第40話 茫然

 雨は雷と共に30分ほど強く降り続いた後にやんで、また、青空が見え始めた。

 俺たちは、降雨の間、館内のベンチに座って時間をやり過ごしたが、まさに、降雨で水を差された感じになって、会話もろくにしないで自販機で買ったジュースを飲みながら座っていた。そして、そのうちに、桃子がうつらうつらし始めてしまった。


「桃子、桃子、雨やんだけど、どうする?まだ、乗り物に乗るかい?」


「う~ん ももこ、なんか、つかれちゃった」


「礼君は、どう?」


「うん。ぼくも、なんだかつかれちゃったな」


「んなら、そろっと、帰ることにするかね」


 俺たちはベンチから立ち上がって、3人で手を繋いでゲートに向かって歩いた。

 ゲートでは、バイトと思われる高校生風情の女子が俺たちの手首に巻いたバンドをはさみで切ってくれた。そして、「このバンドを本日お持ちいただければ、日帰り温泉が割引になりますので、よろしかったらどうぞ」と付け加えた。


「ええ? おんせん?いく!いく!」と桃子が目の色を変えて大きな声で言った。


「あきおじちゃん、いこー!おんせん!ねえ、れいくん、いきたいよね? ね?」


「うん。あせかいちゃったしね」


「ねえ~あきおじちゃん、いーでしょ~ いこ~よ~」桃子は俺の腕を両手で引っ張りながら言った。


「その日帰り温泉は、ここから近いんですか?」


「はい。車で10分くらいです。園のパンフレットはお持ちですか?はい。その裏面の地図をご覧ください」


「ああ、この“いい湯らよ”って書いてあるところかな?」


「はい。そこです。おひとり様、200円引きになりますのでどうぞご利用ください」と、高校生にしては慣れた感じで案内してくれた。


「よし、じゃあ、行くか~」


「やった~!レイくん、いっしょにおふろはいろ~ね~!」


「うん」


 俺たちは、再び、駐車場の端の歩道を車まで歩いて、高くなった室温を下げるべく窓を全開にしてしばらく経ってから車に乗り込んだ。

 ナビで検索するとすぐにヒットしたので目的地にして車を始動させた。


 車内のラジオは、来るときと同じでいつものFM局にしていたが、「ナンバーフィフティーン」と外国人のアナウンスのあとに曲が掛かったので、1週間の集計に基づいた曲のカウントダウン番組だな、って思った。日曜日のこの時間にラジオを聞くことはめったになかったが、これとは別の平日の毎夕4時間の番組を担当している男性パーソナリティが、この日曜日の番組も担当していることをなんとなく思い出していた。


「お送りしました曲は、今週の第15位にランクインした、パラダイスガーデンのイッツ・ア・ジョークでした。FMポートサイドカウントダウン、では、今週の第14位の発表です」


「あ、おかあさんだ」と、礼君が言った。


「え?」


 俺は、思わず声が出た。


「きょう、おかあさんのだいだ、このばんぐみなの」


「えええ?タカマリさん、ラジオのひとなの~?」


「うん、そうだよ。ほんとは、あさのばんぐみをやってるんだけど、きょうは、オミさんがかぜでおやすみで、おかあさんがだいだなの」


「な、なあ、礼君、おかあさん、もしかして、コンドウマリコって名前で出てる?」


「うん。おとうさんとけっこんしてからね。ずっとそのなまえなの」


 赤信号の交差点で我に返って車を停止線をちょっと過ぎたところで停めた。


「急ブレーキ踏んでごめんね。大丈夫?」


「うん、だいじょうぶだけど~ おじちゃん、しっかり、まえみてうんてんして!」


「ごめんごめん。悪かったよ。ちゃんと前見て運転するね」



(なんてこった… あのタカマリが、コンドウマリコ…)


(俺が朝、ずっと聞いてきたあの番組の女パーソナリティ…)


(コンドウは、旦那の近藤義人の苗字か…)



ビッ!


 後ろで催促のクラクションがして、目の前の信号が青に変わったことを知った俺は再び車を始動させた。


 なんてことだ…毎朝、ずっと聞いていたのに、タカマリの実際の声と一致させることはできなかった。そればかりか、そんなタカマリの番組に、匿名とはいえ、俺は自分の性癖の相談までしているんだ…

 そして、思い出した。さっき、礼君が弾いていた曲は、俺が仕事を休んでお袋を病院に連れていく前に聴いた曲…たしか、タカマリが選曲した「夜想曲ノクターン」だ。


 茫然としながらも、ナビに導かれて目的地の日帰り温泉に到着することができた。

 駐車場は、日曜日ということか、概ね車で埋まっていたが、空いているスペースを桃子が見つけてくれてそこに車を入れた。

 いつもなら、遊び帰りの車の中で桃子はすぐに眠りにつくのだが、よほど、温泉が楽しみなんだろう、意気揚々と礼君と繋いだ手を前後に振りながら建物まで歩いた。


 受付カウンターでグリーンピアワールドのバンドを提示して割引料金を払ってからタオルの入ったバッグを3つもらい、“男湯”と白い文字で書かれた紺色の暖簾をくぐった。


 桃子とは何度か日帰り温泉で一緒に入っているが、この子も男湯で一緒、というのは、年齢的にはもうそろそろなんだろうと思う。しかし、当の本人は、俺と一緒だろうが、今回みたいに礼君と一緒だろうがお構いなしという感じだ。ぱっぱと服を脱いでからロッカーに押し込んで準備万端って感じだった。


「礼君、脱いだ服は、ここに入れなね」俺は、礼君の手を取ってロッカーに導いた。


「桃子、小っちゃいタオル持った?」


「あ、」と言って、桃子は自分のロッカーの扉を開けて、バッグからオレンジ色のタオルを取り出した。


「じゃあ、鍵をしめて、と。じゃあ、桃子、これを手首に巻いて」と鍵のバンドを桃子の手首に巻いた。


「礼君の手首にもつけるからね。あの、お風呂場の床はヌルヌルして滑りやすいから、走っちゃだめだよ。3人で手を繋いでいこう」


 俺は、礼君のタオルも一緒に持ってお風呂場に入るための二つの扉を開けた。


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