第5話 進む時
「え、えっと……。いきなりでごめんね、本当……。あれ、僕の母さんなんだけど、本当に強引なところがあって……」
「だ、大丈夫です……」
「そ、そう言ってくれると助かるよ……」
「わ、わたしの方こそすみません……。お仕事の邪魔をして……」
「い、いやいや、全然気にしないで。母さんの指示でもあるから」
「……」
「……」
翔は気付いていないのだ。これは翔の母と雛が共闘しての『相席』だと言うことに。
だがしかし、翔と雛の間には気まずさに溢れた空気が漂っていた。
8年後の雛にピンとも来てない翔と、8年間ずっと想い続けるも、男性との関わりが全然ない雛。
「(き、気まずい……。本当に気まずい……。ぼ、僕なんかにこんな可愛い子の相手は務まらないって……。相手、物凄く不満そうじゃないか……)」
「(うぅ……わ、わたし……ちゃんと喋れてるかな……。変な子だって思われてないかな……。き、緊張しちゃダメ……緊張しちゃダメ……)」
お互いの気持ちが
「え、えっと……ま、まずは自己紹介からで大丈夫かな……?」
「は、はい……」
「じゃあ僕から言うね。僕の名前は川崎 翔。呼び方は好きなようにどうぞ」
「わっ、わたしは
「あ、あららぎ……さん? 珍しい苗字をしてるんだね」
「は、はい……(ツ、ツッコむところが違うよぅ、翔おにいちゃん……っ。な、名前、名前をツッコんでよぉ……)」
翔が雛の自己紹介を聞いても気付けない理由ーーそれは雛の苗字を知らなかったからだ。
この珍しい苗字を8年前から知っていたのならば、今の時点で簡単に気付くことが出来たであろう。
「……」
「……」
「(ど、どうしよう……。会話が続かない……。何か話題を、話題を……)」
「(……翔おにいちゃん、困惑してるよ……。ほ、本当にわたしのこと忘れちゃってるのかな……)」
視線を横に向け、ひっそりと翔を寄せる雛はここであることに気付く。
「あっ。し、翔さんは……何か、飲みますか? ご、ごめんなさい。気が利かなくて……」
雛の机上には、入店時に頼んだアイスココアが置いてあるが……今さっき隣に座った翔には何も置かれていない。
あわあわとカバンの中から財布を取り出して奢ろうとする雛に、翔は微笑みながら抑した。
「今は喉も乾いてないから大丈夫だよ。それに、大のオトナが高校生に奢ってもらうわけにはいかないから」
と、そう前置きした翔は、雛の机上に置いてあるアイスココアを見て新たな話題を作る。
「……ココア、好きなんだ?」
「はい……。昔から大好きなんです……」
「昔から……か。どう、このお店のココアは?」
「おいしい……です。とっても」
「ははっ、ありがとう」
時間が経ち、少しずつ会話をすることでお互いが今の空間に慣れてくる。
元はと言えば8年後の再会。翔はともかく、雛の方は警戒心をどんどんと緩めていく。
気付けば、雛の方から話題を持ってくるようになっていた。
「し、翔さんは、毎日ここで働いているんですか……?」
「毎週水曜が定休日だから、週6でお手伝いをさせてもらってるよ。僕は花屋とカフェの併用で動いてるから、シフトはバラバラだけどね」
「昔から……ずっと、ですか……?」
「うん。確か、中学校1年か2年くらいからお手伝いしてたから……もう8年から10年くらいにはなるんじゃないかな」
「8年から……10年」
雛自身、翔の口からどのような答えが帰ってくるのかは分かっていた。
(やっぱり……やっぱり……翔おにいちゃんなんだ……)
雛は8年後の再会をもっと感じたかったのだ……。そして、もっと今を実感したかったのだ。
翔に忘れらていたとしても、雛はちゃんと再会を果たすことが出来た……。それだけで胸がぽかぽかと暖かくなってくる。
雛の視線は自然とカフェ内に飾られている赤い薔薇に向き……ぽっと頬を染める。
「も、もしかして
「は、はい……。ここに飾られてるお花、言えるくらいには……」
「ほ、本当!?」
雛の視線が花に向いていることに気付いた翔は、どこかワクワクとさせた瞳でそう問う。
翔はカフェの店員でもあり、花屋の店員でもあるのだ。お客が同じ趣味、興味を持っていれば嬉しくもなる。
「えっ!? じゃあ……これのお花の名前は?」
「ガ、ガーベラ……です。色の種類が豊富で、花言葉は前進や、希望……。生花としては一年中出回ってるお花です……」
「せ、正解……。じゃあ、あっちの花は?」
「ト、トルコキキョウです。大きく華やかな見た目と、様々な色と形があって日持ちが良いお花で……、主流の色はピンクや紫、白」
「正解!」
簡単なお花から難しいお花……と、二段階で質問した花の名前と特徴を正確に答えた雛。
それだけで花に対してどれほど知識があるのか、興味があるのかは分かるもの。
「うわぁ、まさかそんなに詳しいなんて思わなかったよ……。お花、そんなに好きなんだ?」
「はい……。(翔おにいちゃん、あなたのおかげです……)」
返事と共に、そんな思いを込めて柔らかな表情を浮かべる雛。
そう。雛がここまで花に興味を持ち、調べようと思ったキッカケを作ったのは、翔が8年前に渡した薔薇にあった。
あの時……翔が薔薇の花言葉を調べることを宿題にしなかったら、雛はここまで詳しくなることは出来なかったであろう。
「あ、あの……っ。わ、わたしから、翔さんに問題を出して……良いですか?」
「もちろん。ここで答えられなかったら勉強し直さないといけないね」
「じゃあ……あれをお願いします」
そして、雛が指をさしたのは光沢のあるハート形をした特徴的な花。
「あれは……アンスリウムだね。赤やピンク、白色が主流で、ハート型のお皿のような
「じゃあ、あれは……?」
次に雛が指したのは……雛の想い出の花。ーー薔薇だった。
そう、これは雛が狙ってした質問。
雛はまだ希望を持っていた。持っていたからこそ、こうしてヒントを与えて続けているのだ。『早くわたしに気付いて……』と。
「あれは……ミスターリンカーンと呼ばれる種類の薔薇かな。多様な色があってその色によって花言葉が違うけど、そこに飾ってる色は赤だから……花言葉は愛情や美貌。告白に使ったりもするロマンチックなお花だね」
「正解……です」
と、そう答える雛だが、その声音には落胆が含まれていた。
(ここまでヒントを出してもダメ、なんだ……。翔おにいちゃん、わたしのこと完全に忘れてるんだ……。で、でもそうだよね……。8年も前のことだもん……。し、仕方がないよ……)
グッと悲しい気持ちを堪え、変な態度にならないように振る舞おうとした矢先だった……。
「薔薇……か。懐かしいな」
「えっ……」
「あぁ……ごめんなさい。少し昔のことを思い出して……ね」
雛がそんな思いを抱いているとはつゆ知らず、翔はカフェの天井を見上げながら……昔のことを話していた。
「これは僕が中学生の時の話なんだけど、このお店によく来てくれたお客さんがいたんだ……」
「……」
「その子、ひなちゃんって言うんだけど、ご両親の転勤で引越しすることになって……その時に僕、一人で育てた薔薇を渡したんだ。もう別れてから8年経つんだけど、元気にしてると良いなぁって毎年思ってて……」
「……」
そんな昔話をする翔だが、そこからの返答は何もない……。
無視されたような状況に、数秒の間を置いた翔が雛に顔を向けた瞬間だった……。
「あ、
『ポロ……ポロ……』
雛は嗚咽を漏らすことなく、ただ涙を流していたのだ……。それは、堪えていた気持ちが溢れたことによる涙……。
「うぅ……。覚えててくれたんだ……。翔……おにい、ちゃん……」
「えっ……。え、そ、その言い方……ッ!?」
翔はこの瞬間ーー二人が重なった。
涙を流しながら微笑む今の雛と……8年前の別れる際に涙していた雛が……。
「
「ぅー。気付くの遅いよ……。翔おにいちゃん……」
ポケットから花柄のハンカチを取り出した雛は、溢れ出る涙を拭きながら満面の笑みを浮かべていたのである……。
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