第22話 黒い部分

 とはいうものの、弱視の礼君でも楽しめる展示物は思っていたほどなかった。それでも、桃子は、広いフロアを一人走り回って礼君が楽しめそうな展示物を探しては戻ってきて「レイくん、こっちにあるからきて~!」と言って俺たちを案内した。

 大きい恐竜のジオラマがあるスペースでは、草食恐竜がティラノサウルスに襲われそうになるところを無事に逃げ切るストーリーのお話がされていて、桃子は「いまね~こどものきょうりゅうが、わるもののきょうりゅうにみつかったよ」とか「わるいきょうりゅうのくびとしっぽがうごいたよ」とか、動くジオラマの様子をナレーションの邪魔にならないように小さい声で礼君に伝えていた。

 

 また、触ったり、声を掛けたりするとそれに反応して鳴き声を出すゴマフアザラシのぬいぐるみのところでは、礼君の手を取ってぬいぐるみに触らせていた。

 展示物の中でも、風力体験の部屋が一番、盛り上がった。ボタンを押すことで5m、10m、15mそれぞれの風速の風がプロペラから吹き出され、全身でその風を浴びる体験ができた。15mの風になると二人とも「キャ~!」と言いながら俺やタカマリにしがみついて風を浴びることを楽しんだ。人気のコーナーらしく、部屋の外に体験を待つ人の列ができていたので、3段階の風速を体験し終わったら部屋の外に一旦出て、列に並び直して何回も体験した。


「礼は、目が見えない分、こんな全身で感じられるようなアトラクションがいいのかもね」と、ぐちゃぐちゃになった髪を直しながらタカマリが言った。


「そうかもな。でも、此処以外でどんなところがあるだろう」


「あるわよ。グリーンピアワールド」


「ああ!そこしってる~!いっかい、おかあさんとおとうさんといったことあるの~!きょうりゅうジェットコースターでしょ、かわくだりでしょ、メリーゴーランドでしょ~ ねねねね、いこ!いこ!レイくん、そこだったら、ぜったいたのしいって!」


「あゝ、タカマリ…」


「あ、ごめん!」


 しかし、一度、桃子に点いた火はとても消えそうにないことは、俺にもわかった。


「こんどのときは、そこね!グリーンピアワールド!あきおじちゃん、いいでしょ!」


「う~ん…どうだろう… おじちゃん、そういう乗り物、苦手なんだよ。あと、お母さんもなんて言うかわかんないし」


「おかあさんなんて『いい』っていうにきまってるってば!あきおじちゃんも、にがてなのりものは、むりしてのんないでみてればいいの!」


「あ、あと肝心な礼君もだよ」


「ねねねね!レイくん、グリーンピアワールドいいよね!」


「うん。ぼくも、1かい、いったことあるけど、またいってみたい」


「やった~!ももこ、たのしみ~!」


 すっかりそんな感じに子ども同士で盛り上がってしまい、背中を弾ませて歩く二人の姿を後ろから見ながら俺は微笑ましく思ったのと同時に、自分の中の黒い部分がゆっくりと首をもたげてくるのを感じずにはおれなかった。



 俺は、その晩、久しぶりに自慰をした。

 目の前のパソコンの画面に映し出されている画像は、おかっぱ頭の金髪の白人の男の子が裸で森の中を駆け回っている写真だったが、目を閉じた暗闇の中に映し出されたのは、礼君が洋式トイレに座っている姿だった。

 最初のうちは、(あのタカマリの息子だぞ)とか(目が悪い障害者の子だぞ)といった道義的な理由を引っ張り出して、礼君の姿を目の奥の方で振り払い、森の中の白人の男の子にシフトしようと試みたのだが、礼君とつないだ手の冷たさやら湿り気やらの感触が呆気なく白人の男の子の画像を吹き消してしまい、洋式トイレに座った礼君のつぶらな瞳が、こぼれた牛乳がテーブルに広がるように俺の頭の中をあっという間に支配した。そして、その白くてきれいな顔を汚したくなる衝動を抑えることができずに、ついには、絶頂を迎えて激しく上下させた手の中に射精した。

 射精した後も、しばらくの間、波打つような快感が訪れて、その後、俺は体中の力を失った。こんな快感の放出は、久しぶりのことだ。


 やはり、画像ではなく、生身の子と一緒に過ごし、手をつなぎ、少しの時間でも二人きりになったことは、俺の中のおぞましい黒い部分を駆り立てるのに十分な刺激になっていたのだ。それよりも何よりも、いろんな事情や道義的ななにやかやがあるとはいえ、礼君のあの容姿は、俺の黒い部分を満足させるに足るものなのだ、と、射精後にいつも襲ってくる後ろめたさすら飲み込むほどの強烈な自覚が俺を深い淀みに沈めさせたままにした。

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