第2章 ポートモレスビーへの途

第1話 第二次作戦目標

「陸軍機に先に降りるように伝えろ」

 野中は操縦桿を握りながら言う。通信士の国崎が岡部機にそのことを伝える。

『有難う……ございます……』

 一式大攻に整備された大型機用の滑走路に、一式戦が着陸態勢に入る。

 一式戦は三点着陸の体制に入る。軽くバウンドしてしまいながらも、無事に着陸を終えた。

 岡部機に海軍の整備兵が取り付き、岡部を機体から引っ張り出す。野中機からの連絡で待機していた衛生班が、タンカで岡部を野戦病院へと連れて行った。

「これで借りができてしまいましたね」

 続いて着陸した一式大攻から降り立った野中に、先程まで岡部機の一部始終に立ち会っていた黒江がそう声をかけた。

「いやぁ、むしろ借りをつくったのはこちらでしょう。陸さんの掩護のおかげで、アメさんの空母を仕留めることができました」

 この時点ではまだ野中らに捜索結果は届いていなかったが、野中機が現場を離脱した時点で、すでにレキシントンは助かる状態だとは思えなかった。

「野中中佐殿が岡部機を連れて帰っていただけなかったら、自分は詰め腹を切るところでありましたよ」

「そうまでして上空直掩をして下すったということですかい」

 黒江の言葉に、野中は、そう答えてから、

「これからもお世話になることはあるでしょうし、どうでしょう、今回のことはお互い貸し借りなしってことで」

 と、言って手を差し出す。

「ええ」

 黒江は、今度こそ野中の右手を握り返した。



 昭和16年。対米戦不可避の判断が下った後、陸軍は支那大陸での活動を暫時縮小していた。

 満州国と南京の汪兆銘政府の勢力圏を防衛ラインとし、中国奥地からは暫時撤兵が相次いだ。蒋介石が拠点としている重慶へと至らずに、その目前で引き返したのだ。

 代わりに南京に海軍の九六式陸上攻撃機の部隊が進出し、米英による援蒋ルートの拠点になっている昆明に爆撃を実施するようになった。

 理由は、対米戦不可避の状況に備えて兵力を抽出・温存するというものであった。

「米英を倒してしまえば、蒋介石一派だけならば鎧袖一触だ」

 もちろんこのことを知らされていたのは将校ばかりだが、なんとなくアメリカとの戦争が始まる、という空気は下士官や兵士にも流れていた。

 陸軍内部からは当然不満も出た。特に関東軍司令部の反発は根強かった。

 だが、東條は陸相の権限を以て関東軍の粛清を断行した。すでに辻政信は大本営陸海軍統合作戦本部付とされている。関東軍司令部は解体され、新たに満州国方面軍と大陸方面軍の司令部に分割された。

 意外なことに、東條英機と犬猿の仲とされていた石原莞爾はこれに反発しなかった。満州国を防衛できればそれで良しとしたのである。

 こうして、陸軍は太平洋方面・南方方面へ投入する戦力を抽出したが、一部は兵力余剰として動員解除された。動員解除された者は機械技術者が多かった。

 実際に開戦すると、すでに進駐していた北部仏印(ベトナム北部)のハノイに整備されていた飛行場から、陸軍航空隊の九七式重爆撃機、一〇〇式重爆撃機『呑龍』による爆撃も開始された。

 南京からの爆撃行は零戦でも護衛しきれず、少なくない被害を出していたが、ハノイからであれば、一式戦による護衛が付けられる。

 中でも黒江がかつて所属していた飛行第六四戦隊は目覚ましい戦果を上げた。開戦してアメリカも遠慮をやめたのか、P-40が出現するようになったが、一式戦の敵ではなかった。



「排土車、ですか」

「ええ、海軍の施設隊にもぜひ配備していただきたい」

 統合作戦本部の席上、椎名に向かって神重徳が言った。

 排土車、英語圏ではブルドーザーと呼ばれているものである。

 陸軍は古川農機具工業という会社に排土車の製作依頼をし、同社はそれに応えて昭和16年の10月に試製一号小型排土車を陸軍に納品した。エンジンは統制ディーゼルの2気筒型。外板は木製、これは戦略物資抑制と言うより、古川農機具自身の車体工作の技術が稚拙だったため、近所の大工にそれらしく造ってもらったというシロモノだった。

 本土での試験は、前例の無いものを作らせただけに、最初は排土板(ブレード)の腕を駆動するワイヤーが切れる、といったトラブルが続出したが、ひと月も改修を続けているうちに、なんとか実用に堪えるものが出来上がった。

 陸軍はこれを一式小型5屯排土車・トイ車と名付けた。「ト」は「土」の「ド」から濁点を取ったもの、「イ」はいろは順の先頭のイである。

 ハノイの陸軍飛行場も、このブルドーザーのおかげで素早く整備することが可能になっていた。そしてニューギニアでも、陸軍はウエワク基地を整備するのに重宝している。

「古川の生産能力では陸軍の充足分で手一杯だ。そう簡単に回すことなど出来ない」

「海軍の施設隊は弾の飛び交う前線でのんびり作業をしていろ。ということか」

 きっぱりと断ろうとする辻に、神が荒い剣幕で言い返した。

「まぁまぁ」

 その間で、椎名は、2人を宥めるように言う。

「どうです、モノはあるのですから、海軍さんでも製造委託が出来るところをお探しになっては? 陸軍さんも製造権を与えるぐらいは構わないでしょう?」

「そう言うことであれば、陸軍は特に不都合はありませんが……」

「海軍も依存はありません……」

 陸海の言い争いは避けられたが、その鬱憤は文官の椎名への鋭い視線となって向けられた。しかし、椎名は飄々としている。

「次の議題に移ろう」

 本部長の及川が言う。

「次は、次期作戦目標だが……────」



「レキシントンが沈んだ……これで戦場はますます流動的になったわね」

「ああ」

 肯定の返事を返す東條英機の前にいるのは、例によって金髪碧眼の少女だった。

 米空母のヒット&アウェイ戦術に翻弄されてしまうが、被害は軽微なので放って置く。

 当初はその予定だった。

 しかし、その意に反して海軍は大攻隊を出撃させてしまった。

 せっかくの大攻隊が壊滅するのではないかと危機感を抱いたが、黒江少佐の戦闘機隊が直掩となったことで、喪失は1機にとどまり、逆に米空母レキシントンを撃沈した。

 本来ならば良い知らせなのだが、この先の不透明感が増した、と、少女は思った。

「予定通り、いや予定より順調に南方作戦は終了した。支那方面ではせいぜいゲリラ狩りがある程度だ」

「そうなると、第二段階作戦ね」

「そうだ」

 少女の問いかけに、東條は頷く。

「海軍からは中部太平洋方面、南太平洋方面、陸軍からはインド方面の作戦提案が出ている」

「インド方面は放っておいても、イギリスは本土と地中海方面で手一杯だから、しばらくはちょっかいを出してこないわ。インド洋作戦で少し痛めつければ、あとはマダガスカルまで引っ込んでるはずよ」

「となると、中部太平洋方面と、南太平洋方面ということになるが……」

 ──MI作戦と、米豪遮断作戦か……

 国力に乏しい日本に二正面作戦は愚策とも言えるが、状況が異なる。

 真珠湾攻撃では艦艇ではなく、パールハーバー基地の破壊を徹底させた。ドックを爆撃し、給油施設を焼き払った。燃料備蓄施設まで破壊できるかどうかは賭けだったが、どうやら延焼して甚大な被害を出したようだ。一時はホノルル市民に避難勧告が出たと言う。

 ここまで基地設備を破壊されてしまえば、アメリカといえど一朝一夕では回復は困難だ。

 さらに停泊中の戦艦がお荷物になるように、反跳爆撃を仕掛けさせた。これによって戦艦群をサンディエゴまで回航しなければ修理不可能にするのが目的だったが、それでもアリゾナは爆沈したと言う。オクラホマも結局、横転沈没するのかもしれない。

 何故、敵方の被害がこのように詳細にわかるのか。

 それはアメリカ自身が発表しているからだ。

 アメリカとしては真珠湾攻撃を“卑怯な騙し討ち”にしたいからである。

 だが、話はそううまく行かなかった。

 アメリカの日本大使館は前日、現地時間12月6日の午前10時にワシントンD.C.のマスメディアの前で記者会見を開き、ハル・ノートの内容を開示した上で、24時間以内にアメリカ政府が要求を撤回し、対日禁輸政策・米国内日本資産凍結の解除を明言しない限り日本軍は軍事行動に移る、と予告していたのである。


 話をハワイに戻す。

 アメリカはパールハーバー基地の復旧に全力を上げるだろう。そこでミッドウェイを占領して大攻隊を進出させ、復旧中のオアフ島を爆撃する。アメリカ海軍の行動は大幅に成約されるはずだ。

「中部太平洋作戦は海軍の構想で概ねいいわ」

 少女は、そこまで言って、急に忌々しそうな表情になる。

「ただし、無駄に戦艦を動かして油を浪費させないように言い含めさせて」

「無駄に?」

 東條が聞き返した。

「最後の晴れ舞台だとか言って全戦艦を動かそうとするはずよ。陸軍から『そんな余分な油を持っているならバリクパパンの重油は渡さない』とでも言ってあげて」

 バリクパパンの精油施設は順調に進みすぎた作戦のせいで陸軍の管轄となってしまい、占有していた。しかし「陸軍に重油はそれほど要らぬ」ということで、かなりの量を海軍に割り当てることになったのである。

「ミッドウェイ程度の島に戦艦11隻なんて無駄もいいところよ」

「なるほど、それは捨て置けんな」

 一方の米豪遮断作戦、現状ではポートモレスビーを占領しようとしているはずである。

 MO作戦だ。

 だが、レキシントンが沈んだ今、実現性は高いのではないか?

 何よりハワイが使えない今、連合国は日本に対してはオーストラリアを攻勢防御の拠点とするしかない。

 米豪遮断というより、米軍の行動を抑制する意味でもポートモレスビー攻略は意義がある。

「米豪遮断の方針は賛成、ただし、海軍はソロモン方面へ進出したがるのが問題ね」

「ソロモン海……完全に現時点での攻勢限界点を超えるぞ」

 少女に聞かされて、東條は唖然とする。

「さすがカミソリ東條ね、その通りよ」

「海軍は補給ができると思ってるのか」

「ロクに考えてないわよ」

「海軍は何を考えているんだ」

「輜重輸卒が兵隊ならば、蝶々蜻蛉も鳥のうち」

「話にならん……」

 東條は頭を抱える。

「とにかく、陸軍として攻勢限界点はポートモレスビー、その先は、陸軍は何があっても責任を持たない。そう厳しく言って頂戴」

「解った」

 会話が続けられている最中にも、東條は話の要点を手帳に書き込んでいた。

「海軍がこのままでは行き詰まるな、百武さんはうまくやってくれるだろうか……」

 東條が言った。初代海上護衛総隊司令長官として抜擢された百武源吾のことである。

「本格的に必要になるのは、本命の野村さんが帰ってきてからだから。今は、聯合艦隊に艦艇や人間をホイホイ引っこ抜かれないようにしてくれればいいわ。だからこそ、山本五十六より先任の人間を就けたんでしょう?」

 少女はそう言って、苦笑する。

「まぁ、そうなんだが」

 海軍の人事権は海軍大臣の下、海軍省が握っている。作戦の立案は軍令部。聯合艦隊司令長官とは本来、その下の実戦部隊の長でしかないのだが、東郷平八郎の伝説と、政治力の強い山本がその職についたこととで、前二者に匹敵する顕職になってしまった。

 とりあえず人事については、海軍大臣が東條と懇意にしている嶋田繁太郎ということもあって、百武の海上護衛総隊司令長官就任が実現した。

「話は変わるけど、ヨーロッパの状況はどうなってる?」

 少女は、話題を切り替えるように言った。

「モスクワでの市街戦が泥沼化している。が、ロシアが優勢になったという話は聞かない」

「それで充分だわ」

 昭和16年、つまり1941年7月、満州方面軍はソ満国境で大規模な軍事演習を行った。後に、日本の南進戦略を知らされるソ連指導者・スターリンだったが、万一の北進戦略の疑念を払拭できず、結果的にシベリア管区の戦力をドイツ軍の進撃に合わせて五月雨式に引き抜く、つまり兵力の逐次投入という最悪の防衛戦術を採ってしまっていた。

 6月1日に始まったドイツ第三帝国のソビエト連邦侵攻作戦・“バルバロッサ作戦”において、ソ連は効果的な防衛はなんら出来ないままに、8月3日、首都モスクワはドイツ軍の侵入を許したのである。

 このモスクワ突入はハインツ・グデーリアン上級大将の独断だった。ヒトラーの判断を待っていては好機を逸すると踏んだのである。グデーリアンに呼応して、モスクワを包囲していたドイツ軍は動きを始めた。ヒトラーはグデーリアンの独走に激怒はしたが、もう止められない。

 スターリンはモスクワを脱出し、エカテリンブルグに首都を後退させて徹底抗戦を呼びかけているが、指揮系統も混乱している上、前線兵士の士気の低下は甚だしく、状況は絶望的だった。モスクワではドイツ軍は歩兵主体の部隊がソ連兵の掃討に当たっている状況で、主力の装甲師団はすでにウクライナ制圧とレニングラード攻勢のために移動を開始している。まだ具体化していないが、反スターリンの臨時政府がモスクワに打ち立てられるのではないかとの話も聞こえてきている。

 ──これにアリューシャン作戦も加われば、いよいよスターリンは終わりね。



「陸軍としては、米豪遮断作戦に置いてはポートモレスビーを攻勢限界点とし、以東については責任を取れないものであるとする」

 再び、統合作戦本部、本部会議。

「本職としても同意見と言わざるを得ませんな。いかに戦時標準船の建造が順調であると言っても、いくらなんでも遠すぎます」

 戦時標準船は、平時標準船をベースにしようとしていた当初の計画に対し、陸軍の意見でブロック工法を取り入れ、二重殻構造は維持したまま、大幅なコストダウンを図った。一部は海上護衛総隊の徴用扱いとし、水上機用のカタパルトを設けている。

「文官が作戦の話に口を挟むかっ」

 神は激昂する。

「商工省の協力なくして、海軍は戦争できるのか。まして椎名君は大蔵省との折衝役でもあるのだぞ」

 立場が逆なら同じようにしていただろうとは考えもせず、辻は大上段から神を見下すように言う。

「く……」

 神は呻くような声を漏らす。

 そこへすかさず、辻が畳み掛けた。

「海軍がアメリカと戦争をすると言うから陸軍はそれに協力している! 支那奥地から兵を退いて、熟練工などは復員させた! それでも無理なものは無理と言うしかないし、これ以上の理不尽を受ける謂れもない!」

 辻の言葉の後、

「辻君も落ち着き給え……神君?」

 と、及川が、宥めるような声で言ってから、神たち海軍士官の列に視線を向ける。

「ここは陸軍の言い分に分があるだろう。『陸海軍相争い、余力を以て英米と戦う』ようでは、とてもアメリカに対抗できない。メンツがあるのは分かるが、海軍も引くべきときは引くべきだ」

 及川の言葉が決め手となり、ミッドウェイ、ポートモレスビーの攻略が第二次作戦目標と定められた。


 南方作戦終結に伴って第二二駆逐隊、第二三駆逐隊、第三〇駆逐隊は正式に解隊、ウェーク作戦で喪失した睦月・望月と大破した弥生を除く睦月型駆逐艦8隻は、如月を基にした防空艦化改装に入った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る