第2話 マヌス島沖夜戦

「荷揚げ中止! 物資を投棄しろ、投棄だ!」

 フレッチャー級駆逐艦『テイラー』から、本来爆雷が搭載されているべき場所にびっしりと並べられたドラム缶を、乗員が海に蹴落とす。

 ──畜生、誰だ、駆逐艦を輸送船代わりに使おうとか考えだしたバカは。

 ここはビスマーク海、アドミラルティ諸島、マヌス島。

 連合軍は日本軍がニューギニア方面への航空機輸送の中継点に使っていたこの島をした。

 だが、ラバウルのあるニューブリテン島同様、すでにこの島に日本軍などいなかった。

 ──ジャップは臆病風に吹かれて逃げ出したんだ。

 そんな事を言っていたらひどい目にあった。夜陰に紛れて接近してきた戦艦2隻の艦砲射撃を受け、上陸部隊は実質的に壊滅。物資も焼かれ生き残りは窮することになった。ビスマーク海からの撤退そのものが日本軍の仕掛けた罠だったのだ。

 それでも連合軍──米軍はこの島を放棄しようとは考えなかった。アメリカが“勝利”を必要としていたのが最大の理由だ。だが、それだけではない。この島が日本に再占領されることになれば、ウエワクの日本軍の航空戦力の補充が容易になる。

 海軍陸攻や陸軍重爆はグアムから容易に自力飛行できる。だが、陸軍の単発戦闘機、特に二式単戦にとっては辛い距離だ。それらは一度トラックに飛び、三航戦の龍驤と龍鳳が運んでいた。

 確かにマヌス島が中継地点として使えれば、フェリー状態なら二式単戦でも飛んでいける。だが日本軍はこの島を再奪取しようとはしなかった。

 日本軍が来たら白旗をあげよう──そう考える者さえ出ていた。いや、もはやそう考える者の方が多数派になる有様だった。食料は不足している。それ以上に衛生用品の欠乏は深刻だった。結果としてマラリアやデング熱などで倒れる兵士が少なからずいた。だが彼らの頼みの綱である日本軍は、少なくとも島を再占領しようとはしてこなかった。

 日本軍の戦略は実に狡猾だったとしか言いようがない。上陸させておいて、飢えさせる。

 それでも最初のうちは、マトモに輸送船が来て物資を届けてくれた。だが、ラバウルやポートモレスビーへの輸送で損害を出しすぎた。

 損害が出るならそれ以上に造ってしまえばいい。どこかのバカがそんな事を考えやがった。確かに、実にバカバカしいことに、リバティ級輸送船の建造は、つい最近まではそれに充分な建造数を確保できていた。だが──沈むと解っている船に誰が乗りたがるか?

 ついに輸送船乗組員のストライキが起きた。積極的なサボタージュ破壊活動で港から出られない船が出るほどだ。

 さらには共和党の上院議員だかが、リバティ級に強度上の欠陥があることを暴いた。ホワイトハウスに充分な指導力があれば報道規制で封殺されていただろう。だが、支持率が下落しているルーズベルト政権のスキャンダルは戦時下であってもマスメディアの格好の餌食となってしまった。

 それにより最前線への輸送船の運用はますます困難になってしまった。

 そこで代替案として出たのが、駆逐艦による輸送作戦だ。幸い、アメリカは駆逐艦も呆れるほど建造していた。

 その結果が──これだ。

 ビスマーク海周辺の制海権は、日本側が掌握しているとは言い難い。だが連合軍側が盤石にしているというわけでもなかった。

 ──ワシントンの連中は知らないんだろう、日本軍のクレイジーさを。


 ──『神通』を失った時に、この座は追われるものと思っていたが。

「前線で死ねるのなら、本望だな」

 『阿賀野』の戦闘艦橋で、田中頼三少将は呟いた。

「はっ?」

 艦長の中川浩大佐が、反射的に訊き返す。

「いや、──敵はもう気づいているだろうな」

「残念ながら、電探の探知範囲はアメさんのほうが上ですからな」

 華の二水戦、あるいは、鬼の二水戦と呼ばれる第二水雷戦隊も、開戦から時を経るに連れ、だいぶ傷ついている。磯風、親潮を失い、旗艦だった神通も沈んだ。黒潮も戦線を離脱したままだ。それに見合った戦果を上げているが、駆逐隊がポロポロと欠けていくのは複雑な感情もわいてくる。

 だが、怯懦とは無縁の男、田中頼三はそれでも先陣を切って突撃を下令する。

 搭載されている九五式水偵が吊光弾を投下した。その放つ光に、米艦隊が照らし出される。

「見事な背景照明だ」

 田中が、双眼鏡を覗き込みながら言う。

「だが、輸送船がいないのはどういうことだ?」

「先に逃したのでしょうか?」

 中川も首を傾げるようにして言う。

 マヌス島への夜間輸送作戦を阻止し、敵に損害を強要せよ。

 二水戦に下された命令はこれだった。

 ──アメリカは駆逐艦を引き離すような輸送船が造れるのか?

「造れるのだろうな」

「は?」

「輸送船がいない理由だよ。よほどの高速輸送船を造れるのではないかと思ってね」

「なるほど、アメさんなら造れるでしょうなぁ」

 日米のポテンシャル差を考えた時、そう言う答えが出てくるのはむしろ自然だった。日本の輸送船、戦標船は出ても15ノットがせいぜいだ。しかも重油の消費抑制と、工数を削減し製造公差にも余裕を持たせるため、混焼缶の蒸気レシプロ機関や、焼玉機関が使われていた。

 田中も中川も、まさか駆逐艦そのものが輸送役だとは考えつかなかった。

「さて、艦長、ここはどうすべきかね?」

「見敵必戦。駆逐艦だけでも仕留めましょう」

「だな」

 中川の答えに、田中は満足そうな笑みを口元に浮かべる。

「右方主砲戦! 目標、前方の敵駆逐隊! 魚雷も同じ!」

 中川が下令する。

 日本の軽巡は脆い。最新鋭の阿賀野でも不充分だ。だが、敵に巡洋艦がいないなら話は別だ。

 15.5サンチ砲が呵責のない砲撃を、アメリカの最新鋭駆逐艦の群れに送り込む。


 ──こんなバカバカしい話があるか。

 アメリカの駆逐艦乗りとて怯懦ではない。むしろ勇敢だった。フレッチャー級に搭載されている2基の5連装魚雷発射管はその証だ。魚雷の質で分が悪い分は、水兵の勇敢さで補えばいい。そう自負していた。

 だが、その勇敢な水兵たちの乗った駆逐艦が輸送船の代わりに使われて、挙げ句ジャップの巡洋艦に追われるハメになる。これほど馬鹿らしい話はない。

 煙幕を展張する。気休めでしかないことは解っていた。日本軍も射撃管制レーダーを持っているのだ。

 彼らの予想は悪い意味で外れていた。日本はまだ既存の軽巡洋艦に行き届かせられるほどの二式水上電探改付は製造できていなかった。だが、建造されたばかりの阿賀野はその例外だった。

 先頭を行く、ネームシップである『フレッチャー』の艦首に、6.1インチ砲弾が命中した。1発だ。ただの1発で、フレッチャーの前甲板はグシャグシャに破壊された。

「前方! 右舷側より日本軍、接近します!」

 ──馬鹿野郎、ぶつける気か!?


 日本軍は勇敢だった。

 米軍も勇敢だった。

 だが、勇敢を超越した勇敢を持つ男が、この場にただ1人いた。


 駆逐艦秋雲は、煙幕を展開して逃げようとする米駆逐群の前方に、ためらうことなく突っ込んできた。

「全速! 36ノットで突撃せよ!」


 吉川潔、存在そのものが規格外イレギュラーの駆逐艦乗りだった。


「魚雷、投射ッ」

 秋雲の魚雷発射管から、7本の魚雷が撃ち出される。

 北ラバウル沖海戦、ウエワク沖海戦を経た今、もはや秋雲型を安物などと陰口を叩く者などいなかった。秋雲は誉れ高き大日本帝国海軍のつわもの以外の何者でもなかった。

「主砲、撃ち続けろ! 撃てば当たる距離だぞ!」

「宜候」

 5門の八九式12.7サンチ高角砲が火を吹き続ける。

 阿賀野の15.5サンチ砲で傷ついたフレッチャーに、秋雲の砲弾が容赦なくその傷口を抉る。

 ──仮にここで秋雲が沈むのなら、ここにいる米駆逐艦は全部、道連れだ。

 吉川の闘魂が乗組員1人ひとりにまで乗り移ったかのように、秋雲は8隻の駆逐艦相手に立ち塞がり、撃ち続けた。

「魚雷到達、今!」

 ドォンッ!

 もとより味方の攻撃を成功させるための孤軍奮闘だったが、1本が哀れな犠牲者、『ラドフォード』の艦首に命中した。

 巡洋艦でもただの1本で致命傷になり得る九三式魚雷である。駆逐艦の艦首は文字通り消し飛んでしまった。ラドフォードは艦尾を上げて急速に沈んでいく。

 この時点で、米駆逐群は致命的な過ちを犯していた。否、過ちとは言えなかった。それを秋雲1隻に強要されていた。


「いい目標じゃねぇか」

 板倉艦長が、如月の艦橋からほくそ笑む。

「魚雷、投射ッ」

 如月が一度に放てるのは4本だ。たった4本だが、必殺の九三式魚雷である。

 もちろん、魚雷を放ったのは如月1隻だけではない。

 今やただ1隻の僚艦である『早潮』、そして第一〇駆逐隊の残り3隻、それに阿賀野からも魚雷は放たれていた。

「次発装填、急げ!」

「宜候」

 一度には4本だけ。だが、白露型駆逐艦から第二空気供給装置取り付け改造の上譲り受けた九二式魚雷発射管二A型には、次発装填装置が備わっている。

「撃つ余裕がありますでしょうか?」

「わからん」

 声の高い軍属の問いかけるような声に、板倉は愉快そうに笑いながら答える。

「魚雷到達、今!」


 8隻の最新鋭駆逐艦の前にたった1隻で立ちふさがった日本軍の駆逐艦の前に、米海兵なら骨身にしみているはずの事実が忘れられかけていた。

 ──ジャップに横腹を晒すな。

 ド・ド・ド・ドーッ

 青白いPale暗殺者Murder。日本軍の魚雷が、次々に米駆逐艦の横腹を破っていく。

畜生Son of a bitch!」

 テイラーの乗組員の誰かが、毒ついた。

 俺たちは勇敢だ。

 だからこそ、認めるしかない。

 8隻の前にただ1隻で立ち塞がるクレイジーな駆逐艦、恐ろしいほどの威力を持った魚雷、ワシントンのバカどもがカタログスペックだけで自軍優位だと勘違いしているレーダー、そのすべてを持てる存在。

 認めるしかない──ジャップは、俺達より戦争が上手い!



「カタがついたか」

 田中はあまり面白くなさそうな顔で、そう言った。

「勝ち戦なのに、喜べないですか」

 中川が訊ねる。

「勝ち戦? 負けだよ。敵輸送船は1隻も仕留められなかった。重油も砲弾も魚雷も無駄遣いだ」

 田中はそう言った。

「確かに……そうですな」

 事実を錯誤したまま、田中はにただ苦い顔をしていた。


 マヌス島沖夜戦。

 日本軍の損害は、秋雲が1発の命中弾を受け、30mm機銃をもぎ取られた。小破と判定された。

 パーフェクトゲームに近い勝利ながら、日本はこの戦闘を敗北と位置づけた。



「やれやれ……生き残ったか」

 駆逐艦テイラーの水兵は、そう言って舷側でマルボロを咥えた。愛用のライターで火を点ける。

 テイラーはあの大乱戦の中で、奇跡的にほぼ無傷だった。

 SGレーダーにはなにも捉えられていない。日本軍は追撃を中止したようだ。

 だが、レーダーになにも捉えられていないということは、味方は全滅したということだ。

「まぁ、命があるだけめっけもんか……」

 夜が明ける。早く海域を離脱しなければならない。確認されたことはないが、このあたりは一式大攻ベティの攻撃範囲内なのだ。

 マヌス島の連中にどれだけの物資が行き届いただろうか。せめて食料だけでも充分に陸揚げできていればいいが。運が良ければ投棄した分も、島に漂着するかもしれない。

 やがて、水平線に太陽がのぼり始める。

 最悪だったが、悪夢の一夜は去った。

 誰もがそう思い、安堵していた。

 だが、運命の女神は彼らにあまりにも過酷だった。

「ソナーに反応! 潜水艦です」

 ──何!?

 アメリカの最新鋭駆逐艦だ。ソナーも最新鋭。日本軍の新型潜水艦でも探知できた。こちらは駆逐艦、先手を取ればたやすく撃沈できる。

 ……

 …………

 ……………………

 ……どうやって?

 今のテイラーには爆雷はただの1発も搭載されていなかった。代わりに、マヌス島に陸揚げするはずだったドラム缶入りの物資が積まれていた。それも全部捨ててしまった。

「ウソだ!」

 誰かが叫んだ。誰のでも良かった。ほぼすべての乗組員がそう思ったのだから。

「何かの間違いだ! こんな、こんな事があってたまるか!」

 ドォオォォォォン!!

 駆逐艦テイラーは、伊二五一潜水艦から放たれた魚雷によって短い生涯を終えた。


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