第2話 苦悩するホワイトハウス、苦労するディステニア

「最悪の事態になってしまいましたね……」

 ホワイトハウス、オーバルオフィス。

 いつも飄々としているタイターの表情が、険しいものになっていた。

「日本の潜水艦と対潜能力を過小評価しすぎていました。残念ながらこれは我が海軍の怠慢と取られても仕方のないことでしょう」

 日本に対する潜水艦作戦は、日本が初期から護衛輸送船団を組み始めたことで、徒に損害を出す結果に陥っている。

 特に8月に入ってから、消息を断つ潜水艦が目に見えて増大していた。

「いや……それは日本の対潜装備の刷新の情報を掴みきれなかったOSSの責任でもある」

 執務机に腰掛けたルーズベルトは、タイターを宥めるようにそう言った。

「イギリスの駆逐艦が拿捕されて、ソナーの改修ポイントにヒントを与えてしまったようですね」

 ノックスが言った。

 日本海軍が拿捕した駆逐艦のうち『ヴァンパイア』は三年式八糎高角砲単装2門、三年式一二糎改高角砲1門、一二年式六一糎三連装魚雷発射管特A型1基に、一式三七粍高角機銃4連装2基、九四式爆雷投射機2基を装備して、駆逐艦『河津桜』として再就役していた。三年式一二糎改高角砲は睦月型から取り外した三年式一二糎砲を改造して仰角を取れるようにしたもので、魚雷発射管ともども流用品である。

 河津桜はニューブリテン島からの最後の見送り組を乗せてウエワクへ寄り、そこで偽装を落としてトラックへと戻り、如月が抜けた第二九駆逐隊に合流していた。

 もう1隻の『テネドス』はサイズがあまりに小さいため、訓練用を兼ねた哨戒艇へと改装されている。

 ────閑話休題。

 もっとも、実は犯人はイギリスだけでもなかったのだが……それもまた別の話。

「乗組員を責めることはできない、あの状況で追加の攻撃を受ければ全滅は確実だったろうからな」

 ルーズベルトが、手振りを加えながらそう言った。

「しかし、こう損害が大きいとデメリットばかり目立ちますねぇ」

 タイターが言う。

「太平洋艦隊司令部からも催促が来てますよ。魚雷をなんとかしろだそうです。運良く民間船に魚雷を発射しても、不発ばかりじゃ攻撃自体が自殺行為だってね」

 魚雷発射の際に発生する、発射管からの気泡は隠しようがない。更に魚雷が引く白い航跡も潜水艦の位置を露呈させた。それらは視覚と音響の両面から日本軍の小型駆逐艦DEを呼び寄せた。

 それでも、アメリカの国力を考えるならば──日本の輸送船1隻と潜水艦1隻がトレードなら悪くはないオーダーかもしれない。だが、肝心の魚雷が炸裂せず、こちらの潜水艦が失われるだけなら、完全に負け試合だ。

「中には、日本の魚雷を羨ましがっている声もありますよ」

 Long Lance、もしくは青白いPale殺人者Murder。そう呼ばれる日本の魚雷は、ドラムを鳴らすような騒音を立てる日本の潜水艦の欠点を覆すほどの高性能ぶりを、ミッドウェイで、そしてラバウル沖で見せつけた。

「日本も水中高性能潜水艦の建造に着手しているというのがOSSの報告だったな」

「頭が痛いですね。Uボートだけでお腹いっぱいなんですが」

 改訂マル四計画ではその前に計画されていた従来型の潜水艦はすべてキャンセルされ、潜高大甲型、潜高大乙型、潜高中型という三種類の水中高速型潜水艦が計画・起工されていた。もちろん、どこぞの誰かの企みの一部である。


 ブロック工法を取り入れて工期を短縮すると同時に、騒音源だったギアボックスを廃止、推進機は水中・水上を問わず電動機により直接駆動する方式に変更した。

 潜高大甲型(伊号二五一型、水上1,740t、水中2,620t)、潜高大乙型(伊号二〇一型、水上1,630t、水中2,210t)は、エンジンは艦本式三一号六型ディーゼルを搭載。搭載する魚雷は酸素魚雷である九五式で、発射管4門。

 潜高中型(呂号二〇一型、水上720t、水中1,150t)はエンジンに艦本式二二号八型ディーゼルを搭載、魚雷発射管は五三サンチと四五サンチが2門ずつという鵺的構造になってしまい、搭載する魚雷は九五式と、九七式の2種類となっている。

 改訂マル4計画で潜高大甲型は5隻、潜高大乙型は10隻、潜高中型は10隻が発注され、続いてマル急計画で潜高大甲型10隻、潜高大乙型20隻、潜高中型10隻が追加されている。


「正直──」

 タイターは、盛大に溜息をつきながら言う。

「正直、これで万一エンタープライズを失うことになれば、完全に詰みCheckmateです。太平洋はヒロヒトのバスタブと化し、我が国は────」

 タイターは、今までのような飄々とした姿ではなく、深刻そうな表情で言う。

「無条件降伏を突きつけられ、そしてそれまでにという計算をすることになるでしょう」

「護衛空母で暫くの間凌げないか?」

 ノックスが言う。

「エンタープライズの盾にする程度には。積極的な作戦には使えませんね。一式大攻ベティのカモになるだけです」

 タイターはため息を付き、首を横に振った。

「イギリスから空母を借りたいところなんですがねぇ」

「それは無理だ、現状ではな」

「でしょうなぁ」

 ルーズベルトの答えに、タイターはそう言った。

 アレキサンドリアにドイツ空軍ルフトヴァッへが進出し、スエズ運河は完全にユンカースJu88双発爆撃機の攻撃範囲内に入ってしまった。しかも、ドイツはこの長距離爆撃行につける戦闘機を見出していた。

 その名はドヴォアティーヌDw152。メーカー名で勘付かれた方も多いだろう、原型はフランスが降伏前に開発、運用を開始していたD.520戦闘機だった。当時のドイツの主力戦闘機、メッサーシュミットBf109Eと比較しても遜色はなかったとされている。ただ、過給器が貧弱で高々度性能で劣っていたが、一方で、航続距離は1割ほど長かった。

 ドイツはこのD.520に目をつけ、フランスのヴィシー政権に再生産をした。

 D.520改めDw152となった機体は、エンジンにダイムラー・ベンツDB600のライセンス品を搭載し、モーターカノンを廃し、主翼にMG-FF20mm機銃(エリコンFF20のライセンス品)とモーゼル MG151/15機銃を搭載し、落下式増槽を装備可能として、絶対的な空戦性能ではBf109Fに劣るが、実用的な長距離援護機として北アフリカ戦線や東部戦線に投入されていた。また、この代価によりヴィシー政権はイタリアから資源を輸入することができ、政権運営はそれまでより安定した。

 もちろん、ユンカースJu87やフォッケウルフFw190と言った機体も東部地中海上空に現れるようになり、イギリスの地中海航路は風前の灯になっていた。

 その風前の灯をなんとか消さずに凌いでいるのが、イギリスの大型空母なのである。

 スターリンからは北アフリカでの反攻作戦を要求されていたが、それに投じる戦力がなかった。もっとも、チャーチルが落ち目のスターリンを救済することに消極的なこともあったが。

 ヨーロッパ東部戦線はフルシチョフ政権とスターリン政権の内戦状態と化しつつあり、ドイツの正規軍が徐々に引き抜かれていた。この戦力が北アフリカ方面に投入される可能性は高い。

 しかもフルシチョフ政権が日本に対してソ連船舶の臨検を許諾したため、アメリカの対ソ支援も事実上、ほぼストップしていた。夏の間はアラスカからベーリング海峡上空を通過する航空輸送で細々と行われたが、それもこれからの季節は難しくなる。

 そして、そんな余裕があるのならイギリスに回せ、と要求しているのがチャーチル、という状況だった。


「ううーん」

 タイターが思案する。

「ひとつ案としてはあるんですけど……」

「何かね?」

 ルーズベルトが問いかける。

「エンタープライズ、大西洋に持っていく、ってやつなんですけどね」

「は?」

 この男は何を言っているんだ?

 その場に居合わせた面子が、揃ってそんな顔をする。

「太平洋はこのまま膠着状態にしておいて、エンタープライズは大西洋で対英支援作戦の実施に使うんです。そうすれば喪失の危険も少なくなりますし、戦局挽回のチャンスもある」

「なるほど、それはひとつの考え方としてありだな」

 ルーズベルトが、苦笑しながらそう言った。

「しかし、君のその言い回しは、実現性に問題があるということなんだろう?」

「実現性といいますか、不気味なんですよ。日本軍、まだこっちが積極攻勢に出られないことは解っているはずです。なのに、ニューギニアの南部や東部を放棄している」

「戦力を抽出しているということか」

 ノックスの言葉に、タイターは頷いた。

「これがもし──」

「もし、ハワイ占領作戦に向けた動きだとしたら、エンタープライズの移動は悪手中の悪手です。デッドエンドですよ」

 ルーズベルトの言葉につなげるようにして、タイターはそう言った。

「最後の切り札だけはとっておくしかない、か……」

「はい」

 ノックスがいい、タイターが同意した。

「待ってくれ」

 それまで蚊帳の外に置かれていたような、マーシャル陸軍参謀総長が発言する。

「もしそうだとしたら、OSSがなにか掴んでいても良さそうなものじゃないのか?」

「残念ながら、OSSの情報網も完全じゃない」

 ルーズベルトが言う。

「パールのときも、日本軍の挙動は1週間以上前に掴んでいた。だが、パールがやられるという予測はできなかった。ミッドウェイの時も一杯食わされかけた」

「OSSからの情報がないからと言って、安心できる要素とは言えません。現状がすでに綱渡りなんです、一歩踏み外せば崖下に転落ですよ」

 ルーズベルトの言葉に、タイターが続けた。

「それならば、陸軍としては、まず、大西洋方面でスエズの防衛に、合衆国の戦力を投入することを考えたい」

 マーシャルはいい、デスクの上の世界地図で、紅海を指さした。

「それしかないでしょうね」

 お手上げと言った感じで肩をすくめながら、タイターはそう言う。

「航空戦力を送り込んで、ドイツ空軍に出血を強いる……地道ですが、現状では一番リスクが少ないでしょう。ただ……」

「ただ?」

 聞き返したのはルーズベルトだった。

「いえ、補給線が長くなるな、と。今までも蒋介石や英軍の支援に使ってきたルートではありますが、実際に我が軍が行動するとなると、充分な補給が行き届くかどうか」

「幸い、船腹には余裕がある。沿岸部のUボートを排除しながら進むしかあるまい」

「ですね。反対するわけではありませんので」

 マーシャルの言葉に、タイターはそう返事を返した。

「次いで、太平洋方面だが」

 デスクの上の地図を移動させ、南太平洋付近を指さした。

「ポートモレスビー、ビスマーク諸島をし、反攻の体制を整えたい」

「うーん……それは同意しかねるところがあるんですけどねぇ」

 マーシャルが東部ニューギニアのあたりを指しながら言うと、タイターは不愉快そうな声を出した。

「日本が本気でハワイ占領を考えているとしたら、このあたりに戦力を吸い上げられることは愚策です。逆に、純粋に戦線を縮小したのだとすれば、向こうも準備を整えているところへ飛び込んでいくことになる。どっちにしても悪手のような気がするんですよね」

「タイター」

 諌めるように発言したのはルーズベルトだった。

「君の言うことはわかるが……」

「ええ、解ってます。ポートモレスビー奪還というが必要なんですよね。承知していますとも」

 タイターに、いつもの飄々とした様子が戻ってきていた。

陸軍航空隊USAAFによるエア・カバーは期待できるものとしていいんですよね?」

 タイターは、マーシャルに問いただすように言う。

「もちろんだ」

「それならば、なんとかなるでしょう。ただ、日本の空母部隊が出てくるようであれば、エンタープライズはとっとと逃しますから。それだけは心得ておいてください」



「あー、疲れた……まさか昭和17年の世界でこんな事をすることになるとは思わなかったわ」

「お疲れ様です、命領

 自分の左手で右肩をほぐすディステニアに、畑参謀総長がねぎらうようにしつつも、少し苦笑と言うか、失笑交じりに声をかけた。

「和名を持っている、日本人社会に出入りしていると聞いていたが、もしかして未来の世界ではプロでこの仕事を?」

「いえ、アマチュアよ。それもお誕生日席か壁の緩衝帯がいいところ」

 畑の問いかけに、ディステニアはやれやれとため息をつきながらそう答えた。

「お誕生日席? 緩衝帯?」

 意味のわからない言い回しに、畑は小首をかしげる。

「なんでもないわ。あ、どうでも良くはないかもね。日本のサブカルチャーの進化も早めてしまったかもしれないわ」

「まったく」

 ディステニアの言葉に、畑は再び苦笑する。

 事の発端は、ユンカース Jumo211の国産化にあたって、製造工程のガイドブックや整備マニュアルをどうするかといった問題だった。

 これについて、ディステニアにはタイムトラベル以前から腹案を抱いてやってきた。

 ディステニアの腹案とは、後に日本で萌芽することになる文化を70年先んじて取り込むというものだった。

 が、ある問題があった。

 描き手がいない、のである。

 すでに漫画雑誌そのものはあった。意外にもまだまだ流通していた。本格的に物がなくなり始めるのは、結構末期に差し掛かってからなのである。

 が、この当時といえば劇画かカリチュアライズされた絵柄と相場が決まっていた。この当時すでにプロとして活躍していた、70年後にも通じる著名漫画家と言えば、長谷川町子ぐらいだ。

 70年後の文化の下地を作ることになるあの御大はまだ高校生だし、その弟子である松本晟も藤本弘も安孫子素雄も、まだ10代にもならない少年でしかないのだ。

「ええい、こうなったら私が描く!」

 と、言ってしまったのが運の尽き。ディステニアの書いた「ハ40・月光 組立手順書」「ハ40・月光 整備手順書」は川崎や愛知や三菱の工員、陸軍の整備兵から口コミで広がってしまい、ついには陸海軍の機械類のマニュアルをアレコレ漫画で描く羽目になってしまった。

「まぁでも、これで機械類の、整備の教練の効率が上がるなら、苦労する甲斐はあるわ」

「たしかにね」

 一般に戦後、日本は自動車などが普及していないために軍の兵器の取扱の慣熟が遅れた、とされがちである。

 が、この当時のアメ車ときたら、すでにガソリンとオイルと冷却液が入ってれば動くというシロモノ。それはそれで、アメリカの基礎技術力の高さを象徴するものだが、一方でクルマの免許を持っているからと言って機械に詳しいというわけでもないはずである。

「日本はこういう文化が根付きやすいから、かえって有利になるでしょうね」

 “最終戦争”以前はほとんど使ったことのない、ペンやインク、変形定規と言った“アナログ”の道具を片付けながら、ディステニアは苦笑した。

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