第28話 SL無限ループ

 8月最後の日曜日だというのに、雨になった。しかも、ただの雨じゃない。大きな台風が東海地方に上陸しての大雨になった。

 この日に約束していたグリーンピアワールドは残念ながらお流れになって、それでも、朝早く、実家に来た桃子は散々泣いた後に、不貞寝してしまった。


「清水君、せっかくの休みだから、場所を変えてどっか行かない?」という、タカマリからのメールをずいぶん眺めたけれど、雨でも就学前の子どもが、そして、盲目の礼君も楽しめる場所なんて俺には思いつかなった。

 妹のよし乃にも尋ねてみたが「桃子だけなら、映画とか、アミューズメントのキッズコーナーとか、ボウリングとか、いろいろあるけど、目が見えない男の子でも楽しめるっていったらね~」で返答が止まってしまったまま物干し場に行ってしまった。


>申し訳ないが、遊べる場所を思いつかないんだ。タカマリに案はあるだろうか?


 ただでさえ、自分には子どもがいなくて遊び場所なんて知らない俺だから、やっぱり思い付くはずなんてなく、そうやってタカマリにメールして頼るしかなかった。


>台風で風も強いし、近場の鉄道博物館なんてどうかしら。あそこなら、休日でも結構、いていて穴場なのよ。


 俺がメールを送ってから割とすぐにタカマリから返信があった。もちろん、断る理由なんてなく、俺はOKの返信を送り、落ち合う時間を決めた。


 鉄道博物館。此処も自然科学博物館同様、俺が小学校の低学年の頃に遠足で行ったことがある場所だ。タカマリから提案されて(まだ、そこ営業してたんだ)と思ったくらい、言っちゃ悪いがショボい施設の記憶が蘇ってきた。テレビでいつだったか観たことがある、大宮にある鉄道博物館くらいの規模と展示物ならまだしも、昔の車両が2,3両置いてあって、昔の汽車の写真やら、切符やら、駅名の入ったプレートやらが展示されているだけで、桃子ならまだしも、礼君が楽しめそうな感じは微塵もしなかった。


 俺は不貞寝からすっかり熟睡している桃子を起こして車に乗せて鉄道博物館に向かった。風は相変わらず強く、混じって吹き付ける雨も大粒になってフロントガラスをだらしなく濡らした。信号待ちで止まっている間も、強風で車体が揺れるほどだったが、40分くらい走って鉄道博物館に無事に到着した。怒りが収まらないらしい桃子は、車内でも珍しく眠らずに、しかし、無言で座っていた。

 車がまばらにしか停まっていない駐車場で、タカマリの白いドイツセダンはすぐに見つかった。車を隣に停めると、すぐにタカマリから携帯に電話が掛かってきた。


「清水君、おはよう」


「おはよう。しかし、すごい雨風だな」


「ほんと、そうね。悪天候の中、付き合ってくれてどうもありがとうね。正面に見えている玄関、わかるかしら?」


「ああ、わかる」


「私たち、雨合羽を着てあそこまで行くの。清水君はどうする?」


「あゝ、ええっと…うちらは、傘をさして行く…いや…ちょっと待って。タカマリと礼君、俺の車に乗らないか?そうしたら、桃子と3人、玄関前で降ろして、その後に俺が車を駐車場に入れるよ」


「あ、それ助かるわ。どうもありがとう。後ろの座席に私たち乗れる?」


「ああ、大丈夫。右側のドアを開けて入ってくれ」


 間もなく、フードをかぶったパーカー姿の礼君とタカマリが後部座席に乗り込んできた。慣れない車に礼君が乗り込むのに少々時間が掛かって車内に夏とは思えない冷たい空気が駆け巡ったが、ドアを閉めると車内の空気も俺たち4人の雰囲気も落ち着いた。


「れいく~ん、こんにちは!」


 さっきまでの不機嫌の塊だった桃子はどこへ行ったのか、声色がすっかり変わってそう挨拶した。


「こんにちは。ももこちゃん」


「清水君、ごめんね。助かったわ」


「礼君のチャイルドシートもなくてすまないが、玄関まで行くよ」


 俺は、バックミラー越しにそう言って車を始動させた。タカマリは紺色の、礼君はカモフラージュ柄のパーカーを着ていた。見えてはいないものの、バックミラー越しで礼君と目が合ったような気がしたので、俺はすぐに視線を前方に変えた。

 車一台分くらいがカバーできる屋根の付いた玄関ポーチに車を停めて3人を降ろした後に、さっきの駐車場に車を停め直し、傘を短く持って風雨に耐えながら玄関まで行くと受付前で3人が待っていてくれた。


「清水君、ありがとうね~。はい、これチケット」とタカマリがそう言ってカラー刷りのチケットを差し出した。


「ありがとう。いくらかな?」


「大人は300円だけど、この子たちは未就学だから無料よ」


 俺が財布を出そうとすると、「清水君、いいの。私たちのお車代だと思って!その代わり、次に行くところでおごって」とウインクしながらタカマリは言った。


 タカマリが言った次とは、ミニSLの乗車だった。D51型の蒸気機関車を模した4両編成のミニSLで、乗車は一人100円だった。雨が降っても乗れるように、大きい倉庫のような場所で体験できた。レールの軌道は緩いカーブを描いた8の字で、長さは80mと看板に書いてあった。俺たち4人しか乗客は居らず、お金を払うとすぐに車掌に扮した係員が客車に案内した。客車といっても、またがって座る椅子状の乗り物であるが、先頭で煙突から白い煙を出しながら鎮座している機関車を見るとそれっぽい雰囲気があった。


「清水君、覚えてる?私たちの小学校6年生のときの修学旅行」


 礼君を挟んで一つ後ろの席に座ったタカマリが言った。


「あゝ、ええっと…たしか、会津若松?」と俺は振り向きながら言った。


「そう。磐越西線ばんえつさいせんで行ったんだけど、あの時、客車を引いたのは蒸気機関車だったのよ」


「ええ?そうなの?」


「そうよ。阿賀野川がすぐそばを流れる付近だとトンネルばかりで、先生が『窓を閉めろ~!』って言ったわ」


 俺は、申し訳ないけど、まったく記憶になかった。


「あの頃って、近隣のいくつかの小学校の修学旅行を同じ日程にして、客車を貸し切った臨時列車にしたのよ」


「まるで、戦後間もない風景だな」


「ふふふ…私たち世代でも、当時は、昔の風景の中にいた子どもなのよ」


「では、間もなく、発車いたしま~す。ピー!」車掌役の係員が笛を吹くと、シュポーと先頭の蒸気機関車が大きな汽笛を鳴らしてゆっくり進み始めた。さすがに、屋内で本物の蒸気機関を使うわけにはいはいかず、このミニSLは、エンジンコンプレッサーによる圧搾空気によって動くらしかった。

 じれったいくらいにゆっくりと動いたが、レールを踏むとカタンカタンという音がして、それっぽい雰囲気を味わえた。


 俺は、前に座る桃子の後ろ頭を見ながら、昔のことを思い出し始めた。俺がまだベムともアカオとも呼ばれていなかった未就学児の頃だ。

 毎年、俺たち家族はお袋の実家で年末年始を過ごした。しかし、年の瀬年初めを過ごすというのに、不思議と親父は一緒じゃなかった。子どもの頃はわからなかったが、おそらく、親父はお袋の実家とうまくいっていなかったのではないかと思われる。まあ、あの頑固で偏屈な親父だから、何かあればケツをまくって「俺は行かん!」と啖呵たんかを切って、それっきり、そういう習わしになったのだろう。親父の仕事用のトラックしかなかった我が家なので、実家へは毎回、汽車で向かった。県内の移動ながら、汽車を乗り継いで2時間くらい掛かった。

 その時は、いつにも増して大雪で、汽車はこの鉄道博物館のある最寄りの駅でずっと連絡列車を待っていた。妹のよし乃はまだ1歳になるかならないかの頃で、お袋がおんぶをしていた。車内はヒーターが効きすぎていて暑く、ぐずった妹が泣くと、お袋が客車のドアまで行って少し開けて外気を車内に入れながら「ほら、よし乃、雪がいっぱい降ってるね~」と半分後ろを向きながら言ってなだめていた。俺も、少し開いたドアから真っ暗になった外を見ると、ホームを照らすライトがボタボタと音をさせて降る重たい雪も照らしていた。そして、そのはるか遠くに、役目を終えたのか、それとも、役目を待っているのか、何台もの蒸気機関車が、トーマスとその仲間たちが入るドックみたいなところから顔を出しているのが見えて(お前たちの誰でもいいから、早くこの汽車を動かしてくれ)と思ったものだ。


 ぐずって泣いていたよし乃は、今じゃ、この桃子の母親になり、母親は俺を「お父さん」と呼び、そして、俺は…俺は誰にも頼んでいないのに変な性癖を併せ持ってしまい、今はミニSLにまたがって昔のことを思い出している。

 大雪が降る中、よし乃がぐずる中、それでも、我慢して待っていればやがて列車は動き始め、雪深いお袋の実家にたどり着くことができたけれども、このミニSLも、そして、この俺も、どこかに向かって動いてはいてもどこにも辿り着かない無限ループの中にいるのだ、と俺は思った。

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