第7章 血戦 昭和18年

第1話 Dragon Slayer

「もう、嫌だ、嫌だぁ、俺は、家に帰るんだぁ!」

 若い兵士が、突然そう叫んだかと思うと、防空壕から飛び出し、M1ガーランド銃を空に向けて乱射した。

「ジャップめ、死ね、死ね、死ねぇっ!」

 周囲の人間ができることと言えば、保弾板クリップ1つを使い果たした彼を、爆弾が降ってこないうちに防空壕に引きずり戻すことだけだった。

 日本軍は昼も夜もやってきて、ラバウルの航空基地に、港湾施設に爆弾を落としていた。

 海兵隊のF4Fが迎撃に上がってはいる。だが、一式戦オスカーに翻弄され、爆撃機に取り付くことも容易ではない。

 おかげで一式中攻ヘレンは、落とせても片手で数えられる程度だ。ひどいときには、その10倍の数のF4Fがオスカーに落とされた。

 ヘレンは日本軍が遺していった飛行場と、港湾に爆撃を仕掛けてきた。

 港湾を襲うヘレンは、12発の60kg爆弾を搭載していた。入港している輸送船があれば、それが狙われた。この為、高射砲や対空機関砲などの陸揚げもままならなかった。数門の野戦高射砲と、制空権を担保できない戦闘機では、ヘレンの跋扈を止めることはできなかった。

 飛行場には焼夷弾と、小型爆弾を紐で縛ったような爆弾が投下された。火を消してブルドーザーで整地し直す。バカバカしいと思うほど、連日この作業の繰り返しだった。

 夜になると一式大攻ベティが飛んできて、大量の爆弾を高々度から飛行場のある辺りにバラまいてくる。これが非常に厄介だった。やはり焼夷弾と、紐で縛った爆弾が投下されたが、うかつに外をうろついていようものなら、撒き散らされる小型爆弾で消し炭に変えられる。

 その間、兵士達ができることはと言えば、ただ防空壕の中で、安全が担保されるまで耐え忍ぶだけだ。だが、昼も夜もやってこられたのでは、気が休まる時間がない。

 いつやってくるかもしれない爆撃に、海兵隊第1師団の将兵は神経をすり減らされつつあった。冒頭の彼のように、精神に異常を来す者も後を絶たなかった。補給も滞り、兵士の摂取カロリーも制限された。

 ──もう一度仕切り直すべきなんじゃないのか?

 そう思う人間も少なくなかった。だが、本国は数少ない“勝利”であるラバウル奪還に拘泥し、死守命令を出していた。

 味方の爆撃も行われていた。しかし、掩護機をつけられない結果、初日に手酷い損害を出して以来、夜間爆撃のみ行われていた。

 闇夜の中では、さすがの二式単戦トージョーもB-17を狙うのは困難になっていた。しかし、その一方で、爆撃の効果も疑問視されていた。



 その頃、野中五郎中佐は真っ昼間からウエワク基地の宿舎で寝ていた。

 一式大攻の部隊に与えられているのは夜間爆撃だ。従って昼間は休業、休めるときに休んでおく、これも軍人の資質のひとつである。

 ただ最近、悩みの種があった。それは敵の夜間爆撃だった。

 B-17B公と行き違いになることも多く、帰ってきたら滑走路が穴だらけということも少なくなかった。幸い、複数あるすべての滑走路が使用不可能になる事態はなかったが、迂闊におりて主脚を折損した機体も出てしまった。

 陸軍ではその対策を、整えてはいるという話ではあったが……

「海軍は、陸軍の世話になりっぱなしか、不甲斐ねぇなぁ」

 その夕刻、出撃する野中は、副操縦席でぼやくようにそう言った。

「海軍だってこの前、敵戦艦を3隻も沈めたじゃないですか」

 久瀬が苦笑交じりに言う。

「それは、そうかも知れねぇけどよ……」

 野中の言いたいことは、久瀬にも解っているつもりだった。

 海軍航空隊の出番が少ない。

 ラバウル空襲だけでも、充分戦果を上げているように思うのだが、やはり海軍陸攻は魚雷を撃ってなんぼ、と考えているのだろう。

 それに、戦闘機はほとんど陸軍任せだ。

 戦闘機搭乗員は、空母機動部隊の為に温存したいということなのだろう。

 理屈はわからないでもないが、野中にはどうしても歯がゆくてしょうがなかった。



 アメリカは世界の工場だ──誰だ、そんな事を言ったやつは。我らが大統領か。

 実際にはどうだ。今のラバウルでは何もかもが不足している。航空機の部品も満足にない。兵士に食わせる食料すら難儀していた。輸送船の喪失率は明らかに許容範囲を超えている。

 B-17の点火プラグすら事欠く有様だった。昼間は整備員が総出でカブったプラグをワイヤーブラシで磨いている。海兵隊のプラグを盗んできたやつがいて揉めたこともあった。あっちも苦労している。稼働するF4Fとモスキートは日に日に減っていた。それだけ、オスカーとヘレン、ベティの跋扈を許す形になった。

 4発機のB-17ではなおさら顕著だった。エンジンがぐずって出撃できない機体が相次いでいた。今夜も本来なら60機の出撃の予定だった。だが出撃の段階で4機も飛行不適切の状態で出撃できなかった。さらに離陸してからも6機も飛行継続不能で引き返していた。

 ジョージ・アーノルド・マケイン大尉のB-17Fも、離陸前から第2エンジンの具合がおかしかった。離陸後、上昇すると回転数がばらつき始めた。明らかに何気筒か死んでいたが、それでもマケイン大尉は引き返す選択肢を選ばなかった。4発機ではエンジンの具合が揃わないことはよくある。外側だと振られる恐れもあったが、内側ならどうということはない。

 これでトージョーから逃げ回ることは考えたくもなかったが、幸い夜はあまりトージョーの心配をしなくて済んだ。日本海軍の水兵は恐るべき程夜目がきくと言うが、陸軍のパイロットはそうでもないのだろうか。

 ベティとすれ違いになることもよくあった。ベティの爆撃で火災は起きてるわ消火中に炸裂する小型爆弾はあるわで始末に負えなかったが、マケイン大尉らのB-17は新設された飛行場に配置され、日中は丁寧に偽装されていた。一〇〇式司偵ダイナの偵察にヒヤリとさせられることもあるが、今のところはまだ位置が割れていないらしい。

 ベティの帰還直前を狙えたらしめたものだ。ベティを受け入れるため滑走路は明かりをつけていることが多い。そこに爆弾を投下して使い物にならなくする。

 ただ、GP爆弾の投下にどれほどの効果があるのかは疑問だった。一種の薄殻榴弾で被害範囲は広く、殺傷能力も高い。だが非舗装の滑走路に投下してどれほどの効果があるのかは怪しかった。実際、明日の日中の爆撃が止んだことはあったが、夜間爆撃までは止められなかった。それまでに滑走路が修復されてしまっているということだ。

 日本軍の飛行場設営は人力によっていると言われていたから、一度爆弾を投下すれば数日は使えなくなる、というのが、当初の方針だった。だが、ポートモレスビーに遺棄された日本軍の車両の中にブルドーザーらしきものが紛れ込んでいたことで、前提は変わってしまっていた。日本軍にポートモレスビーを占領されたときも、異常な早さでラビに滑走路を設営していたことから、日本軍が本格的にブルドーザーを導入していることは明らかだった。

 それでもウエワクに対する夜間爆撃は止められなかった。滑走路そのものを破壊する行為が無駄なのだとしたら、後は──爆撃によって、日本人を何人殺すかという話だ。

 隊長機が爆撃侵入を下令してくる。コンバット・ボックスを解いて一律の高度に均す。昼間であれば敵戦闘機に無防備な姿勢を晒す一番危険な時だ。

 この先は対空砲火が──マケイン大尉がそう思った時。

 隊長機が突然、火の玉になって墜ちながら砕けていった。

「な、なんだ? 何があった!?」

「わかりません! 日本軍の新兵器かもしれません!」

 部下の返答も要領を得ない。

 泡を食っている間に、2機、3機とB-17が落とされていく。

「敵です! 敵の戦闘機がいます!」

 部下が叫んだ。

「トージョーか!?」

「違います! 不明ですが、双発機です!」


 ──落ち着け。

 第一三飛行戦隊の鈴木則康飛行兵曹長は、暗闇の中で星空の僅かな光に浮かび上がる敵に、徐々に近づいていった。

 川崎キ45改-II 二式複座戦闘機II型。

 もともとはメッサーシュミットBf110などに代表される、双発長距離掩護機として開発されていた機体だが、間もなくして双発複座戦闘機は単発単座戦闘機の敵ではないことが解り、襲撃機や軽爆撃機の代わりとして運用されていた。

 II型は発動機を1080馬力のハ25(海軍名『瑞星』)から、1300馬力のハ112(海軍名『金星』)に変更し、大幅な性能向上を狙うと同時に、「上向き砲」と呼ばれる特別な装備を施されて、夜間迎撃機に生まれ変わった。

 上向き砲とは、字の通り機関砲を、操縦席の後方に、前方斜め上向きに取り付けたもの。これで敵爆撃機の防御火器の死角になる位置から狙おうというものだ。

 実際、B-17Fには下部にもボール型銃塔があったが、基本的に戦闘機は上方から狙ってくるものという事を前提に、コンバット・ボックスなどは形成されている。

 上手いことB-17の腹に潜り込んだ鈴木は、上向き砲の発射釦を押し込んだ。

 キ45改-IIには、一〇〇式20mm機関砲、一式12.7mm機関砲が、それぞれ1丁ずつ、上向き砲として搭載されている。これは、ドラム式弾倉で100発が限界の20mm機関砲に対し、250発をベルト装弾する12.7mm機関砲を併用することで補った形だ。

 後ろで機関砲の射撃音が鳴り響き、火線は確かにB-17に吸い込まれていった。

 昼間、二式単戦でも苦労するB-17が、胴体から火を吹き出し墜ちていく。

 墜ちていく最中に、爆発四散した。搭載していた爆弾に誘爆でもしたのか。

「他に目標はいるか?」

 後部銃手に訊ねる。

「後方、まだ敵爆撃機、いまーす」

「後ろだな、わかった」

 鈴木は機を上昇させて、B-17の影を追い、再び降下していった。


 マケイン大尉には何が起きているのかわからなかった。

 いくら敵戦闘機がいるとは言っても、B-17はそうやすやすと落とされる機体ではなかったはずだ。

 にもかかわらず、次々に編隊から機が脱落していく。

 トージョーの迎撃よりあっさりと、B-17が燃えていくのが見えた。

「爆撃手、爆弾投下しろ! 早く!」

 マケイン大尉は怒鳴る。

 B-17が装備するノルデン式照準器は、爆撃照準中は爆撃手のジョイスティックによって機体が操縦されるという機構を持っていた。この機構は爆撃精度を高めるには素晴らしい効果を発揮したが、爆撃コースに乗ったら爆弾投下まで自由な操縦が効かないということでもあった。

 マケイン大尉のB-17Fが抱えていた12発の500lb爆弾が、暗闇の下のジャングルに投下されていった。

 爆撃手が照準器のジョイスティックのスイッチを切り、ようやくマケイン大尉らの操縦席に操縦機能が戻ってくる。

「正面、敵機!」

「!?」

 敵の双発戦闘機が、反航戦を挑んできた。

 操縦席にまで敵の機銃弾が飛び込んできて、暴れまわった。一体どうしてそう言う事になったのかまではわからなかった。

 一瞬でマケイン機の機体内は阿鼻叫喚の図となった。

「ジャービス、グレイ、生きてるか!?」

 副操縦手と、機首機銃手の名前を呼ぶ。

 だが、返事はなかった。

「クソっ」

 マケインも左腕を機銃弾に掠められたらしい。鈍い痛みと出血のぬめる不快な感覚とが襲ってきたが、今はただ、自機を飛ばすことを考えなければならなかった。



 この日、米軍の爆撃隊は56機の出撃に対して、26機もの未帰還機を出してしまった。日本軍の新型夜間戦闘機が最大の原因と思われたが、同時に日本軍のレーダーに対して未だに侮りがあった。

 アーノルド陸軍航空軍司令官は、その報告を聞いて思わず、

「Shit!」

 と、口に出してしまっていた。

「とにかく、もっとまとまった数を出せないと、いくらB-17でも戦果は期待できない。損害ばかりが積み上がっていくだけだ。日本軍の防空能力はホワイトハウスが考えているよりも高い」

 機上レーダーこそまだなかったが、日本軍の戦闘機がレーダー誘導で効果的に夜間迎撃を行う術を身につけたのは明白だった。高射砲による損害も今後、増すかもしれない。

 実際、すでに日本陸軍はレーダー電波警戒機による情報から射撃する二式高射算定具を実用化し、内地に設置を進めていたが、ウエワクにも運び込まれていた。

 アーノルドは中東におけるB-24の作戦を中止し、イギリス本土からヨーロッパ大陸への爆撃と、太平洋方面での作戦に重点を割くべきだと、意見具申した。

 しかし、スティムソン陸軍長官から伝えられたのは、スエズ運河防衛のためのB-24による航空作戦の継続実施と、太平洋方面でのウエワクに対する爆撃の継続実施だった。

畜生goddamn!」

 ヨーロッパ大陸爆撃が忌避されたのは、自由フランスのド・ゴールがフランス国内に被害が出る作戦を拒否したためだった。

「レバノンを叩き出されたくせして、何が亡命政権だ!」

 アーノルドはそう叫ばずにはいられなかった。

 今やフランスの工場が、ドイツ軍の為に稼働しているのは周知の事実だった。イスパノスイザやノーム・ローンの工場がドイツに航空エンジンを供給し、稼いでいる。

 その息の根を止めて何が悪いというのか。

「イギリスも、自分の不始末ぐらい自分でつけろ!」

 中東はもはや大混乱だった。レバノンもシリアもイラクも、イスラム教指導者のもとに教徒が集まって、継続的に政府に対し反抗し続けている。特にイラクは軍もそれに同調したため、英米軍はそちらにも戦力を割かねばならなくなっていた。

 アレキサンドリアに対するB-24による爆撃は、エジプト軍の活動を活発にさせただけの結果になっている。独伊軍はカイロに限定的な部隊を配置した以外、アレキサンドリアに留まっているが、エジプト軍によるゲリラ的な攻撃が英米軍を消耗させていた。

 それでいてB-24の被害は目を覆いたくなるほどだ。

 イギリスが鹵獲したFw190の解析では、エンジンのBMW Bramo801の能力が高度5,000m以上で低下することから、ターボチャージャー装備のB-24であれば爆撃高度を上げることでその損失を抑えられると考えられていた。

 だが、実際には大きな損失を出した。

 調査の結果、ソ連製エンジンを搭載したFw190が出回り、Bramo801のFw190に比べて──あくまで比較的にだが──高々度性能が改善されているのではないかという分析結果だった。

 無論、B-24も数を送り込めれば状況は改善される。

 だが、フリータウン・ケープタウン・マダガスカル経由での輸送経路しか存在しない現在、莫大なマンパワーを割いて少数単位のB-24を送り込むことしかできないというのが実態だった。

 そしてそのことが、太平洋方面でもB-17の大量運用を阻害してもいた。

 いくらアメリカと言えど、できることには限度があった。選択と集中、それを欠いている現状では、ただ損害ばかりが積み上がるだけだった。

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