第4話 激突! 日米空母部隊
「ハワイに続いてダーウィンの基地機能も無力化されれば、我々のウォー・プランそのものがすべて書き直しになる。ここで敗北することは絶対に許されない」
ブリスベンの太平洋方面連合軍最高司令部から入った督戦の電報に、しかし、受け取った第17任務部隊指揮官、フランク・ジャック・フレッチャー少将は顔を憤怒に真っ赤にした。
「何故、ダグからこんな電報を受け取らなければならないんだ!」
ダグ、とはダグラス・マッカーサー大将のことだ。開戦前はフィリピンの軍事顧問をしていたが、開戦後はフィリピン防衛の指揮を執るも日本の圧倒的侵攻速度の前にコレヒドール要塞にまで追い詰められ、大統領令で脱出してオーストラリアに移り、ブリスベンから指揮を採っている。
別に陸海軍の仲が悪いのは日本の専売特許ではない。アメリカ合衆国でもその傾向はある。軍人の叛乱によって独立したアメリカ合衆国は、その大統領は高級軍人出身であることが慣習になっていた。そしてその椅子を誰が占めるのかで、軍内部に軋轢が生じることがままあった。
現に、マッカーサーは大統領の椅子を巡って、欧州方面の米軍指揮官に任命されたドワイト・デビッド・アイゼンハワーと争っていた。そして、そのために太平洋方面での戦争指揮のイニシアチブを握ろうとしていた。
現在、アメリカの対日反攻作戦は2ルートが計画されている。1つはハワイより中部太平洋をまっすぐ西進し日本を目指すと言うもの。もう1つは、ニューギニアからフィリピンを北上し日本に至るというものだ。
前者は太平洋艦隊司令長官のチェスター・ウィリアム・ニミッツが、そして後者はマッカーサーが、それぞれ主張するプランである。
だがニミッツの案、すなわち海軍案は、ハワイが基地機能を失っている状況で現実的なのかと疑問視する声が絶えない。
一方、マッサーカーの案、すなわち陸軍案も、現状では日本軍の侵攻スピードに翻弄されているのが実情だ。
もっとも、マッカーサーの懸念は単にそれだけのことではなかった。
対日戦プランのうち、攻勢出発点となるのが、ハワイ、北部オーストラリア、インドとなる。
だがハワイは破壊され、イギリスが管轄すべきインド洋は、日本のセイロン島攻撃とそれに伴う海戦で被害を出した英海軍は、本国と地中海を優先して、西部のマダガスカルまで後退してしまった。
これでポートモレスビーが陥落するようなことになれば、現状の攻勢出発点はすべて失う事になってしまう。
また、オーストラリア本土侵攻を恐れているオーストラリア政府が、ブリスベン以北の防衛を放棄する可能性もある。
とは言え……
「そんなことは、わざわざダグに言われるまでもない!」
と、言うわけである。
「ブカを制圧したということは、やつら、正面から堂々と南下してくるということだな」
フレッチャーは参謀たちと海図を囲み、ミーティングを行う。
「ブカを攻撃して出方を見ると言うのはどうだろうか?」
フレッチャーは提案する。
「危険です。
参謀の1人、チャールズ・サンドマック少佐はそう答える。
「東側からの攻撃であればベティの攻撃範囲から抜けますが、その場合、日本の機動部隊の発見に失敗する可能性があります」
「敢えて行うべきではないな」
フレッチャーは、サンドマック参謀の意見を汲み上げた。
「と、なれば、待つしかないということか」
フレッチャーは判断した。
そして、ルイジアード諸島の東方に艦隊を進出させ、そこから北東に進みつつ、北へ向かって重点的に索敵機を飛ばした。
他に極端なことを考えない限り、ポートモレスビーへ向かうにはこの近海を通過せざるを得ないからだ。
5月4日。
MO機動部隊は『祥鳳』を加えた第五航空戦隊に、第七駆逐隊、第二七駆逐隊の護衛を伴って、フェニ諸島東岸沖を通過し南下を開始している。
本来の計画であればソロモン諸島を大きく東に迂回する進撃路が組まれていたが、ソロモンには本格進出しない、となった以上、その必要性はなくなり、あくまでポートモレスビーに至る進撃路の露払い役となる形で進軍する。
それでも、ブカには川西 九七式飛行艇が展開し、愛知 零式水上偵察機、三菱 零式水上観測機などと共に、東方にも索敵線を伸ばした。
だが、猛将・角田覚治は、敵はこちらの進路の先で待ち構えていると確信していた。
「南方から南東方向にかけて、特に重点を入れて索敵線を張れ」
こうして互いに交錯するように、索敵機を飛ばした。
愛知 A8V2-Da 九九式艦上爆撃機。
日本がまだアメリカと取引があった頃、陸攻の長距離援護機として購入したセバスキー2PA複座戦闘機を元に、参考輸入したダグラスBD急降下爆撃機の機構を取り入れて再設計した急降下爆撃機だった。
もっとも、シルエットこそ元のセバスキー2PAに似ているが、ヤード・ポンド法で設計されたセバスキー2PAに対して、メートル法で再設計したために、実際の寸法などはだいぶ異なっている。
砲弾型の半引込脚を持つ全金属製単葉機で、発動機は中島『栄』一二型。水平最高速度は公称435km/h、航続距離は正規で1240km。乗員2名。武装は7.7mm機銃を、機首に2丁、後部に1丁。爆弾は500kg 1発、乃至は250kg 2発または1発。
従来、日本では空母からの偵察には三座の艦上攻撃機が運用されて来た。しかし、最高速度が400km/hに満たない九七式艦上攻撃機での偵察は、相手が空母であった場合、そのまま死を意味することになる。しかし、この九九艦爆ならば速度もそこそこ出て、加えて元々戦闘機なのである程度身も軽い、ということで、ハワイ作戦以降は九九艦爆が索敵に多用されるようになった。
偵察機としての使用時は、爆弾に代えて落下増槽を装備する。
この落下増槽も、物資消費抑制の為、零戦が就役した頃から、金属製から、木製に錫を塗っただけのシロモノに変わっていた。まだ楕円形を維持しているだけ、マシだと思うべきなのかもしれないが。
角田は、翔鶴、瑞鶴から、各々12機ずつの索敵機を発艦させた。
第五航空戦隊は、ポートダーウィン作戦から帰投し、ポートモレスビー攻略に向かう最中に立ち寄ったトラックで、損耗した航空隊の補充を受けた。
空母航空隊は、ハワイ作戦の訓練中に編成方式が変わり、所属する航空戦隊ごとに飛行長・副飛行長を置いて、管理する編成法になっていた。以前は搭載機も母艦固有の装備とみなされていたが、これにより柔軟な編成が出来るように改組したのである。
トラックでの補充後は、『翔鶴』『瑞鶴』とも、艦戦27機、艦爆27機、艦攻18機の編成となっていた。
結果から言えば、この日の両者の索敵はどちらも空振りに終わった。日本側は南方向に、米側は北東方向に索敵の重点を割きすぎたためである。
日本側はもとより米側でもこのときはまだ機上捜索レーダーの装備は充分ではなく、有視界に頼る索敵法に頼っていた時期だった。
「決戦は明日以降に持ち越しか」
あくまで米空母の撃滅を目的とする角田中将に対し、
「ポートモレスビー攻撃を実施すべきでは?」
と、航空参謀の三重野武中佐が提案した。
通信参謀の大谷藤之助中佐もそれに賛同する。
実際、第四艦隊司令部からも「付近に敵空母部隊なければポートモレスビーを攻撃されたし」の指示が入っていたのである。
「ポートモレスビーを叩けば敵も出てくるか?」
「可能性はあります」
「よろしい、では、翌日一一〇〇まで再度索敵を実施し、米空母の姿なき場合はポートモレスビーに攻撃に向かうものとする」
三重野の言葉に、角田は納得したようにそう下令した。
日本とニューギニアの時差は1時間。つまり、午前中いっぱい捜索をして、見つからなければポートモレスビー攻撃を実施する、ということである。
角田がモレスビー攻撃に合意したことで、大谷の方はホッと胸をなでおろした。角田が米空母部隊に固執した場合、どのような報告を第四艦隊司令部にすることになるか気がかりだったからである。
しかしこの角田の判断が、海戦の流れを決定づけた。
日没が迫ると共に、MO機動部隊は北西へ、TF17は南東へ、一度退避した。
第四艦隊司令部は、MO機動部隊の航空索敵能力強化のため、MO攻略部隊の第六戦隊の重巡4隻のうち、加古、青葉をMO機動部隊に合流させることとした。
5月5日。
MO機動部隊は黎明と共に、再び索敵線を展開し始めた。2隻の空母からまず艦爆6機ずつ、重巡から水偵1機ずつが射出された。1時間置いて、同数を発進させる。同時に、ブカの九七式飛行艇や水偵も偵察行動を開始した。
事態が動いたのは10時47分。
九七式飛行艇の1機が、「敵艦隊あり、空母1、戦艦1、重巡1、駆逐艦5」と打電しているのを、翔鶴でも受信したのである。
「付近の索敵機を接触に向かわせろ、第一次攻撃隊は直ちに発艦!」
角田中将は、直ちにそう下令した。
第一次攻撃隊は翔鶴から零戦12機、艦爆15機、艦攻6機、瑞鶴から零戦12機、艦攻18機、祥鳳から艦爆9機、計72機が用意されていた。
「さあ、いよいよ出番だ」
高山昇少尉は翔鶴の九九艦爆の操縦席で、気合を入れるように言う。
いくつかの小隊の機体が発艦していき、高山機の番になった。
──高橋少佐に恥をかかせる訳にはいかない。
高山は朝鮮族の出身だった。朝鮮名を崔貞根という。改名したのは親が商売をやるためだったが、昇は海軍航空兵募集に応募して海軍航空兵になった。
なんとか士官待遇になりたいと、翔鶴乗組になって早々、高橋赫一少佐に推薦文を書いてもらった。
もちろん、それに値するだけの腕を持っている自身はあった。
周囲から大胆だなと言われたが、その分、真珠湾でもポートダーウィンでも、今の立場にふさわしい働きをしたつもりだ。
特に真珠湾では、五航戦搭載機は地上攻撃を任されていたのだが、高山が2発の二五番爆弾を叩きつけたドックは、備蓄の弾薬に誘爆でもしたのか、大爆発して瓦礫の山になってしまった。これがきっかけで、高橋に一筆したためてもらおうと考えたのだった。
スロットルを開く。ブーストいっぱい。
ふわり、と尾翼がシーソーの原理で浮き上がったのを感じて、ブレーキペダルから足を離す。
高山の九九艦爆も、翔鶴の甲板からするすると飛び上がっていった。
接触機の続報を待ちながらの索敵攻撃に賭けたつもりの角田だったが、どういうわけか、最初の九七式飛行艇は自身が接触を続けている。
九七式飛行艇は初の純国産四発機であり当時の世界水準の上を行く傑作飛行艇だったが、良くも悪くも飛行艇であり、一式大攻に匹敵するような二式飛行艇ほど突出した性能というわけでもない。
米軍はすでに対空レーダーを実用化していて、戦闘機の追撃を受けてもおかしくないはずだったが、打電は継続的に入電した。
このとき、彼我の距離はおよそ110海里。攻撃隊の接触まで1時間もかからない計算だった。
だが、そうそういいことばかりが続くはずもない。
「祥鳳より! 電探に感あり! 方位75°」
通信室から一方が入る。
「敵小型機、いまぁーす!」
対空見張りが伝声管越しに怒鳴ってきた。
「こちらも見つかったか……」
角田はそう呟きつつも、不敵に笑っていた。
「攻撃隊発進だ、急げ! でないとジャップの攻撃隊が先にやってくるぞ!」
フレッチャーが檄を飛ばす。
TF17からも、ヨークタウンとワスプから、合計78機の攻撃隊が発艦した。しかし、総数では上回っているものの、元々空母同士の連携が取れてないところへ、日本の攻撃隊が殺到する前に攻撃機を発艦させなければならないという条件から、その行動は五月雨式のものになってしまった。
TF17の攻撃隊の発艦が完了してから10分もすると、日本の攻撃隊の接近をレーダーが知らせてきた。
TF17は残っていたF4F、それにSBDも邀撃機として発艦させた。
日本の攻撃隊も、戦闘機の妨害もあり、理想的な雷爆同時攻撃はできなかった。
日本の攻撃隊がTF17上空に達する頃、それまで接敵を続けていた九七式飛行艇は「ワレ損傷甚大、突入す」と打電した。攻撃隊の眼の前で、雲の切れ間から降りてきた九七式飛行艇が、“エンタープライズ型空母”に突入した。
ヨークタウンの艦上構造物は、たちまち火炎に包まれる。
それを合図にしたかのように、攻撃隊は奮い立ち、2隻の空母に向かう。
F4Fは中高度で待ち受けており、たちまち零戦との乱戦になった。F4Fも決して数が多くなかった。
一方、SBDに雷撃機の邀撃が命じられていたが、九七艦攻の速度が速かったため、接触に失敗してしまう。同じ全金属単葉ながら、アメリカのダグラスTBD『デバステイター』艦上攻撃機は、引込脚であるにもかかわらず、固定脚の九七式二号、改め九七式艦上攻撃機六一型に比べて、50km/h以上も速度が遅かったからだった。
翔鶴の雷撃隊がヨークタウンを、瑞鶴の雷撃隊がワスプを狙った。
と言っても、翔鶴の雷撃機はわずかに6機、操艦も巧みで、全てかわされてしまう。
だが、瑞鶴の雷撃機18機に狙われたワスプは、そう簡単には行かなかった。
こちらも巧みな転舵で逃れ続けるも、ついに1本、被雷してしまう。ワスプの缶室のひとつに浸水が発生した。
一方、艦爆隊はF4Fの妨害にあい、零戦が排除してくれたものの、取り付くのが遅れてしまった。
九七式飛行艇の突入ですでに火災が発生していたヨークタウンが、のたうつように魚雷から逃げ回っている。
その時だった。
「『高山少尉、指揮引継げ』、高橋機からです!」
「えっ!?」
後部の偵察員が読み上げる電文に、高山は驚愕の声を上げた。
視界の中で、先頭を行っていた九九艦爆が急に高度を落としていく。
「高橋少佐ーッ!!」
降下中に真っ黒な煙を吹き出したその九九艦爆は、そのままヨークタウンの右舷に激突した。
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