夜想曲

橙 suzukake

第01話 俺にはその余裕はない

 俺は、仕事帰りにいつものコンビニエンスストアに寄った。500mlの缶ビールを2本とピースを2箱、明日の朝食と昼食用に黒糖パンを2つ、そして、今日は奮発して、焼肉のタレで漬け込んである豚肉のパックをひとつレジ台に出した。レジのおばちゃんは、今日も愛想を振りまくことなく、事務的に「いらっしゃいませ」とだけ言うと、値札の値段を淡々と読み上げながらバーコードをレジに読み取らせた。

 コンビニ、といっても、この店はチェーン店ではなく、地元の酒屋さんが自家製の惣菜や弁当を一緒に売っている店で、出入り口のガラスの自動ドアには<6:00~22:00>と白いシールが貼られているけど、実際は、7時から19時までが営業時間だ。入店が19時前だったから、豚肉のパックの値札には、“50円引き”と黒いマジックペンで走り書きされてあった。


 ビニル袋を助手席に置いて、エンジンキーを回すと、途端に、スピーカーからあの曲のサビの部分が流れてきたから思わずラジオのスイッチを消した。あのカラオケの一件があって以来、この曲は聴きたくなかったし、聴いてこなかった。


 俺は、助手席に置きっぱなしにしていたCDをカーステに押し込んでから店の駐車場で車を反転させて、3台の車をやり過ごしてから道路に出た。

 すぐに、赤信号で停められたから、さっき買ったピースをビニル袋から出してパッケージを開け、口にくわえて火を付けた。いまどき、ピースなんて吸っている奴なんて滅多にいない。たまに見ても、それは、公園のベンチに座っているお爺ちゃんぐらいだ。だから、自動販売機でお目にかかることも無く、売っているとすれば普通のコンビニか、さっきの店だ。でも、普通のコンビニだと、いちいち番号で言わなければならないし、その番号だってしょっちゅう変わる。おまけに、ちゃんと番号を店員に伝えていても、レジで、「こちらでよろしいでしょうか?」って店員からいちいち聞き返されてこられるのも面倒くさいから、俺はタバコを買うのはあの店と決めている。


 信号が青になって車が走り始めてもCDの曲が掛からなかったから、もう一度カーステのボタンを押して出し入れさせたら曲が鳴り始めた。

 この人の最近のアルバムだから耳と心にやさしい。俺は、難しいことはよくわからないけど、どうやら、今の世の中や世界のことを憂いている歌詞の曲が多くなっているアルバムだ。振り絞るような声でシャウトばかりしていた昔の曲調は最近は無い。彼だっていい歳になっているし、そういつまでも、路上のボーイズ&ガールズのことばかり歌ってはいられないだろう。



 2台停められる駐車スペースに車をバックで停めて、門灯の点いていない玄関のドアに鍵を差し込んで家に入った。部屋の中は、日中の暑さでモワっとしていたから、すぐにあちこちのガラスサッシを開けた。すると、涼しい夕方の風がすぐに部屋に入り込んできた。


 風呂の栓を確かめた後に、台所に戻ってきてお湯を溜めるボタンを押した。「湯張りします」といつもの女の人の声がした。今年の初め、貯金をはたいて給湯のリフォームをして本当に楽になった。それまでは、お袋の面倒を見ながらお湯の沸き加減を気にしていなければならなかったから大変だった。ちょっと目を放している隙に、お袋は二重の鍵を外して家を出たりするし、反対に、お袋に目を掛けていると、風呂のことを忘れてお湯が煮え立ったりしていたから本当に大変だった。


 今夜、お袋は地元の施設にショートステイで一泊だから、俺一人で過ごす。いつもは、お袋が好きな和食中心のメニューをヘルパーさんが作ってくれていて俺も一緒に食べるのだけど、今夜は、焼肉を肴にビールを飲むことにしたのだ。



 電気ホットプレートでパックの肉を焼きながら缶ビールを飲む夕食は、どう見ても淋しい絵だけど、くだらないバラエティ番組を見ながら一人で笑い声を上げるほど馬鹿じゃない。

 かといって、7時のニュースを眺めたところで、世の中がどうなっているかわかるほど頭もよくない。

 大体、同じ党の、しかも、副総理だった男が総理になっただけで、どうしてこうも支持率が上がるのか俺には理解できない。ということは、この国は、たった一人の男の考えだけで世の中が良くなったり悪くなったりするってことなのか?


「大衆は、目先の欲にとらわれて餌をあさる豚のようなもの」

 

 そういえば、学生の頃に繰り返し読んだ漫画に、こんな台詞がしょっちゅう出てきた。主人公と敵対する悪役のその男は、豚のような大衆を統制して正しい方向に導き、高い理想を掲げて国づくりをする野望があった。がしかし、その男の父であり、日本の政財界を影で牛耳る老男はこう言った。


「大衆を正しい方向に導く?それが、いかんのだ。大衆は豚のままでよい。高い理想を持つことなく、私利私欲に駆られて餌をあさっている豚の方が扱いやすい。それが、権力を維持するための大事な要素なのだ」


 もしも、大衆が豚なのであれば、豚の支持率で右往左往したり、誰かが辞めたり、誰かがポストに就いたり、政策を作ったりすることってどういうことなのだろう。


 俺は、すっかり面倒くさくなって、天気予報のコーナーに入る前にテレビを消した。

 缶ビールを一缶空ける前に、焼肉は無くなってしまったから、あとは、ジャイアントコーンでもつまみながらもう一缶を飲むことにした。



 他人の幸せや、この国の幸せや、世界の幸せを考えたり、憂えたりすることは、CDの中のアーティストにはできるかもしれないけれど、俺にはその余裕はない、のだ。

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