第5章 ニューギニア攻防戦・序幕

第1話 空母殺し

 航空母艦『瑞穂』は、瑞穂型水上機母艦から昭和16年初頭から祥鳳型に準じる航空母艦に改装したものである。

 祥鳳、瑞鳳ではトラブルの多かったディーゼルエンジンを艦本式ボイラーとタービンに載せ替えたが、瑞穂は祥鳳よりわずかに船体が小さいことから搭載数を確保するため、ディーゼル駆動とはしつつも、問題の多い複動式2ストロークエンジンの艦本式一一号八型から、単動式4ストロークの二二号八型に換装している。

 このためボイラー艦のように煙突はなく、艦橋後部に4本の細い排気筒が出ている。

 速力は23ノット。

 第二航空戦隊再編にあたって、蒼龍にわずかに劣る29ノットを出せる龍驤を二航戦に入れるべきとの声もあったが、他に客船改装空母の、隼鷹、飛鷹も、25ノットしか出せないことから、速力は二の次にされた。

 それよりも重視されたのが、艦橋構造だった。瑞穂は、祥鳳、瑞鳳と同様に蒼龍ベースのアイランド型としたが、龍驤は飛行甲板下に艦橋を設けるフラッシュデッキ構造のままだったので、電波探信儀や通信用の空中線の設置可能高さが低く、不利と判断されたのだ。


 その蒼龍型艦橋に不満を言っている男がいた。

「早く加賀が復帰してくれんかなぁ、蒼龍の艦橋は狭くていけない」

 戦闘艦橋で、二航戦司令の角田覚治中将は、誰にともなくぼやいた。

「小沢さんは翔鶴の艦橋で寛いでるだろうなぁ」

 そう言って、苦笑する。無論、冗談のつもりだ。あの鬼瓦が戦闘艦橋で緊張をほどいているとは思えない。



 昭和17年8月8日、現地時間7時(日本時間〇八〇〇)頃、ほぼ第一航空艦隊で構成されるPS部隊は第一次攻撃隊を発艦させている最中だった。


「いいぞ、連中発艦作業中だ!」

 ガトー級潜水艦『グロウラー』の艦長、ハワード・ウォルター・ギルモア少佐は、潜望鏡の視界内に、発艦作業をしている翔鶴の姿を捉えていた。

「魚雷戦準備、変針左45°、土手っ腹にお見舞いしてやるぜ」

 グロウラーの艦首を、翔鶴の真横より少し前に向けさせる。

「発射管、1番から4番、注水……」

 ギルモアが下令しようとした、その最中だった。

「本艦の周辺に着水音」

 聴音手がそう言った。

「爆雷か?」

「わかりません」

 聞き返すギルモアに聴音手はそう答えたが、答えは直後にやってきた。

 バン、バン、と、衝撃がグロウラーを揺する。

 都合8回、爆発音がグロウラーを叩く。

「発見されたか、クソ、潜望鏡格納、急速潜航、深度30だ」

 ギルモアはショウカククラスへの魚雷攻撃を断念し、急速潜航を命じる。

「スクリュー音多数 駆逐艦と思われます」

 聴音手が言う。

「もう遅いぜ、ジャップ」

 ギルモアはニヤリと笑って、見えるはずのない上を見た。爆雷の炸裂音が響くが、遠い。

 水圧の関係で、爆雷の爆破力はほぼ上方に向かって作用する。そのため、爆雷の調停深度が潜水艦の位置より浅い場合、ほとんど効果がない。

 が。

 ズズン、とグロウラーの艦体が揺れた。

「どうした!?」

「こちら主機室! 浸水が発生しています! 先程の、先程の爆発音がした辺りからです! バッテリー浸水、ガス発生しています!」

 伝声管越しに、悲鳴のような報告が伝わってくる。

「最初のあれか! 畜生! 急速浮上だ! メインタンクブローしろ!」

「しかし、今そんな事をしたらジャップの艦隊のど真ん中に出ちまいますよ!」

「このままじゃどのみち海の藻屑だ!」

 ギルモアの下令で、グロウラーは必死に浮上しようとする。

 果たして、グロウラーは海面上にその姿を、後ろに傾かせつつも現した。

 だが、それと並行するように、軽巡木曾が航走していた。すでに14サンチ砲が照準を合わせようとしている。

「貴艦に継戦の意志有りや?」

 木曾が、発光信号で問いかけてくる。

「クソッタレ、降伏だよジャップ!」

 ギルモアは、潜水艦が降伏する時のサインである、黒球と黒の三角旗を司令塔に掲げさせた。

「一体、どんなマジックを使いやがったんだ?」

 ギルモアが訝しむものの正体、それが駆逐艦深雪に搭載された試製短二〇糎高角砲だった。

 名前こそ高角砲だが、実際には陸軍の臼砲のように短砲身で、初速も遅い曲射砲である。

 この砲の本来の主目的は、対潜榴弾を撃ち出すことだった。対潜榴弾は子弾に分かれて着水し、調停深度で炸裂する。

 子弾の炸薬量は少なかったが、1発の発射で一斉に取り囲むことができた。

 そして何より、これまで側方に投射するか真下に投下する以外になかった爆雷に対して、この砲は前方に向けて射撃が可能だった。

 すでに身動きするすべを失いつつあるグロウラーに、駆逐艦雷が接近して、生存者を捕虜として収容した。退艦が終わった後、グロウラーに木曾の14サンチ砲が撃ち込まれ、グロウラーはその短い生涯の幕を閉じた。

 ──それも気になるが、問題はソナーの性能だぜ。

 ギルモアは雷に収容されて一息つくと、そう考えた。

「タバコ、吸わせてくれねぇか」

「ライターはダメだぞ」

 ギルモアは英語で言ったが、通じたらしい。日本軍の水兵は、そう言いつつも、ギルモアがラッキー・ストライクを咥えると、日本製のマッチで火を点けてくれた。

 ──誰だ、日本軍のソナーは前大戦レベルのままだとか言いやがった馬鹿野郎は。OSSもHYPOも、給料泥棒してねぇできっちり調査しろ。そうでないと、俺達はまだ運が良かったが……

 ギルモアはそう思いながら、指を使わず咥えたまま、唇の端から紫煙を吐き出した。


 8時頃、パースの航空隊基地から飛び立ってきたと思われる攻撃機が、PS部隊上空に姿を表した。オーストラリア空軍のブリストル『ボーフォート』雷撃機12機と、ロッキード『ハドソン』爆撃機28機。

 しかし、戦闘機の援護はなく、零戦24機の前にボーフォートは11機が撃墜され、1機は魚雷を投棄して逃走。ハドソンは撃墜は6機に留まったが、艦隊に被害は皆無だった。

「ミッドウェイのときと同じだな」

 翔鶴の艦橋に仁王立ちで構えながら、小沢治三郎が言う。

「では、敵の空母が動いている可能性があると?」

 草鹿龍之介が訊ねた。

「そう考えて行動した方が正しいだろう。アメリカの空母の行方がわからないし、イギリスの空母と合流しているとしたら、それなりの規模の機動部隊が出来上がる」

「確かに、そうなると正規空母4隻ですか、侮れませんね」

 小沢の言葉に、草鹿も同意した。

「地上攻撃の反復は第一次攻撃隊が帰ってきてからだ。待機中の機体はこのまま対艦兵装で待機──これしか手がないのが、歯がゆいな」

 小沢の表情が歪む

「小型空母以外の零戦は早めに下ろして、搭乗員を休息させましょう」

 草鹿がそう言った。

 ミッドウェイでは、五月雨式にやってくる敵の攻撃隊にパラパラと零戦を向かわせた結果、1機が何度も着艦・補給・発艦を繰り返し、甲板上での混乱と搭乗員の疲労を招いた。

「そうだな、幸い電探も充実している。それを信じよう」

 小沢は、草鹿の提案に同意した。


 8時20分頃、パースの港湾施設に対して、零戦48機、艦爆54機、艦攻45機、計147機の第一次攻撃隊が襲いかかった。

 液冷の戦闘機と、空冷の戦闘機が邀撃に上がってきた。

 液冷の戦闘機は、カーチス『トマホーク』。アメリカ陸軍のP-40『ウォーホーク』の供与機だった。

 空冷の方は──

 ──グラマンじゃないな。

 対峙した岩本徹三一飛曹は、F4Fでは無いと思った。が、それ以上の判別は不可能だった。

 岩本の機体も、ミッドウェイ戦の後に二二型に乗り換えていた。

 ──動きは悪くない、だが……

 相手が後ろについたと思った瞬間、フットバーを蹴飛ばして一気に旋回する。

「遅い!」

 岩本は自分のバックをとった機体、ではなくその僚機と思われる機体をOPLに捉え、発射釦を押し込む。

 次の瞬間、アイスキャンデーとも呼ばれる曳光弾の火線がその機体に吸い込まれ。煙を吹きながら失速していった。


 この空冷機は、コモンウェルスCA-12『ブーメラン』という、オーストラリア国産の戦闘機だった。

 性能は良好とされていたが、特に突出して良いという評価でもなかった。

 ブーメランにとってはこれが日本軍との初交戦だったが、陸軍のダーウィン爆撃の迎撃に使われていた、英連邦の主力戦闘機、スーパーマーリン『スピットファイア』が損耗しつつあったため、間もなくこちらにも投入されることになる。


 零戦が空中戦を繰り広げている下で、九七艦攻、九九艦爆が攻撃を仕掛ける。パースに2つある港湾施設のうち、一航戦はサクセス・ポート港、二航戦はスワン川河口のインナー港に向かって攻撃を仕掛ける。

 九九艦爆は、港のドックや燃料タンクに2発ずつの二五番陸用爆弾を叩きつけていく。九七艦攻は六番焼夷弾を、港湾施設に対して投下した。

 その中で、九七艦攻の一部が、低空からインナー港内に水平にそれを投下した。

 投下されたそれはパラシュートが開き、減速しながら港湾内に着水する。

 それは九三式機雷を即席で航空機雷に改造したもので、着水後パラシュートを切り離し、港湾内で敷設状態になるように仕掛けられていた。


「杞憂だったか……」

 PS部隊は二次に渡る攻撃を実施し、パースの港湾機能を麻痺させたが、その一方で多数の索敵線を形成したにもかかわらず、米軍、英軍の空母は発見できなかった。

 小沢は最後まで敵機動部隊の出現の可能性に気を揉んでいたが、第二次攻撃隊が収容され、引き上げの段階になっても英空母発見の報はなく、ようやく気をほぐした。

 米空母の居場所はすでに解っていた。



「確かに飛行場はあるぜ。かなりの規模だ。だけどここにはゼロも一式大攻ベティ一式中攻ヘレンもいやしねぇ! 一体どうなってやがんだ!」

 エンタープライズ艦爆隊VB-6のウィルマー・ガラハー少佐は、そう言って毒ついた。

 味方は飛行場に爆弾を叩きつけ、管制塔をなぎ倒し、おそらく対空砲があったろう陣地を破壊した。だが、そのすべてが、虚しい行為に思えた。

 日本軍はすでにラバウルにはいなかった。

 いや、いることはいた。この米軍の攻撃を見届けた後、偽装した駆逐艦『河津桜』で離脱する最後の居残り組だ。彼らが発見されて攻撃されることはなく、河津桜は小島を装ってゆっくりと離れていった。

「ジャップのいない飛行場に攻撃を成功」

 ガラハーは、やけくそ気味に、無線でそう報告した。

 そう、もはやニューブリテン島に日本軍はいなかった。

 陸の上には。


「また見つけちまったなぁ」

「なにか変なツキでも背負ってんですかね」

 田辺弥八少佐がそう呟くと、彼の副長はそう言い返した。

「どうする、とりあえずやり過ごすか」

「できれば攻撃したいですがね」

「できればな……潜航、深度30。無音潜行を実施する」

 伊一六八は、米艦隊の輪形陣の駆逐艦が迫っているところへ、再び機関もモーターも停止させた無音潜行で、その駆逐艦をやり過ごす。

「敵さん、見当違いのところに爆雷投射してるみたいですよ」

 聴音手が、表情を歪ませるようにしながら、言う。

「アメさんのソナーは高性能じゃなかったのか」

「たまにはそう言うこともあるでしょう」

 田辺が言うと、副長はそう返した。

「ちょっと覗いてみるか……潜望鏡深度、ただしいつでも潜れるようにしておけよ」

 田辺が言い、伊一六八は浅深度にまで浮上する。

 潜望鏡の先には、大型空母が2隻、いた。

「しめた、敵さん着艦作業中だぞ。魚雷戦準備」

 その時、2隻の米空母は、確かに、ラバウル攻撃から戻ってきた攻撃隊の着艦作業に追われていた。

「発射管、1番から4番、注水」

宜候ヨーソロー

「1番2番、発射、変針右20°変針後に3番4番、発射」

 まず2本の魚雷が、そしてわずかに間を置いて、更に2本の魚雷が発射された。

「ベント開け! 急速潜行、深度60、ツリムそのまま」

 魚雷を発射した以上、こちらの位置は露呈している。あとは尻に帆かけて逃げ出す以外にやることはない。

 案の定、苛烈な爆雷攻撃が始まったが、それは伊一六八のはるか頭上で炸裂していた。


「こんな馬鹿げた作戦があってたまるか」

 ガラハーが、そうぼやきつつ、エンタープライズへの着艦コースを取ったときだった。

 ドッ……ド、ドッ!

 エンタープライズに並走する空母『サラトガ』の、まず艦尾付近に1つ、そしてわずかに遅れて、右舷中程にたてつづけに2つの水柱が立った。

「畜生! 潜水艦だ!」

 味方の駆逐艦が激しく爆雷を投下しているが、もう手遅れというやつだ。

 サラトガは急激に船足を落としている。すでに艦体が全体的に歪んでいるように見えた。さらに、サラトガの格納庫あたりで大爆発が起こった。衝撃でガソリンが漏れ出したか、あるいは給油中の搭載機が転げでもしたのか。たちまちサラトガの上部構造物を火炎が包み込んでいく。

 二度目の大爆発を起こした後、サラトガは艦体全体がくの字に折れ曲がり、一気に海底へと引きずり込まれていく。


 ──「空母殺しの伊一六八」

 敵味方双方からそう呼ばれる伊一六八潜のスコアの一つとなって、サラトガは南の海に没していった。

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