第08話 地元を離れるために

「ねえ、兄ちゃん、桃子をお祭りに連れて行ってあげてくんない?」


 お袋の昼飯を作り終えた妹のよし乃が俺に言ってきた。


「なんで、俺が連れて行かなきゃなんない?お前が連れて行けよ」

 

 俺は、新聞の折り込みチラシから目を離さずにそう返した。


「じゃあ、兄ちゃんがお母さんのお風呂の面倒見てくれる?私がここに夕方まで居れるのは今日だけだし、桃子、金魚すくいしたいって言ってるし、兄ちゃん連れて行ってくれると助かるんだ~」

 

 大げさな音を立てながら水の入ったコップやら、スプーンやらを食卓に並べながらよし乃はそう言った。

 

「ねえ、桃子、おかあさんはおばあちゃんのお世話しなきゃないから、おじちゃんとお祭り行く?」


「うん!いく!おまつりいきた~い!ねえ、いつ?いま?わたし、きんぎょすくいしたい!ねえ、いいでしょ?あきおじちゃん!ねえ、だめ~?」


 こう矢継ぎ早に言うと俺が断れないことを5歳の姪っ子はすでに知っている。


「わかったよ、桃子。このチャーハン食べたら一緒に行こうね」


「やった~!ねえ、きんぎょすくいしていい?」


「ああ、いいよ」


「ねえ、おかあさん、きんぎょすくいしていいって!ひかるちゃんさ、3びきすくって、すいそうでかってるんだって!ねえ、ももこもきんぎょさんかっていい?ねえ、だめ~?」


「金魚すくいの金魚さんって、弱いからすぐに死んじゃうよ」


「いや、俺も小さい頃に金魚すくいの金魚飼ってたことあるけど、何年も死ななかったぞ。大きさはこんなぐらいになったかな」俺は人差し指と親指で大きさを表した。


「え~!?おじちゃんもかったことあんの~?」


「ああ、空気の泡が出るブクブクのやつと、砂利を敷いて、金魚の餌をあげればいいんだ」


「そうなの~?ねえ、おかあさん、ももこ、ちゃんとそだてるからすいそうもかっていい?ねえ、だめ~?」


「んもう、兄ちゃんも余計なこと言って~。この子、熱しやすく冷めやすいんだからさ。桃子、お母さんに頼らないで自分でちゃんとお世話するって約束できる?」


「やくそくするする!ももこ、ちゃんとまいにち、エサあげるよ~」


「ねえ、桃ちゃん、水槽のお水も2週間に1回くらい換えてあげなきゃなんだけど、できる?」


「う~ん…どうやってかえればいいの?」


「うん、水槽の水をコップとかポンプで半分くらいすくって、薬をほんの少し入れた新しい水を入れてあげるんだ。お母さんに手伝ってもらえばいい」


「わかった~!ねえ、おかあさん、おみずかえるのてつだってくれる~?」


「桃子がちゃんと金魚さんのお世話する約束守ったらね~」


「ももこ、ぜぇぇぇぇぇぇぇったい、やくそくまもる~!」


「じゃあ、このチャーハン食べて、おばあちゃんにお祭行って来ますって言ってからよ」


「は~い!じゃあ、いっただきまあす!」


 

 地元の祭りに出掛けるのは、20何年振りになると思う。

 俺は、中学卒業後、地元の街から30km位離れたところの中小都市にある高校に進学した。その高校は、県内唯一の造園科がある農業高校で、もちろん、出身中学から進学したのは俺一人だった。

「父の働く姿を見て、この学校で学ぶことを決意しました」なんて推薦試験の面接で言ったが、本当のところは、“地元の街を離れたかったから”であり、地元を離れて過ごすにはうってつけの高校だと思った。


 当時、造園科の高校に進学したい旨を両親に告げると、意外にも、親父が苦言を呈した。

 父親と同じ仕事をし、ゆくゆくは父親の後を継ぐことを想像して満面の笑みを浮かべているお袋の横で「お前は、自分でこの仕事に向いていると思うのか?」と親父は静かに言った。


「お父さん、何言ってるの!明夫が自分で…」


「お前は黙ってろ。俺は、明夫に聞いてんだ」


「俺は、向いてるかどうかはよくわからない。でも、庭師の仕事に興味があるし、やってみってんだ」


「お前は、俺のこの仕事が嫌だったんじゃねかったんか?家族を遊びに連れて行く暇がない上に、収入はそんなに多いとは言えない仕事なんぞ」


「わかってる。でも、お父さんは、俺らが小さい頃から自分で経営していたから忙しかったろうけど、造園会社に勤めていれば基本的には日曜日が休みだし、給料は庭師の腕次第なんだろ?」


「お前が考えているよりも、楽な仕事じゃないぞ」


「お父さん、楽な仕事なんて、きっとないよ」

 

 造園科に進学することよりも、地元から30km離れた高校に鉄道で通うことが第一の目的だった俺だから、自分でも考えていないような言葉が次々に口から飛び出していた。


「うむ… そこまで言うのなら、あとは自分で決めろ。ただし、途中で嫌になっても高校だけは中退なんてしないで卒業するんだぞ」


 寡黙な親父が俺と会話をした最長時間がこのときだった。



 地元の駅を7時3分に発車する上りの汽車に毎朝乗って、帰りは、19時45分に駅に着く汽車に乗った。通学で汽車を利用する同学年の生徒たちは、ほとんどが下りの汽車を使っていたし、時間的にはもう1本遅い汽車だったため、地元から通いながらも、他の生徒たちと駅付近で顔を合わせることがほとんどないまま高校3年間を過ごした。


 高校卒業後、すぐに現在の造園会社に就職して、今年で23年目になる。

 親父は、俺が22歳の時に倒れ、25歳のときに何も語らないまま逝った。

 親父の死後、これからが自分の生きたいように生きられる、はずだったお袋がボケ始め、若年性認知症の診断が出たのが俺が31歳のときだった。

 妹のよし乃は、地元の街から車で40分くらいのところにある中小都市の家に嫁ぎ、一女をもうけ、俺は、伴侶を得ることなくお袋の面倒を見ながらこれまで生きてきた。

 俺は、42歳になっていた。

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