格である。


 蒼子の棘のある言葉に小さな竜神は嫌そうに顔を歪めて溜め息を付いた。


「ふんっ。そなたには分からぬ。我がどれ程に心を痛めているかなど」

「子供か」


 唇と尖らせ、目元の涙を拭う仕草は子供が拗ねた時と同じである。

 すると一層、きつく睨まれてしまい、蒼子ははっと口元を隠した。


「やっとの思いで呼んだ神の遣いがこのような小娘だとは。嘆かわしい」

「やっとの思いで呼んだ小娘に何を頼みたいんでしょうか?」


 苛立ちを押さえて蒼子は冷静に言う。


 小娘、小娘ってそっちも小童だろうに!


 内心毒づくが、いつまでもこんなやり取りを続ける訳にもいかない。


 この水中はこの竜神が創り出した特別な空間で現実とは少しことなる世界だ。紅玉が側にいたことで蒼子の神力が少しばかり安定した為、寝ている蒼子の精神をこちらの世界に引き込んだのだろう。


 肉体と精神を長時間切り離していてはあまりよくない。


「小娘でも、私しか頼れないはずですよ。おっしゃって下さい」


 ふんっと鼻を鳴らして顔を背ける姿に蒼子の苛立ちは募る。


 全く、神って面倒な奴らだ。


「おい、面倒な奴って言ったな⁉」

「まだ口に出してませんので言ってません。思っただけす」


 可愛くないな。


「ほら! また! 可愛くないと言った!」

「言ってません。思っただけです」

「同じことじゃ!」


 小娘のくせにと、水神は蒼子を睨み付ける。

 心中を射られたが蒼子は気にしない。


「こうしてる間にも時間は過ぎるのですよ。一体、何故に私を呼んだのかは大体見当が付きますが、ご自身の言葉でお聞かせ下さい」


「……」


 小さな水神は何か言いたそうに口籠る。


 水神を心配しているのだろうか、魚達が水神の側に寄り添う。


 はぁ……埒が明かないなぁ。


「おい! 今、埒が明かないと言ったか⁉」

「言ってませんって」


 心が読めるって便利だけどめんどくさいな。


 そんな風に思っているとガクッと身体の力が抜けたような感覚を覚えた。

 何かに強く引っ張られるような感覚と足元の浮遊感に状況を察した。


「ほら! 早く!」

「待て! 待て!」


 今の蒼子の身体は本当の肉体から精神を一時的に離したものだ。


 長時間、肉体から精神を引き離すと死んでしまうのであまり長い間この空間には居座れないことは理解していた。


 そして滞在時間もここが限界のようだ。


 するとどこからか藍色の縄のような物が伸びてきて蒼子の腰に巻きついた。

 淡く光る藍色の縄からは紅玉の気配がする。


「まずいな」


 現実世界にある蒼子異常に紅玉が気付いたようだ。

 そうなるともうここにはいられない。


「ほら! 私に言いたいこと! あるんでしょ⁉」


 早く言えよ!


 心の中で強く念じると水神はようやく意を決したように立ち上がった。


「今、言おうとしてたのじゃ!」


 そう言っている間にも蒼子の身体はズルズルと来た方向に引き摺られて動いて行く。


 水神との距離は次第に広がり、腰に絡まった藍色の縄の力は強くなる。


 もう踏ん張っていられない! 限界!


 蒼子は抗うことを諦めると一気に身体が浮遊し、強い力で背後に引っ張られる。

 段々、竜神の姿が小さくなっていく。


 結局、ここに呼ばれた意味は?

 意固地にならずに、言ってくれれば良かったのに……。


 まぁ、意固地にさせたのは私かもな。

 もう少し優しく聞けば良かったのかしら。


 そんな風に思っていた時だ。


「伝えろ!」


 遠くから蒼子に向かって叫ぶ声がする。


「我を蔑ろにするな! 我が側に付いているというのに!」


 蒼子に聞き取れたのはそこまでだった。


 まだ何か叫んでいるが蒼子の聴力はそこまで音を拾えない。


 小さい身体で必死に腹から声を出し、蒼子に涙声で訴えている姿は童そのもので少し可愛く思える。


 可愛くないって言ったのは撤回しようかな。

 そう思いながら蒼子はゆっくり目を閉じた。


 そして自分を呼ぶ声が聞こえて来た。


「……し……うし……!」


 遠くにあったその声は次第に近づいてきて、すぐ隣に音源を感じた。


「蒼子!」


 名前を呼ぶ声に目を開けるとすぐ目の前に端整な顔が二つ飛び込んで来る。


「はぁ……良か……った……」


 そう言った紅玉は安堵して寝台に突っ伏した。

左手が紅玉によって強く握られており、そこから紅玉の神力を感じる。


「無事で……すか……?」


 身内の贔屓目かもしれないが、紅玉はなかなか男前に生まれたと思う。


 あと五年もすれば、宮中の女性達がこぞっと狙いを定める美男に仕上がるはずだ。そんな紅玉はまだ若いので目の下にクマがあっても肌がくたびれて視えず、疲労が祟ってもやはり二枚目だ。


「ありがとう。心配させたみたいね」

「ホントですよ……もう……」

「疲れたでしょう。少し休んで」

「誰かさんのせい……です……」


 紅玉はそう言い残すと緊張の糸が切れたのか、椅子ごとデーンと後ろにひっくり返ってしまった。


 柊と柘榴が慌てて駆け寄る。


「疲労ね。蒼子ちゃんも目を大丈夫そうだし、ちょっと休ませたいんだけど、いいかしら?」


「勿論です。目の下のクマが凄いですね……」


隣の部屋で休ませることになり、柘榴は紅玉を自慢の筋肉で軽々と担ぎ上げて柊の案内の元に退室した。


紅玉が蒼子を現実世界に連れ戻すために使った神術は相当な精神力と体力を要する。疲労困憊でここまで辿り着いた紅玉の身体には響いたことだろう。


 すまん、ゆっくり休んでくれ。


 蒼子は心中でそっと謝罪をしてゆっくり身体を起こそうとした。

 しかし両肩が急に重くなり、上半身が再びふかふかした寝台に沈んだ。


「ダメだ」


 もう一つの端整な顔の持ち主を忘れていた。

 絹のように艶やかな髪が流れるように蒼子の顔の側に落ちる。


 シミ一つない肌に目も鼻もはっきりしていて不満そうな唇も形がよく、精悍な骨格なのだが、中性的な美しさも持ち合わせているのが不思議だ。


 ふわりと衣に焚いた香が、彼の独特の色香と共に香ってくる。

 もうすぐそこに迫る鳳の顔に蒼子は何だか胸の奥がそわそわする。


「まだダメだ」


 何がダメなのか、そう聞き替えそうとする前に彼の美しい瞳に捕えられた。

 吐息がかかるほど近くに感じる鳳の存在に蒼子は少しだけ圧倒され、硬直してしまう。


 蒼子を見つめる瞳の中に感じる熱が何なのか、蒼子はまだ分からなかった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る