第2話 マレー沖海戦

 昭和16年12月10日。

 戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』と、巡洋戦艦『レパルス』を中核とするイギリス王立海軍東洋艦隊・Z部隊は、南シナ海南部、マレー半島東方沖で戦闘状態にあった。

 相手は大日本帝国海軍の艦船ではない。いや、大日本帝国海軍であることは確かなのだが、やってきたのは空からの尖兵だった。

 魚雷型の細い胴体に、双尾翼を持つ「ネール」──九六式陸上攻撃機が、低空と、やや高い位置とに分かれて、英艦隊に迫ってくる。

「中型攻撃機とは思えない動きだ。あれを本当に日本人が操縦しているのか」

 東洋艦隊司令長官、サー・トーマス・フィリップス大将は、低空を巧みに這うように飛ぶ双発機を見て、驚愕混じりに行った。

 爆装した九六陸攻が、各々4発の250kg爆弾を投下してくる。水平爆撃はなかなか命中しなかったが、それでも双発攻撃機からばらまかれた爆弾は大型艦の行動を制限した。

 レパルスはウィリアム・テナント艦長の巧みな操艦によって、接近する日本機を惑わせていた。

 一方、フィリップスの乗るプリンス・オブ・ウェールズは、ジョン・リーチ艦長の矢継ぎ早の命令にもかかわらず、動きが鈍い。

 もともとキングジョージV世級戦艦は巡洋艦並みのフットワークがその武器のひとつだったが、いまのウェールズはそれを生かせていなかった。新兵がやたらに多いうえに、古参兵も舵の効きなど艦の状態をよく把握していないようだった。

 そんなことを知ってか知らずが、日本軍機はウェールズを集中攻撃してきた。

「敵機、左舷から接近します!!」

 見張り員の、悲鳴に近い怒号が響く。

 中型の双発攻撃機は大胆にも雷撃を敢行してきた。イギリスをはじめヨーロッパにも双発の雷撃機はあるが、ブリストル『ボーフォート』やその後継である『ボーファイター』など、双発でも小型の部類に入る機体ばかりだ。

「対空班は何をしている、撃て、銃が溶けてなくなるまで撃て!」

 リーチ艦長が叫んだ。


「敵がいねぇ……」

 飛行第九〇一戦隊の戦闘支隊長、黒江保彦少佐は、愛機である中島キ-43 一式戦闘機『隼』の操縦席で、無線のマイクスイッチを切ったまま呟いた。

 黒江は元々、陸軍航空審査部配下の独立飛行第四七中隊にいた。そこで、中島の試作重戦闘機であるキ-44を実用機とすべく試験と訓練に明け暮れていたが、今年の5月になって、突然九〇一戦隊への移動が発令されたのである。

 飛行第九〇一戦隊は、対米戦不可避の状況が迫りつつある中で、特別な教練の為に設立された部隊だった。その教練の内容とは、洋上飛行を主とする天測航法や計器航法の習得だった。この為、特別に海軍の飛行隊から教官を招いて短期集中教育が課されることになったのだ。そのため他の戦闘機なら戦闘機、爆撃機なら爆撃機と特化しているのが普通の陸軍飛行戦闘隊と異なり、雑多な機種が配属されていた。

 黒江は陸軍の飛行隊で、教官の経験があるということで引き抜かれた。

 実際のところ、回されてきた搭乗員の多くは、むしろ陸軍でもベテランの域に入る者が多く、今更海軍に教えを乞うのか、と、全てではないが不満を表すものも少なくなかった。かくいう黒江も、面白くはなかった。だが、与えられた課題は真摯にこなしてきたつもりだ。

 開戦が迫ると、飛行九〇一戦隊のうち、戦闘機3個中隊で支隊を編成し、海軍の陸攻隊とともにインドシナに展開した。ツドゥムの海軍飛行場に間借りしていた。

 黒江は大尉から少佐に昇進し、この戦闘機支隊を任されることになった。

 海軍の基地に間借りして、居心地の悪い時間が続くかと思ったが、それはすぐに裏切られることになった。シンガポールの英国東洋艦隊が出撃したという知らせに、海軍陸攻隊が慌ただしくなりはじめたからだ。黒江支隊はツドゥムにいた高雄空の分隊とともに出撃した。

 もっとも海軍からの情報では、英国艦隊に空母や陸上からの直掩機はないと伝えられていた。黒江達が陸攻隊とともに出撃したのは、洋上での護衛飛行の慣熟が主な目的だった。

 それでも敵艦隊上空に出れば、と、一縷の期待を持ってみたものの、結局上空に敵機はなかった。

「物見遊山の価値はあったかもしれないな」

 黒江はそう言った。眼下で繰り広げられる戦闘。陸軍軍人でも知らぬ者はいない『長門』、それと同じ位の威容を誇る戦艦が、陸攻隊になすすべなくやられているのだ。

 陸軍とはいえヒコーキ乗りにとって、感慨深い光景である。

 前部の2基の砲塔の、それぞれの大きさが極端に違う方の戦艦、その左後部でついに巨大な水柱が上がった。魚雷が命中したのだ。陸軍の無線機にも搭乗員が歓声を上げるのが聞こえてきた。


「損害を報告しろ!」

 リーチ艦長が怒鳴る。

 すでに速度が急激に落ちていることが、大型艦のウェールズの艦橋にあっても体感できた。

「左舷後部に深刻な損害! 左スクリューシャフト駆動室全壊、浸水量甚大です!!」

 命中した魚雷は直接スクリューを破壊しただけでなく、軸受けから先を失ったスクリューシャフトはウェールズの左舷後部内で暴れた。この為隔壁までもが広範囲にわたって破壊され、ウェールズに大量の浸水をもたらしていた。

「右舷に注水、傾斜復元急げ!」

 リーチ艦長はそう命令した。

 だが、ウェールズに生じた傷はすでに致命傷一歩手前の状態だった。

 浸水はドライブシャフトを伝わって、ウェールズの2つのうちの1つのタービン室に浸水、さらに隣接するボイラー室、機関化指揮所にも浸水し、補助発電機も水没した。

 プリンス・オブ・ウェールズは半身不随の身になってしまった。


 大損害を受けたウェールズを余所に、レパルスは巧みな操艦によって、未だ1本の魚雷の命中も許していなかった。

 だが、そこへ、九〇一戦隊とともに出撃した、高雄空の中攻隊25機が雷撃体制に入った。

 中島G4N1 一式陸上攻撃機六六型。

 三菱G4Mが4発機であるのに対して、こちらは双発機である。この為「一式大攻」と呼ばれる三菱機に対して、こちらは「一式中攻」と通称された。

 牧野繁継少佐率いる一式中攻25機は、対空火器の隙を縫って、のたうち回る2隻の巨艦に肉薄した。

 この時、プリンス・オブ・ウェールズは電源が落ちたため、舷側の5.25インチ両用砲の一部が射撃不可能になっていた。

 加えてポムポム砲の通称で知られるヴィッカース QF 2ポンド対空機関砲は、度々ジャム(装弾不良)を起こして充分な対空弾幕を作り出せなかった。

 残るはレパルスの4インチ高角砲4門と、2隻合わせて11丁の20mm機銃のみだった。

 ウェーク島では如月の3門の12.7サンチ高角砲が3機のB-18を撃墜していたが、日本軍の中攻隊は怯むことなく雷撃高度で突入した。

 牧野はもっと激しい対空火器を想定していたため、あまりのその薄さに拍子抜けしていた。が、ふっと頭の裏をあることが掠めた。

 ヴィッカース2ポンドQF対空機関砲、日本海軍も英国海軍の触れ込み振りにライセンスを取得して装備しようとしたものの、初速も発射速度も全く足りない上にしょっちゅう故障するのであえなくお蔵入りとなったのだ。その為、陸軍がドイツの3.7cm Flak18をベースに開発していた試作37mm機関砲を共同採用するハメになった。

 だが、あくまでその記憶が掠めただけ。敵も可哀想だとか、そんな感慨が湧く前に、意識は目の前の敵に向かって魚雷を撃つことへと集中する。

 一式中攻隊は3個中隊に分かれ、1個中隊がウェールズを狙い、2個中隊がレパルスを挟撃した。レパルス必死の対空砲火は複数の一式中攻に損傷を与えたが、飛行不能には追い込めなかった。

「おおっ」

 空中からその様子を見ていた黒江は、思わず声を上げていた。

 それまで九六陸攻の雷撃を巧みにかわしていた両戦艦が、一度に無数の水柱に包まれたのである。

 左舷に2本、右舷に2本、そして後部にも1本の魚雷を受けたレパルスは、旧式な上に元々防御の薄い巡洋戦艦であり、たちまち大量の浸水で急激に左に傾いた。機関室が全滅し、手の施しようがなかった。

 テナント艦長は総員退官を指示した。護衛の駆逐艦『エレクトラ』『ヴァンパイア』が救助のために接近していく。

 高雄空の一式中攻は魚雷を使い果たして帰投に就いた。

 だが──

「上空待機、敵飛行機に警戒せよだと?」

 黒江は、無線機越しに飛び込んできた命令に、思わず聞き返していた。

 航法教導機として、教練時から使われている、“九七式軽爆撃機改”改造の機体が付き添っている。電信での命令はその機を介して、黒江に伝えられた。

 三菱キ-30改 九七式軽爆撃機改は、その名の通り九七式軽爆撃機の改良型として採用された──ことになっているが、実際には、オリジナルのキ-30とは似ても似つかない、全く別の機体だった。

「燃料がもつうちなら、構わないが、際限がないのは困るぞ」

 航法教導機に問合せさせると、プリンス・オブ・ウェールズにトドメを刺すため、美幌空の九六陸攻が間もなく到着するという。

 黒江は燃料計を確認した。戦闘機動を行っていないし、まだ増槽を下げたままなので、充分余裕はあった。


 プリンス・オブ・ウェールズに、沈みゆく僚艦を振り返る余裕はない。

 日本軍の航空攻撃は一段落したのか、ネールと新型攻撃機の姿はなく、上空をオスカー──一式戦闘機が飛び回っているだけになったが、ウェールズの艦内ではそのあいだも激闘が続けられていた。

「被害状況知らせ」

 リーチ艦長が言うと、絶望的な報告が次々と上がってきた。

「右舷の艦首、艦橋付近、第3砲塔付近、艦尾付近に被雷。それぞれ浸水あり、応急班が対応しています」

「右舷外側スクリューシャフト損傷、稼働不可能です」

「推進器の損傷と艦首の損傷により、発揮できる速力は8ノットが限界です!」

 もはや「何とか浮いている」、プリンス・オブ・ウェールズはそういう状態だった。

 皮肉なものだ、とリーチ艦長は思った。半年前、ウェールズは本国艦隊の一員としてビスマルク追撃戦に参加していた。ドイツ戦艦『ビスマルク』もまた、英艦隊からの執拗な攻撃により、反撃することも逃げることもかなわぬ姿になりながら、海中に姿を消すまでしばらくの時間がかかった。

 ウェールズをどうすべきか、リーチ艦長はフィリップス提督を振り返った。フィリップスは制帽を深くかぶり、目元を隠していた。小刻みに震えているのが分かった。大英帝国の誇る新鋭戦艦が、日本軍の航空攻撃によっていいようにされていることに屈辱を感じている、リーチ艦長はそう思った。一般的なイギリス人と異なり海軍軍人は、自らの弟子筋である大日本帝国海軍を侮ってはいなかったが、ここまで強烈な航空攻撃によって、一方的にやられてしまうとまでは考えていなかった。

 ウェールズだけは沈めるわけにいかない、そうフィリップスが判断した時、引導を渡す死神がやってきた。

「敵、新手! ネールです、数はおよそ20!」

 見張りが叫ぶ。すでに電気系統に深刻なダメージを負ったウェールズは、自慢のレーダーも使用不能になっていた。

 ところが、である。接近してきたネールの1群は、突然明後日の方向で爆弾を投下した。攻撃を諦めて爆弾を投棄したようにも見えない。ただ、落としたのだ。

「なんだ? ジャッブもよっぱらい始めたのか?」

 それを目撃したウェールズの乗組員は拍子抜けした声を出したが、すぐに緊張は戻った。

 ネールの残ったもう1群が、プリンス・オブ・ウェールズに水平爆撃を敢行してきた。


「!」

 美幌空の第二中隊がウェールズに水平爆撃を敢行しようとしたとき、黒江は雲間に光るそれを見逃さなかった。

「7時の方向、飛行機いるぞ、味方じゃない!」

 無線のマイクのスイッチを入れ、怒鳴るように言う。同時に翼を揺すってバンクさせた。

「増槽投棄、戦闘態勢、行くぞ!」

 旋回で、接近する編隊に対して向かい合う。

「敵はブリュースターだ」

 ブリュースター『バッファロー』戦闘機。本来は米海軍のF2A艦上戦闘機として開発された機体だが、手ごろな価格の全金属・低翼単葉戦闘機としてヨーロッパを中心に各国に輸出されていた。目の前の機体も、現にイギリス軍の国籍マークをつけている。

 すでに増槽は投棄され、光像照準器(OPL)も点灯。スロットルは戦闘出力。

 高度はわずかに敵の方が上だったが、すれ違いざまの射撃は全くタイミングが合っておらず、隼の背後に機銃弾をバラまいただけだった。

「敵はヘボだ、弄する意味もない、全機、背後に食らいつけ!」

 言いながら、黒江は自らも捻り込むような急旋回で、あっという間にバッファローの背後をとった。

 黒江らが乗る一式戦闘機I型乙は、機首に一式一二・七粍固定機関砲、九七式七・七粍固定機関銃を1丁ずつ装備している。

 後に米軍機の防御に苦しめられる隼の低火力だが、今目の前にいるバッファローは輸出仕様で、本国のF4F『ワイルドキャット』などのように防弾装備は充実していなかった。

 黒江が発射釦を押し込む。OPLの照準環からはみ出すほどにまでとらえられたバッファローに向かって、2本の火線が吸い込まれていったかと思うと、バッファローは胴体から煙を吹いて、そのまま機首をもたげて降下──墜落して行った。

「次!」

 もとより隼は36機、駆けつけたバッファローは11機だけだった。黒江が撃墜を確信して次の敵を求めたときには、すでにバッファローは全滅していた。隼の被害はゼロだった。

 黒江が眼下に視線を移すと、そこに、炎が海中に沈んでいくという光景があった。

 ただ1発だったが、命中した五〇番爆弾がプリンス・オブ・ウェールズの心臓を食い破った。缶室は火災と発生する煙とで機関科員は退避を余儀なくされ、ウェールズはすべての力を失った。そして激しい火焔を吹きだしながら、左に傾きつつ艦尾から海の中に没していった。

 黒江は、終ったか、と思ったが、よく見るとまだ、敵がいた。

 陸兵の黒江には詳細までは解らないが、少しサイズに差のある駆逐艦2隻が、海域を旋回している。

「全機、残弾と燃料に不安のある者はいるか?」

 黒江の無線越しの問いかけに対し、全機が不安はないと答えた。

「残った駆逐艦に攻撃を加える」

 海軍の戦闘機乗りならば、わざわざそんなことはしなかったろう。だが、目の前で海軍陸攻隊の暴れ振りを見せつけられた黒江達は、せめて自分たちも手土産をと、駆逐艦に向かっていったのだった。


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