第10話 夏祭り

 地元の祭りは、7月終わりの金土日の3日間で行われ、各町内会ごとにお神輿を担いだり、山車を引いたりする。山車は、流行のキャラクターをデザインして毎年作るのが恒例となっている。


 俺が子どもの頃は、祭りの二日目に、朝から夕方までその山車を引いたり、街に古くからあるおけさ音頭に合わせて踊ったりした。

 祭りの1週間前になると、夜7時前に、町内にある寺の境内に子どもたちが集まって2つの音頭の踊りの練習をした。7時半になったら終了。町内会の役員からバーが付いたイチゴ味かソーダ味の30円のアイスクリームをもらって、それを食べながら家に帰った。ずるがしこい奴は、踊りの練習が終わるほんの前にだけこっそり来て、「妹の分もちょうだい!」とか適当なことを言って2つのアイスクリームをもらったりしてた。

 寺の境内の一角には、高さ5メートル以上はあるキャラクターの山車が置いてあり、自分の仕事を終えた町内の大人たちが2、3個の業務用のライトを頼りに金槌かなづちの音を立てながらデコレーションを作っていた。踊りの練習に来る度に仕上がりが進んでいることをうれしく思ったものだ。

 しかし、昨今の少子化と町内に住む人たちの関係の希薄さの影響を受けて、現在では、祭りの様相が昔とは変わってしまった。町内会の大人たちは、町内からかき集めた小額の寄付金で小さい小さい山車のデコレーションを作り、もしくは、外注して作ってもらい、町内に住むほんの少数の子どもたちは祭りの当日だけハッピを着せられて、山車の綱を引くだけになってしまった。それでも、参加できるだけいいのであって、住んでいる子どもの数が少なすぎて祭りへの参加が成り立たない町内会も珍しくなくなった。


 そんなことをつらつらと思いながら露店が軒を連ねる通称“市場いちば通り”を桃子と手をつなぎながら歩いた。露店が道の両側に建っているので、人が歩くスペースは幅が3メートルもなく、すれ違う人同士の肩がしょっちゅう触れ合うくらいだった。俺は、桃子の手をしっかり握って通りを歩いた。


「おじちゃ~ん、てがベトベトしてる~」


「ごめん、ごめん。今日は暑いもんね」


 俺は手を離さずに言った。


「ねえ、きんぎょすくい、まだ~?」


「う~ん、そうだね~、ないね~。もう少し先に行ったところのパン屋さんの近くにあると思うんだ」


 俺は、昔の記憶を頼りにそう言った。

 実は、20何年振りに地元の祭り場を歩くこと自体に俺は大変な緊張を感じていた。果たして、俺の存在に気付く奴がいるだろうか。気付いた奴はこの俺に声を掛けるだろうか。声を掛けるときには、俺のことを何と呼ぶんだろうか。いや、俺の存在に気付いても、おそらく、俺に声を掛ける奴はいないだろう。俺だって顔馴染みとすれ違っても知らぬ振りを決め込むだろう。

 そういう意味からすれば、手をつないで隣で歩いている桃子の存在は俺にとって心強かった。俺の存在に気付いた奴も、俺が結婚して子どもをもうけて普通の人生を送っていたと思い、しかし、きれいに無視してすれ違うだろう。


 まもなく、畳1枚を縦に半分に切ったくらいの大きさの水槽がある金魚すくい屋があった。

「あ、あれだな、金魚すくい」と俺が言うと、「あれがきんぎょすくいやさん?」と尋ねておきながら、桃子は、力を入れて俺の手を離すと、一目散に水槽に向かって駆けて行った。

 水槽の中は、体長が4~5センチの赤く小さな金魚が無数に泳いでいた。

 桃子はしゃがんで、泳いでいるといっていいのか、浮かんでいるといっていいのかわからない赤い金魚たちを見つめていた。


「よっ、おじょうちゃん、金魚すくいやるかい?」


 よく日焼けした顔に浮かび上がるような真っ白なねじり鉢巻をしたおやじさんが威勢よく言った。


「わたし、おじょうちゃんじゃないもん。ももこだもん」


 おやじさんをきっとにらみながら桃子が言った。


「そっか、ももこちゃんていうんだね。ももこちゃん、金魚すくいやってみるかい?」


「うん…でも、どうやってやればいいかわかんない」


「このおわんを左手で持って、このポイでこうやって金魚をすくうんだよ」


 ねじり鉢巻のおやじさんは、当然のことながら慣れた手つきであっという間に2匹の金魚をすくった。

 新しいポイをおやじさんからもらった桃子は、それでもしばらく水中を不規則に泳ぐ金魚をじっと見つめていた。


「桃子、俺が代わりにやってあげよっか?」


「ううん、ももこがする。いま、どれをすくうかかんがえてるの!」


 桃子は、半ば怒ったような口調で言い返してきた。


「なるべく、上のほうで泳いでいる小さい金魚をすくうといいよ」


 俺の言葉を聞いているのか、耳に入っていないのか、桃子はピクリとも動かないで金魚を見つめていた。


 「もしかして、清水君じゃない?」


 桃子がいる反対側から女の声がした。

 しゃがんだまま振り返ると、白いスラックスパンツに、白いブラウスを着て、白い日傘をさした女が立っていた。

 その隣には、桃子と歳が同じくらいの男の子が女に身を寄せるようにして立っていた。

 女の顔に見覚えがなかったので、相手に変に思われるくらいにしばらく顔を見続けた。

 やっぱり、女の顔に見覚えはなかった。


 「わたしよ。高井真理子。久しぶりね」

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