第1章 一式大攻空を征く

第1話 ウェーク沖の惨劇

 昭和16年12月11日、払暁。

「おい、こりゃまずいぜ」

 野中五郎“少佐”は、自ら副操縦士席に収まる、三菱G4M1a 一式陸上攻撃機一二型の眼下で、惨劇が繰り広げられているのを見た。

 ウェーク島の上陸部隊に双発の爆撃機が攻撃を加えているのだ。

 昨日、野中たちがウェーク島の戦闘機を爆撃で破壊したが、その生き残りと、地上砲台による反撃に驚いた第四艦隊司令部の要請を受けて、再び出撃してきたのだ。

 だが、すでに状況は悪化していた。駆逐艦の何隻かが消し飛び、上陸舟艇の一部が燃えていた。

 野中はごくりと喉を鳴らすと、決断した。

「おい、第一梯団は爆弾を投棄しちまえ」

「エッ」

 主操縦手の久瀬飛曹長が驚きの声を出した。

「連中の上にのしかかるんでぇ! こいつは幸い、“4発機”にしちゃ身軽だし、20粍だってついてらぁ。米軍のボロ爆を追っ払うぐらい何とかなる」

「し、しかし、それは命令違反では……」

 あまりにも突飛な野中の言葉に、久瀬は反射的に言い返しかけたが、

「てやんでぇ! 味方が絶体絶命だってのに、それを放っておいて何が命令だ!」

 野中は久瀬の言葉を遮り、厳しい顔で声を荒げた。

「おい北川、折原、七瀬、構わねぇからガンガン撃ってやれ」

 野中は機首機銃手、尾部機銃手、そして一式陸攻の“顎”についている下部動力銃座の銃手にそう言った。

「がってんでぇ!」

 そう、野中に合わせるように発言したのは、下部銃塔の折原一等飛曹だった。元々の江戸っ子ではなく、普段は江戸弁ではなく標準語(東京弁)で喋る折原だったが、野中の性格に憧れるところがあるらしく、こういう時には率先して声を上げた。

 と、同時に手元の発射釦を押し込む。九九式四号二〇粍機銃が火を吹き、その火線が吸い込まれていくと、双発爆撃機──ダグラスB-18『ボロ』の主翼上面のジュラルミンが剥離して、エンジンナセルのあたりから煙を吹き始めた。


 ちなみにB-18のペットネーム『ボロ』とは、山刀の一種である。野中の言った意味での“襤褸”ではない……のだが、実態としては既にそうなっていた。

 それでも、戦闘機の援護のない上陸部隊には脅威以外の何物でもなかった。

 もともと、フィリピンに配備される予定の機体だったが、日本軍によるウェーク島攻撃に対する防御手段として、18機を引き抜き、攻撃を受ける直前のハワイから、直ちに配備されたものだった。

 他にも海兵隊のF4F『ワイルドキャット』が展開していた。応急改造で搭載した小型爆弾は駆逐艦を破壊することができ、上陸用舟艇には12.7mm機銃すら脅威だった。

 野中隊の到着前、駆逐艦『如月』は孤軍奮闘していた。

 『如月』は、マル四計画(本来は○囲みの四と書く)で建造されるはずだった乙型駆逐艦が中止された代替手段として、並型駆逐艦の中でも比較的大型の睦月型駆逐艦を防空駆逐艦に改装する計画となり、そのテストベッドとして先に改装を受けた。4基あった主砲を2基撤去、3連装2基の61サンチ魚雷管は、4連装1基に減らし、残った主砲も八九式一二サンチ七高角砲に、特に前部は連装で搭載した。そして減った主砲の基部には、一式三七粍高角機銃が、4連装で取り付けられた。これは元々、陸軍が第一次世界大戦時に入手した3.7cm Flak18を改修し、ベルト給弾式にしたものだったが、何故か海軍でも採用することになった。いや、それまでの大日本帝国陸海軍の仲としては、おかしいのはこればかりではないのだが……

 一方、魚雷発射管を1基減らすことについては、元々睦月型の前部発射管は波が被りやすく不評だったうえ、交換される発射管は白露型の改装で発生した中古品とは言え、改造で第二空気供給装置、すなわち酸素魚雷の運用装備と、次発装填装置が取り付けられたため、むしろ乗組員には好意的に受け止められた。

 ───閑話休題。

 野中隊が到着するまでの間、『如月』は上陸舟艇を庇うかのように奮闘した。37mm機銃で2機のF4Fを海面に激突させ、2機のB-18爆撃機を不時着させていた。

 だが、まだ防空艦改造を受けていなかった、『如月』の僚艦にそんな真似はできない。

2発の500lb爆弾が命中した『睦月』は、その激しい水柱が収まった時には、既に駆逐艦の姿をしていなかった。

 『望月』はもっと悲惨だった。不運にもたった1発が、前部発射管に命中してしまったのである。『望月』は自身の魚雷の誘爆で木端微塵になってしまった。その衝撃波は『如月』にまで伝わってきた。

 『弥生』にも1発が命中していたが、1軸が駆動不能になったもののまだ必死の回避運動を続けていた。

 そこへ野中隊が押しかけてきた。“4発大型攻撃機”である一式陸攻一二型だが、雷撃を目的にしているだけあって、4発機としては身が軽い。米軍の爆撃機は一式陸攻の20ミリや12.7ミリに派手に撃たれて高度を失し、どれも不時着か墜落していった。 その間にも、『弥生』を襲おうとしたF4F 2機が、『如月』の37mm銃を受けハチの巣になって海面に横から叩きつけられた。



「…………ウェーク島における敵の抵抗は終結。捕虜49。我が方の被害は陸戦隊の戦死360名、それに駆逐艦2隻沈没、巡洋艦1、駆逐艦1大破、巡洋艦1、駆逐艦2が小破、大型陸上攻撃機1機が大破です」

 大本営統合作戦本部陸軍主席参謀、辻政信が、手元の報告書を読み上げた。

 大本営統合作戦本部は、陸海軍の作戦を画一的に管理し、意思の疎通を密にする目的で昭和16年6月に設立が制度化された。それは、すでに濃厚となっていた対米戦を意識したものだった。対米戦不可避の判断が下された11月28日に召集され、初代部長には海軍の及川古志郎大将が任命された。陸軍主席参謀は先の通り辻政信大佐、海軍主席参謀は神重徳大佐である。

 設置については、東條英機首相兼陸相が主となって構想した。この時、同意を求められた杉山元参謀総長は頑として反対したが、逆に更迭された。後任に杉山の同期である畑俊六を迎え、東條と畑の連名で提案、法制度化された。

 だが、陸軍の高官の主導で提案された制度に海軍側が強く反発することは予想されたため、当初より初代本部長を海軍から選出する“公然の密約”がなされていた。この同意の通り、及川がその席についたのである。

 そして陸海軍の主席参謀と同列に、商工省から椎名悦三郎主席責任顧問が任命された。陸海軍の工業生産割り当てを適正化し、大蔵省への予算請求の調停をするというのが、彼の役割だった。

 しかし官僚とは言え、職業軍人ではない文官が介入することを極端に嫌う大日本帝国陸海軍の事、陸軍が提案し、本部長は海軍、という手法によって逸らされた不満は一気に彼に集まることになった。現に今も、辻も神も椎名にチラチラと視線を向けては不快そうに口元を歪めていた。

 しかし、当の椎名はそんなこと意にも解さないかのように、飄々とした様子のまま、資料に目を通している。そして、

「素人がこういうのもなんですが、少し被害が大きすぎやしませんか、敵守備隊は200を超えなかったのでしょう」

 と、憚ることなくそう言ったのである。

 神は椎名の言葉にムッと表情を歪め、半ば椅子から立ち上がりかけたが、それを制するように、先に辻が立ち上がった。

「もとより、守備側に対して攻勢側の人的被害の抑制は難しいものがある。今回のような島嶼戦の場合は、特にそのような結果になりやすい。また、事前の偵察では確認されていなかった、敵重爆の存在がさらに被害を拡大した」

 しかし、辻の顔からは、先ほどまでの椎名に対する不快感は消えていた。被害が拡大したのは海軍の落ち度である、と、遠回しに言っているのだ。だが、海軍の人間はそれに反論する言葉がなかった。

「そうですか、まぁ空母の1隻もついてれば結果は違ったんでしょうが」

 椎名が、まるでつぶやくかのように言う。

 すると、いよいよ今度は、がたっ、と椅子の足を鳴らして神が立ち上がった。

「椎名さん、あなたは海軍がハワイに空母6隻を回したのは失敗だったと」

「いえいえ、そうは言ってませんよ」

 そうは言う椎名だったが、その様子はどこかつかみどころがない。

「まぁ、神君、落ち着き給え」

 それまでやり取りを聞いていた及川が、手振りで神を制しながら、言う。

「椎名君はそんなことが言いたいのではなかろう、マル四計画の変更は正しかったという意味だ、そうでしょう?」

 及川は、途中で椎名に視線を移しながらそう言った。

「ええ、まぁ、そうです」

 マル四計画は、昭和14年の海軍の拡充計画である。この計画では、空母は大型空母1隻のみが計画されていた。しかしアメリカの第二次ヴィンソン案計画が成立したことを受け、その中に新型空母が含まれていることから、急遽中型空母を押し込むことになった。

 その数、なんと8隻。続く次期拡充計画にも8隻が取り入れられることも付記されていた。その為、「昭和の八八艦隊」などと揶揄する声も少なくなかった。

 また、駆逐艦の整備計画も全く見直されることになった。当初マル三計画から続く艦隊型駆逐艦を甲型、新たに建造される予定の防空駆逐艦を乙型とする予定だった。だが、予算圧縮のためにこれらの定義は破棄され、代わりに艦隊型駆逐艦として一号型駆逐艦、多目的駆逐艦として二号型駆逐艦に分類されることになった。

 甲型駆逐艦として計画されていた16隻のうち15隻が中止、代わりに一号駆逐艦11隻の予算が執行された。

 改訂マル四計画の一号一型駆逐艦は、初春型の初期型をベースに船体構造を簡略化し、建造費を圧縮した。速度と凌波性、それに当初問題になった復元性を確保するため、船体は延長され、排水量は朝潮型並になった。また主砲は第2砲塔が単装化されたほか、すべての砲は八九式12.7サンチ高角砲とされた。3連装25mm機銃2基、単装25mm機銃2丁を装備したが、このうち単装銃は後に、『如月』が装備しているものと同じ37mm銃に変更される予定だった。雷装は後部の1基を次発装填装置付きの九二式四連装発射管二A型としたが、前部の1基は次発装填装置のない、八九式魚雷発射管を駆逐艦用に改修した上で第二空気供給装置を備えるにとどまった。

 この為、数の減少は4隻だが、実際の建造費は朝潮型駆逐艦に対して約3/5と“お安く”なっていた。

 この一号一型駆逐艦はすでに4隻が就役し、秋雲型駆逐艦と呼ばれている。

 椎名などからすると、合理的な判断だと思うのだが、駆逐艦乗りたちからは“安物駆逐艦”と呼ばれ、不評らしい。唯一絶賛したのは、初代秋雲艦長として抜擢された吉川潔少佐だった。

 一方で乙型駆逐艦6隻はすべて建造中止となり、二号一型駆逐艦はとりあえず試作品として1隻のみが発注された。この駆逐艦では燃費、特に石油燃料節減のため、最低限の武装に、重油の他に石炭を併用する混焼缶を追加して搭載していた。魚雷発射管は3連装1基と2連装1基を搭載していたが、3連装の1基は『如月』からの転用で、もう一方の2連装は1段小さい53サンチ魚雷だった。ただしどちらも第二空気供給装置の取り付けは施工されている。

 そして、その代り、既存艦の防空強化改装に予算と資材を回すことになり、その一環として、睦月型の防空駆逐艦化が計画されたのである。

 この時まだ統合作戦本部は開設されていなかったが、承認直前での海軍の建艦計画の大幅な見直しにより、椎名ら商工省官僚も一時奔走することになった。

 ──しかし……

 椎名は小首をかしげる仕種をしつつ、声にき出さずに呟く。

 ──あの時点で追加建造するなら、戦艦か巡洋艦という話になったはず。なぜ、空母が優先されることになったのか……

 マル四計画だけではない、いよいよ対米戦に備えてのマル急計画でも、空母4隻の予算がゴリ押しされている。だが、マル急計画も立てられたのはハワイ作戦よりも前のものなのだ……



「六水戦が半壊? そんな、ばかな……」

 それを聞かされると、驚いたような女性の声が返ってきた。

「被害を拡大したのは、直前まで確認されていなかった敵重爆だという」

 軍人らしく剃りあげた頭に、ロイド眼鏡、鼻下にひげを生やした、陸軍大将が言う。

「敵重爆? あそこには海兵隊の戦闘機しかいなかったはずよ」

「海軍の事前情報でもそうなっていた。陸軍でもそうした情報は掴んでいなかった。だが、敵重爆は確かにそこにいた」

「…………」

「君を疑っているわけではない。だが、実際の戦場の情報については過信できない」

「そうね、流動的なものだし」

「これまで通り、これからも、協力を頼みたい」

「解ってるわ。お国の為ですもの」



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