第32話 激怒と解決の手

『夜分遅くにすみません。明日、お時間をいただけませんか』

 その夜中、桃華は翔に連絡を入れていた。文面は丁寧だが、怒りを込めたそのメールを。

 そして、数分経ったところで翔から返信が来た。


『お久しぶりだね、桃華さん。えっと……何時頃が良いかな?』

『翔さんのお仕事が終わる時間でいいですよ』


 ピロンとの通知が届いた桃華は、時間を開けることなく即返信をする。

 こうすることによって、メールのやり取りはより早く進み『未読無視』という逃げ道を塞ぐことが出来る。

 桃華の心には既に怒火が宿っている。……絶対に話を付けてやる! そんな決意があったのだ。


『そ、それだと22時過ぎで遅くなるから、僕の休憩時間とかの方がいいと思うんだけど……』

『いえ、ウチは翔さんと二人っきりで話したいんです。ですからその時間で大丈夫です』

『そ、それじゃあその時間で……』

『集合場所ですけど、翔さんのお店の東側に小さな公園がありますよね。そこでお願いします』

『分かった』


 そのやり取りは5分程度で済み、スマホの電源を切った桃華の手は怒気で震えていた。


「雛っちをあんなにまで泣かせて……絶対に許さないんだから」

 両拳を強く握りしめ、雛が号泣していた光景を思い出す桃華は瞳を鋭く変化させたのである。



 =======



「ただいまー」

 その翌日。仕事から帰ってきた桃華の兄、龍二は玄関先で妹と鉢合わせる。


「ん? こんな時間からどこかに行くのか? もう22時になるぞ」

「……兄やん。翔さんって人の気持ちを弄ぶサイテーな人だったんだね。ウチ、幻滅したよ」

「は? 藪から棒になに言ってんだよ……」

 いつもの妹ではない。明らかに憤怒した桃華に龍二は困惑する。今の状況について行けるはずもないのだから当然だ。


「ホント性根が腐ってるよ。上部だけいい顔して、自分が悪いのに雛っちに悪口ばっかり……。おかしいよ」

「おいおい、どう言う意味だよ……。分かるように説明しろ。いくら妹でもオレのダチを貶すのは我慢ならねぇんだが」

「もういい。時間だから」

「あ? 時間……? って、どこ行くんだよ、おい!」


 ーー約束した時間は22時。

 龍二の引き止めに目もくれず、靴を履いて自宅から飛び出していく桃華であった。



 ======



「……すみません、遅れました」

「ううん、気にしないで。僕も今来たところだから」

 約束の場ーー先に公園に着いていた仕事終わりの翔だった。

 そんな翔は定番のセリフを言うが、この公園に来たのはついさっき。桃華を気遣ったわけでもなく、本当のことを言っただけである。


「はいこれ。話が長くなるかな、、、、、、って思ってジュース買ってきたんだけど……」

 桃華を気遣った行動。

 公園に着く前に自動販売機で購入したフルーツ果汁のドリンクを渡そうと、手を伸ばしながら発した言葉ーーこれが桃華の血管がプチッとキレさせた。


「話が長くなるかな、ですって? ……ふざけないでよッ!」

「っ!」

 突として出た桃華の怒声。翔はドリンクを持った手を無意識に引き、その圧に呑まれていた。


「アナタのせいでこんなことになってるのに、よくそんなにも……そんなにも、のうのうと出来ますね。ウチが知らないとでも思ってるんですか?」

「ど、どう言うこと……? 桃華さん……」

「ウチの名前を口にしないで! 聞きたくもない!」


 友達のために激憤する桃華は、人の声に耳を傾ける余裕もなかった。


「アナタは自分が何をしたのか分かってるんですか!? 人の気持ちを散々弄んで、雛っちを貶めて、傷付けて……! 人を潰すことがそんなに楽しいんですか!?」

「貶める……? 潰す……? い、意味が分からないよ……」

「はぐらかさないでよ! ……雛っちはアナタのことが大好きで、いつも幸せそうに語ってた……。なのに、なのに……そんなアナタがコレですか!? どれだけ人の気持ちを踏みにじば済むんですか!」

「な、何を言って……」


 桃華の怒っている理由を翔が理解出来ない。出来るはずがない。……何故ならこれは、全て玲奈の嘘なのだから。嘘によって桃華が突き動かされただけなのだから。

 翔にとってこれらのことに身に覚えがあるわけもなく、食い違いが生まれるのは当然である。


「雛っちはアナタに振り向いてほしくて一生懸命アタックをかけてた。それなのに、いつも付きまとってきて迷惑とか、早く消えてくれないかなとか、平然と言えるなんておかしいよ! 彼女がいるなら早く言えばいいじゃん! 雛っちが悪いような言い方をしないでよッ!」

「彼女……? 僕にはいないよ、そんな人……」

「ど、どこまでしらばっくれる気ッ!? 玲奈レイナってモデルが彼女なんでしょ!」


 ーー憤る桃華の追求。これが食い違いを見つけるカギになった。


「玲奈さん……? 玲奈さんは僕の友達ってだけで、彼女なんかじゃないよ」

「嘘付かないでよ! キスされてる写真まで撮ってるのに、その言い訳が通じるわけがないし!」

「キスされてる写真? ……ッ!」

 一体、なんのことを言われてるのかサッパリだった翔だが……一つだけ心当たりがあった。


「それ、もしかして僕が頰にキスされてる時の写真かな……」

「そうですよ。だからどうだって言うんですか!」

「そっか……。……桃華さん。これから言う話を落ち着いて聞いて欲しい」

「……な、なによ……!」


 限られた情報の中である程度の状況を察した翔は、桃華に一歩近付いて距離を詰める。


「僕に彼女はいないよ、本当に」

「ま、またそんなことを……ッ!」

「嘘だと思うなら、僕の両親に聞いてくれて構わない。桃華さんさえ良ければ、今から車で両親の元に直接証言を聞きに行ってもいい。今から電話をかけてもいい」

「なっ……!」


 嘘は付いていないとの確かな自信。それを証明するかのように翔は提案を出す。これは桃華にとって予想外の出来事だった。


 桃華は雛から翔の両親について聞いていたことがある。


 ーー翔とカップルになれるようにいろいろ協力してくれただけでなく、応援してくれていることを。

 そんな行動をしていたことなど知らない翔が、両親に証言を取ろうとしているのだから。


 嘘を付いていないからこそ出来る堂々と行動。……桃華の舞い上がっていた怒りの炎は鎮火され、代わりに冷静さがじわじわと戻っていく。


「僕の目を見ても嘘だと思う? 嘘だと思うなら……かけて良いから」

 そうして、とどめを刺すように自らのスマホを取り出した翔は、液晶を両親の電話画面に映して桃華に見せた。


「……」

「……」

「…………」

「…………」


 互いに顔を逸らすことなく、混じ合わさる視線。曇りの無い澄み切った瞳を見た桃華は震えた声が口から漏れた……。


「ほ、本当……なの……? 本当に……」

「うん。本当だから」

「……そう、だったんだ」

 そして、食い違いが完全に解決されたその瞬間だった。


「ーーったく、オマエは反省しろよ。ショウがンなことするはずねぇんだから」

「「……ッ!」」

 不意に聞こえた第三者の声。桃華と翔はその声源にパッと振り向いた。


「り、龍二!? なんでこんな所に……」

「なんでって言われても、コイツが家を飛び出したから急いで追っかけたんだよ」

「家を飛び出した……? えっ、まさか……」

「そう、コイツはオレの妹」

「い、妹!?」


 長年関わりを持ってきた友達から聞かされた、衝撃的な事実。

 雛の友達である桃華が、翔の同い年である龍二の妹……。こんな偶然はそう簡単に起きるものでもないだろう。


「……それより、さっきはコイツが本当に取り返しの付かないことをしたな……ショウ。オレの顔に免じて許してほしい」

「ご、ごめんなさい……! 本当にすみませんでした!」

 兄の龍二が先に頭を下げ、それを見た桃華も勢いよく頭を下げる。

 桃華は玲奈が作り上げた虚構に踊らされ、怒りの矛先を向ける相手を完全に間違えたのだ。人によっては謝り一つで済まない問題だろう。


「大丈夫だよ、桃華さん。……僕があんな写真を取られたことも悪いし、ひなちゃんのためを思っての行動だってことは分かってるから」

 誰も傷付けさせない言い分で龍二と桃華の頭を上げさせた翔は、次にこう聞いた。


「桃華さん。一つ聞きたいことがあるんだけど、今までの話を流したのは玲奈さんで間違いないかな?」

「う、うん……。雛っちがそう言ってたから……」

「……分かった。情報をありがとうね。桃華さん。……さて、誤解も解けて龍二も来たことだし、僕はこれで失礼するよ」

「ああ。また一緒に遊ぼうぜ、ショウ?」

「もちろん」


 そうして、何事もなかったように公園から去って行く翔だったが……その変化を完璧に見抜いている者がここに居たのである。



 ======



「に、兄やん……ウチ、とんでもないことをしちゃった……」

「……ショウに怒りをぶつけたこと。まぁ一番は、雛っていう子がショウのことを好きだってことをバラしてしまったことだろ?」

「う、うん……。ど、どうしよう……」


 好きな人を教えるという行為は、暗黙の了解とされているもの。話の流れから教えてしまったこの事実をどうすれば良いのか……と悩ませる桃華の肩を、龍二は叩いた。


「大丈夫さ。ショウは今それどころじゃねぇから」

「……ど、どう言う意味?」

「桃華と一緒でキレてっからそっちどころじゃねぇってことさ。……想像出来ねぇとは思うが、キレたらアイツ、オレ以上に怖えぇぜ? ……マジで。敵に回したらもう終わりさ」

「そ、そうなの?」

「ああ。だから間違いなくレーナには今までのツケが返ってくるだろうさ」

「ツケ……?」

「ふっ、いろいろあんだよ。いろいろ……な」


 高校の時から翔を想う者へ脅しや圧力を続けてきた玲奈。その事実を知っていた龍二は鼻で笑いながら、ニンマリと片方の広角を上げるのであった……。

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