第37話 代打

「ほんと、ごめんね。シフトの関係上、やっぱり、私が代打を務めるしかなかったの」


 9月の最終週の日曜日。かねてから約束していた遊園地グリーンピアワールドに行く約束をしていた日だったが、急病で仕事ができない人の代わりをタカマリが務めなければならない旨の電話をもらった。


「桃子ちゃん、どんな様子?」


「あ、いや、まだ、何にも言ってないから、朝早くに起きて、まだ出発の時間でもないのにリュックサック担いで部屋中を歩き回っているよ」


「ああ、どうしよう。前回はあの荒天だったからあきらめもつくでしょうけど、今日になってこれじゃあね」


 明らかに落胆と困惑している様子が、電話の向こうに見える声色だった。


「もしも、だけど、俺が礼君の面倒を見る、ってのはどうなんだろう?やっぱり、慣れてないから役不足かな?」


「え? あっ… ううん! 清水君なら大丈夫だと思う。安心して任せられるわ」


「乗れそうにない乗り物には無理して乗せないし、乗らないで一人でベンチに座わらせて待たせることもしないよ。桃子にもそれを約束させようと思う」


「うん… でも、清水君にいろいろと気を遣わせて悪いわ」


「いや、大丈夫だよ。必要な持ち物だけはちゃんと用意しておいてくれ。じゃあ、今はもう、タカマリの実家に礼君は居るんだな?」


「うん。実家に預けるときにいつも持って行っているリュックをそのまま持たせるわ。私、実家に電話を入れておくから大丈夫」


「わかった。あと…天気予報を見ると、今日は残暑が厳しそうだから、タオルも持たせてくれるとありがたいな」


「ああ、そうみたいね。あの子、色白だけど、割と暑さには強いのよ。わかった、タオルもね」


「じゃあ、実家に9時頃に車で迎えに行くと伝えてくれ。あ、そうだ。チャイルドシート、桃子の分の1個しかないんだけど」


 俺は、先日のヨシヒトの話を思い出して、慌ててそう尋ねた。


「あ、それなら、じいじの車に乗せてあるやつを使ってくれる?それも、電話で言っておくね」


「すまんな。助かるよ」


「何言ってんの。助かっているのはこっちの方よ。清水君、恩に着るわ」


「ねえ、あきおじちゃん、だれとおはなししてるの~?もう、いこう」


 桃子が座っている俺の背中に乗っかりながらそう言った。


「ああ、もうすぐ終わるから待ってて。ええっと、帰りは、どうなんだろう。何時頃に実家に送り届ければいい?」


「桃子ちゃんね、今の声。私の勤務は17時までで、それから実家に着くのが18時頃になるわ。だから、そんな感じの頃に送り届けてくれるといいわ」


「わかったよ。まあ、今日は暑くなるし、園内を歩き回るだけで相当疲れるだろうからそんなに遅くならないうちに帰ると思うよ」


「うん。ほんと、清水君どうもありがとうね。じゃ、これから実家に電話する。桃子ちゃんにもよろしく伝えてね」


「ああ、タカマリも代打、頑張ってな」



「あきおじちゃん、タカマリさん、なんかあったの?もしかして、いけなくなったの?」


 表情をこわばらせながら桃子がそう言った。


「とっても残念なんだけど、急に仕事が入っちゃってタカマリさんは遊園地に行けなくなっちゃったって」


「えぇぇぇぇえ! じゃあ、きょうも、だめなの~?」


「ううん、桃子。タカマリさんは行けないけど、おじちゃんがお前と礼君をグリーンピアワールドに連れていくことになったんだ」


「あ、そなの!やった~!よかった~ またいけなくなったりしたら、ももこ、ももこ、もう…」


 そんなことを言いながら桃子は半べそ状態になった。


「おいおい、泣くなよ。ちゃんと行けるんだから。その代わり、約束してほしいことがあるんだけど、聞いてくれる?」


 桃子は、涙を手で拭きながら頷いた。


「タカマリさんがいないから、特に、目が見えない礼君を大事に見てあげなきゃなの。わかるよね?」


 桃子は、なおも大きく頷いた。


「だから、これは乗ると危ないな、ってのは乗らないし、乗れないならベンチに座って待っててね、ってのも今日は無しだよ。乗るなら必ず3人でだ。約束できるかい?」


「うん。ももこ、やくそくする」


「よし、いい子だ。じゃあ、これから礼君を迎えに行くから仕度して!」


「ももこ、もう、あと、くつをはくだけだもん」


「ふふふ、そっか。じゃあ、お母さんとおばあちゃんに行ってきますって言っておいで」


「うん。わかった~」



 そんなことを桃子に言いながらも、不安なのは俺自身の方だった。


(礼君を安全にちゃんと遊ばせることができるのか)

 そして、

(礼君に対して、俺がちゃんと平静な気持ちで接することができるのか)


 俺は、自分に言い聞かせるようにしながらボディバッグの中に入れる物をもう一度チェックした。




「いや、いや、清水さん、この度は、突然のことでわーりですわね~」


 玄関先に出てきたタカマリのお母さんがそう言った。


「今日みたいなのは滅多とないんですけどね~ ほら、礼、清水さんに挨拶して」


「しみずさん、おはようございます。きょうは、おねがいします」


 ネイビーのTシャツに、オリーブドラブのハーフパンツを着た礼君が丁寧にそう言った。


「礼、今日は、陽射しが熱いから、帽子も被っておいで」


 そう言いながら白いキャップを礼君に被せた。


「じゃあ、お預かりします」と俺は一礼した。


「清水さん、チャイルドシート、後ろの座席に付けておきましたわ」


 俺の後ろから声がしたので振り向くと、それがタカマリのお父さんだった。頭はすっかり薄くなっていたが、細身で姿勢がよく、休日なのにチェック柄のお洒落なシャツを着ていた。


「ありがとうございます。礼君が安全に楽しく遊べるように面倒見ますのでご安心ください」


「いやあ、ほんと、御迷惑をおかけしてすみません。もうちっと早く、真理子が連絡してくれてたら、私らもなんとかできたかもしれんかったんですが、今日は、二人とも昼過ぎまで農協の集まりに出んきゃなりませんでね。いやはや、何卒、よろしくお願いします」


 そう言って、タカマリのお父さんは深々と頭を下げた。


「承知しました。じゃあ、礼君、いってきますのご挨拶して」


「じゃあ、いってきます」


 俺は礼君の左手を握って、車を停めている方に向かってゆっくり歩いた。

 窓が開いている後部座席から桃子が満面の笑みで手を振っている。


 礼君の手は、今日も、信じられないくらいに冷たかった。

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