第2話 MI作戦へ向けて
三菱重工名取航空機工場。
昭和16年に操業を開始したばかりのこの工場は、仙台市の南に隣接する名取町内の陸軍飛行場に隣接して建設された。
しかし手がけるのは陸軍機だけではない。海軍機も小型機から大攻まで取り扱う大規模工場になっている。むしろ海軍機のほうが重点になっていた。
昭和15年中頃から全国の航空機工場で婦人工員の募集が始まっていた。これは商工省が斡旋するものだった。
陸軍は支那奥地から撤兵し、熟練工が復員してきたにもかかわらず、何故婦人工員が必要なのか。
アメリカと戦争になる、そのために大量の飛行機が必要になる──その時点では根も葉もない噂として、この名取工場内でも男性女性問わずに流れていた。
実際、その年の12月8日に、日米は開戦したのである。
そして、今。
この名取工場内では、まさに前線へ送り出す航空機の製造が行われていた。
零式艦上戦闘機二二型。
発動機を中島『栄』から三菱『瑞星』二一型に変更。2速過給器を装備した。主翼の形状は大幅に見直されたわけではなかったが、構造が強化され、急降下制限速度は390ノット(約722km/h)に強化された。燃料タンクも防漏ゴム張りとされ、コクピット背面には防弾板が取り付けられた。
もちろんいいことばかりではない。結果として重くなった機体と、燃料タンクの縮小のため、1,200海里(約2,222km)を誇った航続距離は、1,020海里(約1,890km)にまで短くなっていた。速度もエンジン出力が僅かながら向上したにもかかわらず、283.5ノット(約525km/h)まで下がってしまっている。ただしこの速度は高度4,500mでの話で、従前の零戦がこれ以上の高度では性能低下を見せたのに対し、2速過給器の恩恵で高度6,000m付近では二一型を振り切る速度が出る他、上昇力も6,000mまでの上昇力も7分27秒から7分7秒へと短縮した。
そして、もう1つ。
無線機がそれまでの九六式空一号無線電話機から、一式空三号変調式無線機に変更された。これは、陸軍の九九式飛三号無線機を海軍でも採用したものであった。
先に書いたとおり、日米開戦前に航空母艦の航空隊の運用法が変更になった。それまで空母ごとに固有の“兵装”としていたのを、航空戦隊ごとに独立した航空隊として整備、母艦には航空戦隊旗艦に飛行隊長、それ以外に副飛行隊長をそれぞれ乗せて運用する。
例えば第一航空戦隊は第一〇一航空隊、第二航空戦隊は第二〇一航空隊……といった用法である。
そして母艦だけではなく、厚木基地に教練隊、交代部隊を置いて、戦力補充や航空兵の休養を確保する運用法となった。
これは昭和15年の12月頃から、航空本部付の太田正大尉に研究させていたものだった。
運用法の変更に際して、現場の部隊からは混乱するとの声も上がったが、対米戦が近く、漸減邀撃作戦が繰り返しになり、最終的に損傷した戦艦に代わって空母航空隊が前面に出ることになると強く説明され、編成は変更された。
太田大尉は中佐に昇進した。生きたまま二階級特進したと羨ましがられたが、厳密には二階級特進ではなく、11月1日にまず定例的に少佐に昇進し、11月2日に新航空隊運用研究の功有りとして中佐に昇進、という形が取られていた。
この空母航空戦隊の統括官として木村昌福少将が任命され、太田はその下で先任参謀として働くことになった。
太田は開戦直前の11月に、婿養子として結婚した。これにより彼の姓は美濃部に変わった。
これに基づいて、名取まで列車に揺られてやってきた航空兵たちが、新型零戦を拝領すると、陸軍飛行場を借りて厚木へ向かい、そこからさらに、インド洋で活動していた一航戦・二航戦、MO作戦から引き上げてきた五航戦へと向かっていった。
──嫌な予感がするわ。
5月20日、陸軍省、ディステニアの部屋。
そのディステニアは、地図を見ながら思う。
──時間の収束論という考え方は正しいの? そんな、バカな……
MO作戦を発動させた理由のひとつに、空母レキシントンがニューギニア沖海戦で沈んでいるという部分があった。
しかし、補充戦力としてワスプがすでに送り込まれており、結果、翔鶴は中破する事になってしまった。
──でも。
とも、思う。
──それなら何故レキシントンは沈んだの? ホーネットも? 何故ポートモレスビーを占領できたの?
掴みようのないものを相手にしているという、不快な感覚がディステニアの頭を占めた。
海軍省からの情報では、ルイジアード沖海戦ではヨークタウンが沈んだのは確実ということだった。
──これで残るは、ワスプとエンタープライズってことになるけど……
ワスプを突貫修理で出してくるか。でも、まだ真珠湾の基地は、修理には使えない。
海軍大和田電波監視所の傍受情報が正しければ、司令部施設は復旧したけれども、破壊された海軍施設はまだ機能していない。
──あれだけの設備を破壊されたら、さすがのアメリカでも、半年ちょっとで復旧は無理か。
確かに、燃料や弾薬と言った消耗品を浪費させても、それはすぐに補充が用意できるだろう。
だが、それをどこに置いておく? それを軍艦に搭載するための設備は? まさか人力で、なんて日本軍でも駆逐艦程度までが限度だろう。
それを考えると、真珠湾の基地機能破壊はやはり正しかったと思える。
──出てこない可能性もある……か。
エンタープライズとワスプだけで防衛することが困難なら、徒に損害を出さないという選択肢も考え得る。
日本側は5月19日付で正式に祥鳳を第五航空戦隊とし、翔鶴復帰までの間の補完役とすることになった。これで、空母6隻体制を維持できる。
「ああ、もうっ!」
ディステニアは頭をかきむしる仕草をした。
「現場においては臨機応変、あの人を信じるしか無いか!」
その「あの人」は、呉鎮守府で見た目にはのんびりと湯に浸かりながら、やはり苦悩していた。
第一航空艦隊司令長官、小沢治三郎中将。
「今度の作戦は、難解だな……」
「そうですね……」
付き合っているのは、参謀長の草鹿龍之介だった。
「しかしなんとかなりそうな気もするのだよ」
小沢は苦笑しながら言う。
ミッドウェイ島の攻略と、邀撃してくるだろう米空母部隊の排除、可能ならば撃滅。
2つの虻蜂取らずな作戦のように思え、苦慮していたが、ある答えが小沢に与えられた。
「そうだろう、角田君?」
「ええ」
第五航空戦隊指令の角田覚治中将も、そこに同伴していた。
「モレスビーでは、自分の読みが当たりました。とするなら、今回も必ず出てくるはずです」
ミッドウェイを攻略されれば、真珠湾基地が一式大攻の攻撃圏内に入ってしまうのだ。
それを放っておくとは考えにくい。
「何日かかろうが構いません。機動部隊は常に半数を対艦装備で待機させ、ミッドウェイに陸上航空隊が展開するまで粘ればいいのです」
「そして、敵が現れたら、一太刀浴びせてやると」
草鹿が言った。
「ええ、そうです」
角田がニヤリと笑う。
実は、草鹿は真珠湾攻撃後の一時、小沢と不仲であるとの説が流れた。
真珠湾に対する第二次攻撃を実施するか否かで、揉めたからだ。
艦隊保全を考えるべきとする草鹿に対し、小沢は徹底した攻撃の必要性を説き、第二次攻撃を実施した。
しかし、その後、インド洋作戦でも特に2人の意見が対立することはなく、円滑に作戦は進んだ。
「長官は抜刀術の真髄を極めておられる」
草鹿は小沢をそう評した。
インド洋で、淵田美津雄中佐の「第二次攻撃の要あり」の打電に対し、小沢は、
「敵も動いておる。こちらの間合いに入ってくるまで、じっと待つべきだ」
と、第一次攻撃隊が帰還するまでの間、対艦攻撃部隊の換装を認めなかった。
結局、接敵はなされず、空母『インドミダブル』と『フォーミダブル』を捕捉することは出来なかった。
小沢は無念を嘆いたが、草鹿は、これで良いのだと思った。
「我流だよ、剣は……」
小沢はそう言って苦笑する。
「それより、親父こそ今頃、采配に苦しんでいるんじゃないのかね」
「そうですなぁ……」
“親父”──聯合艦隊司令長官、山本五十六大将は、戦艦『大和』の司令長官公室でやはり考えていた。
「また陸軍に頭を抑えられたか」
誰に言うわけでもなく、呟いて、ため息をついた。
山本の作戦計画では、すべての戦艦を動員して、ミッドウェイ島に艦砲射撃を実施した後、上陸する予定だった。
もともと軍令部は、中部太平洋方面への作戦には消極的だと考えていた。しかし、山本がMI作戦を上奏すると、軍令部は比較的あっさりこれを受け入れたのだ。
ただし、戦艦部隊は第一戦隊と第三戦隊にのみに限る、と条件を付けられた。
確かにミッドウェイ島への攻撃に、戦艦11隻の砲撃は過大だろう。だが、軍令部がそこを敢えて指摘してきた理由が、最初は判然としなかった。
「統合作戦本部だよ」
軍令部総長の永野修身大将は、あっさりと出どこを説明した。
「陸軍が、そんな油に余裕があるというなら、バリクパパンの重油を海軍に融通する話はなかったことにしてくれと言ってきたんだ」
「それで、神君は納得してしまったんですか」
「実際、戦力過大なのは事実だろう? 島ごと吹き飛ばしてしまうわけでもあるまいに。それよりも、石油なくして海軍なし、だ。君自身、常日頃からそう言っていただろう?」
忸怩たる思いが山本の胸中を支配した。
陸軍は対米戦において海軍に協力することを約束する。
統合作戦本部の開設にあたって、陸軍からはそう伝えられたはずだ。
ところがどうだ。真珠湾への攻撃は認められたが、主目標は湾内の戦艦群ではなく、基地設備を破壊する作戦であれば認めると言い出した。もっともこのときは、軍令部が一番煮えきらなかったので、その意味では山本にプラスでもあった。その後、海軍がフィジー・サモアへの進出を企図すれば、陸軍はニューギニアを超えて以東は責任が持てないと潰された。そしてミッドウェイではこれだ。
──話が違う!
そうは言いたいところだったが、その一方で、海軍の基地航空隊を教練隊として、陸軍航空隊に渡洋作戦能力を身に着けさせ、ニューギニアへいち早く航空戦力を回し、海軍基地航空隊の負担を減らしてくれているのも事実だった。
「久しぶりに、会えないか?」
同期で海軍大臣の嶋田繁太郎大将からそう電話を受けたのは、つい先日のことだった。
嶋田は同期ではあるが、東條英機に近い人間で、山本とはそりが合わなかった。だが、是非にと言われれば、断る理由はない。
呉鎮守府近くの料亭で会った。
「あまり言いたくはなかったのだが、君を下ろしたがっている人間は割と多い」
人払いが済むと、嶋田はまずそう切り出した。
「陸軍か?」
「海軍の中にだよ」
山本が聞き返すと、嶋田は困ったような表情でそう言った。
「統合作戦本部の作戦でうまく行ってるんだ、軍令部にいちいち逆らう人間が一軍の長をしていていいのか……とね」
「…………」
「MI作戦上奏のときも、また、本職を賭して、と言ったそうじゃないか。あれはやめた方がいい」
「しかし、僕は最善を尽くす義務がある」
「その最善を買ってくれているのが陸軍だとしてもか?」
「何!?」
「ハワイ作戦も、MI作戦だってそうだ。軍令部が乗り気ではないのに、統合作戦本部で修正の上通すようにしてくれているのは、どちらかと言うと陸軍なんだぞ」
「それは……」
山本は、返す言葉を失った。
「まぁ、神君はあの様子だから、彼は彼で軍令部は弱気だと思っているんだろうがね」
嶋田はそこまで言うと、手酌でやり始めた。
「この際肩肘張るのをやめた方が良い。もう、戦争は始まってしまった。君は優秀かもしれないが、万能の神じゃないんだ。君は君で最善を尽くしてくれるのは結構だが、君がその職にいられなくなるのは避けたい」
「すまん、嶋田……僕は」
「いいんだ、陰口を叩いてるやつはお前だけってわけじゃないからな」
嶋田の言葉に、ふう、と山本はため息をつく。
「もし、一軍の長らしく、『大和』で斬り込んでいくと言ったら、どうする?」
「いいんじゃないか? それが聯合艦隊司令長官としての本業だろう。陣頭指揮大いに結構。宇垣君あたりが、どう顔を変えるのかは見ものだと思うがね」
宇垣君、とは聯合艦隊司令部参謀長の宇垣纏少将のことだ。あまりに表情の変化に乏しいことから『黄金仮面』と評されている。真面目で実直だが、融通が効かず、『石頭』とも言われている。
「大和は図体の割には燃料を食わないし、陸さんの融通してくれる油もある。暴れさせるなら大いに結構じゃないか」
「そうか……そうだな」
一方。
MO作戦の行われている最中の5月5日、第一艦隊は砲術訓練を実施した。
しかし、その最中、戦艦『日向』の5番砲塔で爆発事故が発生、使用不能になってしまう。
これに伴い、艦政本部は、日向を僚艦の『伊勢』とともに、航空母艦への改装を決定した。
「空母が1隻でも多く欲しいのは僕も同じだが、艦政本部は最近、極端だなぁ」
山本は、この時は苦笑しながらそう言った。
すでに110号艦、111号艦──大和型戦艦3,4番艦の船体を航空母艦として完成させることが決定しており、工事は始まっていた。
「このままですと、聯合艦隊の戦艦は全部、空母にされてしまいますな」
先任参謀の黒島亀人大佐が、軽口混じりにそう言った。
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