第2話 War Drug

 モスクワが陥落しソ連が弱体化したことで、南ヨーロッパ方面のドイツ空軍の活動が活発化。イギリスは取り戻しつつあった制空権を再び失い、ドイツ空軍の航空攻撃により制海権も盤石ではなくしつつあった。

 逆に、ドイツは北アフリカ軍団DAKを増強しつつあった。

 これが1941年──昭和16年後半の出来事であった。

 明けて1942年──昭和17年。

 アメリカは日本と開戦したことをきっかけに大西洋方面でも活動を開始した。と言うより、欧州方面に介入するための対日開戦であった。

 だが、早々にレキシントン、ホーネットを失ったことで、計画が狂い始めてくる。

 オーストラリアの脱落を防ぐため、太平洋方面で積極防衛に務めなければならなくなった結果、大西洋にいた空母ワスプを引き抜く結果となってしまった。

 さらにヨークタウンを失い、中部太平洋に圧力をかけられた結果、レンジャーも太平洋に投入する必要が生じてしまう。

 本来、この2隻は北アフリカ戦線で英軍の補給の支援をするはずだった。

 まず4月にワスプが太平洋に引き抜かれたことを知ったドイツ国防軍参謀本部OKWは、北アフリカ戦線での全面的な攻勢を計画。これに空軍、海軍も加わり、航空攻撃とUボートによる作戦で、逆にイギリスの補給線を締め上げる。

 伊領リビアに逆侵攻しトブルクを占拠していたイギリス軍だが、この頃すでに補給がままならないとして放棄を決め込んでいた。DAK・イタリア同盟軍は4月下旬にトブルクで英軍を包囲殲滅すると、一気にエジプト領内に再侵攻した。

 5月上旬、イギリスは地の利が得られるエル・アラメインに防衛線を敷いて、そこで一進一退の膠着状態に持ち込んだが、ここで米軍が空母レンジャーを太平洋に引き抜いた。

 これによってエジプト方面のイギリス空軍RAFの戦力は壊滅状態となり、逆に航空優勢を得てDAKはエル・アラメインを突破した。そこからは総崩れだった。イギリス軍には人員だけはいたが、装備もなく、補給もなく、DAK・イタリア同盟軍の進撃を止める力は残っていなかった。DAKは6月3日、エジプトの地中海に面する要衝アレキサンドリアに入城。もはや首都カイロ、そしてスエズ運河までを隔てるのはナイル川の流れのみであった。



「さて」

 ワシントンD.C. ホワイトハウス、オーバルオフィス。

「今我々は最悪の状況に陥ろうとしている。これは一体どうしたことかね」

 ルーズベルトは、机に両手をついてそう切り出した。

「簡単なことです」

 そう切り出したのは、更迭されたキングの後任として海軍作戦部長のポストに付いた、ジョン・カニンガム・タイター大将だった。

「日本は我々が思うよりはるかに強力だった──それが全てでしょう」

 キングも何が気に入らないのかイギリス人ジョンブルドイツ人クラウツ日本人ジャップも大嫌いという偏屈だったが、このタイターはますます何を考えているのかわからない人物だった。しかし、海軍長官のウィリアム・フランクリン・ノックスの推薦がこの人物しかいなかった以上、ルーズベルトはそれを受け入れるしかなかった。他に適任といえば考えつくのはチェスター・ウィリアム・ニミッツ大将だが、彼を今、太平洋艦隊司令長官から動かす訳にはいかない。

「海軍として、他になにか言うことはないのかね?」

 ジョージ・キートレット・マーシャルJr.陸軍参謀総長が言う。

「ありませんな。何もできません。残った空母をすり潰されないよう逃げ回るしかありませんよ」

「それは、パールの放棄も視野に入れるということか?」

 タイターが答えると、ルーズベルトが問いかけた。

「それが可能か否かは、大統領ご自身がよくご存知のはず」

 タイターは、皮肉交じりの顔でそう答えた。

「…………」

「陸軍は西海岸の、水際での防衛を放棄したがっておられるようですがね」

 タイターは、マーシャルをちらりとだけ見て、視線をルーズベルトに戻し、そう言った。

 パールハーバーを放棄することは出来ない。その時点でアメリカは詰みだ。

 そう、アメリカのアキレス腱、それがアメリカの構造と東西連絡航路だ。

 アメリカは主に東部が鉱工業、西部が石油と穀物生産でなりたっている。

 それを相互に結ぶのが、パナマ運河を介した東西航路だ。

 日本がパールハーバーを抑え、空母機動部隊を東部太平洋に進出させるようなことになれば、その時点でアメリカは詰みである。

 大陸横断鉄道もあるが、船舶に比べれば、輸送できる量などたかが知れている。狭い国土に葉脈のように線路網を発達させた日本のようには行かないのだ。

「どうやら日本軍の中にも優れた戦略眼を持っている人間がいると見られますな。それを承知でパールに圧力をかけてきたのでしょう」

 タイターは、大統領の執務机の上に広げられた太平洋の海図を指しながら、言う。

「ミッドウェイで、海軍は最悪の事態を避けるために全力を尽くしました。払った犠牲は少なくありませんが、日本に出血を強い、ハワイをその勢力圏内に取り込もうとする意図を挫いたのです」

「その結果が、2空母の喪失じゃないか!」

 マーシャルが、声を荒げた。

「これでアフリカ方面でのウォー・プランはまったくゼロからやり直しになってしまった!」

 マーシャルが毒つくように言う。

 オペレーション・トーチ。

 北アフリカの枢軸圏内に同時多発的に上陸し、枢軸軍を各個撃破するというのが作戦の骨子だった。

 だが、ワスプに続いてレンジャーも失った今、大西洋方面での活動は非常に限定されたものになってしまっている。反攻どころではない。Uボートを抑え込むだけで手一杯だ。

 さらに、イタリア海軍の動きも、アメリカにとって良くないものが伝えられてきていた。

「オーストラリア方面で限定的な反攻をかけることは出来ないかね?」

 ルーズベルトが言う。

「それで、エンタープライズとサラトガも海底に転属させるわけですか」

「タイター、貴様!」

 マーシャルが、タイターの発言に噛み付くが、タイターは飄々とした様子を崩さない。

「相手は正規空母だけで5隻、間もなく6隻揃うんです。その他に、アリューシャンで確認された軽空母CVL群。そんなのと対峙したら、それこそ、ルイジアードやミッドウェイの二の舞になるだけですよ」

「では……どうすればいいというのかね?」

「それなんですけどね、めませんか?」

 ルーズベルトの焦れたような問いかけに、タイターはあっさりとそう言った。

「止める?」

 ルーズベルトが聞き返す。

「ええ、日本との戦争、止めましょうよ。合衆国にとって、意味がないです」

「何をバカなことを言ってるんだ!」

 マーシャルが噛み付く。

「でも、そうすれば我々は、ナチとの戦いに専念できますよ?」

「タイター、君の提案は魅力的だ」

 ルーズベルトは、そう言った。だが、更に続ける。

「実に魅力的だ──だが、国民世論がそれを許してはくれないのだよ」

「まぁ、あなたの首は次の大統領選まで持たないでしょうねぇ」

 タイターは、肩をすくめる仕種をして、そう言った。

「それだけで済むなら、まだ良いが。最悪、全主要都市で暴動が起きるぞ──」

「Remember Pearl Harbor. 完全にクスリドラッグがキまりましたね」

 タイターはハッハッと笑いながら言う。

 ミッドウェイの戦いを、アメリカは国内では勝利と報じていた。日本空母3隻、戦艦1隻を撃沈、味方の損害は最低限、と。

 その最低限が正規空母2隻だと言ってないだけだ。切羽詰まればどこもやることは同じである。

 だが、OSSはすでに日本が喪失した空母はアカギとヒリュウの2隻にとどまり、カガは大破しながらも撤退に成功したことを掴んでいた。それと、が1隻。

 報道の結果、国内世論は沸き立った。ルーズベルトの支持率は6割台まで回復し、日本との戦争を「継続すべき」は7割強を維持している。

 この状況で、実はボロ負けてました、日本との戦争続行は無理なんで講和します、なんて言えば、ルーズベルトの首が飛ぶだけで済めば、実際いい方である。

「それに、今の状況で講和となれば、当然、日本はそれなりの代償を求めてくるぞ」

 マーシャルが言った。

「ええ、まず、蒋介石の首を差し出せとは言ってくるでしょうね。下手をしたらハワイを要求してくるかもしれない」

「そこまでされたら、この戦争は……」

「はっきり言って敗戦、ですね。対日戦に限って言えば」

 マーシャルが言い淀んだ言葉を、タイターはサラリと言ってしまう。

「ダメだ。そんな事になったら、合衆国が崩壊してしまう」

 ルーズベルトは弱々しく首を横に降った。

「では、プランBで行きますか」

「プランB?」

 タイターの発言に、ルーズベルトが鸚鵡返しに聞き返す。

「イギリス、見捨てましょうよ」

「なっ!?」

 サラリと言ったタイターの発言に、ルーズベルトもマーシャルも、面食らって絶句してしまう。

「だってそうでしょう、今んとこ、お荷物以外のなんでもないじゃないですか。イギリス。本土防空用の戦闘機を寄越せ、北アフリカで使う戦車を寄越せ、それをUボートのウヨウヨ居る大西洋を超えて運んでこい、インド洋方面に日本が進出しないよう、太平洋で圧力をかけ続けろ。紳士ジョンブルって言うより乞食ルンペンじゃないですか、完全に」

 タイターは、さすがのアメリカ人でも言いにくいだろうことをズバズバと言ってしまう。

「挙句の果てに、攻勢拠点に使えそうだったトブルクを勝手に放棄して、エジプトに引きこもったかと思ったら、エル・アラメインであのザマです。もうスエズを奪われようがブリテン島がナチに蹂躙されようが放っとく。日本と違って、ドイツには大した海軍力はありませんからね。なんとでもなる。で、我々は太平洋での戦争に専念する」

「君は本当に思い切ったことを言うな。そして的確だ。プランとして魅力的でもある」

 ルーズベルトは、震える手で、それまでかけていた眼鏡を外しながら、そう言った。

「だが、残念ながらそれも受け入れられない。我々はすでに少なくない戦力をイギリスに送り込んでしまっている。ここで引き下がるようなことになれば……」

「やっぱり、大統領の責任問題、それで暴動ですか、まぁ、そうなるでしょうねぇ」

 重々しく言うルーズベルトに、やはりタイターはあっけらかんとして言う。

「解ってて言っているのか」

「出来ないことは出来ないというしかありませんからね、海軍の責任者として」

 ルーズベルトの言葉に、タイターは真顔になってそう言った。

「なんとか今を凌げないかね、あと半年でいいんだ……」

「凌いで、どうするんです?」

 ルーズベルトの言葉に、タイターは聞き返した。

「翌年になれば、新型空母が……」

「大統領、本職がこういうのもなんですが、OSSのレポート、ちゃんと読んでらっしゃいますよね?」

 日本は空母8隻を建造中。早いものは1943年には引き渡される。更に追加の見通し。

「現状がもう、負けてるんですから。エセックス級が竣工を始めたところで、兵力の逐次投入を強要されるだけですよ、──大統領」

 タイターは、真顔で言う。

「時間が我々に味方するなどと考えないでください。本職は、海軍作戦部長として最善を尽くします。尽くしますが、大統領は大統領として、落とし所、考えておいてくださいよ」



「海軍航本部長殿、ぜひ、審査していただきたい機体があるのですが」

 そう、電話を入れてきたのは、三菱重工の堀越二郎技師だった。

 ──暇を持て余して、何かやらかしたか?

 海軍航空本部長の片桐英吉中将は、そう思いながらも、海軍伊保原飛行場まで出向いた。ここは元々、愛知時計電機の航空機部門が使うために建設した飛行場だが、現在は海軍が所有し、また商工省の通達で、三菱重工大江工場も共用していた。

 堀越技師が荒れているという噂は、海軍の耳にも入ってきていた。というより、原因が海軍なのだ。一七試甲戦闘機は三菱に発注するが、主任設計者として本庄李郎技師を指名する。海軍省との協議で、そう決まった、と言うか、省側に押し切られたような形だ。

 とは言え、航空本部内の反発も少なかった。理由は解っていたからだ。堀越二郎技師の設計が量産を軽視しがちであること。零戦などもほぼ同じ性能の、陸軍の一式戦闘機に比べて、決して量産しやすい飛行機とは言えなかった。

 ただ、一七試甲戦がさほど優先順位が高い機体かと言うと……これもまた微妙だった。搭載が予定されているMK9発動機──陸軍はハ43と呼んでいる──の開発が前提になっており、日本の量産能力を考えると、すぐに数が揃えられるというわけでもないだろう、というのが航本の内部の見方だった。

 ともあれ、本業の戦闘機開発から外されて哀れだという気持ちもあり、片桐は部下を連れて、伊保原まで出向いたのである。

 そこにあったものは……

「こ、これは……」

「カ-16改、と社内では呼んでおります」

 しれっと、堀越はそう説明した。

 カ-16、それは、現用の九七式艦上攻撃機六一型の、三菱社内での開発コードだった。

 そしてそこにあった機体は、九七艦攻……の、シルエットはよく残しているが、ほんのり、線が更に太くなった感がある。そして何より、特徴的な固定脚ではなくなっていた。

「速度向上のご要望に答えるため、引込脚を採用しました。発動機は中島の『勇』一二型を装備しています。出力向上の恩恵がありまして、燃料タンクに積層防弾ゴムを配置いたしました」

「と、飛ばせるのか」

 実機を作り上げて見せつけるという、大胆な真似をした堀越技師に対し、片桐は、唖然としつつも、そう訊ねた。

「今すぐにでも」

 堀越が合図をすると、三菱のテストパイロットが発動機を始動させる。4翅ペラがパラパラと回り始めた。

「なにより現用の、我が社の九七艦攻の生産ラインを、最低限の変更で生産できるよう腐心しました。計器盤などは、九七式の物をほぼそのまま使っておりますから、下請工場の負担も軽く済みます」

 発動機の回転数が上がる。

 管制塔から離陸よろしの吹き流しが流れるのを見て、カ-16改は滑走路を走り、滑るように離陸した。

「これはもう、別の機体だな……」

 してやったりという様子の堀越の眼前で、飛び上がるカ-16改を、片桐は唖然と見上げつつ、そう呟いた。

 これが、後の三菱B6M 艦上攻撃機『天山』が、世に出た瞬間だった。



「堀越技師もいい仕事するじゃない。やりゃあできんのよ」

 陸軍省、ディステニアの自室。

「九九艦爆の方も順調なのね?」

「発動機を『栄』二一型ハ115に変更し、こちらも積層防弾タンクとした型が開発最終段階で、審査に入るということだ」

 ディステニアの質問に、東條が答えた。

「空技廠の和田だの山名だのが喚いてないでしょうね?」

 和田は和田操技術中将、山名は海軍横須賀空技廠の山名正夫技師のことだ。

 本来、九九式艦爆は空技廠が研究開発していた“敵戦闘機を振り切る高速急降下爆撃機”の研究が間に合わないためにつなぎで開発された機体だった。

 それが、“つなぎ”の方が主役となり、空技廠機は開発中止、となったら、面白いはずがない。

「さぁてな。そこまでは……嶋田君に探りを入れてみるかね?」

「そこまでしなくてもいいわ。ただ、愛知のラインを圧迫するような真似をしたら、椎名さんを通じて止めさせて」

「そうだな、それは問題だ」

 東條も同意した。

「さぁて、我慢比べはどっちが勝つかしらね……」

 ディステニアはニタリと笑う。

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