第31話 予感と違和感

「ぐすっ……。翔おにいちゃん……。ごめんなさい……。ごめんなさい……」

 一人、公園のベンチに座り涙を流すその人物は長年想ってきた相手に何度も何度も謝罪の言葉を口に出していた。


 翔がいるはずもない、その場所で……。


 雛の脳内には、玲奈の言葉が繰り返し再生されていたのだ。


『恋人繋ぎまでして……恋人ぶって。正直、許せないんだけど』

『消えてくんない? 迷惑だから』

『アンタは私達の仲を壊そうとしてる邪魔者でしかないのよ』


 そして、雛が一番心に傷を負ったのは一番最後の言葉。


『翔くんそう言ってたし。……いつも付きまとってきて迷惑だって。早く消えてくれないかなってね』


 憤っていた玲奈の顔と共に、その時の光景がフラッシュバックされる。


「ごめんなさい……、うぅっ。ご、ごめんなさい……ぐすっ」


 これだけは、これだけは……雛が聞きたくない言葉。

 迷惑を一番かけたく無かった相手。翔にずっと迷惑をかけ続けていただけでなく、ずっと我慢をさせていた。……翔の胸中が目に見えて分かるから。


「ぐすっ……。もう、会わないようにするから……、許して……」

 ボロボロと流れ落ち続ける大粒の涙。ベンチはその涙で湿り、何時間も雛が泣いていたことを証明していた……。


 物音ない公園に聞こえるのは、雛の嗚咽と謝罪だけ……。


 その公園の通り道ーー雛の声を偶然耳に捉えた人物がいた。


「な、泣いてる声が聞こえる……」

 右手に買い物袋を持ったその人物は、その根源に向かって足を運んでいき……この現場を目に入れた。


「……ッ! ひ、雛……!?」

「…………桃華、ちゃん」

 その瞬間、買い物袋をその場に置き、急いで公園に駆けつけたのは雛の親友……桃華だった。

 雛の目は真っ赤に充血し、涙で制服も濡れていた。そんな想像だにしない様子に、普段の呼び名である『雛っち』と桃華は呼べなかった。


「い、一体どうしたの!? こんなところで、こんな時間まで!!」

 桃華はそんな雛を思いっきり抱き締めて、何故こんな経緯になったのかを聞く。

 現在の時刻は20時。本来の雛なら既に寮に帰宅している時間であり、雛の様子から何かとんでもないことが起こったのは明白だったのだ。


「い、言え……ないよ……」

「言ってよ……。言うまでウチは帰らないよ。心配だよ……雛」

「ぐすっ。っ、桃華……ちゃん……」

「落ち着いて……。ゆっくりで良いから。話せる状態になるまでウチは待つから……」

「……ごめん……。ごめんね……」

「大丈夫、大丈夫だよ。ウチが付いてるから……」

 どうにか宥めようとする桃華は、泣き続ける雛をずっと抱き締めながら時間に身を委ねる……。


 そうして、時間をかけて雛の話を聞くことが出来た桃華の額には……怒りを露わにしたように、青筋が浮かび上がる。


「なにそれ、翔さんに彼女が居たって……。そんなの、翔さんが雛に言ってないのがおかしいじゃん。雛っちが謝る必要なんてなにもないし、翔さんが雛を愚痴る意味も分からない。……もういい。ウチが明日、話を付けてくるよ。こんなに雛を泣かせるなんて絶対に許せないから……」


 玲奈のウソによって、桃華の怒りの矛先が翔に向いた瞬間だった……。



 ====



 時刻は23時30分。

 自宅に戻った翔は、玲奈から渡された布袋の中からコートを取り出す。その際に一枚の紙が中から飛び出した。


「な、なんだろう……」

 その紙は丁寧に折り畳まれ、正面には『翔おにいちゃんへ』との宛先が書いてある。呼び方から雛が書いた手紙だと理解した翔は、紙を拾い上げ開封して目を通した。


『昨日は勝手にコートを持ち帰ってしまって本当にすみませんでした! あ、あと、お買い物楽しかったです! また、機会があれば一緒に行ってくれると嬉しいです……っ』


 簡潔にまとめられた内容で、まるまるとした可愛い文字。

 雛らしい文に微笑みを浮かべる翔は、

「いえいえ、こちらこそまたお願いします」

 と、礼を口に出し……コートをハンガーにかけようとした時だった。


 翔はある違和感を覚えた。


(……ん? よくよく考えればおかしいような……。普通、こんなメッセージまで付いてるなら、ひなちゃん自身が持ってきてもおかしくないよね……。玲奈さんとひなちゃんは面識が無いはずだし、そんな人に袋を渡すなんて……。な、なんか……ひなちゃんらしくないな)


 不満などではなく、『らしくない』からの違和感。


「なんだろう……。何か嫌な予感がする……」

 胸に疼いたその予感は、後に的中することになる。

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