自営業である【お花屋カフェ】を手伝う彼を、幼き頃から想い続けていた彼女は “男性に免疫のない” 女子高校生になってしまいました……。

夏乃実(旧)濃縮還元ぶどうちゃん

第1話 過去と現在

「あの子が来なくなってもう8年……。早いもんだねぇ。翔? はいホットコーヒー」

「ありがとう、母さん。でも……どうしてこのタイミングでそれを今言うの?」

「だって今そのことを考えてたでしょ? 息子の考えてることぐらい簡単に分かるわよ」

「あはは……怖いもんだなぁ」


 母が入れてくれたホットコーヒーに口を付ける翔は、言い当てられたことで引きつった笑みを浮かべていた。

 カフェ内のカウンターに座る翔と、店服を羽織る母は『あの子』のことについて話すことがこれまでに何度かあったのだ。


「本当、息子が考えてることが分かる能力って厄介だなぁ……」

「親なら誰でも持ってるものよ。まぁ、翔のことについて当てが外れたことが一つあるけどね」

「ん? それは……?」


「翔が今もこうして家業を手伝ってくれていること。てっきり母さんは親元を離れるとばかりに思ってたから」

「確かに、あの大学に行くことも考えたけど、中学生の頃から手伝ってたし親孝行をする意味でも良いのかな……って。あ、でもこれは自分でやりたくて選んだ道でもあるから、後悔せずに毎日楽しくやれてるよ」

「ええ、それなら良いのよ」


 家業というのは花屋とカフェが隣接して出来た【お花屋カフェ】。それは名前の通りの店であった。


 カフェを楽しむも良し、花の鑑賞を楽しむも良し、どちらを楽しむも良し。

 花屋兼カフェということもあって、カフェの内部には数十種類の綺麗な花々が置かれている。兼花屋だからこそどんなカフェにも負けない内装が作られていた。


 そんなカフェの営業時間は早朝の7時から13時。夕方の17時から22時までの二回に分けられ、花屋の方は早朝9時から21時までと少し複雑な時間配置となっている。


 そして今の時刻は14時。午前中の仕事が終わり、カフェ内で休憩する翔は現在23歳だ。


「……今頃どうしてるのかなぁ、ひなちゃん。あの頃が本当に懐かしい……」

 あの子、雛のことをしみじみと思い出す翔は湯気立つコーヒーを再び口に運ぶのであった。



 ーー8年前のこと。


『翔おにいちゃーんっ! 今日も来たよーーっ!!』

『お、こんにちはひなちゃん。今日も元気だね』

『えへへ……。翔おにいちゃんに会えると、う、嬉しいから……っ!』


 両手を握りしめながら顔を赤くしながらモジモジとさせている雛は当時7歳であり、翔は中学生だった。この時から翔は自営業の花カフェを手伝っている。


 そして……年の差があるからこそ、この時から雛が『異性』としてこんなことを言っているとは、全く思っていなかった翔。


『それは僕も嬉しいな。あっ、ひなちゃんはホットココアで大丈夫?』

『う、うんっ! いつもありがとう、翔おにいちゃん』

『それじゃあすぐに準備するから待っててね』


 雛に笑顔で注文を聞き終えた翔は、その背後にいる雛のお母さん視線を合わせて挨拶を交わす。


『いつもご利用ありがとうございます、お母さん』

『いえいえ、こちらこそどうもありがとうございます。雛がどうしても行きたいって聞かなくて』

『ははっ、それは嬉しい限りです。あ、そう言えばこの前に買っていただいたペチュニアの様子はどうですか?』

『はい、おかげさまで元気に育ってます。この子なんか毎日お花に話しかけるくらいで、ふふっ』


 カフェ。たったそれだけならこんな会話をすることもないだろう。しかし、この店は【お花屋カフェ】なのだ。

 カフェを楽しんだ後に花を買って帰るお客さんも当然いる。そして逆もまた然り。だからこそ、花に関することで会話することが出来る。


『ははっ、それは良い報告を聞けました。それで……お母さんの注文はどうされます?』

『それじゃあ、無糖のコーヒーをお願いします』

『かしこまりました。少々お待ちください』


 雛とそのお母さんはこの店に来る常連さんで、翔が気軽に話せるお客さんの一人だったのだ。



「常連さんだったし悲しさはあるわよねぇ……」

「うん。どうしても思い出しちゃう時があって。ひなちゃんもお母さんも元気にしてると良いけど……」


 そして翔は再び過去のことを、雛と別れ際のことを思い出していた。



『翔おにいぢゃんと離れたぐない゛ーーっ!!』

『泣かないでひなちゃん。もう絶対に会えないわけじゃないんだから』

『イヤだぁあああ゛あ゛あ゛!!』


 雛がこの店に来なくなって8年。その理由は雛のお父さんが仕事上の転勤。家族全員による引っ越しが原因だった。


 家庭の事情で、翔たちに出来ることはただ一つ。雛たちを笑顔で見送ること。

 別れは誰だってツライ。特に雛は7歳と幼いからこそ、思ったままの感情を露わにしてしまう。……結果、このように別れに泣き喚いたのだ。


『い゛やだぁ! いやだぁーーー!!』

『ひなちゃん。そんなに泣かないで?』

『やだぁああ……!』

『大丈夫……。大丈夫だから。落ち着いて……ね?』


 翔は慣れた様子でゆっくりと腰を下ろし、雛の柔らかい髪を優しく撫でる。もちろん、これに変な意味は何もない。ただ、どうしても泣き止ませたかったのだ。


『ぐすんっ……ぐすっ。おにいちゃん……』

『ひなちゃん。これは僕からのプレゼントなんだけど、受け取ってくれるかな……?』


 もう引越しの準備は済ませ、お別れの挨拶に来た雛とお母さん。その事情は前々から聞いていたからこそ、こちらも別れの準備をしていたのだ。


『はいっ。少しだけ会えなくなるから、どうしても渡したくて……。これをどうぞ』


 翔は背後に隠していたプレゼントを雛に見せた。

 ーーその物は翔が全て手入れをした花。透明の容器に入った赤薔薇バラのドライフラワーだ。


『ぐすっ……。きれい……』

『ひなちゃんはこの薔薇の花言葉を知ってる?』

『……ふるふる』

 翔の問いに泣きながら左右に首を振る雛。


『この薔薇の花言葉は素敵な言葉だらけなんだ。ひなちゃんの宿題はこのお花の花言葉を調べてほしくって。そして、いつかまた再会した時にその答えを教えてほしいな』

『……コクリ』

 そう頷く雛に、翔はお礼の言葉をかけて柔和な笑顔を見せた。


 赤薔薇の花言葉は様々。『愛情』『美』『情熱』『熱烈な恋』『美貌』

 その中で翔は立派な女性になってほしいという意味を込めてこの花をプレゼントしたのだ。


 ただ……赤薔薇は一般的に告白や想いを伝える際に渡すもの。

 ーーこれが誤解を招くことになる。


 翔は知らない。……雛はこの時からを、翔のことを異性として好きだった、、、、、のだから。


『僕はここでずっと待ってるから、いつでも遊びに来てね』

『うぅ……っ。や、やくそく……だよ? ぜ、絶対だよ……?』

『もちろん。約束だから』


 そして、笑顔で交わした約束をーー翔は今でも忘れていなかった。



「あれが8年前だから、あの子はもう中学3年生か高校1年生よね? きっと可愛い子になってるわよー。クラスのアイドル的な存在になっているんじゃないかしら」

「うん。それは間違いないだろうね」


 翔は冗談口調になることなく、柔らかい笑みを見せながら母親の意見に同意した。


 雪のように白いショートボブの髪。琥珀色の大きな双眼に小ぶりの小さな唇。にっこりと笑顔を浮かべればエクボが見え、こちらまで笑顔を作ってしまうほど雛は可愛い女の子だった。

 天使の子……なんて言っても過言ではないほどに。


「でも、翔があの子に赤い薔薇を渡して告白した時は驚いたわねぇ。あんな小さい子に花言葉で告白するんだもの。もし訴えられてたら負けてたんじゃない?」

「あ、あれは告白なんかじゃなくて、立派な女性になってほしいって意味を込めたんだって!」

「流石に母さんは引いたわねぇー」

「だからそうじゃないって!」


 母親にからかわれる翔だが、泣き止ませるためにした行動であることは誰だって理解していること。……とある人物以外は。


「翔があんな告白したんだから、ヒナちゃんは案外本気にしてたりしてるんじゃない?」

「それは絶対にないって。……もう8年も前のことだし、僕のことはもう忘れてるんじゃないかな? それに、彼氏さんも居ると思うから」

「さて、それはどうかしらね。……あの子、超が付くほど純粋だったし、間違いなく翔のこと……」

「……ん?」

「ううん、なんでもないなんでもない。ただの母さんの独り言よ」


 そんな過去話はこの先も数十分と続き……キリの良いところで母からお使いを頼まれる。


「翔、いきなりで悪いんだけどガムシロップとシュガーを買ってきてくれない? 休憩中で悪いんだけど」

「あっ、もう切れかけてた? すぐに買ってくるよ」

「ありがとうね。はいこれ、お釣りは手間賃として受け取っといて」

「そ、そんな気にしなくていいのに」

「受け取りなさい。命令」

「……はい」


 そうして、強制的に多めのお金を貰った翔はお使いに出かけるのであった……。


 今さっきまで母と話していた雛が、すぐ近くに戻って来ていることに気付くはずもなく……。

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