第02話 庭師

 俺は、いつものように6時15分に目覚めて、新聞の連載小説と、うぶごえと、おくやみの欄を見ながら黒糖パンと目玉焼きを食べ、インスタントで作ったアイスコーヒーを飲んだ。

 点いているテレビでは、昨日の焼き写しみたいなニュースを昨日とは違う色気のない女が真面目な顔で読み上げ、隣に立っている男性アナウンサーが憂いを込めた面持ちで頷いていた。


 この歳になると、目覚まし時計が要らない体になっている。眠りについてから2時間後に目覚め、次も、2時間後に目覚め、小便に行き、そして、また2時間後に目覚めると6時15分だった。

「そのうち、“ラジオ深夜便”でも聞くようになるかもな」と同僚に冗談で言うと、「もしかして、無呼吸症候群かなんかかもだぞ。この前、“ためしてガッテン”でやってたぞ」と言い返された。果たして、そうかもしれないけれど、それを自分で確かめる術もないし、同じ部屋で確かめてくれる人も居ない。


 いつもなら、7時20分に施設からの迎えの車にお袋を乗せた後、家を7時30分に出て職場に向かう。職場までの距離は車できっちり30kmだ。時速制限の標識がない山道の国道が行程の半分以上だから、そこを時速70~80kmで走って、職場には8時過ぎに到着する。


 朝の車の中ではCDではなくて、地元のFM局のラジオを聞いている。番組内で放送されるトラフィックインフォメーションが役に立つような幹線道路は走らないし、天気予報は朝のテレビで嫌と言うほど確認しているから用はない。

 しかし、この番組のパーソナリティの女の声を俺はとても気に入っている。明朗でも、爽やかでも、聴いていて元気が出るような声でもない。どちらかと言うと声のトーンが低くて、それでいてどこか色気があり、不思議と引き付けられる。また、何よりも、パーソナリティから発せられるコメントが朝のFM番組らしからぬものになっているところも気に入っている。リスナーからのメッセージに否定的なコメントを明け透けなくして諭したり、よくありがちな中道的なことを言って問題を収めたり、口だけ慰み言葉を言ったりすることなく本音でコメントする。俺史上、女の人に対して“好意”というものを寄せることができるのは、昔のお袋と、このパーソナリティの女だけだ。


 職場に着くと、その日の必要なものをチェックした後にトラックの荷台に乗せて目的地に向かう。大概は、2~3人の同僚と同乗することが多いが、今の仕事は俺一人に任されているから、社長に挨拶してからトラックに乗り込み、目的地に向かった。



 俺の職業は、庭師だ。死んだ親父も、祖父も庭師だった。

 俺は、小さい頃から“庭師だけにはなるまい”と思っていた。庭師の仕事が嫌い、というよりは、正確に言うと、“庭師の親父が嫌い”だったからだ。

 どの職人でも多かれ少なかれそういうところがあると思うけれど、取り分け、親父は昔ながら職人気質だった。家族のことよりも仕事、仕事以外は酒、理不尽なことでも自分の主張を曲げない、口よりも手が先に出る…  

 俺たち兄妹は、いつも親父の影に怯え、機嫌を損ねないように距離をとり、時として噴き出す理不尽な物言いにもじっと耐えた。また、お袋はそんな親父に怒り、涙し、それでも心の中のどこかで愛なのか、畏敬の念なのか、諦めなのかわからないけれど思うところがあるらしく、静かに耐えていた。

 そんな親父だったから、家族サービスをする、なんて有り得なかった。家族旅行なんて、お袋が無理にせがんで実現したゴールデンウイークに佐渡ヶ島に一泊が唯一だった。

 しかし、この俺も、“世の中で自分がどんなことができるだろう”なんていう積極的な生き方や、視野の広さも持ち合わせておらず、結局は、朝から晩まで働く親父の背中しか見えていなかったのだ。



 8時半前に今回のクライアントの家に到着して、早速、仕事の準備に取り掛かった。この2週間は、小さな街の小さな寺院で、参道の両側の石垣の作庭を行っている。

 元々、この寺院の作庭をうちの会社で行っていたが、以前、作った金閣寺垣が傷んだため、傷みがない石垣にしたい、と住職からの依頼があったのだ。

 竹と染縄だけで作る金閣寺垣は、確かに、造形的に格調が高く、見栄えも良いが、風雨にさらされた竹垣は色あせと風化は避けられない。また、ここのような豪雪地帯では特に傷みが激しくなる。


 参道の長さは30mほどだが、そのうち10m程に渡って、高さ50cmの比較的低い石垣にして、上面に茶の木を植える、という住職の注文であった。石の積み方は、大小さまざまな割石や切石を色々な積み方を混合しながらうまく組み合わせて、最終的には上辺が平らになるようにする乱積を採用することになった。

 石の選定は社長が行ったが、大小さまざまな石をパズルのように組み合わせていく作業は俺に任された。石の風合と大きさ、そして趣のあるバランスになるように考えながら、を使って石の大きさを整えて組み合わせていくこの仕事を俺は好きだった。



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