第11話 ばあちゃんアイス

「一旦、通り過ぎたんだけど、その首元に見覚えがあってもう一回戻ってきて声を掛けのよ」


 中学生当時よりも顔の輪郭が少しふくよかになったが、話し口調も併せれば、確かに、その女は高井真理子だった。


「清水君のお子さん?」


「いや、妹の子なんだ」


「あら、そう。清水君のお子さんは?」


「あ、いや、俺はまだ結婚してないんだ」


「あ、そうだったんだ。中学以来、ぜんぜんこの街で見掛けなかったけど、どうしてたの?」


 中学校卒業以来に久しぶりに会って、しかも、俺の半生くらいを決定付けた張本人であるこの女は、最初から俺の触れられたくない核心を次々に突いてきた。


「○○市の高校の造園科に行って、卒業してからすぐに庭師になって○○市に勤めてるんだ。朝は早いし、夜遅く帰ってくるから(本当は違うが)こんな時間に地元の街を歩くことは滅多になかったんだ」


「ねえ、あきおじちゃん、だ~れ~?」


「ん?俺の昔の友達だよ」


「そっ、友達。というより、かなりの悪友かな」


「アクユーってな~に?」


「おい、タカマリ、変なこと言うなよ!」


 最も会いたくなかった奴だったはずなのに、こんな風に会話をしている自分に自分自身が最も驚いていた。


「ふふふ、タカマリなんて呼ばれるの久しぶりだわ」


「あっ…」


「いいのよ。そう呼んでくれる方がしっくりする。あ、この子、わたしの息子。礼をする礼と書いて、高井 礼」


 高井真理子の左側で、腰に手を回してしがみついている男の子の頭に手を置きながらそう言った。


「ん?苗字が高井って…」


「離婚したのよ。今年の初めにね。この子は6歳。年長さんよ」


「そうだったんか。それは失礼した」


「失礼はお互い様よ。ね、清水君」


 そう高井真理子に言われて、俺は何も言い返せなかった。


「ねえ、レイくん、いっしょにきんぎょすくいやろ~」


 そう言うと、桃子は持っていたポイを礼君の前に出した。


「んと…、おねえちゃんはなんて名前なの?」


「ももこ」


「ももこちゃん、ごめんね。礼は目がよく見えないから金魚すくいできないの。ごめんね~」


「めが、みえない、の?」


「そう」


 高井真理子が言っていることをなかなか飲み込めなかったのか、桃子はしばしうつむいてじっとしていたから、俺が何か声を掛けようと思った矢先、


「じゃあ、ももこがレイくんのぶんも、きんぎょとってあげる」


 そう言うと、桃子は振り返ってしゃがんで水槽に向かった。


 桃子は、狙いを定めてポイを水面に入れて、それでも、ポイに穴が開くまでに2匹の金魚をすくった。


「おじちゃん、1ぴきはレイくんにあげるから、わけてくれる?」


「あーいいよ。袋を2つにしてあげるよ」


 おやじさんは、小さいビニル袋に水槽の水をおわんですくって入れ、金魚を1匹ずつ分けてくれた。


「はい、レイくん。きんぎょさんとったから、だいじにそだててね」


「ほら、礼、ももこちゃんが金魚すくってくれたわよ」


 高井真理子は 腰に回していない方の礼君の左手に金魚の入ったビニル袋のひもを持たせた。


「あ… ありがとう」


 小さいけれど、しっかりとした口調で礼君は言った。

 お母さんの高井真理子に似て、色白で、茶色がかった細くて柔らかそうな髪をしていた。目は大きくぱっちりした二重で、まつげが長く濃かった。確かに、焦点は合っていない目線だったが、盲目であることを告げられなければわからないくらいまっすぐ、しっかりとした目線をしていた。


「ねえ、清水君、神社に行って、ばあちゃんアイス食べない?」


「ばあちゃん…アイス?」


 俺は、そう聞き返した。


「あれ?清水君、忘れたの?私たちが子どもの頃にあったでしょ?ばあちゃんが一人で作って、一人で自転車で売ってるアイスよ。バニラっぽいアイスをコーンのカップ2つではさんでいるやつよ」


「ああ…それ、まだやってるの?」


「そうなのよ、神社に居るわ。今でも、ばあちゃんアイス。でも、さすがに当時のばあちゃんは亡くなってその娘が跡をついでやってる。といっても、その娘もすでにばあちゃんだけどね」

 

 俺たち4人は、歩いてすぐのところにある神社に向かった。

 タカマリは、右手で礼君と手をつなぎ、礼君に合わせてゆっくり歩いた。歩道の切れ目や、側溝に格子の蓋がしてあるところでは、一旦、停まって、礼君に何か声を掛けて、また歩き始めた。


「レイくん、かわいそうだね。めがみえないなんて…」


 俺と手をつないで歩く桃子がそうつぶやいた。

 前をゆっくり歩く二人を見ていて気が付いたのだが、盲目の礼君だけでなく、高井真理子もなんだか歩きにくそうなぎこちない動きをしているような気がした。


 射的やら、輪投げなどの大き目の露店が立ち並ぶ神社の一角に、確かに“ばあちゃんアイス”はあった。まだ、昼の初めだからか、ほとんどの露店はカバーを掛けた開店前の様相だったが、“ばあちゃんアイス”は、ごく簡素な造りの小さなテントの下で、まっすぐ前を向きながら目をつぶって折りたたみ椅子に座っていた。

 高井真理子は“娘もすでにばあちゃん”と言っていたが、50歳代くらいのおばちゃんに見えた。


「4つくれますか~」


 高井真理子がそう注文すると、ばあちゃんは「あいよ。4つね」と言ってディッシャーを取り出してプラスチックのケースの中のアイスをコーンに乗せ始めた。確か、俺が子どもの頃は、普通のスプーンを使ってアイスをすくっていたような気がした。


「うちらの頃は、スプーンだったわよね」


 高井真理子は、ウインクしながら俺にそう言った。

 俺は、なんだか自分の思っていることが読まれているような気がして恥ずかしくなって相槌も打てなかった。

 代金は、1つ100円だったが、高井真理子がさっさと支払いを済ませた。


(うちらの頃は…)


「50円だったわよね。うちらの頃」


 アイスを俺に手渡しながら高井真理子はそう言った。


「ああ…そうだったかな。それよりお金…」


「あ、いいわよ。わたしのおごり」


「すまんな。ごちそうさま。おい、桃ちゃん、おば… いや、おねえさんになんて言うの?」


「ありがとう」


「いいのよ、もう、立派なおばさんだわ。清水君、あそこのベンチで食べましょう」

 

 ベンチに向かう高井真理子の動きはやはりぎこちなかった。左足をなんだか引きずっているような歩き方だった。


 “ばあちゃんアイス”は、昔の記憶通りの味だった。濃厚で、ソフトクリームとシャーベットの合いのこみたいな味がした。


「清水君、気が付いてたでしょ。わたしの左足こんななの」


 白いスラックスパンツを少したくし上げると、少しグレーがかった濃い肌色のふくらはぎが見えた。

 それは、義足だった。

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