第6話 Side雛 翔との帰り道

「あ、ありがとうです……。翔おにいちゃん……」

「ううん、女の子一人にこんな夜道を歩かせるわけにはいかないから。ま、まぁ正直……僕が送りたいだけってのが一番の理由だけどね」


 時は過ぎ……時刻は20時10分。太陽は沈み……月明かりが街を照らすそんな時間……。わたしは学生寮に戻る時間となっていました。


 その時、翔おにいちゃんはそこでこう提案してくれたんです。

『送っていくよ』……って。

 仕事中なのにも関わらず、やっぱり翔おにいちゃんは優しいまま……。何も変わっていませんでした……。


「でも本当びっくりしたなぁ……。まさかあのヒナちゃんだったなんて……」

「わ、わたし……。もう忘れられてるだって思ったんですよ……? 自己紹介をしても、昔からずっと頼んでいたココアを見ても、薔薇の花を見ても、何にも反応がなかったから……」


「ほ、本当にごめん……。あの時は彼氏ヅラをしないといけなかったから、意識がそっちに集中してて……」

「か、彼氏ヅラ……ですか?」

 わたしはここで初めて聞きました……。翔おにいちゃんがわたしの隣に座ってくれた理由に……。


「えっ、もしかして母さんからそう聞かさせてたのは僕だけ……?」

「わ、わたしはお母さんから『今呼んでくるからね』としか聞いてなかったですよ……?」


「はぁぁ……。そう言うことかぁ……。よくよく考えればおかしなことだったんだよ……。ナンパされるから彼氏ヅラしてこい母さんの言い分……。初対面でこんなことさせたりしないだろうし……」

「そ、そんなこと言われてたんですかっ!?」


「だから僕、もう必死で彼氏演じようとしたんだけど、今まで彼女とかいた経験が無いからどうすれば良いのかも分からなくて……」

「……っ!」

 わたしは今、さりげなく言った翔おにいちゃんの言葉を聞き逃してはいませんでした。

 これはわたしが一番に聞いておきたかったお話でもあります……。追求はもちろんのことです……。


「そ、それ、本当のお話……ですか?」

「な、何が……?」

「翔おにいちゃんに、彼女さんがいないってお話……です」


「あはは、ツッコまれちゃったか……。恥ずかしながら本当のことだよ。今まで彼女がいたことは無くって」

「で、でも……い、今までにお客さんから連絡先をもらったことはあるんですよね……?」


 その連絡先を渡すということは、翔おにいちゃんに好意があって、もっと知り合いたいと思ったからの手段です……。

 翔おにいちゃんさえ乗る気なら、簡単に彼女は作れるはずなんです……。だ、だってカッコいいもん……。優しいもん……。


「た、確かに連絡先をいただくこともあるけど、追加したことは一度もないよ。ありがたいことには違いないんだけど、実際にはどんな連絡先かも分からないし、本人のものだとしてもそこまで踏み込む勇気はないから」

「う、うそは言ってないですか……?」

「こんな話に嘘は付かないよ」

「よ、良かったぁ……」

 両手を重ねて無意識に安堵の表情を浮かべるわたしは……口を滑らせたことに気付いていませんでした……。


「え、良かったって?」

「はわっ……! な、なんでもないですっ!」

「そう? それなら良いけど、僕には何も遠慮しなくて良いからね。8年振りに再会したわけだし、前みたいにもっと仲良くなりたいからさ」

「う、うん。ありがとう……」


 翔おにいちゃんの言葉一つで、心がじんわりと暖かくなってきます……。ただ、それだけで、わたしに気付いてくれなかったカフェでのことを許してしまいます……。


(なんでわたしがかけて欲しかった言葉を言ってくれるんだろう……。やっぱりすごいや……、翔おにいちゃんは……)

 不思議です……。本当に不思議です……。そ、そうやって巧みな話術で、たくさんの女性を落としてきたんでしょうか……。わ、わたしがされているように……。

 そ、それならズルいです……。無意識はズルいです……。


「ど、どうかした……? ふ、不満そうにしてる気がするんだけど……」

「な、なんでもないですよっ!?」

 確信に迫る言葉を言われ、わたしは思わず動揺してしまいます……。でも、それはわたしの嫉妬に近いもの……。翔さん自身に不満があるわけじゃありません……。

 そう自身を宥める中で、わたしは翔おにいちゃんが発したある言葉がずっと引っかかっていました……。


『僕には何も遠慮しなくて良いからね。8年振りに再会したわけだし、前みたいにもっと仲良くなりたいからさ』


 こ、こんなことを言われたら、甘えが発生してしまいます……。


(ほ、本当に遠慮しなくてもいいの……かな。 ……そ、それなら翔おにいちゃんと手とか繋ぎたい……って、いくらなんでもそれはおかしいよねっ!? な、何考えてるんだろうわたし……。あ、頭を冷やさないと……)


 翔おにいちゃんは鋭いです……。これ以上、わたしの心情を悟られないように、どうにか別のことを考えようとします。


(で、でも……翔おにいちゃんの手……大きいな……。暖かそうだなぁ……。うぅ……。ど、どうすれば手を繋げ……って、そう考えることがおかしいんだってばぁ……!)


 わたしの視線は、どうしても翔おにいちゃんの大きい手に向いてしまいます……。

 手を繋ぎたい……。そう考えただけで、恥ずかしさと欲望がぐるぐると混合してしまう……。ーーそんな時でした。


「も、もしかして……夜道、怖い?」

 不意に、翔おにいちゃんはこう言いました。


「なっ、なにがですかっ!?」

「ぼ、僕の手を見てたからさ……。もしかしたら怖いのかなって……」

「……あ、あの……。こ、怖いって言ったら……ど、どうしますか……?」

「だから手を繋ぎたいんだよね? 怖さを緩和するために」


 手を見られている。から、夜道が怖いのだろうと予測して、手を繋ぎたいと思考回路に移す翔おにいちゃん……。


(こんな思考が出来て彼女がいない方が不思議なんです……。うー……翔おにいちゃんの彼女になれたらきっと幸せだろうなぁ……。って、気が早いよぉっ!!)

 こんな想像が原因で、わたしは本心と全く別のことを言ってしまいました……。


「そ、そそそそそんなわけじゃないですよっ!? わ、わたしはもう高校生なんですから、怖いはずがありませんっ!」

「あ、あはは……。そ、それはごめんね。勘違いをして……」


(って、わたしのばかぁあああ……っ! ……ちょっとだけウソをつけば翔おにいちゃんと手を繋げたのに……、手を繋げたのに……)


 今……。今だけ素直になれば……正直に言うことが出来れば……翔おにいちゃんと手を繋ぐことが出来るんです……。ここを逃せば……もうわたしは勇気を出すことが出来ないかもしれません……。


 そう思ったら、わたしは素直になるしかありませんでした……。


「……ぅ、し、翔……おにいちゃん……」

「ん、どうしたの?」

「さ、さっきのはウソ、です……。ほ、本当は手を……繋ぎたい……です」

 かぁぁ、と顔が真っ赤になるのが分かります……。わたしはその火照った顔を隠そうと下を向いて、誤魔化します……。

 こんな顔、翔おにいちゃんに見られるわけにはいかないんです……。本当は何も怖くないんです……。

 ただ、わたしは翔おにいちゃんと手を繋ぎたいだけ……。


「そっか。やっぱり怖かったんだ? でもそれは恥ずかしいことじゃないから気にする必要はないよ。寧ろ、ちゃんと言ってくれてありがとう」

「……」

 わたしはただ翔おにいちゃんを手を繋ぎたいだけ……。でも、そんなところは鈍い翔おにいちゃんは、わたしが夜道が怖いと思ったのだろう、すぐにわたしの手を取ってくれました……。


 そして、ぎゅっと、わたしの小さな手を包み込むようにして……握ってくれたんです……。


(あ、暖かいな……。は、恥ずかしいな……。でも……とっても嬉しい……)

 だらしない笑みを溢れてしまうのを、どうにか我慢しながら……わたしは今の時間を大切に過ごすのでした……。



 ====



(わたしは覚えています。8年前、翔おにいちゃんが出してくれた宿題を……。薔薇の花言葉を調べて翔おにいちゃんに伝えるあの約束を……)


 でも、今はまだその宿題は果たせないです……。

 翔おにいちゃんと再会したからこそ分りました。翔おにいちゃんは、わたしのことを異性として見ていない……と。


 だから、今この花言葉を伝えても無駄なのです……。


(あなたを愛してます……。この宿題は……わたしが翔おにいちゃんに想いを伝える時……、果たせたら良いな……)

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