第35話 告白
「そこのブロック塀に腰かけてもらっていいか」
先ほど、打ち合わせをしたグラウンド周りまで来てヨシヒトは言った。
「しかし、久しぶりだな」
ヨシヒトは、プレハブの飯場から持ってきた缶コーヒーのプルタブを開けて一口飲んで言った。
「まったく、そうですね」
「よせやい、ベム、そんな他人行儀な物言い。俺たち同級生だろ」
「まあ、そうなんだけど、久しぶりすぎるし、職業的立場から言ってもね」
俺も缶コーヒーを一口飲んだ。誰に出してもいいように、なのか、甘くてミルクがたっぷり入った缶コーヒーだった。
「この小学校のグラウンドでは、俺たち、野球をしなかったよな」
俺の返答に構うことなくヨシヒトは話し始めた。
「いっつも、あの菓子工場の建設予定地の空き地に集まったよな。あの当時は、そろばん学校に通っている奴が多かったから、この小学校よりも近くて良かったからだよな。ベムはそろばん学校に行っていたか?」
「いや、俺は行っていない。だから、あの空き地に最後までいた子の一人だったよ」
「そうだったか。あそこの空き地は良かったよなあ。工場から甘い匂いがしてきてさ」
「まあ、そうだったけど、空き地の向こうの田んぼが厄介だったな。ボールが入っちゃうと取りに行かなきゃなんなかっただろ。打った奴が田んぼに放り込めばそいつが取りに行くけど、守備でミスるとそいつが取りに行かなきゃない。田んぼはライト方向にあったから、取りに行くのはいっつも俺だったよ」
「ハハハ…そうだったけか」
「夏の頃なんて、裸足になって、ズボンを膝上までまくって田んぼに入るけど、稲が青々と伸びてボールがなかなか見つからなくてな。やっと見つけて戻ってくると
「ああ、そんなだったのか」
「ヨシヒトはさ、守備がサードかショートだったし、打ってもレフトに大飛球だったから田んぼになんて取りに行ったことなかっただろ。あ、煙草、吸っていいかな」
俺は、胸ポケットからピースを一本取り出した。
「ああ、いいよ。そっか…そんなだったから俺は駄目だったんだな」
「駄目ってなにが?」
煙草を一口吸って、ヨシヒトとは反対の方を向いて煙を吐き出してそう尋ねた。
「俺は、いっつも、仲間内では威張ってて好きなようにやってたからな」
「そりゃそうだよ。野球、上手かったんだから」
「だし、ベムみたいな存在を軽く見ていたんだよ」
「まあ、昔のことだよ」
俺は、なんとなく嫌な話の展開になりそうなのを感じて、そう短く言って話を終わらせようとした。
「俺はな、殴りつけることはあっても、友達どころか、親父にだってあんなやって顔を殴られたことがなかったんだ。って、今現在も、ベムにやられたのが最初で最後だがな。ハハハ」
「あの時は悪かったよ。許してくれ」
俺は、煙草の火を消してヨシヒトに向かって頭を下げた。
「何を言う。悪かったのは俺の方だ」
「え?」
「いや、本当に、あの頃は、悪かったな。謝るよ」
ヨシヒトは俺の方に車椅子の向きを変えて体を折り曲げてそう言った。
「あのな、ベム。中学校を卒業して俺は隣町の高校に行って野球を続けたんだ。そういえば、ベムが行った造園科のある高校と同じ鉄道だったと思うけど、三年間、全然会わなかったな」
「あ、俺は、遠かったからみんなよりも早く7時ちょいの汽車に乗ってたんだ」
「そうだったんだ。ちなみに、俺は6時20分発だったよ」
「あ、早いな、それ」
「うむ。本気出して野球したからな、朝は早いし、夜は9時10分着の汽車だったよ」
「そうだったんか。それじゃ、会わないわけだ」
「でな、高校1年の時に、徹底的に先輩にやられてな。っていっても、いじめや暴力じゃないんだが、いわゆる天皇の位にいる3年生のお世話係ってやつだ。1年生だっていうだけで下らないことをやらされるわけだ。それまで、そんな下働きみたいなことなんてやったことなかったしな。先輩の理不尽な物言いにずいぶん辟易させられた。そんな時な、お前を思い出したんだよ」
「俺を…か?」
「ああ、俺は中学の時にずいぶんお前に辛く当たったよな。ってか、お前だけじゃない、いわゆる補欠と呼ばれる奴らみんなにだ。さっきの田んぼの話じゃないけど、おそらく、小学校の頃からずっと、俺は小さい集団の中でいい気になってた馬鹿野郎だったわけだ」
「まあ、世の中では、上には上がいるんだろうが、俺は、ずっと下にいた奴だったから上の奴の気持ちはわからんよ。今も」
「ふふ。俺はその後、野球で大学にも行けることになってな、プレイヤーを引退した後も街のちびっ子に教えたりしてな」
「ああ、そうなんだってな。それ、うちの社長から聞いたよ」
「そんなちびっ子たちにはさ、必ず、俺とお前のエピソードを話してたよ」
「は?」
「いや、何もわかってなかった俺に気付かせてくれた人って意味でな。努力も才能も大事だけど、一人だけで上手になんかなれないんだって。グラウンドを整備する人、ベースを置く人、ラインを真っすぐに引く人、草むらに入ったボールを探す人、守備練習でランナー役を務める人、練習試合の日に早起きして弁当を作ってくれる家の人、きったないユニフォームを毎日洗濯してくれる家の人、みんなの支えがあって野球をやれてるんだって。むしろ、その役をレギュラー、補欠関係なくみんなで回してやろうって、な、子どもたちに教えてきた」
「ああ、それいいことだろうな」
「改めて、ベムに感謝するよ。どうもありがとう」
「よせやい。ヨシヒトみたいな王様からそんなことを言われたって、下僕の俺からはなんにも出てこないよ」
「まあ、そう言わずに、俺の気持ちを受け取ってくれ」
「ああ、まあ、いいけどさ」
「あと…」
「まだ、あんのかい?」
「礼が世話になってるってな。ありがとうな」
「ん? は? 何?」
「高井 礼だよ。お前にだいぶ世話になってるって、真理子から聞いててな」
「マリコ…」
「タカマリだよ。あ、もしかして、お前、何にも聞かされてないのか?」
俺は、ヨシヒトの話を全く飲み込めないでいた。
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