第3話 悪意と報復

「源田教官ッ」

 赤松貞明中尉は、地上に降りるなり、上官である源田実大佐に噛み付いた。

 源田はミッドウェイ戦の後、空母航空隊統監部参謀長として、木村昌福少将の元に付けられていた。

 普段は、自身も元戦闘機パイロットとして、教練隊に指示を飛ばしているが、今日は、厚木に降り立った1機の戦闘機の性能評価を行っていた。

「あの機体の、あの性能のどこに不満があるというのですか!」

 実際に搭乗した赤松は、その源田に食って掛かったのである。

 その機体とは、川崎A7Ks。

 別名、陸軍キ61。

 艦載装備はまだ施されていないが、その分のウェイトはすでに考慮された改修機だ。

 上昇力は、仕様上は零戦に劣る、とされている。が、

 ──零戦よりもっと力強い感じがする。

 赤松の実際に搭乗した感覚はそれだった。

 仕様上の上昇力は、あくまでSL(シーライン・水平高度)からのトータルの時間だ。

 零戦は、確かに高度4000mぐらいまでの上昇力は卓越している。

 だが、キ61のエンジン、ハ40、海軍名『月光』はそこから更に上までグイグイと引っ張ってくれると、赤松は感じ取っていた。

 ──1320馬力か、もっと出ているんじゃないのか?

 燃料の質の恩恵も少しあった。

 ドイツの燃料事情は、石油資源地帯がルーマニアぐらいしかない分、実際には日本より悪い。

 そのため、ドイツの標準航空燃料は、統合前の陸軍と同じオクタン価87だ。

 もちろん、高回転エンジン用により高オクタンの燃料も規定はされている。が、そこは「無い袖は振れぬ」である。

 液化石炭などを混ぜ込んでいるドイツの燃料に比べると、この時期の──厳密には海軍の──日本の航空燃料の方が上等だったのだ。

 余談だが、現代日本の自動車用ガソリンが、JIS規格でレギュラー85価以上、ハイオク95価以上(実際には主要石油元売り各社100価)である。

 ドイツはその改善のために、キャブレターに代えて燃料噴射装置インジェクターを実用化し、余剰の燃料噴射を絞ることでエンジンの高性能化を図った。

 だが、これは燃料の質が良くなればその分、多少の過回転オーバーレブに耐えられることを示す。

 離昇出力は1320馬力で原型のJumo211Fとほぼ同じだったが、高度4500m以上での性能低下が少ないのだ。

 低空では確かに零戦より小回りは効かない。だが、高速でも舵がよく効き、腕のいい搭乗員なら零戦以上に戦えるはずだ。

 そして何より、赤松が惚れ込んだのは急降下速度だ。

 改良された零戦二二型でも急降下制限速度は388ノット、約720km/hに抑えられている。

 だが、キ61は──計器類がまだ陸軍仕様のため──850km/hを越えてもびくともしないのだ。

 陸軍の審査では、まず750km/hが上限の計器を壊し、次に1000km/hまでの計器を取り付けたが、これも壊したと言う。

「あれならグラマンだろうがB-17B公だろうが取り逃がすことはありません!」

 赤松は断言した。

「つまり、貴様はあの機に太鼓判を押すと」

「そのとおりです。今すぐ零戦をすべて中止してでも、キ61に全力を上げるべきです」

「いや、流石にそれは……しかし、貴様の言い分はもっともだ。報告書にまとめてくれるか?」

「それで採用されるなら、お安い御用です」

 実際、複数の海軍搭乗員がキ61に試験搭乗したが、その評価自体は赤松と似たり寄ったりだった。

 低高度での運動性で零戦に劣るも、高速での操舵性に癖なく良好、上昇力は低高度においては零戦に劣るが、高度4500m以上では凌ぐもの。降下性能において類なきを認む。

 しかし、多くの搭乗員は、低高度でどうしても零戦に旋回性能で劣る事と、前方視界に難があることを理由に、採用に消極的な判断を下していた。

 是非採用すべき、との声を上げたのが、ほぼ唯一、赤松だった。

 だが──

「そんな事を言う連中は、自分が再教練してやります」

 赤松はそこまで言い切った。

 海軍の著名な搭乗員の中でも、赤松は昭和3年入隊と、海軍航空隊の実戦搭乗員としては群を抜いた古株なのだ。



 ドバァン……

 どこかで爆発音がした。

「おい、今ので何人死んだ?」

 トニー・エリック・ハーバー少佐は、うんざりしたというような様子で言った。

「さぁ。賭けますか?」

 ディック・テイラー軍曹が、そう答える。

 ポートモレスビー、太平洋方面での反攻の先鋒となる──聞こえだけは良かった。ハーバー少佐も、栄誉ある任務だと思ったものだ。

 すでに日本軍がここにいないことは理解していた。

「ジャップは、臆病風に吹かれて逃げちまったのさ」

 そんな口を叩いていた、数日前の自分に、こう言ってやりたい。「バカか、お前は」。

 実際に上陸してみれば、ブービートラップの山だ。

 港湾街でさえ、危険なのだ。木綿糸に引っかかったと思ったら、次の瞬間、即席のクロスボウからぶっとい木製の矢が、ガラス窓をぶち破って飛んでくる。それすらまだマシな方で、倉庫に入ったら入り口に木綿糸、手榴弾のピンが抜けて一個小隊全滅なんてのもザラだ。

 飛行場の周辺など危険などという言葉で片付けられるレベルではなかった。木槍のついた落とし穴、逆に木槍が降ってくる木、茂みに仕掛けられた木綿糸に引っかかった瞬間、隠蔽された3つほどの即席クロスボウから放たれる木槍の矢、そして大量の地雷。

 この当時の地雷は、対戦車地雷であり、人間程度の重量では起爆しない。だが、対人用に使えないというわけではない。

 例えば日本陸軍九三式地雷用信管の場合、自爆紐がついており、これを引き抜くと爆発する。

 この紐を延長して近くの雑草なんぞに縛り付ければ、即席の対人トラップの出来上がりである。

 飛行場そのものなんぞ初っ端から地雷まみれだった。ダグラスC-47輸送機が2機、スクラップになって、焼けた残骸が放置されている。

 もちろん、飛行場が地雷原になっている可能性は考慮に入っていた。念入りな地雷探査が行われた、はずだった。

 だが、1機目のC-47が到着した時、設置して着陸滑走している最中に、爆発して片足がもげた。そのままスッ転がって、飛行場の端でぐしゃりと潰れ、残っていたガソリンに引火して炎上。ハーバー少佐らに渡るはずだった物資もろとも燃え上がった。

 再度地雷探査を行って、これで安全だ、もう大丈夫、そう思って降り立った2機目も、同じようにして焼けた残骸になった。

 その後、トラップとして仕掛けられていた地雷が発見されたことで、C-47が2機も日本軍の地雷の餌食になった理由が判明した。

「こんなの見つかるかよ、畜生!」

 日本軍の地雷は木製だった。

 地雷は普通、金属製というのが相場だ。だから、地雷探知装置は磁気でその存在を探るようになっている。

 だが、地雷本体が木製なのでは、探知機に反応するはずがなかった。信管の僅かな金属部品を発見することもあったが、それは幸運に過ぎないレベルだった。

 本来、地雷が炸裂する際、本体だった金属片を飛ばすことで破壊力を増すが、木製ではそれはかなわない。が、その代わりとして、炸薬の上に砂利が詰めてあった。

 皮肉にも日本が戦略物資を節減するために作られたマル急地雷は、発見困難な厄介極まりないものに仕上がっていたのだ。

 もちろんトラップはそれだけにとどまらない。飛行場周辺の茂みに木綿糸でピンが抜けるようにした手榴弾。木陰に木綿糸、引っかかれば九三式信管の自爆紐が引かれ、口にそれをねじ込まれた、酒に少量のガソリンを混ぜた一升瓶が爆発してあたり一面火の海。そんなのばっかりだ。

 中でも最悪のものが、軽質油タンクを調査させられたときだった。ポートモレスビーには水上機部隊や二式単戦トージョーが配置されていた。トージョーによる邀撃はB-17Eをして危険な任務とさせ、一時的に中断させられたほどだ。

 上陸部隊が引かされた貧乏くじは、日本軍がガソリンを抜いて持ち帰ったかどうかという調査だ。

 嫌な予感しかしなかったが、命令ではやるしかなかった。それに、どのみち放置しておくわけにも行かない。

 結果は──ガソリンやプロパンガスというものは、容器にそれが目一杯詰まっているよりも、適度に空気と混合しているときがもっとも危ない。日本軍がそれを意図したのか、それともたまたまだったのかはわからない。ただ、事実としてあるのは、部下が踏んづけた木綿糸。括り付けられた手榴弾が炸裂してタンクは大爆発、一個中隊が文字通り全滅した。

 事前偵察で日本軍がいなかったことと、オーストラリア政府やイギリス政府に遠慮したこととで、事前の空爆や艦砲射撃を儀式程度にしか実施しなかったツケを、ハーバー少佐らが支払わされている形だった。

 飛行場が木製地雷だらけなために、補給も滞りがちだった。港湾内など、当然のように機雷だらけで、輸送船が横付けできる状況ではなかった。日本軍は、新旧の機雷をヤケクソとばかりに敷設していったらしく、掃海作業は遅々として進まなかった。

 結果として、上陸部隊への補給は滞っていた。ケアンズから魚雷艇PTボートを使った蟻輸送アントワークでしか輸送する手段はなかった。なまじ上陸させた兵員数が多い分、食料にすら事欠く有様だった。重火器の揚陸など、夢のまた夢だった。

 そして、当初の大騒ぎが、ハーバー少佐らの諦観へと変わる頃、それはやってきた。

 ヘレン──日本海軍がType1 Middle class torpedo bomber、陸軍がType100 Heavy bomberと呼ぶシリーズの機体──そのどちらかまでは判別できない──が、一式戦オスカーを伴ってポートモレスビーの空に姿を表した。

 4発機の一式大攻ベティではない理由は簡単に思いついた。要は、ハーバー少佐らに楽はさせてくれないということだ。

 ヘレンは低空から、悠々と精密爆撃をかましていった。



「独航船とは、舐められたものだな」

 10月10日。

 伊号二五一潜水艦は、ニューカレドニア近海でケアンズに向かう航路の輸送船と接触していた。

 潜望鏡からそれを発見した伊二五一艦長、新城佐一中佐は、そう呟いた。

「大西洋ではドイツさんが頑張ってくれてますからねぇ、こっちにまで回す余裕が無いんでしょう」

 彼の副長は、面白くもなさそうな様子でそう言った。

 米豪遮断のために潜水艦を投入する。

 それ自体は至極まっとうなものだと、新城艦長は思っていた。

 評点付与基準も変更されていた。評点付与基準とは、潜水艦の戦果に対してつけられる点数だ。これが功績評価査定、というものに累積されて、当然、艦長以下乗組員の昇進や給与の査定に使われる。

 例えば、戦艦や空母は撃沈で50点、撃破なら20点という感じだ。

 これまで、輸送船の点数は、3,000t以上で5点だった。これは、魚雷艇と同じだ。

 それが変更されたのは開戦直前の話だ。輸送船は3,000t以上撃沈確実で60点、不確実で20点に引き上げられた。戦艦や空母より輸送船の方が、功績値が大きくなったのだ。

 これは、ハワイ作戦によって開戦したことと関係があると、日本の潜水艦乗りたちの間では話題になっていた。日本近海に誘い込んで主戦力を叩く漸減邀撃作戦ではなく、同時多発的に連合国の拠点を叩いて出血を強いる戦略だ。となれば、潜水艦が狙うべき獲物も変わってくる。

 ただ、新城中佐が怪訝に思ったのは、魚雷艇も撃沈確実の場合に限り30点となったことだった。魚雷艇を戦果とした場合、巡洋艦並みの評価が得られるわけである。これについては、釈然としなかった。

 そしてさらに、つい先日の9月1日から、ニューカレドニア付近で輸送船撃沈に成功した場合に限り、追加で5点付与される事になった。理由はニューカレドニアで希少な鉱物が産出されるから、ということらしい。

 新城中佐は、伊二五一の属する潜高大型の系列に、その任務はもったいないと感じていた。水中19ノット。駆逐艦でも対潜探知のためにはこれ以下に抑えなければならない速度だ。


 潜高大型は伊号二〇一潜を始めとする潜高大乙型が基本的な形であり、その構造はと言うと、とにかくバッテリーを積みまくって高出力のモーターを回し、水中で高速を発揮する、そして、魚雷と乗員スペースは後から考えました、というものだった。

 従来の日本の潜水艦は、浮上中はディーゼルエンジンでギアボックスを介して推進していたが、その機構は廃止された。搭載された艦本式三一号八型ディーゼルエンジンはあくまで発電用であり、推進は浮上中もスクリュー直結の電気モーターによる。

 潜高大甲型は、この潜高大乙型の船体を12m延長して、水偵搭載用の耐圧塔を備えた形である。潜水隊司令用ということだ。


 だが、輸送船を攻撃して高評価がもらえるならそれに越したことはない。部下たちの士気や出世にも関わってくる。

 潜望鏡深度に浮上していた伊二五一は、水中充電装置シュノーケルと短波通信用空中線が一体になった折りたたみマストを水上に上げていた。

 潜高大型の居住性は従来型に比べて劣悪とされるが、潜航中に限って言えば逆だ。ディーゼルエンジンは艦内の空気を吸ってシュノーケルから排気する。シュノーケルの吸気塔からは艦内に新鮮な空気が送り込まれるようになっていた。

 そして、空中線アンテナで通信する相手は、上空を飛ぶ搭載機──渡辺E9W2 九六式小型水上機二二型。発動機の出力が一一型の300馬力から480馬力に向上し、主翼下面に60kg爆弾もしくは30kg爆弾2発を、左右それぞれに搭載可能とした小型複葉機だ。

 その複葉機が、輸送船に接近しながら発光信号を打つ。

「日本軍は攻撃の準備中。貴船に交戦の意志ありや?」

 3度ほどそれが繰り返された後、輸送船のマストに白旗が掲げられた。

「今回は魚雷の出番はなかったか」

 輸送船が白旗を掲げたのを見て、新城少佐は呟いた。

「変針右90°、浮上する」

 伊二五一潜が、珊瑚海の海面にその姿をあらわす。

 伊二五一が並走する横で、輸送船の乗員は救命ボートに移乗させられていった。

「なぁ艦長さん」

 新城中佐は、輸送船の船長に話しかけられた。英語だったが、大日本帝国海軍士官たるもの、英語を話せないなど恥である。

「あんたの名前、ネモってんじゃないのか?」

 そう言われて、新城少佐は、火をつけようとしていたタバコを落としかけながら、吹き出してしまった。

「こんな潜水艦、海底2万リーグの世界でしかありえないだろう」

「ハハハッ、残念だがな、我が日本の量産型潜水艦なのだよ。これと同型が来年中にもう10隻、水偵搭載能力を持たないものが20隻完成する予定だ。そいつらが暴れだす前に、アメリカには降伏することをおすすめすると言っておくよ」

 新城中佐は笑いながらそう言って、誉が主流の海軍内にあって少数派の金鵄ゴールデンバットを咥え直し、マッチで火を点けた。

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