第30話 デートの約束

 太陽が沈みかける時間帯。

『カランカラン』

 カフェのドアベルが鳴り、入り口に目を向ける翔は知人の来店に笑顔を浮かべて挨拶をする。


「いらっしゃいませ、玲奈さん」

「いらっしゃいました。お久しぶりの翔くん」

 腰まで伸ばした赤毛の髪。大きなサングラスを少しだけずらしてウインクをするモデルの玲奈は控えめに手を振ってその挨拶に答える。


「あれ、今日は翔くんカフェのお仕事に入ってるんだ? この時間はいつもお花屋さんの方じゃなかった?」

「よ、よく覚えてるね……。玲奈さんの言う通り、本当は花屋の方のシフトだったんだけど、少し予定が変わって」

 何の違和感も無い言い分だが、玲奈は何かを悟ったかのように温和な笑みを浮かべーー言う。


「ウソつき」

「な、なにが……かな」

「カフェの従業員さんが早上がり、もしくは休みになったから代わりに入ってるんでしょ? ……休憩無しで。普通ならこの時間、翔くんは休憩に入ってるはずだし」

「……」

「私にその事実を言わなかったのは、休んだ人への配慮じゃないかなって思うんだけどー」

 頬杖を付きながらニヤリと微笑む玲奈は、『翔くんの考えてることなんて全部お見通しなんだから』と言いたげな視線を送ってくる。


「玲奈さんは僕を買いかぶりすぎだよ? 僕は僕が出来ることをしてるだけで、配慮してるとか、そんな気は無かったから」

「ふふっ、それならそう言うことにしてあげる」

「そう言うことにしておいてください」


 ここで翔が素直になったり本音を言ったりすれば、配慮した意味が無くなる。それが分かっているからこそ、玲奈は追求したりはせずにさらなる確信に変えただけだった。


「それでご注文は?」

「んー。じゃあ、エスプレッソのコンパナを一つお願いしていいかな」

「おぉ、コンパナ……」

「どうしたの? そんなに驚いて」

「コンパナってみんなが知ってる商品じゃないから、少し関心して……」


『エスプレッソ・コンパナ』とは、エスプレッソの上にホイップクリームを乗せたものを指す。

 甘味と苦味を同時に楽しめる大人な飲み物で、苦いコーヒーが苦手な方や、普通のエスプレッソの味に変化が欲しい方におすすめの商品である。


砂糖シュガーは付ける?」

「ううん、お砂糖の代わりに翔くんを付けて」

「僕は付属でも注文でもございません」

「もう、お仕事スイッチ入ってる翔くんはツレないんだから……」

「あはは……。話くらいは出来るから我慢してほしいな。それじゃあ、作ってくるから待っててね」

「うん、ありがと」

 そうして、翔は裏まで下がっていった。


 本来ならば、注文を受け付けた者はその商品を作るわけではない。しかし、玲奈は翔の友達であり、現在お客さんの入店率は少ない。

 こんな状態の時にだけ、受け付けた者が直接作るというルールを採用している。

 知り合いに作ってもらう飲み物というのは、やはり特別なもの。嬉しさもその感じ方も変わってくるのだ。


 そして数分が経ちーー翔は玲奈の元に作りたてのエスプレッソ・コンパナと差し入れのモンブランのケーキを置く。


「お待たせしました。こっちは僕の差し入れだから遠慮せずに食べて」

「もう、そこまで気を遣わなくていいのに……」

「なんだか玲奈さんが少し疲れてるような顔をしてたからね。疲れた時には甘い食べ物が一番だよ」


「翔くんには敵わないなぁ……ホント。今日はとってもイライラしたことがあったからそれで疲れたのかも」

「そ、それは大変だね……。僕で良ければ相談に乗るよ?」

「大丈夫大丈夫。もう解決したから」

 翔は知る由もない。今、目の前にいる人物が雛を遠ざけたことになど……。裏の顔を露わにして、雛に圧力をかけたなどと……。


「そんなわけで、最近の翔くんはどんなかなーって様子見に来ちゃった。私がずーっと気になってる男性だから」

「ま、またそんなこと言って……」

「あれれ、照れちゃった?」


 意味深に顔を逸らす翔を見て、悪戯な笑みを浮かべながら顔を近付ける玲奈。


「もう。モデル業をしてるんだから、そんなことは気安く言わないって何度も言ったはずなのに……。ほんと玲奈さんはそんな所があるんだから……」

「わざと言ってるんだけどね。翔くんに心配されたいから」

「なっ……」

「ふふん、良い顔しちゃって」


 翔を尻目に見ながらエスプレッソの上にある生クリームをスプーンですくう玲奈は、どこかご機嫌に微笑む。


「ねぇ、翔くん……。今週の土曜日って空いてるかな……?」

 玲奈がそんな質問をしたのは、生クリームを一口食べ終えた時だった。


「土曜日? 仕事終わりなら特に予定はないけど……」

「な、ならさ……私とデートして? よ、夜の遊園地……」

「えっ、デ、デート……!?」

「うん。本当は友達と行く予定だったんだけど、友達の方が用事出来ちゃって行けなくなったんだよね。このままだとチケットが勿体無いし……一緒に行って欲しいなーって」

「なるほど……」

「そ、それで……どう?」


 不安げな瞳で表情を曇らせる玲奈。しかし、これは真っ赤なウソ。……これが翔を誘い出すための手段であることに、その本人は気付かなかった。


「分かったよ。僕で良ければお付き合いするよ」

「や、やけに素直だね……? 私はてっきり断られるとばかりに思ってたけど……」

「玲奈さんのことだから、僕に行かせるって言葉を言わせるまで粘るでしょ? それに、友達としてたまには良いかなって思って」

「友達……か。ホントに思ってくれてるなら、簡単にイケるかも……ね」


 翔に聞こえることのない小声を漏らし、ニンマリさせる玲奈は早めにもう一つの要件を済ませることにする。


「あっ、ハイこれ。店に入る前に背の小さい女子高生から渡されたものなんだけどー」

「これはーー」

 そのタイミングで玲奈が渡したのは、雛が持ってきたオシャレな布袋。翔のコートが入った物だ。


「ありがとう玲奈さん。ひなちゃんにもお礼を言っとかないと……」

「ひな……ね。あれがアイツの名前なんだ」

 ーードスの効いた声。


「な、何か言った……?」

「ううん、なんでもなんでも。それじゃ、また週末に連絡を入れるからちゃんと空けておいてね?」

「もちろん、分かってるよ」


 そんな瞬間的に取り繕う玲奈と、翔はデートをする約束をしてしまったのである……。


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