第3話 MO作戦発動

 昭和17年4月、すでにMO作戦は第1段階が始められていた。

 海軍の総指揮官として任じられた第四艦隊司令長官・井上成美中将は、ラエ、サラモアの事前攻略を主張したが、軍令部によって退けられ、両拠点に対しては航空攻撃で無力化するとされた。

 この頃ラバウルには、一式大攻2個大隊60機、一式中攻3個大隊90機が展開していた。また零戦の部隊も充分に護衛をつけられるだけの数が揃っていた。

「遊覧飛行だな……」

 台南空所属の零戦搭乗員、坂井三郎一飛曹は、ラエ上空でそう呟いた。敵の戦闘機による邀撃はなく、陸攻は高度4000mから堂々と爆撃を繰り返していた。

 敵の邀撃がないならないで、拠点施設を機銃掃射することも考えられたが、司令部は陸攻隊の上空掩護に徹すること、と厳命してきていた。

 坂井はその理由を感づいていた、というか、すでに海軍航空兵の間でのある噂になっていた。

 スイスのエリコン社製FFL20をベースとした九九式二号二〇粍機銃だが、標準型の弾倉で60発のドラム弾倉を装備する。

 しかし、この60発はあまりに少なすぎた。

 エリコンFFシリーズは、APIブローバック方式という、他に例を見ない機構を持つ。この為、発射速度は比較的遅いのだが、それでも4,5連射もかければ弾丸は尽きてしまう。

 そうなると、零戦の火器は機首の7.7mm機銃だけになってしまう。

 国民党空軍機を相手にしていた頃はそれでも良かったが、頑丈な米軍機に対しては非力だ。もちろん、どうしても落とせないということもない。しかし、曲芸じみた格闘戦の技量を要する。

 実は、坂井自身、零戦は九六艦戦までのような格闘戦よりも、高速で一撃離脱をかけることに適した戦闘機だと考えていた。そうなると、僚機を伴っての機動となり、曲芸のような巴戦は乱戦に入ってからのものに限られる。

 この戦術を考える限り、九九式二号銃の弾道挺進性とその威力は有り難いものであった。だが、同時に60発弾倉が、その泣き所となってしまう。

 そこで、この九九式二号銃をベルト給弾式に設計変更し、携行できる弾丸の数を一気に増やそうという計画がある、という噂が流れているのだ。さらに零戦自体も改良型になり、それと同時に搭載されるというのが専らの噂になっていた。

 ともあれ、戦闘機隊に地上掃射を戒めた理由は明らかだ。不意に敵機が現れました、弾切れでした、陸攻落とされました、では、話にもならない。

「損害がなければ、それに越したことはない、か……」

 護衛していた中攻隊が引き上げにかかる。中島『勇』発動機(陸軍ハ41)の爆音を響かせながら、高度を徐々に上げ始める。

「これではジャクの熟練にもならないな」

 ジャク、とは若輩、つまり新人や後輩のことを指す。特に、支那大陸での実戦をあまり経験していない若手搭乗員のことを指した。

 警戒を怠らないように戒めているとは言え、模擬戦が出来るわけでもなく、ただ敵のいない上空を行って戻っての繰り返しでは、飛行時間は伸びても戦闘機乗りとしての技量の向上につながらない。

 坂井は本気で、「程々の敵が出てきてくれないものか」、と考え始めていた。


 しかし、この坂井の考えは、程なくして実現することになる。


 5月3日に、空母『祥鳳』と特設水上機母艦『神川丸』による航空支援のもと、ブーゲンビル島の北西の端にあるブカの攻略にかかった。ここに前哨基地を置くことで、ラバウルとブカとの間の海域の安全を確保する目的だった。

「本艦の出番はないようだなぁ」

 駆逐艦『如月』艦長、板倉光馬少佐は、敵の反撃が殆どないと感じると、拍子抜けしたようにそう言った。

 第二九駆逐隊は第六水雷戦隊の一員として、攻略部隊の掩護を務めていた。ただし、第二七駆逐隊は機動部隊の掩護のため、ここには居ない。

 六水戦は輪形陣を取り、如月は空母『祥鳳』と並走する。

 祥鳳は同型の『瑞鳳』共々、艦橋設備を飛行甲板前部下に設置するフラッシュデッキ構造となる計画が立てられていた。しかし、実際に改装工事に入ると、どちらも『蒼龍』のそれを基にしたアイランド型艦橋構造に仕上がっていた。

 常用27機、内訳は零戦15機、九九艦爆12機になっていた。

 そして、如月と同じ4連装の一式三七粍高角機銃を片舷5基ずつの計10基装備している。他に対空火器は、連装の八九式一二サンチ高角砲が4、3連装の九六式二五粍機銃が6基、となっている。

 そして如月にも装備されている、晴れて制式化となった二式超短波電波探信儀も搭載されていた。

 同型として先に空母として完成した瑞鳳とは、航空機の搭載数などは同じだが、対空火器がはるかに強化されていた。

 ブカでは散発的な反撃はあったが、近くに航空基地があるわけでもなく援護を受けられない守備隊は、祥鳳搭載機の攻撃に晒されて後退を余儀なくされ、最終的にブーゲンビル島全体を放棄して撤退していくことになる。

 ブカ攻略が完遂し、水上機基地の展開が終わると、MO作戦各部隊との合流のため、ブカ攻略部隊は一旦反転した。


 ブカ攻略が終わると、大攻隊の攻撃目標は、ラエ、サラモアから、ポートモレスビーの陸上戦力に変わった。ただ、基地設備は占領後に接収する計画だったため、こちらでも低高度からの精密爆撃が実施された。

 小規模な拠点に過ぎなかった、ラエ、サラモアとは異なり、ポートモレスビーはニューギニアにおける要衝として防備を固められていた。当然戦闘機による邀撃も上がってきた。

 機体はオーストラリア空軍のホーカー『ハリケーン』と、ブリストル『ボーファイター』。もっともボーファイターは戦闘機としてより、偵察機として少数が配備されているだけだった。

 ──これは、ちょうどいい相手かもしれない。

 坂井はハリケーンの迎撃に、手応えを感じた。

 ハリケーンは性能向上型のMk.IIだったが、それでもほとんどの性能で零戦に劣っていた。なによりイギリス本国ではハリケーンは低空での格闘戦に強い機体、とされており、英連邦であるオーストラリア空軍(RAAF)でもそのように認識していたため、攻撃隊が低高度侵入を試みていたこともあり、零戦を低高度の格闘戦に自ら誘い込む形になってしまった。

 坂井の零戦は1機のハリケーンを追いすがる。ハリケーンの機体強度であればパワーダイブをかければ逃げられるが、高度が低すぎて危険だ。ハリケーンは左旋回で零戦の射線から逃げ出そうとする。

 ──遅い!

 坂井は、フットバーを蹴飛ばして、操縦桿を左に倒し、ハリケーンより更に鋭い左旋回でその後尾を追う。

 戦闘機にとってパワーダイブ以外の急機動は速度を殺す。旋回を行った分、ハリケーンも坂井の零戦も速度を落としている。だが、低速、低高度は零戦がもっとも性能を発揮できる状況だ。

 ──これが隊長の言う「左捻り込み」か?

 小隊列機の横川二飛曹が、零戦でついていきながらそう考える。

 左捻り込みとは、軽量な零戦がエンジンのカウンタートルクを利用することで左急旋回が出来るというものだが、これを意識した急機動は卓越した操縦技能が必要とされていた。

 だが、このときの坂井の機動は、別に意識した「左捻り込み」を行ったわけではなかった。ハリケーンの動きが緩慢だっただけだった。

 坂井機のOPLの照準環に、ハリケーンの機体が大きく捉えられる。

 スロットルレバーについている発射釦を押し込む寸前、坂井は一瞬、背後に意識を向ける。

 これは常々、坂井が空戦の心得として持っているものだった。

「敵を照準器に捉えて、さあ発射しようとしたときがもっとも危険。その寸前に後方を確認する」

「警戒は、前方が2、後方が8。それぐらいでいい」

 これに、「僚機とはぐれないこと」を加えた3点を、坂井は自身の小隊列機に徹底していた。

 一瞬の後、発射釦が押し込まれ、7.7mmと20mmの火線がハリケーンに吸い込まれていく。

 鋼管羽布張りのハリケーンは、後部がずたずたになり、そのまま黒煙を吹き出して堕ちていく。

 そのときには、すでに坂井の意識はそのハリケーンにはない。

 小隊列機を確認し、周囲を警戒する。

 すでに空戦は、零戦が有利に展開し、ハリケーンは防戦一杯という状況だった。

 ──あっ

 坂井は、空中退避していたボーファイターが、零戦とハリケーンの乱戦を縫って、一式大攻に攻撃を仕掛けようとしているのを発見した。

 ──あれをやるぞ。

 坂井は機体をバンクさせて、小隊列機についてくるよう合図しながら、ボーファイターめがけて降下で突っ込んでいく。無論、周囲の警戒は怠らない。

 ボーファイターはやや高い高度から一式大攻にパワーダイブを仕掛けようとしていた。

 坂井いわく、これが米英の戦闘機にとってもっとも危険な瞬間だった。

 零戦の卓越した上昇力を用い、後ろ下方から襲撃を仕掛ける。相手が気づいてパワーダイブで逃げ出そうとすれば、より広い面積を零戦に対して晒すことになる。

 ──貰った!

 ボーファイターに火線が吸い込まれて────

 カチン

「くそ!」

 20mm機銃が途中で射撃を止めた。弾丸が尽きたのだ。

 だが、すでにボーファイターは致命傷を負っていた。不安定に横倒しになり、煙を吹きながら落ちていった。

 坂井機が攻撃されようとしていた一式大攻の脇を追い越す。上部動力銃塔の銃手と、側面ブリスター機銃座の銃手が、坂井機に手を降っていた。

 すでに空戦は一段落した。ハリケーンは全滅させたのか、それともかなわないと見て一時退避したのかはわからないが、一式大攻隊はポートモレスビーの陸上の防御陣地、港湾内の船舶などに攻撃を仕掛け、帰投につこうとしていた。

「台南空、帰投せよ」

 雑音混じりの無線機からの声に、坂井も機体をバンクさせて小隊列機に合図しながら、大攻隊の後を追って引き上げにかかった。

 ──せめて陸さんの無線機があればな……

 坂井は思う。



 この頃、日本の無線機、分けても航空無線の信頼性が劣っていたのは、陸海軍共通する問題だった。

 が、海軍の無線電話はもっと根本的な問題を抱えていた。

 無線電話機自体は陸海軍とも5球式スーパーヘテロダイン式の送受信機なのだが、海軍の無線機は送信機、受信機のどちらか片方のみ電源を入れておくようになっていた。すでに世界的に標準の、マイクのスイッチを推している時に送信、話しているときは受信というPTT方式(Push To Talk)を採用していなかったのである。

 これは発電機とバッテリーの容量が小型のもので済むようにという発想で生まれた構造だったが、この為海軍の航空機、分けても単座の戦闘機は、無線で意思疎通をすることが困難だったのである。

 一応、送信と受信の切り替えはできないわけではないが、真空管時代の事ゆえ瞬時に切り替わるというわけに行かないし、また切り替えによる電源の入・切がただでさえ壊れやすい無線機に更に負担をかけた。

 坂井など、あまりにも役に立たないために、支那大陸戦線では無線機をおろし、空気抵抗になるアンテナ支柱を切断してしまっていたほどだ。

 一方で陸軍の無線機は、世界標準のPTT方式を採用した。この為、送受信機どちらも電源を入れておけるよう、陸軍機のエンジンには大容量の発電機を搭載していた。

 またスーパーヘテロダイン受信機の最終段は、原型では他の段と別の形式の真空管が必要になるが、陸軍はこれを同じ形式とするように設計を変更させた。こうすることで、部品調達を円滑にし、同時に整備性をよくしようとしたのである。

 陸軍の無線機も雑音は多かったが、少なくとも実用面では海軍のそれより上だった。


 坂井はその威力を、自分たちと入れ替わりに引き上げる独飛九〇一戦隊戦闘機支隊と行った模擬空戦で、まざまざと見せつけられてしまった。小隊戦法を取る陸軍機に対し、坂井の小隊をもってして、ただの一度も優位を採ることができなかったのである。

 ──こんなただの死重を搭載するぐらいなら、陸軍の無線機を搭載してくれよ!

 坂井は思った。それを実現しようとするなら、まずエンジンから手を入れなければならないのだが、無線や電気については門外漢の坂井にそこまでは理解できなかった。


 が、坂井の望みは、程なくして叶えられることになる。



 ブカ攻略部隊は、祥鳳は駆逐艦『漣』を伴ってMO機動部隊へ、如月を含む残りの艦艇はMO攻略部隊へと合流した。

 この編成に置いては、少しいざこざがあった。

 当初、第四艦隊司令部では、祥鳳は攻略部隊の護衛につかせようとしていた。

 しかし、4月27日に行われたトラックでの軍議の席上、祥鳳艦長の伊澤石之介大佐は、

「本艦は規模も小さく、また練度も不足している。単艦での航空作戦には不安がある」

 と言い、MO機動部隊の中核となる第五航空戦隊(空母『翔鶴』『瑞鶴』)と共に行動し、搭載機を戦闘機に統一して機動部隊の防空に当たることを上申した。

 当初、これは第四艦隊司令部の参謀である川井巌大佐らが反対した。しかし、当の第五航空戦隊が、祥鳳を臨時に麾下に組み込むように要請してきたのである。

 第四艦隊司令部はこれも当初拒絶したが、そこへ、第五航空戦隊司令の角田覚治中将自らが乗り込んできて、重ねて祥鳳の五航戦組入れの必要性を強く説明した。

「ハワイが基地機能を失っている今、北部オーストラリアは米英軍に取って我が方と対峙する最前線であり、その目と鼻の先にあるポートモレスビーを攻略するとなれば、全力を以てこれを阻止することは明白である。よって、確実に米空母部隊は進出してくるものと考えられる」

 と、説明し、更に、

「米空母部隊は『ヨークタウン』『サラトガ』の2隻の行動が考えられる。どちらも大型空母であり、祥鳳の搭載航空機だけでの上空直掩では攻略部隊の安全は保てない。したがって、祥鳳を加えた機動部隊によって全力で周辺海域を捜索、これを発見・撃滅した後に、攻略部隊を進出させるべきと考える」

 と、強く主張した。

 さらには、軍令部から、

「ポートモレスビー周辺海域に少なくとも米大型空母1の行動の可能性あり」

 と念を押すような電文まで届き、第四艦隊司令部側は角田の主張を受け入れざるを得なくなった。

 もっとも、攻略部隊の輸送船団の方は、空母の掩護がつかないことをあまり重視していなかった。

如月が護衛についてくれるのだから」

 陸軍南海支隊の堀井富太郎少将は、海軍側の事情説明に対してそう言った。

 確かに、新聞など報道では、「駆逐艦如月、空中戦艦とともに米重爆撃隊を撃滅す」などと大々的に報道されていた。その一方で、ウェーク攻略部隊に少なくない被害が出たことをまともに報道したのは、日本工業新聞と夕刊大阪新聞ぐらいだった。

 陸軍の兵を説得するには、ちょうどいい材料だろう。

 だが、堀井はもちろん、ウェーク島攻略の不手際を知っている。それでも賛同したのは、中途半端な護衛をつけるぐらいなら、角田の言うように確実に米空母部隊を撃滅してから進出するべきだと考えたからだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る