第3話 戦いはすでに始まっていた

 空母ワスプは、5月12日にサンディエゴに帰港した。

「これは修理に3ヶ月はかかりますね」

「そうか、3週間で直せ」

 サンディエゴ海軍工廠の技術士官の言葉に、海軍少将の階級省をつけた提督はそう言った。

「3週間!? それはいくらなんでも無理です!」

 技術士官からは当然、悲鳴のような声が上がる。

「情報部が6月上旬に日本軍の大規模な作戦があることを掴んでいる。それもハワイや西海岸が攻撃を受ける可能性のあるものだ。ここで出せる空母が2隻になるか3隻になるかで、情勢は大きく変わってくるんだ」

 提督は険しい顔でそう言った。

「し、しかし……」

「完全な修理は不可能でもいい、母艦能力だけ復帰させてくれ」

 困惑する技術士官に、提督はそう言った。



「ロシュフォート、君らはまだ日本軍の作戦目標を特定できないのか」

 海軍通信保全局ハワイ班HYPO。ホノルルの司令部施設のビルの地下にあるここに、太平洋艦隊司令長官のチェスター・ウィリアム・ニミッツ大将が姿を表したかと思うと、少し苛立ったように訊ねた。

 日本軍は沿岸部や飛行場の施設は破壊していったが、市内にあるこのオフィスビルは損害を免れていた。もっとも、通信機能を復旧するまでに、それなりの日数は要したが。

「アリューシャン方面で行動を起こすことは間違いありません。ですが、それはおそらく陽動である、というところまでしか……」

 ジョセフ・J・ロシュフォート中佐は、困惑と言うより、とにかく難しい顔をして、そう言った。

「肝心の、主攻の場所はわからないということだね?」

「はい。日本海軍の暗号はJN-25によりほぼ解析できているのですが……」

 JN-25は、1月にポートダーウィン沖で撃沈した日本海軍の潜水艦伊一二四から引き上げられた暗号乱数表の情報だった。この解析により、一時的に日本海軍の暗号が解読可能になった他、日本海軍の使用している暗号機がパープル(ドイツのエニグマ暗号機)を基にしていることも判明した。

 問題は符丁である。日本海軍は戦略拠点を英字1~3文字の略符号で呼んでいた。

 暗号解読情報から陽動作戦として“AO”、主攻は“AF”、であることがわかった。

 問題はその符号がどこを指すかである。

 これまでの情報の分析からオーストラリア方面への攻勢作戦であることは考えにくいことがわかった。空母ズイカクとショウホウが引き上げていることからでも明らかだ。

 と、すると、中部太平洋方面の可能性が高いが、問題はそれがどこかである。

 ハワイかもしれないし、ひょっとしたら西海岸を攻撃するものかもしれない。

 そこで、HYPOのジャスパー・ホームズという士官の提案で、ある試みがなされた。

 それは、海底ケーブルで結ばれているミッドウェイ島の守備隊に指示して、平文の緊急電を無線で打たせたのである。

「海水淡水化装置の故障で、飲料水が不足している」

 それに反応したのが、日本軍のウェーク島守備隊の通信傍受班だった。

 彼らはJN-25暗号で、

「AMで真水が不足している模様」

 と、打電したのである。

「クソっ、違うのか!」

 それを知った時、ロシュフォートは思わず毒ついていた。


戦略情報局OSSはミッドウェイだと言ってきている。君らの情報解析が間に合わないなら、我々はその情報に従って防衛作戦を進めなければならない」

 ニミッツは、険しい表情でそう言ってきた。

「待ってください……」

 ロシュフォートは、困惑した表情でそう言ったが、

「日本軍は待ってはくれない」

 と、ニミッツはそう厳しく言った。

 この瞬間、OSSとHYPOの相互間に不信感が築かれたのである。



「今頃愉快なことになっているだろうなぁ」

 山本五十六は、戦艦大和の艦橋で、本当に愉快そうにそう言った。

「でしょうなぁ」

 黒島亀人も愉快そうに言う。

「しかし、我が軍の暗号情報が漏れていたとは……これは早急に、改善しなければなりませんな」

 宇垣纏は険しい表情──もっとも、普段からそうだという話もあるが──で、そう言った。

「その辺りは嶋田や及川さんの仕事だがね。まぁ、嶋田が知っているんだから、大丈夫だろう」

「ですか」

 山本の言葉に、宇垣は面白くもなさそうに言った。

「とりあえず乱数表は変更された。しばらくはこれでよしとするしかない」

 山本は言った。

 5月9日頃、ウェーク島とクェゼリン環礁に二式飛行艇六六型を飛ばし、以下の情報を与え、命令を下した。

「ハワイとミッドウェイ島は海底電話ケーブルで接続されている。したがって、ミッドウェイの守備隊が平文で緊急電を打つことはあり得ない」

「よって、そのような通信を傍受した場合、拠点名を“AM”として情報を発信すること」

 これに従って、ウェーク島守備隊は「AMで真水が不足している模様」と発信したのだ。

「狐と狸の化かし合い、とはよく言いますが、戦争というのもそう言うものなのですな」

 珍しく、宇垣が自分から冗談めいたことを言った。

「そんなものだよ。僕は潮っ気が足りない分、そっちの方は敏感になったからね。永田町には鵺が済む、ってね」

 山本は苦笑してそう言った。

「問題は米空母が出くるかどうかだな」

「長官はどちらに賭けベットするので?」

 黒島が、ニヤリと笑いながら問いかける。

「出てくるだ。もっとも、オッズは低そうだがね」

 山本も笑いながらそう言うと、表情を引き締めた。

「小沢君もそう見てるしな」

「鬼瓦が、賭け事が得意とは思えませんが、慎重さでは間違いないでしょう」

 黒島がそう言った。

「さて、その小沢君と早く、合流しなければな」

「その件、ですが、長官……」

 口を挟んできたのは、宇垣の方だった。

「くどいぞ、宇垣君。この大和がそうそう沈むはずがないだろう。君だって豪語していたじゃないか」

「それはそうですが……」

 第三戦隊を第一航空艦隊護衛から外し、大和を含む第一戦隊が聯合艦隊司令部直率としてその任につく。


 大和は建造中から設計変更がなされ、まず第二主砲直後と第三主砲直前にあった15.5サンチ副砲塔がなくなった。砲塔基部を砲塔の分嵩上げして、八九式12.7サンチ高角砲を連装で2基ずつ、合計4基搭載している。この高角砲塔は主砲射撃時に乗員を保護するために密閉砲塔型になっている。この12.7サンチ高角砲は艦の側面にも片舷5基ずつの10基搭載している。

 一式37mm機銃4連装22基、九六式25mm機銃3連装16基、九九式20mm機銃連装4基、三年式6.5mm機銃3連装4基。

 20mm機銃はまんま航空機用の九九式FFLの改修品で、九九式二〇粍高角機銃として搭載されていた。弾倉は航空機用とは異なる120発入りが用意された。

 三年式6.5mm機銃は時代遅れに見えるが、陸海軍で共有している三八式実包に、新たに開発された一式六粍曳光弾を混ぜて使うことで、他の機銃よりも素早く装填して使える機銃として敢えて搭載された。

 しかし何よりの目玉はやはり一式37mm機銃だろう。如月や祥鳳でその威力は実証済みだ。


 この威容を誇る大和を、山本は対空要塞として使えるか否か、試すつもりだったのである。


 5月27日、単冠湾にて第一戦隊と合流した、第一航空艦隊を主軸とするMI機動部隊は、ミッドウェイに向けて出撃した。

 第一航空艦隊は、一航戦・二航戦・五航戦の他、第七水雷戦隊を伴っている。この第七水雷戦隊は、機動部隊護衛専門の部隊として開設された。

 旗艦は、軽巡『木曾』。麾下に第七駆逐隊、第一〇駆逐隊、第一七駆逐隊(陽炎型駆逐艦『浦風』『谷風』『磯風』『浜風』)を擁する。第一〇駆逐隊はそれまで第一航空艦隊直率としていた『秋雲』と『嵐』を入れ替えてすべて秋雲型となり、第一七駆逐隊はすべて陽炎型で構成される。従来の甲型駆逐艦と一号型駆逐艦が同数ずつ、顔を合わせる形になってしまった。

 第七駆逐隊はAL部隊に組み込まれたため、まさに両者の意地の張り合いみたいな現場になってしまった。

「秋雲型はいいぞ、最高だ」

 安物駆逐艦の誹りを受ける一〇駆の中で、そう言ってはばからないのは、秋雲初代艦長となった吉川潔中佐だった。

「速度だって36ノットは出る。大砲は全部高角砲だから、相手が艦船だろうが飛行機だろうが戦える。魚雷が撃てないわけじゃない。立派に九三式が使える。これで37ミリが間に合っていたら、言うことはなかったな」

 ちなみに、秋雲型の公称最高速度は34ノットである。だが、吉川は「ワレ最高速力36ノット也」と豪語していた。

 ────閑話休題。

 この第一航空艦隊の陣容に、第一戦隊、第八戦隊(重巡『利根』『筑摩』)を加え、MI機動部隊はミッドウェイを目指す。


 一方、アリューシャン方面には第五艦隊に第四航空戦隊(空母『龍驤』『隼鷹』『瑞穂』『神威』)を組み込んだ部隊が送り込まれることになっている。『瑞穂』は『瑞鳳』『祥鳳』と同時期に航空母艦化改装を受けたものだが、『瑞穂国』という響きが良いことから、艤装班長──そのまま現艦長──の大熊譲大佐以下乗組員の強い希望もあって、瑞穂の名のままとされた。一方、『神威』は、ただ単に空母として改装されただけではなく、ある目的をもって空母改装が行われ、その実証実験を兼ねた出撃だった。



「やはり来るかね」

 第16任務部隊TF16指揮官、レイモンド・エイムズ・スプルーアンス少将は、参謀長のマイルズ・ルーサーフォード・ブローニング大佐に訊ねた。

「小官には解りかねます」

 ムーアはこう返す。

 スプルーアンスは、ブローニングは参謀として優秀だが、ここぞというときに決断力が欠ける人間だと思った。

 TF16本来の指揮官、闘将“ブル”ことウィリアム・フレデリック・ハルゼーJr.は、大失敗に終わったトーキョー・ライド作戦から戻った頃、ストレスの影響もあって持病の皮膚病が悪化し、入院を余儀なくされていた。病床のハルゼーが見舞いに来たニミッツに、代わりとなる指揮官の推薦を問われた時、スプルーアンスの名前を出した。

 航空機に関しては50を超えた身空で自ら航空免許を取得したほどのハルゼーに比べて、航空機に関しては門外漢のスプルーアンスを指揮官となるのが妥当か迷うところだが、ニミッツはルイジアード沖で致命的な敗北を喫したばかりのフランク・ジャック・フレッチャーにすべてを任せるのも危険と考え、スプルーアンスをTF16指揮官に任命した。

 TF16は喪失したホーネットに代わって『レンジャー』が大西洋から回航されてきていた。これに、突貫修理でなんとか空母としての体裁だけは整えたワスプのTF18が加わる。

 ワスプは水没した缶室の排水は行われたものの、浸水は応急処置、ボイラーも使えない状態で、24ノットしか出せない。

 ──OSSの情報が外れてくれるといいが……

 ふと、スプルーアンスの脳裏にそんな考えがよぎった。

 ミッドウェイを攻略されればハワイが一式大攻ベティの攻撃範囲に入る。パールハーバー基地の修繕は道半ばと言ったところだが、さらに追加で攻撃を受けることになれば、ワシントンはハワイの放棄も視野に入れるかもしれない。

 どうせだったらOSSの情報が外れればいい、そうすれば、米海軍はパールを失わないで済む。

 ──何を考えているんだ、私は……

 海軍軍人としてあるまじき考えを脳裏から払拭しながら、スプルーアンスは襟を正した。

 ──今はただ、最善を尽くすのみだ。



 以下、日付に関しては時間を問わず日本を基準とすることを了承されたい。


 6月4日、現地時間9時に、ミッドウェイ島守備隊のコンソリデーテッドPBY『カタリナ』飛行艇の1機が、日本軍の部隊を発見する。

 これは先行している機動部隊ではなく、田中頼三少将麾下の第二水雷戦隊が護衛する、攻略部隊を乗せた船団だった。

 ミッドウェイ島からB-17E爆撃機9機が出撃し、攻撃を加えたが、日本側は被害らしい被害を受けなかった。

 続いて、雷装したPBY飛行艇4機が夜間雷撃に出撃した。このPBYにはすでに機上捜索レーダーが搭載されていて、日付変わって深夜に攻略部隊を発見し、攻撃を加えた。

 ──何故こっちを狙ってくるんだ?

 田中少将は別に怯えたわけではない。むしろそんなものとは無縁の男である。

 だが、機動部隊を無視して輸送船団を攻撃してくる米側の意図がわからなかった。

 ──何としても上陸だけは阻止しようということか。

 田中はそう判断した。

「如月の37ミリがあればなぁ!」

 雷撃体制に入るPBYに対して25mm機銃で射撃する麾下の部隊を見ながら、田中は悔しそうに言う。

 だが旧式艦を改装して間に合わせる、という建前の以上、“華の二水戦”に改装防空艦が回ってくることはないだろう。優遇される部隊故に防空火力がおざなりのままというのは、皮肉なものだ。

 あるいは新造艦を回してもらえるだろうか。間もなく竣工する秋雲型は、最初から37mm銃を搭載すると聞いている。

「ああ!」

 田中ではない、誰かの無念そうな声が聞こえた。

 ついに魚雷の1本が、輸送船『あるぜんちな丸』に命中してしまったのだ。


「彼らは何をやっているんだ! そんなところに日本の空母部隊がいるはずがないだろう!」

 ハワイの司令部で「空母・戦艦他多数撃破」との報告を受けたニミッツは、苛立たしげにそう言った。

「日本空母部隊と確認できる場合に限り攻撃せよと、フレッチャーとスプルーアンスに伝えろ!」

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