第4話 アラブの嵐

 ──俺はここで何をしているんだ?

 ある米軍兵士が、自問自答していた。

 自分たちはファシストからこのエジプトの地を守るために、はるばるやってきたはずだ。

 だが、今彼らが包囲しているのは──

 カイロ。エジプトの首都だ。


 12月14日。

 エジプトでクーデターが勃発した。

 もともと枢軸よりの軍は王宮を包囲し、連合よりの国王ファールーク1世はわずかな近衛兵、イギリス兵とともに王宮内に立て籠もった。

 軍を後押しするかのように、民衆が周囲に集まり始めた。

「イギリス人はエジプトの地から立ち去れ!」

 誰かが叫んだその言葉が、やがてシュプレヒコールになって辺りに響き始めた。

「イギリス人はエジプトの地から立ち去れ!!」


 そして、クーデター下のカイロを、更に包囲するように、英米軍が展開した。

 エジプト軍はアレキサンドリアのDAKが動くことを期待していた。

 だが、DAKは動かない。

 まだ、アレキサンドリアを維持しながらカイロまで進撃するだけの兵力はDAKに与えられていなかった。

 だが、ドイツ軍は何もしなかったわけではない。

「まったく相手がソヴィエトアカじゃないのが不満だが、まぁいい、いくぞ、急降下だ」

 Bf110Ba-5のコクピットで、ハンス・ウルリッヒ・ルーデル中尉はそう呟いて、操縦桿を倒した。

 照準器の中には、アメリカのM4中戦車の姿が捉えられている。

 急降下爆撃機型であるBa-5の内翼に設けられた、スノコ型のダイブブレーキが開く。空気が振動し、サイレンのような音をたてる。

「スツーカだ!」

 地上で誰かが叫ぶ。その時はすでに遅かった。

 胴体下の2発の500kg爆弾、外翼下の合計4発の50kg爆弾が切り離され、M4中戦車の至近に着弾した。

 その炸裂で、M4中戦車4両が、身動きが取れないほどに破壊され、直協の歩兵部隊は千切れて飛び散った。

 ルーデルほど極端ではないにしても、急降下爆撃機型Bf110による攻撃により、はるばる運ばれてきたM3中戦車、M4中戦車が次々に破壊されていく。

 さらにJu88もやってきて、12発の250kg爆弾を英米軍の頭上に降り注いでいく。


 ドイツ空軍機を迎撃しようと飛んできたP-40の編隊が、Fw190との空中戦で返り討ちにされる。

 Fw190は高翼面荷重の高速機ではあったが、ロール性能がよく、低空でもハリケーンやP-40を圧倒する事ができた。低高度の格闘戦でFw190の優位に立てるのは日本機だけだ。

 カイロ上空でP-40が、Fw190に落とされる度、民衆から歓声が上がる。

「イギリス人はエジプトの地から立ち去れ!」

 シュプレヒコールにも一層、力が入る。

「イギリス人はエジプトの地から立ち去れ!!」


 ドイツ空軍によるカイロ包囲網に対する爆撃は続けられた。英米軍は独伊軍と直接戦わずして消耗を重ねていく結果になった。



 12月21日。

「カイロに続いて、ダマスカス、それにバクダッドにモスルもか」

 中東の地図を執務机に広げつつ、ディステニアは呟くように言う。

 ベイルートの暴動はシリアの首都ダマスカスに飛び火、それに呼応するかのようにイラクの首都バクダッドでも暴動が発生した。イギリス政府関連の施設が放火され、白人の商店が強奪に遭っている。

 モスルではクルド人の自治を求める運動家らが市中心部を占拠している。

「一体どうしてこんな事になっているのか、わかるかね」

「二枚舌外交のツケ」

 東條の問いかけに対し、ディステニアはさらりと答えた。

「大東亜共栄圏、民族自決を唱えたのはあなたでしょう?」

 ディステニアは小悪魔っぽい笑みを浮かべつつ、東絛に逆に聞くように言った。

「ああ、だが中東でなぜ、こんなに突然……」

 東條は言いかけて、ふっと気づいたように言う。

「ドイツの仕込みかね?」

「それもあるでしょうね。ゲッベルスなら考えそうなことだわ」

 ディステニアはそう言いながら、地図で中東の拠点を指さし、考え込んでいる。

「でも最大の理由は、日本がウエワク沖海戦に勝ったから、でしょうね」

「地球の反対側の出来事でか?」

「そう」

 東條の訊き返す言葉に、ディステニアは頷いた。

「この戦争の主役は航空機に移りつつあるけど、戦艦はまだまだ力の象徴だわ。そのアグロサクソンの最新鋭戦艦が、日本の戦艦にほとんど一方的にやられたのよ? 英米は弱っている、そう言う見方が出てくるのは当然だわ」

「しかし、アレキサンドリアを占領しているエジプトはともかく、シリアやイラクまで情報が伝わるかね?」

 東條が不思議そうに言う。

「そのあたりはゲッベルスの仕込みでしょうね」

 ディステニアはそう判断していたが、他にも材料はあった。イラクでは1941年にも軍人のクーデターが起きており、その時ドイツはこれを支援していた。これは失敗に終わったが、その後もバグダッドには親独の下地が残っていたのである。

 そこへ持ってきて、ウエワク沖海戦でのアメリカ大敗である。親独分子によってその事実は広げられ、バグダッドでの暴動に繋がったのだ。

「けど、頭痛いのはこっちもなのよねー」

 ディステニアはそう言って、聯合艦隊編成表、と書かれた書類を持ち出す。

 ディステニアがウエワク沖海戦の結果頭を痛めることになったのは、日本の軽巡洋艦の老朽化と、その設計思想の陳腐化である。

 5,500トン級の延長線上である、マル四計画での乙巡洋艦(水雷戦隊指揮用軽巡洋艦)は、改訂マル四計画ですべて変更されている。

 従来の乙巡洋艦ではもはや役に立たないが、さりとて日本海軍の運用ドクトリンでは水雷戦隊指揮艦がどうしても必要だ。

 他国にある嚮導駆逐艦(駆逐隊を指揮する大型の駆逐艦)を導入することも考えたが、水偵搭載能力はあったほうがいい。電探搭載の防空指揮艦としても巡洋艦が欲しい。

 そこで、本来潜水艦隊指揮用の“丙巡洋艦”となるはずだった大型軽巡洋艦をベースに、航空艤装を最低限にして余剰のスペースに、駆逐艦用の3連装発射管4基を千鳥式に片舷2基ずつ装備させたが建造されていた。

 他に武装は主砲として15.5サンチ砲3連装2基、12.7サンチ高角砲連装6基、37mm4連装機銃10基、20mm機銃単装16丁、6.5mm機銃連装8基。水偵4機。

 沈んだ神通に代わって、第二水雷戦隊の新旗艦に1番艦『阿賀野』があてがわれることになっていた。

 ただ────

「これでも、アメリカの軽巡洋艦と正面切って撃ち合うのは危険なのよね」

 設計している期間が惜しいから既存の設計を流用したまでで、装甲などは充分とは言い難かった。大型になる分、生存性は多少は上がるはずだが。



 12月24日。

「いいか、撃たれるまでは絶対に撃つな。撃ったやつの故郷は永遠に不名誉にさらされる。何より撃たなくていいときに撃つやつは女を抱く資格がない、解ったか!?」

「了解!」

 指揮官の指示に、整列していた部隊が口をそろえて答える。

「よろしい、総員、搭乗!」

 指揮官がそう言うと、各員は割り当てられた乗機に向かって走り出す。

 メッサーシュミットMe321『ギガント』グライダー。

 本来ドイツ製の超巨大グライダーだったが、現在のその国籍マークはイタリアのそれに描き換えられている。

 乗り込んだ部隊はイタリア第185空挺師団『フォルゴーレ』。その第1歩兵連隊の一部と、連隊付砲兵大隊だった。

 ドイツ空軍のハインケルHe111Zに牽引され、Me321はアレキサンドリアの滑走路から飛び立っていった。

 約1時間後、目的地の上空にさしかかる。ギガントの側扉が開けられた。

「目標確認、総員降下」

「了解、降下」

「降下、降下、降下」

 果敢にも空中に自ら身を放り出し、目的地に向かって降下していく。指定された高度でパラシュートを開き、操縦ワイヤーで降下予定地点に向かっていく。

 集結予定地点は、カイロの王宮前。

 降り立った歩兵部隊は、各々集結地点を目指す。

 砲兵隊のグライダーはHe111Zから切り離され、市街地の外れに強行着陸する。機首の観音扉を開き、そこからドイツから供与されたSd.Kfz.2ケッテンクラートで、47/32カノン砲を牽引して集結予定地点へ向かう。

 集結予定地点に集合した歩兵隊は、そこで連隊旗と、イタリアの王章旗を掲げる。

 王宮を包囲していたエジプト軍は、その様子を何事かと見守っていたが、

「我々はエジプトの友人を助けるために来た!」

 と、イタリア空挺部隊の指揮官が言うと、更にどよめきが走った。

「この場の指揮官はおられるか」

 イタリアの指揮官が声を張り上げると、1人のエジプト軍大佐が歩み出てきた。

「貴公がそうか?」

「はい」

 そう言って、エジプト軍大佐は名乗り、イタリア空挺部隊の指揮官も名乗り返した。

「撃たないでいただけてありがたい」

「いえ、予めラジオで知らされていましたから」

 アレキサンドリアからのラジオで、間もなく独伊軍は動く、エジプトの軍や民衆に対して危害を加えるつもりはないので攻撃しないで欲しい、と繰り返し流されていた。

 大隊砲2門が合流し、王宮に砲門を向けた。威嚇用の空砲を鳴らす。

 Bf110が低高度から王宮の上空に侵入し、ビラを投下した。城内のイギリス兵に対する降伏勧告だった。

 だが、数時間の間、王宮の中から反応はなかった。

「これでは戦闘もやむなしか……」

 敵陣のど真ん中に降下したのである。もとより、食料や弾薬などの物資には限りがあった。籠城戦を許せる状況ではない。

 だが、翌12月25日になって、状況が変化した。

 エジプト軍が中央に呼応して、地方でも英軍に対して蜂起を始めたのである。

 スエズ港と、カイロをつなぐ鉄道が随所で寸断され、逆にカイロ包囲の英米軍が孤立する状況に陥った。

 12月26日、王宮に白旗が掲げられた。王宮内のイギリス兵と近衛兵は降伏し、武装解除された。

 英米軍は、カイロ包囲部隊をどう撤退させるかという問題に直面することになった。

 アメリカの自動車部隊によってシナイ半島に撤退する英米軍に対して、ドイツ空軍の攻撃が容赦なく襲いかかった。

 12月28日。アレキサンドリア占領部隊の一部が、カイロに入城した。

 エジプト軍の将兵や民衆が見守る中、国王ファールーク1世は、エジプトの完全な独立の確約と、独伊軍の“通過”を認める文書に署名させられた。この当時の万国公法に則った処置である。

 その人物が、国王の署名した書簡をもって、民衆の前に現れると、エジプト軍の将兵やカイロの市民から歓声が上がった。

「ロンメル! ロンメル! ロンメル! ロンメル!」

 DAK最高指揮官、エルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメル上級大将を礼賛する声とともに、エジプトの1942年は終わりを告げようとしていた。



「それで、イギリスはエジプトの保護を放棄したんですか?」

「いや」

 ホワイトハウス。オーバルオフィス。

 タイターの言葉に、ルーズベルトは首を横に降った。

「イギリスは認めていない。我が軍とともにシナイ半島に新たな戦線を構築しているところだ。イギリスはスエズ運河の利権があるからな」

「我が軍とともに、ですか」

 タイターはそう言って、軽くため息をついた。

「気に入らないかね?」

「正直にいいますと。これ以上補給線が伸びると、我が軍でも厳しいものがあるなと……現実、太平洋でも日本軍の潜水艦の活動が活発になっていますが、護送船団を組めないために被害を抑えられません」

「太平洋か……太平洋方面でもう少し踏ん張らないと、より状況が悪化するんだが……」

「厳しいと言わざるを得ません」

 ルーズベルトの何処か思わせぶりな口調に、タイターはそう言った。

「間もなくエセックス級が就役し始めますので、今までよりは多少、楽になるでしょうが……海軍内部には、エセックス級の工期繰り上げに対して反発も起きている状況でして」

「例のモンスター・バトルシップか」

「そうです」

 就役したばかりのサウスダコタ級戦艦を、いとも簡単に葬り去った日本の巨大戦艦。

 無論、アメリカもまったく対策がないわけではない。

 問題は、いかにアメリカでもリソースには限界があるという点だ。

「ヤマトに対抗できるクラス……アイオワ級、モンタナ級の建造を続行するとなりますと、空母の建造ペースはどうしても落ちます」

「だな……なんとか折り合いをつけるしかないが……」

 ルーズベルトも難しい顔をする。

「ポートモレスビーとラバウルの様子はどうだね?」

「空母が就役しませんと、なんとも難しいんですが」

 タイターはそう言っておいて、続ける。

「ラバウルの方はなんとかなるとして、ポートモレスビーの方は正直、拠点としての整備はしばらく諦めたほうが得策かと」

「マッカーサーが催促しているのだよ」

「ええ、それでこの前、痛い思いをしました。まぁ、損害自体は織り込み済みなんですが」

 タイターはそう言って、肩をすくめる。

 今、この場にマーシャル陸軍参謀総長はいない。いたら肩身の狭い思いをしただろう。

「その損害も込みで、ラバウルの飛行場の再建に全力を上げるしかありませんね。まぁ、エセックス級が本格的に就役し始めたら、なんとかならないこともないんですがね」

「少し時間がかかりすぎるな……」

 ルーズベルトが渋い顔をする。

「このタイミングで日本がインド方面に攻勢の矛先を向けたら、イギリスが窮地に追い込まれる。もう少し早期に積極的な作戦を展開して欲しい」

「そうですか……なら仕方ありません、少しリスクはありますが、エンタープライズを使いますか……」

 タイターは口元をとがらせるようにしながらそう言った。

 エセックス自体はすでに完成している。まだ習熟航海の最中だったが、バックアップが確保されているのであればエンタープライズをもう少し前面に出してもいいだろう、と、タイターは考えを巡らせていた。

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