第18話 モデルのレイナ①

「いつもありがとう。また寄らせてもらうね」

「はい、ありがとうございましたー。お気をつけてー!」

 数日後のこと。花屋でいつも通りの接客をしていた翔は、常連のお客さんを見送って店内に入る。


「ふぅ……。今日は忙しいね、父さん」

「だがまぁ、商売上がったりだぜ。こりゃ従業員さんには勤労手当を渡さないとなぁ」

「おぉ、流石は父さん」

「あたりメェよ。どんな店も従業員さんがいてこそ店が回ってんだからな。俺たちは感謝しなきゃならねぇことだらけなんだし」


 店の利益を独り占めすることなく、この店のために働いてくれた従業員さんに回す。これは多くの利益が生まれたから出来ることであり、一生懸命に働いてくれることを当たり前だと思わず、感謝しているからこそ。


「翔、これは従業員さんに言うんじゃねぇぞ?」

「うん、分かってるよ」

 翔は口止めされた理由を理解しており、微笑を浮かべて頷く。

 父は強面の顔とは裏腹に、かなりの照れ屋なのだ。こんな気持ちを曝け出すのは身内だからだ。


「って、翔は早く休憩取ってこいよ。まだ一度もしてねぇだろ?」

「うん、今のところは」

「ほら、丁度客足も引いたし、さっさと行ってこい」

「分かった。それじゃ休憩もらうね」

「ゆっくり休めよ」

「うん。ありがとう」


 そんなやり取りをした後、翔は花屋で働く他の従業員に休憩を伝えてスタッフルームにまで入る。

 そこから私服に着替え、休憩場所であるカフェに足を運んだ。


 この店で働く最大のメリットはコレ。

 このカフェで休憩が出来ること。従業員限定で食べ物は別で、飲み物は無料タダだということ。

 もちろん、これはカフェで働く従業員も同じ。小さな賄いのようなものだが、これがまた好評なのだ。


「あら、翔は今から休憩? 今日は遅かったわね」

「花屋の方が結構忙しくて……ね。今は落ち着いたところだから、ようやく休憩が取れたんだ」

「お疲れ様。それで注文は?」

「アイスカフェオレを頼んでいいかな? ミルク多めで」

「はいはい」


 角のカウンターに座った翔は、母と簡単な話をしてミルクたっぷりのアイスカフェオレを注文し、しばし待つ。


 そして、座っていたカウンター席に注文品が届く。


「それじゃ、何か用があったなら他の従業員さんを呼びなさい? 今からアタシは裏に回るから」

「了解、カフェオレありがとうね」

「これが仕事だから」


 翔に背後を見せて、手を振りながら裏に下がる母はなんともカッコ良い。

 そんな姿を見送った翔は、氷が浮くカフェオレに口を付けて『ほっ』としたように息を吐き出す。


「ふぅ……。疲れた時にはやっぱり甘い飲み物だなぁ……」

 銀のスプーンで、くるくるとカフェオレを混ぜながらそんな感想を心で漏らした矢先だった。


「なーに、そこで浸ってるのよ、翔くんは」

「……っ」

 耳までしっかりと聞こえる綺麗な声音。確かな呼びかけに翔はパッと振り向く。


「やっほ、翔くん。久しぶりだね」

「れ、玲奈れいなさん。どうも」

「どうもどうも」


 ウェーブがかかった赤毛のロングを持った女性。身長は少し高く、大きなサングラスを人差し指でクイッと上げた玲奈は、桜色の瞳と長いまつ毛を見せるようにして小さくウインクをする。


 スタイルが良く女性らしい身体つきをした玲奈に、カフェ内にいるお客の視線がこちらに集まる。

 そう、玲奈はモデル業をしている女性。サングラスで容姿が隠れても、スタイルの良さから視線を集めることは日常茶飯事なこと。


 そして、玲奈は翔と同い年でこのお店の常連客。この二人は男友達、女友達。そんな仲の良い関係を築けていた。


「あれ、もしかして翔くん元気ないっぽい? お仕事でお疲れ?」

 だが、視線を集めている玲奈は全く気にした様子もなく、翔に声をかけてくる。翔とは違い、こんな視線には慣れているのだろう。


「結構……ね。今日はお客さんが多かったからね。玲奈さんも少し疲れてる?」

「まぁねー。私もさっきまで撮影だったから。お互いにお疲れーさまって感じだね」

「あはは……。確かに」

「あっ、立ち話もなんだし、翔くんのお隣に座っていい? 今は休憩なんでしょ?」

『うん』

 そんな問いに、翔は一度首を縦に振ってこう答えた。


「どうぞ。って言いたいけど、僕と一緒に座ってるところを見られたらマズいんじゃない? 玲奈さん、モデル仕事順調だって聞いたよ」

「ふぅん。それはもしかしなくても、私のカレシだと勘違いされるかもってこと?」

「こんな光景を見れば、そう勘違いする人もいるのかなって思ってね。僕が玲奈さんに釣り合ってないのは分かってることだけど」


 椅子に座りながら身体を少し回転させ、玲奈に正面顔を向ける翔は、あたかも当然のように『釣り合わない』と伝える……。が、こんな事を思っているのは自己評価の低い翔だけ。

 玲奈自身はまた別のことを思っていた。


「……あ、あのさ? 前々から言ってるケド、私のカレシになってくれても良いんだよ? さ、最近、私人気出てきたし ……、いつも、、、待ってるし、、、、、……」


 玲奈が発した最後の言葉は、翔には届かなかった。……それくらいに玲奈の声は小さく、照れが含まれていたのだ。

 だが、それを本気だとは翔は思わなかった。


「いやいや、もうそのからかいには乗らないよ。あの時の嘘告白、、、を経験してるからね」

「嘘告白…………か。あれは本当にゴメンね。友達と断れない罰ゲームしてて……」

「もう気にしてないから大丈夫だよ。ちゃんと和解が出来て、こんな関係になれてるだけで僕は満足だから」


 そう、翔が初めて受けた告白。それが玲奈からの告白だったのだ。

 ……しかし、それはもう昔の話。翔はもう全て水に流している。だからこそ、翔は玲奈と今のような関係を築けているわけなのだ。


「……そ、そーやって、誰にでも優しくする翔くんの性格、私はキライだなー」

「えっ?」

「女の子はね、誰かに特別扱いしてほしいもんなんだよ。……特に好きな相手とかには、ね。翔くん?」


 頰を少しだけ色付かせながら、チラッ、チラッと尻目に見る玲奈。


「まぁでも、それは男にも言えることだと思うよ」

「…………ま、全く、翔くんらしい答え方するんだから……。ほんと、憎たらしいよ」

「に、憎たらしい!?」

「あーあ、これでも気付かないかー。今日は久しぶりだったし、結構攻めたんだけどな」

「攻めた?」

「ううん。なんでもない、なんでもない。どうせ言っても分からないだろうし」

「……?」


 この玲奈の発言の意図に気付くなら、翔は鈍感というタイプを持ち合わせていないだろう。

 生粋の鈍感に惚れてしまう、、、、、、。これほど厄介なモノはない。


「それじゃ切り替えて、遅くなったけど隣に座らせてもらうね」

「変な噂が流れても責任取れないよ?」

「私としては、そんな噂が流れてもいいと思う……ケド?」

「ははっ、そんなからかいにはもう慣れたよ」


「……か、からかいじゃないのに……」

 そう、これはからかいでもなんでもない。玲奈の本心。

 ボソっと、そう呟く玲奈は隣のカウンター席に腰を下ろし……翔の飲みかけのアイスカフェオレに、翔の唇に……目を向けるのであった。

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