第4話 第三次作戦計画
「パース、ですか、オーストラリアの」
そう聞き返すように言ったのは、椎名であった。
「左様」
神重徳が言う。
「南方資源の輸送ルートの安全について、海軍は海上護衛総隊を創設し、万全を期してはいるが、オーストラリアを根拠地とした敵の潜水艦作戦に関してはこれを阻止せねばならない」
そう言って、神は黒板に貼られた、オーストラリア西部の地図を示した。
「ポートダーウィンに関しては、ティモールからの陸軍爆撃隊による継続的な攻撃と、一〇〇式司令部偵察機による状況把握によりこれを阻止している。これは海軍からも厚く御礼申し上げるところである」
──ほぉ。
椎名は感心したように思った。
御礼申し上げる、など、今までの陸海軍の仲の悪さでは考えにくいことだった。
──帝国必敗と言われたこの戦争、わからなくなってきましたかね。
「なんの、陸軍としても南方資源地帯は我が国の生命線、海軍の作戦を有利に進めさせるのに何ら異存はない」
辻も、珍しくそう言った。が、そのまま続ける。
「察するに、潜水艦作戦の拠点となりうるパースを攻撃するという作戦案であるかな?」
「左様」
辻の言葉に、神はパースをさしてそう言った。
「北部オーストラリアでの行動を制限している現状、次に敵潜水艦作戦の拠点となりうるのがこのパースであることはご理解いただけると思う」
神がそう説明した。
「しかし、パースを占領する、というのであれば、陸軍は兵站の上で責任が持てぬと申し上げざるを得ない」
「本職としても同意見ですな。そこまで補給線を伸ばしてしまったら本末転倒です」
辻に続いて、椎名も反対意見を唱えた。
「否、空母機動部隊による攻撃によって基地機能を喪失せしむものである。無論、一時的なものにとどまるのは承知の上であるが、オーストラリアはすでに消極的防衛の姿勢に入っている以上、我が方が同地を攻撃し得る事を表すことで豪州政府に対する圧力となりうるものと考える」
ブリスベンのマッカーサーはオーストラリアを起点とした反攻を強く主張しているが、ANZAC(オーストラリア・ニュージーランド連合軍)が中東で死兵と化している以上、オーストラリアとしては藪をつついて蛇を出すような真似はしたくないだろう。
「そう言うことであるならば、陸軍として特に異存はない」
辻はそう答えた。
「本職としては意見すべき内容ではありませんな」
椎名も答える。
「それでは、海軍はパース攻撃作戦の実行を、統合作戦本部の承認を得られたものと判断して実行に移すが、よろしいか?」
「異論なきものはご起立願いたい」
及川が言うと、陸軍の参謀も海軍の参謀も、残らず起立した。
「総員起立、承認されたものと見做す」
及川が言った。
「それでは、次に陸軍の作戦案であるが」
辻は、神が貼っていたオーストラリアの地図が剥がされた黒板に、ニューギニアの地図を貼り出した。
「り、陸軍としては」
辻の歯切れが、何故か悪い。
「現状占拠しているポートモレスビー、ラビより撤退し、ウエワクを正面基地として絶対防衛線とする計画を提示したい」
「なんですと!?」
神が素っ頓狂な声を出した。
「ミッドウェイ作戦の失敗により、ハワイ方面へ圧力をかけ続けることが困難になった現状、ビスマーク海、ソロモン海を経てこれら南部ニューギニアの拠点を維持することは甚だ困難になったと言わざるを得ない。よって、これらの拠点を放棄し、北部ニューギニアウエワクを敵攻勢の出鼻をくじく最前線基地とするものである」
「目立った被害も出ていないうちから、拠点放棄を意図するとは、陸軍は臆したか?」
ミッドウェイ作戦の失敗、と、遠まわしに海軍を批判しながら説明した辻に対し、神はそう言った。
「そ、そのとおりである」
辻は、どもりながらもそう言った。
「り、陸軍は支那戦線において蒋介石に脚を深く取られ、徒に損害を積み重ねるに、苦い教訓がある。太平洋においても、この轍を踏むべきではないとす、するものである」
先程から辻がどもっているのは、おそらく、辻の本意ではないのだろう。参謀本部や陸軍省からきつく吹き込まれているに違いなかった。
「む、むろんただ放棄するものではない。海軍の協力を得て、飛行場等に地雷、港湾内に機雷を設置し、敵に出血を強要するものである。然る後に、ウエワクより航空攻撃によって敵戦力を漸減せしむものである」
辻の説明を聞きながら、神は地図をずっと眺めていた。
「先程よりウエワクを最前線とする前提で話されているが、ニューブリテン島に関しては如何とするものか?」
「陸軍としては、ニューブリテン島よりも撤兵すべきと考える」
「飛行場には地雷原を?」
「無論である。陸軍は現在、低資材型地雷の調達を急いでいるところである」
「椎名さんはその話を?」
神は、視線を地図から、椎名に向けて、問いかけた。
「え、あ、ああ、聞いてますよ、もちろん」
椎名は突然振られて戸惑ったが、はっきりと答えた。
マル急地雷甲型。実際には丸がこみの急と書く。
このマル急地雷は木製で箱型であった。3kgの炸薬を持ち、更に炸薬の上に、川砂利を詰めて対人殺傷能力を付加していた。
「ふむ……消極的な作戦には賛成しがたいところもあるが……」
神はそう言いつつも、興味深そうに地図のニューブリテン島を見る。
「空母機動部隊の完全な再編なるまで、陸軍が北部ニューギニアの制空権を保証するものか?」
神は、辻の方を向き、そう言った。
「その通りである」
「攻撃についても、陸軍重爆隊が行うものか?」
「それについては、陸軍の爆撃機は航続距離が短いゆえ、適宜思案しながらのものになると思われるが、援護戦闘機に関しては陸軍が保証するものである」
辻の説明に、神は軽く驚いて目を円くした。
すなわち、海軍攻撃機を出すにしても陸軍の一式戦で援護すると約束してきたのである。
「つまり、ニューギニアは時間稼ぎというわけですな?」
「そのとおりである」
神の発言に、辻は即答した。
「なるほど……そう言うことであれば……」
神は、唇を釣り上げてニヤリと笑った。
梅雨も開けた7月20日、陸軍立川飛行場。
新型戦闘機、キ61の“お披露目式”が行われることになった。
陸軍関係者のみならず、海軍の要職も招かれている。と言うより、それが主目的だった。
キ61が装備するのはドイツのユンカースJumo211Fをベースにした液冷発動機ハ40。海軍では『月光』と呼んでいた。どちらも本来は三菱重工のエンジンとされている。
すでにキ61の量産のために川崎飛行機はハ40の“委託生産”を開始していたが、ニッケル不足からシリコンマンガンクロム鋼を使うことと指定され、このため不足する強度を補うために高周波焼入れに加えて長時間の高温焼入れを実施している。この為に岐阜の都市ガスの半分を消費しており、生産には若干の不安がつきまとってはいる。
とは言え、目の前のハ40は、快調そのものの爆音を立てて4翅ペラを回していた。離昇出力1320馬力。
「しかし、陸軍がこんなもんやってていいのかねぇ」
「いいんじゃないですか? 海軍さんなんかもこういう遊びしてますよ」
陸軍の整備兵が、それを見ながらそんな話をしている。
それは三菱重工から配布された『ハ40・月光 基本整備手引書』と書かれた冊子だった。
中身は漫画形式になっており、これまでの文字ばかりの整備手順書と比べて、整備の手法が明快になっていた。
「けどなぁ、これはやりすぎじゃねぇかい」
「自分は、悪くはないと思うのであります」
手引書の漫画全般に渡って、シリンダーヘッドを背負ったような童顔の女性『ユモ先生』が描かれており、内容は彼女が指導するという形式になっていた。そして最後にはまるまる1頁を彼女が占拠して「講習はこれで終わりです、私を大切に扱ってくださいね」と描かれているのだ。
…………ともあれ。
キ61は立川飛行場の滑走路を滑り出し、空へと舞い上がった。
4月の試作機とは異なり、すでに実戦装備がなされている。機首には二式二〇粍固定機関砲、主翼には一〇〇式二〇粍固定機関砲III型(海軍九九式二号三型)が搭載されている。燃料タンクにも防弾ゴムが貼られ、コクピットの背後には防弾板が取り付けられている。
それでも上昇力は、零戦並みに見えた。
実際には零戦に僅かに劣ったが、それでもハ40の出力もあって6,000mまで7分35秒の上昇力を得ていた。
続いて、模擬戦を行う一式戦も飛び上がった。
一式戦も、発動機をハ115とし、主翼などを強化したII型になっていた。
管制塔から吹き流しが上がり、模擬戦が開始された。
「ほう……」
海軍航空本部長の片桐中将はキ61の俊敏な動きに、感心したような声を上げた。
旋回性能では軽い一式戦に分があるように見えたが、高速でも安定して舵を効かせ、鋭く回り込んでいく。
一瞬、一式戦が後ろをとったように見えたが、キ61は横転からの急降下で軽く躱す。一式戦はそれに追随できない。
一式戦は高度の優位を得てキ61を追い詰めようとするが、キ61は高度を取り戻しながら優れた横転性能でそれを逃れていく。
一式戦が高度の優位を完全に失うと、キ61はぴったりとその後ろについた。
一式戦が逃れようと旋回するが、キ61は多少旋回性能で劣るところで、高速を生かして逃さない。
「零戦だったらもう落ちていますね」
片桐にそう囁いたのは、聯合艦隊司令部航空甲参謀の樋端久利雄中佐だった。
一式戦と比べても零戦は高速での舵が効きにくいことが欠点としてあげられていた。キ61と零戦が戦えば、零戦は速度差を生かしてあっという間に追い詰められるか、高速での格闘戦で逆に捻りこまれてしまっているだろう。
「やあ、片桐さん」
と、片桐に声をかけてきたのは、陸軍航空本部長の土肥原賢二大将だった。
「土肥原大将。陸軍は素晴らしい機体を手に入れましたな」
「そう思われますか」
片桐の言葉に、土肥原は、嫌味らしさはなく、笑顔でそう言った。
「それではどうでしょう、海軍でもあのキ61を採用されては?」
「海軍でも?」
「一四試局戦を中止されたそうではないですか。海軍の新型戦闘機開発は一五試水戦と一七試甲戦のみとなっているそうですし、この先零式戦だけというのは厳しいのではありませんか?」
「これはまいりましたな」
片桐はしかし、土肥原の言葉に、そう言って苦笑した。
「実はすでに海軍の内部でそのような声が出ているのです」
「ほう、そうでしたか」
土肥原は意外そうな声を出しつつも、不快感は示していない。
「英軍や伊軍などでは空母搭載機も専用機を開発せず、陸上機に装備を追加することで対処しているようですからな」
「なるほど。帝国海軍でもキ61に対してそれを考えていると」
「ええ、まぁ……ただ、解決すべき問題が生じてしまっているんですがね」
片桐は、少しきまり悪そうにそう言って苦笑した。
「解決すべき問題?」
土肥原が聞き返す。
「射出機ですよ」
キ61の艦上機化を含めて、空母の運用の効率化のために
一方、ミッドウェイ作戦後、空母『鳳翔』を改造して、別形式のカタパルトが装備されようとしていた。
「本職は、できないと言ったはずなんですがねぇ……」
タイター海軍作戦部長は、そう言ってため息をついた。
「仕方あるまい。本来、連邦軍の最高指揮官は大統領であることは事実なのだ」
ノックス海軍長官が言う。
日本軍がオーストラリアのパースに空母攻撃を実施すると、OSSが掴んでおり、海軍にこれに対処する作戦が必要だと通告されたのだ。
「これ、日本の空母を邀撃しなきゃいけないってことですかね?」
「うん?」
タイターの発言に、ノックスが聞き返した。
「パース攻撃の意図はなんとなく解ります。ダーウィンは陸上機の攻撃で収まりますが、パースの後方基地能力を一時的にせよ奪いたいということでしょう」
「そうだな」
「しかし、恒久的に占領する作戦ではないでしょう」
「それは不可能だろう。まだパールを占領しろという方が現実的だ」
「一方で、攻撃の意図からすると少なくともパールハーバー並みの規模で押しかけてくるのは確実ですよね?」
「そうなるだろうな」
「そこに、バカ正直にエンタープライズとサラトガを邀撃に向かわせても、返り討ちに合うのは目に見えてます」
「しかし……」
タイターの言葉に、ノックスは渋い顔をする。
「問題はオーストラリアの士気が落ちないようにするのが重要ってことですよね?」
「そう言うことだ」
「でも、逆にこちらが返り討ちに合うようなら逆効果になってしまいます」
「うう……それは、確かに……」
タイターはニヤリと笑った。
「そこで、こちらも日本軍の重要拠点を空母で攻撃するのです」
「例えば、トラックとかかね?」
「近いですね。しかし流石にトラックは日本軍も警戒しているでしょう」
タイターはそう言って、海図の一点を示した。
「ここならオーストラリアの目と鼻の先ですし、日本も力を入れて整備している場所ですから、こちらの威力を表せるでしょう?」
「なるほど……」
ノックスは納得の言葉を出した。
「よし、その方針で行こう、作戦は君に任せる。ニミッツと調整して計画を立案したまえ」
「アイ・サー」
タイターはそう言いつつ、内心では別のことを考えていた。
──現状の戦力をすり減らすわけには行きませんからね、これが最良の選択でしょう……
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