第13話足音

 空が茜色に染まる頃に蒼子と椋は潮風の香る町へと戻って来た。


「戻りました」


 そう言って椋が裏口の扉を開けると待っていましたとばかりに鳳が歩み寄って来る。


「戻ったか。天功殿の様子はどうだった?」

「お変わりなかったです」

「そうか」


 話もそこそこに鳳は椋の背中で寝息を立てている蒼子の顔を覗き込んだ。


「寝ているのか」

「えぇ……疲れたのでしょう」


 鳳が背中にいる蒼子を優しく抱き直し、寝室へと足を向ける。


「寝かせたらすぐにお戻りを。お話があります」

「……分かった」


 ほどなくして鳳は居間に戻って来た。


 てっきりあのまま蒼子と添い寝でもして戻って来ないとも思ったが。


 ちゃんと言いつけを守ってきたな。よしよし。


 そんな風に思われているとも知らず、向かい合うようにして鳳は長椅子に腰を降ろした。


「柊から話はお聞きになりましたか?」

「蒼子の件が片付いたら町を出る事か?」


 鳳の言葉に椋は頷く。


「それと一つ、お願いしたい事が」

「何だ?」


 珍しい、と鳳は呟く。


「この地域一帯の井戸の所有権を天功殿に戻したい」


 椋の発言に鳳は目を丸くする。


「このままでは余りにも不憫だ。私が方法を探る。どうか、出発はそれが片付くまで待ってもらえないだろうか」


 椋は深く頭を下げた。


 今日の天功を見てもこの町に未練があるのは明らかだ。


 町の住民が彼の復帰を望むように、彼も叶うのであればこの町に戻りたいと願っている。


「頭を上げろ」


 顔を上げると鳳は口元に笑みを浮かべていた。


「私も常々思っていた。大体、きちんとした確認なしに地主の後任を認めるなど州牧の職務怠慢だ」


「天功殿にはとても世話になった。見知らぬこの地へ居着くことが出来たのもあの方のお陰です」


 あの息苦しく、狭い世界から鳳を救い出す手助けをしてくれたのは天功だ。


 窮屈な世界から解き放ち、まだ見ぬ世界へと踏み出すことが出来たのは天功がいてこそだった。


 荒んでいた鳳の心をこの土地と住まう人達が癒してくれたのだと椋は思っている。


「どちらにせよ、山の麓での隠居生活など似合いませんね。早急にこちらへお戻りになって頂かなくては」


「地主をすげ替えれば、わざわざこの町を出る必要はなくなるな」

「では首のすげ替えと蒼子さんの件を平行するという事で」


 椋はきょとんとして二人を見た。


 まさかこんなにあっさりと承諾されるとは思っていなかったからだ。

 特に柊は鳳が候凜抄に傷つけられていることに酷く憤っている。


 柊の説得よりも鳳の説得をした方が話は上手く進むと思い、先に鳳へ相談を持ち掛けたのだ。


「では、各々早急に進めるとしましょう」


 柊の音頭に二人は無言で頷いた。







 茜色の空が瑠璃色に変わる頃、山の麓を流れる小川沿いを歩く二つの影がある。


「日が暮れちゃったわね」

「この辺りに気配が残ってる。あの人がここにいたのは間違いないんだ」


 そう言って青年は手元の羅針盤に視線を落とす。


 羅針盤の針が光り、今立っている場所で振動している。

 主の気配を指し示すこの羅針盤はこの場所に残った主の気配に強く反応している。


「一足遅かったのかしら」


 もう一人は周囲を見渡して主の姿がここにはない事を確認する。


 女のような口調ではあるが長身と服の上からでも分かる鍛えられた身体は男のものだ。


「くっそ!」

「物に当たらないの!」

「分かってるよっ!」


 羅針盤を地面に叩きつけんばかりの相方をを窘め、疲労の滲んだ溜め息をつく。


「けど、ぐずぐずしていられない! 予想はしていたがあいつらは本気で俺達を殺そうとしている。急がなければあの人が危険だ」


 ずさんに巻かれた自分の腕の包帯には血が滲んでいる。


 自分だから良かった。あの人が傷付けられるような事があってはならないのだ。


「えぇ。けれど暗くなってから動き回るのは私達だって危ない。あの人を守るどころじゃなくなるわよ」


 焦燥感に駆られ落ち着きのない青年に言う。


「どうされた?」


 二人の背後に声が掛けられた。


「旅の方か?」


 暗がりでよく見えないがその声は老人のものだ。


「騒ぎ立てて申し訳ない。実は人を探してここまできたのだが、なかなか見つける事が出来ず……。」


「そうでしたか。この辺りはあまり人が来ませんが、お探しの人はどのようなお人なので? おや、怪我をしているではないですか!」


 腕の怪我を見て心配そうに歩み寄る老人は言う。


「大した事は出来ませんが……とりあえずはその今にも解けそうな包帯を巻き直しましょう。上がって行って下さい」


 そう言って近づいて来た人物が意外にも若々しく、二人は驚く。


 声質からは腰の曲がった老人を想像していたが、目の前に立つ男性は年配ながらも背筋は真っ直ぐと伸び、身体は骨格がしっかりとしていて筋肉質だ。


「ありがとう、親切な方。若かりし頃はさぞかしおモテになったでしょう?」

「ははは、そうでもないよ」


 軽快に笑う男性の申し出を二人は素直に受ける事にした。  




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