第3話 一式大攻開発裏話
3年前──昭和13、6月
「設計者として、できないものはできぬと申しているのです」
海軍省、航空本部。
本部長室に乗り込んできたのは、三菱重工の航空機設計技師である本庄李郎だった。
最初は穏やかに会話していたかのように見えたが、突然、本庄が声を荒げた。
「そこを何とかしていただきたいというのが、私の立場なんだが……」
「どうにもならぬというのが私の立場です」
航空本部長の及川古志郎は、やや控えめに言葉を発したが、本庄は少し声量を落しつつも、毅然とした口調で言い返した。
事の発端は、現用の九六式陸上攻撃機の後継として、一二試中型陸上攻撃機を、海軍が三菱に試作要求提示したことに始まる。
当時、前作である九六式陸上攻撃機が、中国軍の旧式戦闘機を前に大きな損害を出していたことは、設計者である本庄の耳にも届いていた。
一応、一二試陸攻には「防禦装備充実せること」と要求されていた。だが、九六式を遥かに上回る航続距離を同時に要求され、この両立は不可能なものであった。
実際のところ、海軍は防弾装備に関してはあまり熱心ではなかった。と言うのも、この頃海軍は航空機用20mm機銃の採用を検討していたが、20mm機銃の威力の前には、これを完全に防ぐことは不可能と思われていたからだ。
だが、九六式の惨状を知っていた本条は、海軍に対して、
『防備が不充分。小型で航続距離求めれば燃料タンクに被弾しやすいため、四発機にして搭載量、空力性能、兵儀装要求を満たし増えた二発馬力で防弾鋼板と燃料タンクの防弾、消火装置を備える』
という、元々双発の要求に対して、4発案を逆提案したのである。
だが、提案を受けた、横須賀航空技術廠長の和田操技術少将は、
『用兵については軍が決める、三菱は黙って軍の仕様通り作ればいい』
と、ろくに意見を聞きもせずに却下した。
その場では引き下がった本庄だったが────
設計を開始して半年が経とうとした頃、三菱の営業から海軍航本に電話が入り、「三菱は降りる」と伝えられたため、騒ぎが大きくなった。
さらに、どこから聞きつけて来たのか、なぜか陸軍がくちばしを突っ込んできた。空技廠に辻政信大佐が訪れ、説得しようとしたが、結局和田少将と空技廠中に響く口論をしただけで終わってしまった。
「三菱として、そして航空機設計者として責任が持てません。どうしても4発案を認めていただけないのなら、三菱は辞退させていただくと、そう電話で伝えたはずです」
本庄は険しい表情で言う。
「しかし、海軍にも海軍の事情がある」
及川もさすがに軍の沽券に関わると考えたか、表情を引き締めてそう言った。
「死地に追いやるための飛行機と解ってて作らせることに、どのような事情があるというのですか。海軍は、空でも第四艦隊事件を起こすつもりですか!」
「うっ」
本庄の言葉に、及川は一瞬、言葉を詰まらせた。同時に、みるみる顔が真っ赤になっていく。
第四艦隊事件とは、昭和10年に起きた海軍の海難事故である。
演習中の艦隊に台風が接近していたが、すでに海上が時化ていて波が高く、駆逐艦など急に進路を変更すると接触事故の可能性が高いと判断されたことや、台風中の航行の訓練も必要であるとの判断などから、あえて台風の直下を通る予定通りの航路を進んだ。
結果──参加艦底のうち11隻が損傷を受け、深刻なものも多かった。駆逐艦『初雪』『夕霧』は、艦首切断の憂き目にあい、沈没こそしなかったものの、初雪の乗員54名が殉職した。旧型の睦月型駆逐艦は簡素な艦橋が大破した。空母『龍驤』は損傷こそ甚大ではなかったものの、一時、転覆寸前の傾斜状態に陥った。他にも船体に皺や亀裂が発見された艦が多数に上った。
より後年の研究では、中心気圧960ミリバールの強力な台風に向かって航行したことや、荒天中の無理な操艦が主原因とされたが、当時は高重心の設計と船体の強度不足が主因とされた。これは、多くの損傷艦が、海軍軍縮条約下で建造された、排水量に対して重武装を要求した艦だった為である。
「本庄さん、あなたそこまで言うのか!!」
さすがに及川も堪忍袋の緒が切れたか、声を荒げて本庄をにらんだ。
だが、本庄も一歩も下がる気配はない。
及川の執務机の上の電話機がベルの音をたてはじめたが、及川はそれを意に介さずに本庄をにらみ続けた。
「とにかく、三菱は降りさせていただきます。どうしてもこの内容で、と仰るなら中島にでも川西にでも持ち込んでください」
本庄は、その執務机の上に、一二試陸攻の要求仕様書を投げるようにしておいた。
電話機のベルはいつしか止んでいた。
「それでは用件は以上ですので、私は失礼いたします」
本庄がそう言って、踵を返しかけたときだった。
コンコン、と本部長室の扉がノックされた。
「来客中だ、後にせよ」
「そっ、それが!」
従卒の声であろうか、扉越しに素っ頓狂な物言いをしている。
「り、陸軍大将東條英機閣下から、懸案の新型陸上攻撃機について緊急の話があるとのことで、どうしてもつないでくれと!」
「何っ!?」
及川も、そして本庄も驚いた。
「わかった、繋いでくれ」
及川がそう言うと、廊下をバタバタとかけていく音がした。
及川が受話器を上げて、しばらくしてから、交換手によって電話が繋げられた。
「もしもし、及川ですが」
『東條だ。例の新型陸攻の件だが、三菱は何と言ってきている?』
東條は、不躾にもいきなり本題を直球で聞いてきた。
及川は、反射的に送話器と口元を手で覆って軽く身をかがめた。そして、本庄をチラチラと見つつ、言う。
「ちょうど、本庄君が来ているところだ。4発がダメなら三菱は降りると」
『やはり揉めていたか。いや、辻君などを説得に行かせたこちらも失敗だった。それは詫びよう』
電話口の東條は、本当に申し訳なさそうな口調でそう言った。
「それもだが、そもそもなぜ陸軍が海軍の航空機開発に口を挟んでくるんだ。私はまだしも、井上君など、陸軍の横暴だと噴飯しているぞ」
『御国の護りに陸軍も海軍もないだろう』
東條のその言葉を聞いて、及川は彼の正気を本気で疑った。
『長距離陸上攻撃機は海軍漸減作戦の要のひとつだ。それがごたついているとあっては、陸軍も安心して内地の守りを固めていられぬ』
「それはそうかも知れないが……」
権謀術数に長け、時に海軍を蹴落とそうとさえする東條の言葉とは思えなかったが、正論だった。及川は唸るような声を出してしまった。
『なぁ及川君、申し訳ないが、三菱の顔を立ててやってくれないか?』
「しかし……変な前例を作ってしまわないかと……」
『そうとも限るまい。陸軍はそれなりに自由裁量を許しておるが、満足する機体が得られている。本庄君にも、大変に世話になっている。とりあえず、つくらせてみるだけつくらせて、どうしても海軍がこのようなものは使えぬ、と言うのなら、陸軍で採る。それでもだめか?』
「和田君や井上君が何と言うか……」
『貴方が上官だろう。和田君には辻君から詫び状を書かせておくから、何とか説得したまえ』
東條の口調は段々と有無を言わせぬものになっていた。東條の言い分は、海軍が三菱を切るなら陸軍が仕事を回すから、ご自由に、と、遠回しに言っているのである。実際、三菱は陸軍機も多く手掛けているのだ。
すると本庄、というか三菱の強気もそこに原因があるだろう。現在、同時に一二試艦上戦闘機も三菱の堀越二郎のチームが手掛けているが、こちらもかなり厳しい要求をしており、こちらまで引き上げると言われたら、海軍の航空行政はゼロからやり直しである。
「本庄君……」
及川は東條との電話を終えると、それまで室内に、直立の姿勢で残っていた本庄に声をかけた。本庄も及川の方を向く。
「海軍軍人としてみっともないことになってしまったが……やはり三菱に頼むしかない」
「しかし、三菱としては……」
本庄はいささか訝しげな表情をしつつ、及川に言い返しかけたが、及川はそれを遮って、
「仕様を変更し、双発に限定しないこととする。これならばいいのだろう?」
と、言った。
「…………、解りました。お引き受けいたします」
本庄は、そう言ってから、深々と頭を下げた。
「数々の非礼、お詫びいたします。会社の方からも後ほど……」
「いや、いいんだ。こちらこそ、和田君が失礼なことを言った。これからもよろしく頼む」
ともあれこのような経緯で日本初の4発大型陸上機でもある三菱G4M 一式陸上攻撃機一一型は誕生した。
三菱『火星』一二型発動機、1460hp、4基を搭載し、背面と顎部の動力銃塔を含めて6丁のエリコンFFL20こと九九式二〇粍四号機銃、3丁の7.7mm機銃(後に12.7mmに変更)を搭載した。コクピット周囲には防弾版が貼られ、6槽に分けられた主翼内のセミ・インテグラルタンクは2層構造の中に不燃樹脂が充填され、発動機には炭酸ガスによる消火装置も備え付けられた。
ただしその為に、このクラスの4発機としては搭載力は胴体爆弾倉のみで3.5トンと控え気味である。一方、アスペクト比の高い主翼も相まって航続距離は正規状態で1890海里(約3500km)、過荷偵察で3240海里(約6000km)と、当初の海軍の要求を上回った。
開発開始当初のゴダゴダから一転、海軍は完成した一式大攻を「空の戦艦現る!」と自賛した。
しかしその一方で、急遽中島飛行機に双発陸上攻撃機も発注、九六陸攻程度の航続力でよく、その分速度と防禦に割り振った機体として要求された。突然双発陸攻を依頼された中島は、開発途中の陸軍キ49重爆撃機をベースに、主翼を改設計して胴体を延長した機体として開発した。こちらが一式中攻、中島G4N 一式陸上攻撃機六六型となる。
ところが、である。
いざ開戦となるや、「航空機で敵戦艦を撃沈する」という栄光は中島の中攻に与えられた。一方、大攻隊は地上攻撃の任務すらうまく果たせず、ウェーク島作戦は日本側の勝利に終わったものの、大損害を出す結果となってしまった。
「どうなるのかねェ、実際」
囁く声が聞こえる。
「いくらなんでも、大攻で空中戦はないだろう、空中戦は」
そう、大攻隊が陰口をたたかれているのは、命令違反をし、しかも大型機の本文からはおおよそかけ離れた空中戦を演じたことだった。
中攻隊の方は英国戦艦2隻を撃沈するという、海軍陸攻の本分をこれ以上ない形で全うしているので、なおさら大攻隊を批難する声が高くなった。
野中五郎少佐の耳にそれは届いていたが、彼自身はそれを気にしないでいた。だが、我慢できないこともある。
「野中少佐、出頭いたしました」
第二三航空戦隊の司令部に出頭した野中は、江戸弁混じりながらも入り口で敬礼し、申告した。
司令部公室では、指揮官の竹中龍三少将が。険しい表情で野中を出迎えた。まずは返礼をし、野中の手を降ろさせる。
「報告は受けている。大活躍だったそうだな」
竹中が苦笑交じりにそう言ったのを、野中は皮肉の類だと受け取った。
「司令、責任は攻撃隊長の自分にあります。おとがめは甘んじて受けやしょう。しかし、部下は関係ありやせん」
野中の言葉に、竹中は思わず、キョトン、とした表情をしてしまった。
しかし、野中は構わず、険しい表情のままでそのまま続ける。
「自分は出世などしたいとは思っていやしません、ですから詰め腹を切るのはこの野中1人にしてください」
野中の言葉を聞いた竹中は、意地の悪い笑みを浮かべると、
「そうか、なら悲しめ。貴様は本日をもって中佐に昇進だ」
と、海軍省からの辞令を野中に突き出した。
「……昇進!? しょ、処分ではないのですか!?」
さすがの江戸っ子野中も、思わず上ずった声を出してしまう。
すると、竹中は真摯な表情に戻って、言う。
「ウェーク島の事なら、貴様の判断が間違ったとは言えないだろう。第四艦隊司令部からも、大攻隊が敵重爆を追い払ってくれなかったら攻略隊全滅もあり得たと、感謝の一報が入っている」
「そう言うことでしたか……」
野中は、複雑そうな表情をしつつ、納得の言葉を出した。
「それに、空中戦をして1機も落ちなかった」
「相手は双発で、しかも見るからに、4発のこっちより動きの鈍い重爆でありましたから。それに、小型機は我々が到着する前に、『如月』がだいぶ食っとったようです」
派手に機銃弾を撃ち上げている駆逐艦がいたのを、野中を含め、大攻隊の搭乗員は視認していた。野中は、帰投後、それが『如月』だと知ることになった。
「敵さんが本気で戦闘機を差し向けてきても、万全と言えるかはわかりませんが」
「だが、今のところ新型陸攻が頑丈なのは確かだ。マレー沖でも、九六式は少なからず被害が出たが、新型中攻は被弾機がいくつかあるだけだ」
野中に言葉に、竹中はすぐに反論した。
「そのあたりは、自分も三菱に感謝しとります」
野中も、素直にそう言った。中国内陸部を目指した『渡洋爆撃』では、軍の勇ましい喧伝とは裏腹に甚大な被害を出していたため、防禦の充実した機体が配備されたことに喜びを感じていた。
「しかし自分が中佐と言うことは、陸上勤務ですか?」
野中は、少し憮然としたような表情になり、竹中にそう訊ねた。
「いや、貴様にはこれからも大攻分隊の面倒を見てもらう。今のところ、4発大攻の実戦経験があるのは貴様だけだからな。第二三航空戦隊厚木空大攻分隊は野中五郎中佐を隊長とし、トラックに進出。同地にて次の命令を待て」
命令を待て、とはあったが、トラックは連合艦隊の要地であり、同時に前線に近い場所である。すぐにさらに進出命令が出るだろうと、野中は思いつつ、復唱する。
「はっ、第二三航戦大攻分隊はトラックに進出、別命あるまで待機します!」
「内地に帰れるのはしばらく先になるだろう」
野中の予想を裏付けるかのように、竹中が言った。
「何か要望はあるか?」
竹中が聞くと、野中は至極、真面目な表情で、
「特に贅沢はありませんが、できればそろそろ、魚雷が撃ちたいです。部下も雷撃に飢えております」
と、言った。
それを聞いて、竹中は「ハッハッハッ」と笑った。
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