第36話 進展
「おはようございます……といっても、もうお昼ですね」
よく眠ったと言わんばかりの清々しい顔を見せたのは柊である。
こちらは鳳と違い、髪も服装も整い、顔も洗い、身支度が整っている。
椋は偉い、と心の中で柊を褒めた。
当たり前のことではあるが、それが出来ない大人も存在する。
立派に育った双子の弟を見て、兄は些細な喜びに浸る。
「どうしたんです?」
「い、いや……何でもない。よく眠れたか?」
こんなことを口に出しては弟扱いを嫌う柊に怒られる。
柊を怒らせると何かと地味な仕返しをされるので決して口には出さずに話を逸らした。
「えぇ。おかげさまで」
「どうした、柊。一人で起きれなかったのか?」
「蒼子さんに起こして欲しくてワザと起きて来ない貴方と一緒にしないで下さい」
鳳の茶化すような発言を一蹴し、柊は椋が淹れたお茶を受け取る。
「就寝時間を考えれば寝坊ではありません」
貴方と一緒にしないで下さい、とばっさり切り捨てる。
まだまだ眠くて機嫌は良くないらしいと椋は察する。
鳳は切れ味のいい言葉の刃を突き付けられて机に沈んでいた。
「蒼子さん達が見えませんね」
「蒼子と紅玉は二人で出掛けたし、柘榴も少し前に起きて用事があると言って出て行ったぞ」
「そうですか」
椋の言葉に柊は頷き、受け取ったお茶に口を付ける。
「ほっとしますね、椋のお茶は」
「俺はお前のお茶の方が好きだけどな」
「貴方の淹れるお茶は甘い」
柊の言葉に椋がくすぐったそうにすると隣で鳳から抗議の声が上がる。
「おい、私の茶は渋かったぞ」
「それはワザとです」
椋の冷たい一言に鳳は再び机に沈んだ。
「蒼子さんがいないと一際情けないですね」
「情けないとは何だ、情けないとは!」
主に対して不敬が過ぎると言う鳳を双子は華麗に無視する。
「そういえば、蒼子について何か分かったか?」
姿勢を正して真剣な顔で鳳が話を切り出す。
だらしない顔が引き締まり、少しは主たる威厳を取り戻したところで椋は報告を始めた。
「最初に言っておきますが、蒼子については収穫はない」
椋ははっきりと告げる。
その言葉に鳳と柊は目を丸くする。
「は?」
眉間にシワを寄せて機嫌の悪さを露わにする。
「本当に何もないのですか? 王都に蒔いた『目』は何をしていたのです?」
王都には情報収集のために蒔いた『目』がある。
蒼子がここに来てからすぐに彼女の身元を洗うために連絡を取っていた。
「蒼子についての情報はない」
「そんなことがあるか? あれだけ容姿の優れた女児だぞ」
幼いながらも美しく、利発的で将来は傾国の美姫にでもなれそうな子供だ。
「蒼子という名前も決して多い名ではないだろう」
「一人、王都で蒼子という者がおりますが……」
椋は絶対にこの人物とは無関係であると確信があった。
「王宮に硝莉玖という男がいます。下級貴族の出ですが上級貴族の藍家から妻を娶り、生まれた娘を神殿に入れて出世した能吏です」
「では、その娘というのが蒼子さんですか?」
「その男が蒼子の父親か?」
「男の娘は蒼子という名ですが、彼女は今年で十九歳です」
椋の報告で三人は沈黙した。
「どう見ても三、四歳のガキだしな……」
「大人びていますが……流石に……」
鳳と柊の言葉に椋は無言で頷く。
椋も報告を受けた際は有益な情報に心が弾んだが、それも一瞬だった。
十九歳と幼児では比べるのもおかしな話だ。
「息子もいるそうです。あまり関係なさそうなので深くは聞きませんでした」
「紅玉殿は十五、十六ぐらいでしょうか?」
「うちの四男が紅玉ぐらいだな」
紅玉に直接確かめた訳ではないが椋と柊の弟が同じぐらいの年齢だと思われる。
柘榴は鳳や椋、柊と同じぐらいだろうと予想される。
「しかし、あの藍家が下級貴族に娘を嫁がせるとは……」
紅家、藍家、翠家はこの緋鳳国における三大貴族である。
昔から宮廷の高位神官や神女を多く輩出し、この国では大きな権力を持つ三名家だ。
遥か昔、日照りや干ばつ、大雨、大雪、暴風などの自然災害からこの国を守った三人の神女の子孫が三大貴族であり、代々、神力の優れた者が多い。
より強い神力を持つ子供を望み、今でも三大貴族の子供達への求婚は多い。
特に藍家は昔から貴族の中でも神力に対する執着が強く、神力の強い高位貴族との婚姻が多かった。
硝家という名の貴族に覚えがない。
下級貴族の中でも末端ではないのか?
記憶にもない下級貴族の男の元へ藍家の娘が嫁ぐなど、些か信じがたい。
「縁談が持ち上がった当時は相当な騒ぎになったそうですが、藍家の娘が硝莉玖との婚姻を強く望んだそうです」
藍家という大貴族に望まれれば末端貴族など断れるはずもない。
「藍家は美人が多いですし、周囲からは羨望の的だったでしょうね」
「大貴族の女を嫁に貰い、後ろ盾を得て出世し、生まれた娘を神殿に入れて立場をより強固なものにしたとなれば立派な政略結婚だがな」
鳳は嫌そうな顔で言う。
自身の保身、家門の利益、そのための縁談や結婚、王都には多くの陰謀や策略が渦巻いている。
「その硝莉玖が視察で隣町を訪れているようです。この町に寄る予定はありませんが、万が一にもそれらしき集団を見ても近寄らないで下さい」
「どうせ視察と称して後ろ暗いことでもしているのだろう」
「表向きには地理調査のようですが。まぁ、それは置いておきます。話が逸れた」
椋はズレた話の軌道を修正するため、こほんと咳払いをする。
「蒼子の身元は分かりませんでしたが、一つ情報があります」
「何だ?」
改まって喋りだした椋に鳳が問い掛ける。
「神官見習いと宮廷武官が神女を連れて、王宮を出たと噂があるそうです。あくまで噂ですが、もしかしたら……」
「それがあの三人かもしれないということですか?」
柊の言葉に椋は続けた。
「昨晩、蒼子の部屋からぐったりとして運ばれていた紅玉から神術を使った気配が感じられました。今朝確認しましたが、微かに神力を感じます」
「あれは必死に呼びかけているだけではなかったんですね」
柊と鳳は必死になって蒼子に呼び掛けている紅玉を思い出す。
あの時の紅玉の気迫は凄まじかった。
蒼子の額に触れながら、何かを念じているような、力を込めているような様子だった。
「蒼子はどうだ? 蒼子にも神力を感じるか?」
「それが……蒼子からは神力は感じません。ですが、蒼子には出会って初日に見せてくれた占いの力があります」
「あれが神力だと?」
三人は蒼子が占ってくれた日のことを思い出す。
皿に張った水で彼女は店の利益に繋がる商品を言い当て、実際に多めに仕入れた商品は飛ぶように売れた。
「俺が持っている神力はささやかなものですし、微かな神力であれば探知できません。蒼子はまだ子供で、俺が感じない程度の神力なのかもしれません」
「なるほど。柘榴殿は武官には持って来いの人材ですしね」
昨晩、何事もなかったのは柘榴のおかげだ。
瞬く間に敵をなぎ倒し、地面に沈める手際の良さには感心した。
しかも血を流すことなく相手を戦闘不能にするあたりに気遣いを感じ、好感が持てる。
血の拭き掃除も必要なく、破損した物もなかったので非常に後始末が楽だった。
馬鹿力で吹っ飛ばした男が一人だけ垣根に嵌り、その部分だけは直さなくてはならないが、それだけだった。
かなりの鍛錬と実践を積んだ強者に違いない。
「そして、あの三人が探している人物についてですが……」
「何か分かったのか?」
鳳は身を乗り出す。
紅玉は誰を探しているのかと訊いても、もう居場所は掴んでいると言って口を割らなかった。
蒼子もその質問には答えない。
大抵のことは答える蒼子だが、自分のことや家族との関係を訊いてもそれ以上は訊くなと無言の圧か、愛想笑いで交わされてしまう。
そもそも子供が愛想笑いなんぞするな、全く。
蒼子の大人に対する態度や話し方は後ほど保護者である紅玉と話し合う必要があると鳳は思っている。
「貴方ではないのですか、鳳様」
「……は?」
「そうでしょうね……神女を神殿から出してまで人探しを命じることが出来るのは皇帝陛下ぐらいでしょうし……『家出したバカ息子』でしたっけ?」
蒼子と出会った初日に言っていたことだ。
『家出したバカ息子を探し出せば結婚を見逃すと言われた』
蒼子の言葉を思い出し、鳳は目を見開く。
「皇帝陛下が貴方を探しておいでなのですよ、鳳珠様」
椋の言葉が刃物のように鳳の胸を刺す。
鳳はぎりっと音がするほど強く奥歯を噛み締め、眼帯で隠された右目を無意識に押さえた。
「忌々しいことだ」
そう吐き捨てた鳳の中で一度は消えた怒りの炎が再び燃え上がろうとしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。