第17話 石積と草取り
「おはようございます。豊樹園の清水です」
「は~い」
3回呼んで、玄関先にようやく出てきたのはユイトだった。アイスクリームなのかヨーグルトを食べている途中だったのか、右手に小さいスプーンを持ったまま走って出てきた。
「ユイトくん、おはよう。お家の方はどなたかいらっしゃる?」
「ばあばは、ちかくのおとうふやさんにかいものいってるし、じいじはそとでくさとりしてる」とユイトは玄関のガラス戸の向こうの外を背伸びして見ながら言った。
「うん、わかった。じゃあ、おじさんは作業始めるから、ばあばが帰ってきたら言っておいてくれるかい?じいじには、おじさんが外で挨拶するね」
「うん…おじさん、きょうも、パンなの?」
俺が右手に持っている小さい弁当袋を見ながらユイトが言った。
「ううん、今日はね、おにぎりを握ってきたんだ」と俺は断熱材入りの弁当袋を上に掲げて揺すってみせた。
「じゃあ、きょうは、みそしるおいしいね!」
ユイトは、まだスプーンにほんの少し残っていた白っぽいクリームを口の中に入れながら嬉しそう言った。
「うん、ありがとう。また、お昼休みにね」
俺はそう言うと、玄関から外に出て、ガラス戸をゆっくりと閉めた。そして、体を左右上下に動かしながら庭に植えられたたくさんの樹木の枝や葉の隙間から住職を探した。すると、参道の向こう側の庭のもみじの木の下にあぐらをかいて草取りをしている住職が見えた。
「おはようございます。豊樹園の清水です」と5メートル離れたところから声を掛けたが、住職は顔を上げることなく黙々と草取りをしている。
「おはようございます!」
住職のすぐ近くまで来て声を掛けると、ようやく住職は被っていた麦わら帽子のつばを上げてこちらを見上げた。
「おお、清水さん、おはようございます。今週もよろしくお願いします」
麦わら帽子のつばに隠れていた住職の顔は真っ赤に日焼けしていた。
「ご方丈様、今日も暑くなりますから、草取りも大変でしょうがほどほどになさってください」
俺は住職の目線近くまで膝を折ってそう言った。
「ああ、そうだね。でも、この辺りをやってしまわないと。ほんと、酷い有様なんですわ。取っても取ってもね、出てくる感じ。大げさに言うと、さっき取ったところを振り返ればもう出てきてるくらいの勢いでね」
住職は、自分が座っている場所を狭く見渡しながらそう言った。
「わかります。杉苔も植えてから5年が勝負と言われてますからご苦労が絶えないと思います。ええっと、この辺りの杉苔はもう何年経ちますでしょうか」
「そうね、この辺りは丸4年だね。毎日、草取りしなくてよい日があと1年で来るのかと思うと夢みたいな話だよ。ところで、石垣の方はどうだね?順調ですか?」
住職が座っている位置からは見えないながら石垣を造っている方向を見ながらそう言った。
「はい。今は一人なんで、劇的にというわけにはいきませんが順調に進んでいます。お盆前には終わらせる予定です」
「そうですか。よろしくお願いします」と住職は草取りの動作を再開させながらそう言った。
「はい、かしこまりました。方丈様、本当にご無理なさりませんよう」
「はい。どうもありがとう」
住職は、先がVの字型になっている特殊な草抜きの道具を器用に上下させながらそう言った。
そうはいっても、84歳になる耳が遠いこの住職は、いつも通り、午前中いっぱいはこうやって熱い陽に照らされながら草取りに勤しむことだろう。熱中症で救急搬送されるのも老人だけど、若い人以上に長時間、屋外で作業するのもまた老人だったりする。昔の人で丈夫な人は、信じられないくらい丈夫なのだ。
俺は、駐車場に戻って、いつもの通り、トラックの荷台からげんのうとたがねを降ろして石積みの作業に取り掛かった。少し前までは、この仕事を3人の職人で行っていたが、あらかたの工程を終えた後は俺一人で行っている。もちろん、3人で手分けして行うよりは仕事は遅くなるが、石の積み方の大体は決まっているし、三者三様の微妙な癖や趣向で出来上がるよりは、一人の趣向で作業を通した方が出来栄えが良くなる。
「そもそも、石積というのは、土地を開墾するときに
うちの社長が入社したてのペーペーの俺に話してくれたことを今でも覚えている。
「味気が全くなくて、施工費も高くて、時間が経つと表面が風化してボロボロになるコンクリートなんかじゃなくて、見た目に風情があって、石の黒ずみ、水垢ですら自然な風情になって、施工費も高くない石積を絶やしてはいけない」と社長は熱く語ったものだ。
しかし、いざ、石積を行うとなると、その作業はなかなか一筋縄ではいかない。石の積み方を間違うと、見た目だけではなくて、石が飛び出してきたり、そこから崩壊してしまうこともあるので注意が必要だ。
例えば、ひとつの石を四つの石で巻いてある積み方「四つ巻き」、ひとつの石を八つの石で巻いてある積み方の「八つ巻き」なんかは、時間の経過によって石が飛び出してくる可能性がある積み方で、禁じ手の中の基本中の基本だ。他にも、芋を串に刺すごとく縦に重ねて積んでしまう「芋串」。右向きと左向きに石を倒して積んでしまう「拝み石」など、石積の禁じ手はパッと浮かぶだけでも10もある。
また、昔から「石屋は角で泣く」なんていわれたもので、職人の腕の見せ所は石垣の角だ。
いい職人が積んだ石垣の角は、ただ石が出す線が揃っているだけでなく、力強さが醸し出される。
だから、この仕事を俺一人が任されることに俺は誇りを持っているし、いいものを作りたいという一心のみで働けることに俺は満足している。
10時の休憩時間に、本堂の上がり口に座わらせてもらって冷たい麦茶をいただいた。熱い陽射しが寺の境内に降り注いでいるのを眺めながら煙草を吸う。庭に植えられた沢山の樹木のあちこちに蝉がとまって精一杯の声で鳴いている。住職は、相変わらず、敷きつめられた杉苔の上に座って休むことなく草取りをしている。まったく大したものだ。
最初にこの寺の庭を作庭したのは、今から20年も前のことだ。寺院の庭を扱った様々な写真集を買い漁って勉強したという住職とうちの社長が相談し合ってもみじをメインにした庭を参道を中心として庫裏側に造った。もみじの他には、梅、桃、赤松、サツキ、ツツジ、サルスベリ、コブシ、モクレン、ギンモクセイ、シャクナゲ、蜜柑の木などを植えた。そして、花が好きな住職婦人の意向で、木々の間や参道沿いにたくさんの花が植えられて四季を彩っている。
そして、今から4年前に、参道を中心として反対側のエリアに庭を造った。住職の考えでは、庫裏側の庭があちらの世界の“彼岸”で、反対側の庭をこちらの世界である“此岸”として表したかったようだ。“此岸”の庭には、大きめの玉石敷き詰めた場所と、杉苔を敷き詰めて大きな松ともみじの木を植えている場所に分けられて造られた。この彼岸と此岸を兼ね備えた寺の庭は、春の新緑の季節や秋の紅葉の季節には、檀家以外の近所の方もこの庭を訪れて散策するという。
通称“寺町”と呼ばれているこの界隈の寺の中で、唯一、山門がないことを住職はぼやいていたが、たとえ、山門が無くても、境内の庭の広さと素晴らしさが寺院としての存在感を引き立てているし、こと、庭のクオリティに関して言えば、間違いなく町内一であろうと俺は思っている。
そして、そんな庭を心から愛でて、杉苔の間から出てくる雑草をひとつひとつ丁寧に抜く作業を惜しまない住職の献身的な姿が、この庭造りに携わっている俺たち庭師の仕事のモチベーションの一部分を支えている気がしている。
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